江戸・萬屋 忠吉さんの工夫 <C2122>
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ここから江戸主体の話しが始まります。
■安永7年(1778年)3月27日(太陽暦4月24日) 江戸・日本橋 萬屋
義兵衛は、1000個の小炭団と20個の卓上焜炉の荷を背負い、家族の見送りを受けて金程村を出た。
おそらく工房から少し遅れて15000個(135貫、約510kg)を背負った9人が出立しているはずだ。
3里の道を歩いて昼のかなり前に登戸炭屋に到着する。
9人よりは一刻ほど先行しているはずだ。
「あれから4日たっておりますが、江戸に行く準備ができましたので寄らせて頂きました」
義兵衛の声を聞いて、番頭の中田さんが表に出てきた。
一通りの挨拶をした後、納入見込みを伝える。
「今日からしばらくは毎日3万個の小炭団をこちらへ持ってきます。
9人で15000個を午前1回、午後1回運び込みますので、受け取りをよろしくお願いします」
「判りました。約束通りということですね。
本店がどういう状況になっているかは判りませんが、先に卸して貰った4800個では心もとないので、10万個揃う前に順次送り出しをするつもりです。明日早朝の船に乗せると、夕方には届くと思います」
本店の状況がこちらに届いているかと思っていたが、どうやら見込み違いだったようだ。
この危機感の薄さは、登戸という田舎の雰囲気なのだろう。
しかし、本格売り込みを始めているとすると、小炭団が不足しているであろうことは想像に難くなく、千次郎さんが登戸を睨んでいる姿が見えるようだ。
「売り込みを図っているのであれば、先の4800個では不足し始めていると思いますよ。
今日、あと1刻もしない内に、15000個届いた時点で、船を仕立てれば明日昼前には日本橋に届くのでしょう。それだけあれば、次は明後日の早朝便で45000個送り出せばいいと思います」
「確かにその通りです。ご提案頂いたように早速手配しましょう。
45000個は早送りを指示すれば、夕方遅くに京橋川の竹河岸には届くはずです」
今日の夕方に義兵衛が1000個持参すれば、それだけでも助かるはずだ。
では、日本橋に急ぐことにしよう。
義兵衛さんは中田さんに別れを告げ、多摩川を渡る。
この先の6里は、以前江戸への往復をした道・日本橋から帰った道なので、迷うことなく赤坂御門までたどり着き、お城を左手に掘りに沿って早足で歩き、早い夕餉の前位の時分には京橋を越え日本橋・具足町に入ることができた。
見慣れた萬屋の入り口で声を掛ける。
「金程村の義兵衛でございます。大番頭の忠吉さんはいらっしゃいますか」
この声を聞いて丁稚が奥へ駆け込むのが判った。
そして、大番頭の忠吉さんが飛び出してきて、茶の間へずんずんと引っ張っていく。
「首を長くして、お待ちしておりました。おっつけ、加登屋さんも来ます。
丁度明日の昼、向島にある料亭・武蔵屋の女将・板長と話がついて料亭で実演する手はずになっているのです。その翌日は、新橋の料亭・坂本に実演の予定を入れさせてもらっております。
道具の準備としては、卓上焜炉100個と、主人が登戸から持ち帰った鉄皿を参考に大急ぎで焜炉にあう小鍋を100個を用意しましたよ。もうギリギリ作るほうが間に合うかで苦労はしましたが、なんとか数は揃えました。
うまくいけばそれぞれの店で47個をお買い上げ頂けないかなと皮算用しております」
卓上焜炉の製造には手間取ったが、鉄皿ならぬ小鍋はこの短期間で準備できたようだ。
流石に江戸だけのことはある。
「この卓上焜炉と小鍋を見てくださいよ」
そう言いながら、忠吉さんは茶の間にある階段下側の扉を開け、小さな卓上焜炉と小鍋を取り出し、卓袱台の上に載せた。
義兵衛はまず卓上焜炉を手にとって確かめた。
小炭団・練炭を乗せる火皿の横からヌッと4本の丈夫な柱が突き出ている。
