金程村での準備 <C2121>
※1月21日の初回投稿以降毎日0時投下を続けてきましたが、5月中旬から執筆用PCを使えない環境に居ります。予約投稿分をできるだけ準備して、連載を途切れさせまいとしてきましたが、事前ストックに限りがあるため、今回の5月21日0時投下以降は、少し間が開きます。6月1日までには再開させますので、よろしくご理解ください。
■安永7年(1778年)3月26日(太陽暦4月23日) 金程村
俺がこの世界の義兵衛さんに憑依して50日目となった。
ただただ忙しく動きまわっていたが、それなりに地盤は固まった思いだ。
少なくとも、椿井領地内では義兵衛の存在は認知され、その発言には一定水準の信頼が得られるようになったのは確かである。
特に、お館の甲三郎様から認めて頂けるようになったことが大きい。
以前は何の権威もなかった寒村名主の次男坊が言うことを、領内のナンバー2が聞いてくれるのだ。
これは実に大きい成果なのだ。
父・百太郎と兄・孝太郎を前に、昨日の御前会議の結果と方向を確認させられた。
「お前はさっさと江戸に行く用意をしろ。耕作など農事は孝太郎に任せるが、心配事はないか」
「いろいろありすぎて、何から言ってよいか判らない状態です」
そう言いながらも、農事についての心配事を挙げていく。
・備中鍬の入手。登戸の鍛冶屋に頼んでおり、助太郎なら顔つながりで購入できる。
・赤唐辛子の栽培。種撒きまでは済ませており、直撒き以外の苗床の移植と2回目の種まき。
・極一部の田で行う大豆の比較栽培。
・薩摩芋の栽培。大丸村での栽培依頼の計画。
・粘土採取水田の土手直し。
・唐箕による籾殻分離作業。
・ジャガタライモの受け取り。
その内、段々と農事以外の仕掛かり案件も挙がってくる。
・農繁期の工房の人手の確保。
・万福寺の二人の寄宿。
・原料炭の手配。
・円照寺への新規焼印の報告と交渉。
・大丸村への商品搬入時期等の交渉。
・工房の労務管理、作業意欲の改善。
さらに気がかりなこととして、飢饉と噴火の噂の出所を挙げた。
ひょっとすると、俺と同じ未来から憑依した人が見つかるかも知れない。
そうすると、俺が考えなければならない範囲がはっきりする可能性もあるし、共同戦線を張れれば対策の確度も上がる。
そんな思いから気にしていたのだ。
「万福寺から来ている2人について、工房で預かることについては昨日話をしている。今日あたり、親御さんが挨拶に行っていることだと思う。
円照寺・大丸村関係は、ワシが助太郎を連れて話し合いしておこう。
原料炭についても、黒川村・栗木村からの手配を進めておこう。今まで手を回してはいなかったが、菅村もザク炭があると昨日聞いておいた。こちらも工房へ回してもらうよう頼んである。これで不足するなら、お金のこともあり炭屋と話をするしかない。助太郎からの要請に応じて対応しよう。
工房の中のことは助太郎に任せるしかあるまい。
だいたいこれで片がつくと思うがどうかな。
飢饉と噂の件は、甲三郎様が調べておいでなので、こちらから何もすることはなかろう」
「だいたい、そのような感じでよいようですね。こうやって項目を抜き出してみると、どれもどうということではないように見えます。これから工房へ行って、助太郎と話をしますが、そのあとは工房での頑張りに期待するしかないようですね」
これで村と最低でも約1ヶ月のお別れになるようだ。
母は奥でガサゴソと江戸行きの準備を始めてくれているようだ。
義兵衛は工房へ向う。
「助太郎、僕は明日から江戸行きとなったぞ」
入り口でそう声を掛けながら義兵衛は工房へ入っていく。
助太郎は工房奥へ義兵衛を案内し、そこで工房の生産状況と運搬計画の説明に入った。
「平太式を全面採用して、型作業の列を増やした24日にはいきなり17280個を作り出し、粉炭不足で生産を停止しました。昨日は俺がいない間に皆で協議して粉炭作りを増やしてみたら、20160個と凄い数を作れました。今日も頑張っていて、25000個越えを目指しています。いろいろ心配させてしまっいましたが、原料の木炭さえきちんと供給されれば、小炭団の生産にはもう問題はありません」
