お婆様の切り替えし <C2123>
サブタイトルに迷いました。筆者の中でお婆様の印象が強いのでこれにしてしまいました。
日本橋・萬屋の茶の間で大番頭の忠吉さんから苦労話を聞く内に、先に日本橋に来ていた登戸の加登屋さんがやってきた。
「義兵衛さん、間に合いましたか。明日は最初の売り込みで、向島の武蔵屋さんへ行く予定なのですよ。こちらの店へは『湯豆腐』を実演して見せるつもりで準備しています。もちろん、一緒に来て頂けますよね。
実は、こちらに来てから『しゃぶしゃぶ』を超える料理ができないかと日夜色々試していたのですが、どうも私の経験と頭では上手いものが考えられなくて、結局最初の店へは『湯豆腐』、次の店に『しゃぶしゃぶ』という段取りになってしまいました。もし、この2種類の料理以外に面白いものを思いついておられるなら、是非ご教授して頂ければと思うのですがどうでしょう」
「まあ、また幾つかの案は持っていますが、実際に作った訳ではないので、色々と試す必要があると思っています。売り込みの準備の合間にも一緒に試してみましょう。それと、加登屋さんはこの萬屋さんの調理場を借りて仕出しの会席料理を作ることはできますか。それも白身魚の切り身の『しゃぶしゃぶ』料理を入れて、できれば10膳分位でしょうが」
「それは問題なく作れるとは思いますが、一体それで何をなされるご予定ですかな」
「今回の江戸へ出る件についてお殿様の了解を得るにあたり『しゃぶしゃぶ』を披露する約束になっているのです。『しゃぶしゃぶ』だけを披露すると、登戸での宴会のようになる恐れがあるため、単品での披露は避け『卓上焜炉を使った宴会の料理とはこのようなものです』と説明したいのです。まだ、いつになるかは、お殿様からの指示待ちなのでなんとも言えませんが、数日の内にはお声がかかると思っています」
「なるほど、判りました。明日・明後日の昼は、料亭の女将・板長の前で焜炉料理の披露があるので、それと重ならないよう祈るしかありませんな。まあ、会席料理での紹介となると、夕餉代わりという感じになりますので、前日にお話があるのであれば、どうにか準備はできます。忠吉さん、もし義兵衛さんやワシが不在の時に、椿井様からこういった連絡があれば、上手く都合をつけて頂きたくお願いしますよ」
「はい、まあ椿井様のところであれば、こちらも出入りさせて頂いておりますので、多分顔見知りの方がお使いでこられると思います。そのあたりはお任せください」
こういった話をする間に主人の千次郎が現れた。
「義兵衛さん、早速に江戸へおいで頂きありがとうございます。おっつけお婆様も来ると思いますので、それまでお寛ぎください。ところで忠吉、小炭団の入手の件は確認できているのか。4800個持ってきた内で、もう100個位は使ってしまったぞ。この分では料亭がいる、と言った数量を納めることができなくなるではないか。それを真っ先に確かめないでどうする」
「その件でしたら、僕が真っ先にお報せすべきでした。申し訳ございませんでした。本日1000個を持参しています。また、昼に登戸へ15000個搬入しており、中田さんは船便で早送りの手配をしておりましたので、明日の昼頃にはこれがこちらに到着すると思います。また、明後日29日の夕方には、同じく船便で45000個、以降30日・翌4月1日にはそれぞれ30000個届く予定で運搬の手筈です。3月末時点で、登戸の中田さんの所へ累計で110800個届いておりますので、約束は守れております」
「義兵衛さん、中田へ早送りするよう勧めて頂けたようでありがとうございます。贔屓にして頂いております2軒の料亭に売り込むことは多分もう忠吉から聞いておると思います。同席頂いて何か気付いたことなどあればお教えください」
千次郎さんと話し込む内に、お婆様が孫の華を連れてやってきた。