それぞれの柱に青・赤・白・黒と違う色が施されており、火皿を載せる底面は黄色に塗られている。
「ちゃんと柱毎に『愛宕神社、火産霊命、木炭問屋謹製、具足町・萬屋』と彫り込まれていて、この僅かな日数でよくもまあ上手く神社と話を付けられましたね。
今日の時点で100個だとすると、全部で何個作られるのでしょうか。また、お幾らの値段で売りつけるのでしょう」
「昨日から毎日50個届くようになっています。とりあえず全部で1000個を頼んでいます。
この卓上焜炉の売値は強気の300文(=7500円)にしています。なにせ、1個作るごとに愛宕神社には30文の寄進という話になってこの値段にせざるを得なかったのです。最初は50文と言われたのですが、やっとの思いでここまで値切れたのです。その代わり、販売数量ではなく作成数量に30文を掛けて寄進ということになりました。売り上げの歩合制でなく生産量の定額制なので、需要が逼迫すれば値上げしても良いということで了解しています。
料亭ごとに1組47個をまとめて14100文、つまり3両2分と100文で売る予定ですが、その時には焜炉を3個おまけで付けるようにします。本当は受け狙いで、赤穂浪士47人の名前を焜炉の底に朱書きしようとしていたのですが、流石にそれはマズいとなって取りやめました」
上手いことして、売り込みのための工夫をしている。
「違いはそれだけではありませんぞ。頂いた見本は、直接小炭団を卓上焜炉の底に作った丸い窪みに置く格好だったのですが、こちらで発注して作ってもらったのは焜炉の底に素焼きの小皿を置き、小皿の中で小炭団を燃やすようにしました。こうすると、燃えカスの処理が小皿を外すだけで済みますし、火で焜炉を傷めることも少しは減ります」
いろいろと道具に売り込むための工夫をしたことが良く判る。
特に、焜炉の中に小炭団を置く小皿を別に設けたことで、焜炉自体の寿命が伸ばせ、かつ、日常の手入れも容易になる。
誰が思いついたのかが気にはなるが、それを聞きだす前に忠吉さんが被せて話しかけてくる。
きっと厳しいお婆様に叱られる日々が続いて、自分の成果の承認欲求に餓えているに違いない。
「それから一緒に出す小鍋のほうも見てくださいよ。普通の4角い縁高の平皿ですが、こいつも苦労したのですよ。
これも底面に『萬屋』の印を付け、縁には富士山を刻みました。
卓上焜炉と一緒に売り出すことを見込んで200枚作っています。
こちらは1枚120文ですが、50枚を組にして5900文で売る予定です。焜炉と合わせて丁度金5両でさあ。
あとは、夏の季節の丸い絵皿を500枚作っている最中で、こちらは200文で、やはり50枚を組にして10000文、金2両半で売る予定にしています。
丸皿は秋・冬・春と全部で四季を揃える感じで作っています」
「これは素晴らしいものですね。四季を題材に組み皿にするというのは良い考えです。
4種類全部で200枚を金10両で買わせるのは上手いやり方だと思います。ただ、これももっと良い調度品が出てくると思いますよ。銀で象嵌した丸皿とか。なので、あまり沢山作り置きすると、処分が難しいですし、だからと言って手持ちがないと必要な時に売れない状態になるので、作り置きの加減が難しいですね」
「実はその通りで、何組か、10組程度を手元に置いておき、都度作ってもらう方法にせざるを得ませんでした。
萬屋は普通小売りの7割5分で引き取る約束なのですが、いい商売になると判れば萬屋を経由せずに直接売るようになるでしょうし、料亭も自分の屋号を入れた皿を作らせるに違いありません。匙加減が難しいのです」
その苦労は良く解る。
忠吉さんの話を聞く内に、加登屋さんが茶の間にやってきた。
江戸では小さなお店の萬屋です。大番頭の忠吉さんが先頭にたって走り回るしかないのです。
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