「明日から9人で2往復して毎日3万個を登戸へ運び受け渡す計画です。なので、3月末までには10万個以上登戸に揃うことになります。
また、4月に入ってからは、毎日1万個以上を運ぶ予定にしています。こうしておけば、登戸で荷がだぶつくことがあっても不足することはありません。
ただ、天気だけが気になっています。長雨が続くと、小炭団の乾燥が遅れ、また暴風雨の日には登戸へ運べなくなります。3月末には3日分の3万個を登戸でだぶつかせる予定ですが、できるだけ前倒しにして生産・運搬をするつもりです」
どうやら、甲三郎様の御前での発言で発奮しているようだ。
万福寺村の桜と弥生については、今朝親に付き添われて彦左衛門さんのところへ挨拶にきたとのことだ。
米・梅は大層喜んでいるという話も教えてもらった。
どうやらこちらの方も順調に動き出したようだ。
「あと、契約を縮小する交渉をお願いしたい、と以前話しましたが、この分では元の10万個でよいようです。上積み分も、天気を気にしながら受けても問題ないと思います。基本は、登戸でだぶついている分を売りつける格好にしてください」
「その話を聞いて安心して江戸に行ける。
原料の木炭は、父・百太郎が黒川村だけではなく、下菅村や栗木村にも手配してくれるそうだ。早めに要請するようにしてくれ。この分だと、卓上焜炉の200個はとりあえず作れそうな感じだな」
「それも可能だと考えています。手が空きさえすれば、卓上焜炉と七輪・外殻を作って積み上げる方向で進めます。 受注した70万個の製造が終わったら、秋口に備えて薄厚練炭を増産する体制に切り替えます。工房の運営については任せてくださいよ。
江戸での売れ行きが心配なので、できるだけ状況が工房にも伝わるようにしてください」
どうやら、助太郎も江戸の動向がこの事業の鍵になっていることが充分認識できているようだ。
幸い、小炭団を定期的に登戸から日本橋に運び込むルートはある。
逆順のルートもあるだろうから、登戸番頭の中田さん宛で手紙を託せば、数日遅れでも状況は助太郎に伝えることが出来るだろう。
工房を出るとき、工房の皆が一列に並んで見送る準備を始めた。
これは、きっと米の発案だ。こういったちょっとした機会を捉えてメリハリをつける重要さをなんで米は知っているのだろうか。
さて、皆には今まで飢饉のことを隠していたため、工房の存在意義を説明してこなかったが、御前会議で名主に説明したので解禁しよう。
ひょっとすると、助太郎から説明済みかも知れないが、ここで改めて訓示したほうが良いと判断した。
「この工房は、4年後から始まる大飢饉で皆が餓えることがないようにする目的で作られたものだ。ここにいる一人ひとりが直向に努力することで、飢饉が来ても餓える恐れから遠ざかることができる。
努力するというのは、黙って上の言うことに従うことだけではない。日々の作業の中から皆の知恵を出し合い、少しでも多く売れるものを作るために力を合わせるのだ。諍いを起して、一生懸命にものを作るという雰囲気を壊してはならない。ここで踏ん張れなかった分、後で飢餓に苦しむのだということを意識してもらいたい」
皆、義兵衛の声を聞き漏らすまいと静かに聴いている。
「江戸から戻るのは早ければ5月になると思うが、調子が悪くなるものがないよう気を付けてもらいたい。体が大丈夫なことが一番の幸せと、自分自身を大事にしてもらいたい」
訓示を終えると皆の拍手を背に義兵衛は家に戻った。
『さあ、明日から長期の江戸行きだ。今日までの50日間で積み上げた信用を武器にして、天明の大飢饉を乗り切るぞ』
決意を新たにする俺と義兵衛だった。
予定していた「農業編」は義兵衛の関与をほぼ無くして、兄・孝太郎に丸投げしました。
<大丸村の河原開発><薩摩芋から干芋を作る><虫除けシートを作る>など孝太郎では無理なので別の場面で織り込むことを考えています。
さて、木炭加工で得た信用とお金を元手に、義兵衛の江戸での活躍が幕を開けます。
「武家編・寺社奉行編」という位置づけで考えていた部分です。
しかし、前書きでありますように、ちょっと間が開きますので、ご容赦ください。
また、伏線のように語られている噂話しにかかわるC3シリーズ「高石の巫女(仮)」も構想中です。
引き続き、よろしくお願いします。