「この度はご厄介になります。4月一杯が勝負と聞き、少しでもお手伝いが出来ればという思いでやってまいりました。長逗留になりますが、よろしくお願いします」
「おお、話が早い。では、早速祝言の日取りじゃの」
「お婆様、僕に出来るのはお手伝いですよ。お・て・つ・だ・い、だけです」
「おお、そうか、そうか。ひ孫を作るお手伝いじゃと。華、よかったのぉ。このお婆が見込んだだけの男じゃ。流石に先が読めておる。これでもう安心じゃ」
「お婆様、華さん。判っていての勘違いの振りはお止めください。それ以上御ふざけが過ぎると怒りますよ。今回は、卓上焜炉・小炭団に萬屋さんの命運をかけており、我が金程村と一連托生というから出張ってきているのです。お殿様の了解を得るのも大変なのですよ」
「ふん、面白みのないことじゃ。でもまあよい。華、ご挨拶なさい」
「華と申します。まだまだ至らぬ娘でございますが、よろしくお願い申し上げます」
なんだ、村にいる春と同じ感じではないか。
「きちんとしたご挨拶を頂きありがとうございます。金程村の義兵衛と申します。
さて、華さん、貧乏村ですきっ腹をかかえて日長一日泥だらけになって水田の雑草取りをする暮らしは、お好きですか。村にも丁度、華さんと同じ歳の子供がいて、そんな暮らしをしているのです。僕は、そういった村の人が餓えることがないよう、華さんのお父様のお手伝いに来ているのですよ。なので、華さんのお相手は、なかなかできませんので、ご容赦願います」
「華は、・・・華はそのような村の暮らしはできそうにもありません・・・」
可愛そうに、華は固まってしまった。
「義兵衛さん、華をそんなに邪見に扱わなくても良いじゃろう。まあ、最初の挨拶は終わりじゃ。さあ、華、お家へお戻り。誰か、華を送り届けてくれんか」
お婆様はそう丁稚どもにいいつけると、華を本宅へ返して茶の間に居座った。
「明日から、料亭への実演販売を始めると聞いており、僕も同席したほうが良いとのこと、確かに了解しました。僕が江戸に来ることの了解を、金程村を知行地としているお殿様の代理の方に得た時、卓上焜炉の新しい料理を江戸のお殿様に披露してもらいたい旨の指図を受けております。それで、料亭の同席の代わりと言っては何ですが、その披露の席に千次郎様も同席して頂きたくお願いをします。また、披露する料理は『しゃぶしゃぶ』単品でなく、加登屋さんの作る仕出し料理にしたく、ご協力をお願いします」
この件はあっさり了解された。
そして、話は明日の実演販売と、それが売れた後、4月1日に料亭が新しい膳を見せた後の反応の話で盛り上がる。
忠吉さんが思い切り盛り上げる。
「1日に新しい料理が出ると、それを見た会席の出席者が話すだろう。その噂が広がると、まだ道具を手にしていない料亭の板長が萬屋に売ってくれとくる訳だ」
「忠吉さん、勘違いしています。『噂が広がる』のではなく『噂を広げる』のです。何か手を打っていますか」
「エッ、義兵衛さん、それはどういうことですか」
「噂が広がるまで、別な料亭の女将や板長に伝わるまで、じっと待っているつもりだったのですか。明日の実演販売が終わった後、瓦版の版元へ行きましょう。そして、武蔵屋さんが珍しい料理を出すことを教えるのです。場合によっては、版元を武蔵屋さんの所に連れていって、料理を食べてもらうのも良いかも知れません。そして、もう4月1日には間に合わないかも知れませんが、武蔵屋さんともう一軒、新橋の坂本さんの所で、今までにない膳が出るという話を書いてもらうのです」
忠吉はのけぞった。
千次郎さんも驚いた顔をしている。
お婆様が感心している。
華さんには田舎暮らしができそうもないのです。春さんが江戸暮らしできそうにない?のと同じかなあ。
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