坂本への売り込み <C2127>
2件目の料亭への売り込みです。
■安永7年(1778年)3月29日(太陽暦4月26日) 江戸・京橋 坂本
武蔵屋の翌日は、萬屋本店から京橋を渡った所にある坂本という料理屋への実演販売となる。
こちらは、女将と主人、板長の3人が相手の売り込みとなる。
売り込みの時点から瓦屋の版元とその連れもおり、萬屋側の3人も含めると8名の大人数となってしまった。
昨日の武蔵屋同様、実演が終わると、即金で2組の卓上焜炉と上皿100枚、小炭団1000個の合わせて金14両を値切ることもなく包んできた。
そして『しゃぶしゃぶ』は間違いなく受ける料理であり、その味の決め手となる『ぽん酢』の製法の対価として、加登屋さんに黙ったまま金10両を差し出したのだった。
さらに、卓上焜炉を3組と上皿150枚をできるだけ早くという追加注文を受けたのだった。
「萬屋さんは、昨日の『湯豆腐』といい、この『しゃぶしゃぶ』といい、小料理屋に鞍替えしたほうが良いのではないですか」
版元の連れが千次郎さんに話かけてくる。
実演のはずが、そのまま宴会に突入し、持参した小炭団がどんどん消費されている。
「いやいや、これは登戸村の加登屋さんの腕に依るものですよ。萬屋だけでは、とてもこう手際良く仕上げる訳には参りません」
昨日の『湯豆腐』とは違い、色々な魚の薄切りを試してみたいと坂本さんの板長がどんどん具材を出してくる。
小炭団だけを使うつもりであったが、とうとう萬屋へ使いを出して長時間火が保つ炭団を取り寄せることになってしまった。
そして、この効果、つまり4倍もの時間燃え続けることに坂本の女将は驚いた。
「萬屋さん、こんな隠し玉もお持ちとは驚きです。小炭団だけではなく炭団も500個ほど欲しいのですが、用立てて頂けますまいか」
「こちらは1個20文と少し高めになります。手持ちは少ししかなく生産している村から取り寄せねばなりません。とりあえず手持ち分をお渡ししますが、残り分の提供には数日かかりますので承知願います。代金の2両2分は、ご要望の500個を納め終わってからで良いですよ」
「この分では、当分瓦版のネタに困ることは無いですな。生産している村とは、どこになりますか。まさか、それも内緒という訳ではありますまいな」
千次郎さんと加登屋さんは、チラッと義兵衛の顔を見る。
昨日からかかわっていた版元は、この仕草で義兵衛が黒幕とハッキリ気付いたようだ。
義兵衛はしかたなく説明を始めた。
「武蔵国・橘樹郡にある椿井様の知行地の村々です。条件はついていますが江戸市中では萬屋さんにだけ卸す約束となっています。もっとも萬屋さんに卸す分を作るのに手一杯で、余所に直接売る分は全然ございません。こういった事情もあり、生産地の実情なんかは詳しく瓦版に乗せないでください。もっとも小炭団を見ると、金程の刻印がしてありますので、見る人が見れば直ぐに判ってしまうのですが。瓦版のネタということであれば、もう1点お教えできることがあります。予定していることにご協力頂けるのであれば、この特級のネタをお教えしても良いです」
特級という言葉を捨て置けない版元へ、千次郎さんから『会席料理番付』の企画を話してもらった。
この話だけで版元は満腹だろう。
今、あえて『会席料理比べ』の話までする必要はない。
料理比べは『会席料理番付』が浸透してからの企画になるのだ。
「料亭の料理番付ですか。中々面白いことを考えましたな。なるほど、これは版元としては一枚噛ませてもらいたい話です。でも、目新しい料理が提供できる坂本さんと武蔵屋さんが上位になる出来試合を仕掛けるというのはちょっとズルいのじゃないですか。こういった料理の話になると行司役をして頂く八百膳さんでも、卓上焜炉を使った膳に太刀打ちできるかは定かではないですぞ」
千次郎さんがズルいという言葉に反論する。
「番付は絶えず変化するからこそ面白いのですよ。順位が下の料亭が、卓上焜炉料理を提供できると順位があがることに気付けば良いのです。どの時点で番付をしても同じですよ。性悪な発想ですが、焜炉を載せた膳が広がって、萬屋の小炭団が売れれば良いのですから、手段を選んでいるほど余裕はないのですよ」
「まあ、その意味では瓦版も読まれてナンボのものですから、事情は同じかも知れません。ネタを頂いたこともありますので『会席料理番付』の発行や、主なところへの投げ入れは承知しました。版木にして刷るのは家の商売ですから、お任せください」
瓦版の版元が中心となって話がどんどん進むことに、坂本の主人は仰天している。
長い時間、色々な食材での試食が終わり、商談の確認をして料亭・坂本での実演販売は終わる。
版元の連れは、坂本の料理の版を起こすべく、店先で別れ彫場へ直行している。
「売り込みは、武蔵屋と坂本だけにするのですか。勿体無い話です」
卓上焜炉と小炭団の記事を起すべく取材のため一緒に萬屋に向う瓦版の版元は、しきりにこう話しかけてくる。
「残念ながら、いろいろな条件を考えると、特に懇意にしているこの両料亭に絞ったほうがいいだろうと判断しました。
一番大きい理由は、今の所実演できる料理が『湯豆腐』『しゃぶしゃぶ』の二つしかないことです。いろいろ試してはいるのですが、この二つに勝る料理が見出せないでいるのです。ここにいる加登屋さんが毎日試しているのですが、これが意外に難しい。
二番目の理由が、卓上焜炉の生産が間に合わないことなのです。今回は2軒の料亭から各100個、計200個を前金で受けていますが、今日の昼にやっと200個揃った状態で、坂本さんが追加された数量の150個が揃うのは、3日後の4月3日になります。もっとも、4月3日時点で坂本さんには渡せず、もう少し後で渡すことになります。
瓦版で評判を聞いた料亭が、どこもこの卓上焜炉・皿・小炭団を求めてくるのが見えていますので、これから取材される3枚目の瓦版が出る日まで、作り貯めします」
千次郎さんの説明に版元は疑問を突き付ける。
「すぐに坂本さんに納めない理由は何ですか」
「これはご内密に願います。『坂本様のところに納めるものしかありません』と説明すると、それを上回る値で買い求めるであろうことを見込んでいるのです。
具体的には『卓上焜炉・皿を50個と小炭団500個を金7両で坂本様向けにご用意したものがあります』と言って、一式揃えたものを見せると、どうしても直ぐに物を手に入れたい料亭は『それを金10両積んででも欲しい。掛売りではなく現金で支払う』などと言い始めるでしょう。どうですか」
「さすがに商人です。抜け目がありませんな」
義兵衛としては、こういった商人のやり口には納得いかないものを感じるが、練炭を競りで売ったこともあり口を挟むことまではしない。工夫を重ね、世間に問うというのはまだしも、小手先で儲けるというこういうやり方は信用を失うだけなのだ。料亭・坂本さんを出汁にして儲けるというのは、坂本さんの信用を失うだけではないのかと思ってしまう。
せめて『坂本さんへの迷惑料を込みにして、7両を超過する分の1~2割を坂本さんに納めるという話を事前にして了解を取っておくべき。百膳を越える準備が必要な場合は無理にでも貸し出して対応はする』という話をするよう、後で千次郎さんへ吹き込んでおこう。
帰り道で思いついたことがあり、加登屋さんに小ぶりな鰌を40~50匹ばかり活きたまま用意して泥抜きしておいてもらうよう頼んだ。これも食材にするという話をすると、それ以上は聞いてこなかった。
萬屋へ戻ると、江戸・椿井家より使いがあったことを番頭の忠吉さんが伝えてきた。
『明日の昼に虎ノ御門・愛宕山下の椿井家まで出向くこと』とのことだ。
義兵衛は、加登屋さんに先ほどの依頼とは別に『しゃぶしゃぶ』を入れた膳を10膳供する準備をお願いし、予備の小炭団・炭団を各10個持っていく用意をしたのだった。
そして、義兵衛は瓦屋版元との話を終えた千次郎さんにも同行を求めたのだった。
小手先で小ズルく儲けるのは悪いことではないのでしょうが、困っている人の足元を見るようで、どうも性分に合いません。やはり、王道を行きたいものです。
次回は、江戸のお屋敷での下準備となります。
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