飢饉対策・御前会議 下菅村と万福寺村 <C2119>
■安永7年(1778年)3月25日(太陽暦4月22日) 細山村・お館
朝早く、細山村にある旗本・椿井様のお館にある離れの一室に、知行地の名主が集められた。
南を向く正面に甲三郎様が着座する予定の席があり、向って右側上より細山村(190石)・下菅村(190石)・万福寺村(50石)、左側上より金程村(70石)の名主が座り、そこから義兵衛・助太郎が並んで座っている。
下手には、今回のことの始まりとなった七輪・練炭・卓上焜炉・炭団・外殻・鉄皿が並べられている。
やがて、椿井家の爺に先導されて甲三郎様が入ってくると、一同は平伏した。
爺の「皆のもの、顔を上げよ」という声に平伏姿勢から少し体を起こす。
「今回は、領内でこれから起きるであろうことにつき、皆の意見を聞きたくこのような場を設けた。それぞれの存念を聞かせてもらいたい」
一同、再び平伏。
「では、金程村名主よりことの次第を皆に説明せよ。なお、今回、この当事者として金程村の義兵衛と助太郎に同席してもらっておる」
「ことの次第を説明させて頂きます。
まず、40日程前に我が家の守り仏を依代として思兼命様といわれる神様がご降臨なされました。その神様は、当初そこに置いてある木炭加工品などを作りこれを売るよう仰っておりました。そして、この中の小炭団を江戸の炭屋から大量受注致しましたところ、新たなご神託を賜りました。
ご神託の内容は『これより4年の後に大飢饉が、しかも7年続く大飢饉がこの国を襲う。皆、それに備えよ』でした」
百太郎はゆっくりとした速度で、はっきりとした声で説明をする。
「思えば、思兼命様からのご神託に従い、木炭加工品を作ったり、これを売って村が収入を得たのは、この大飢饉に備えるための方策ではなかったのかと愚考しております。今般の炭屋からの受注は、ここにおられる細山村、万福寺村、下菅村から何人もの人手を出して頂き、小炭団という商品を大量生産できる目処がついたことによるものです。まだ受注の段階なので、物を納めている訳ではないため売掛金は発生しておりませんが、木炭を加工する工房に来て頂いている方々が粉骨砕身働いて納期通りにものを納めることができれば、おおよそ金1000両もの大金が入る予定にございます」
話が浸透するのを少し待つ。
とは言え、細山村の白井さんはすでに話を聞いているため、万福寺村と下菅村の名主に聞かせれば良いのだ。
「この1000両の内、250両は加工する木炭を購入したりするので生産するために必須ですが、残りの750両を使い、どう飢饉に備えるかをご相談させて頂きたく、甲三郎様にご報告したところ、このような仕儀になっております」
「うむ、この750両については、思兼命様が我が領内の人を試しているのだ、と思うておる。下手な使い方をしては、救える命をも助けることができない。皆、自分や自分の村のことを思うのではなく、どうすればこの大飢饉を餓えることなく乗り切ることができるのかを考えてもらいたい。その上で各々思うことを申し述べてみよ」
甲三郎様はこのように述べた。
「恐れながら、申し上げます」
下菅村の名主が発言を求め、甲三郎様が頷くのを見て話を続けた。
「4年後に大飢饉が襲うというのは、真でございましょうか。このような場で話されるということは、何らかの確信がおありのことと思います。もし真ということであれば、椿井様の知行地分だけではなく、村全体での対応を考えねばなりません。
木炭加工ということでは、当村より2人手伝いに出しております。工房全体で30人が作業していると聞いておりますので、利益の15分の1は当村の分け前と思ってよろしいでしょうか。飢饉対策ということであれば、その分け前を使って飢饉に向けての準備をそれぞれの村で行えばよいと考えます」
下菅村として2人出しているから50両相当分は権利があるぞ、という反応なのだ。
「やはりそういう意見が出るか。飢饉のおり、他は頼らぬ、他は助けぬ、という姿勢がありありじゃな。そもそも、飢饉があるという神託を疑うことから始めておるのでは、無理もない。
下菅村は、館からの呼びかけに応じて工房へ2人も手伝いに出していることは評価しよう。それだけで人数割りした権利を主張するとは、いやぁ、どのように村を治めておるのか見たいものじゃ。確かに、一つの村に複数の領主がおって治めるのが難しいし、外見で公平に見えるやり方が合理的で説得しやすいのかも知れんが、そのようなことでは思兼命様の御心に沿うものとは思えんな。
ここで出た意見がその通りになるという訳ではない。
江戸のお殿様が処分を決めるにあたり、それぞれの村がどのような思いを持っておるのかを伝えるために意見を聞いておるのじゃ。他の村からの意見を聞いて、もう一度考えてみても良いのではないかな」
皮肉たっぷりに甲三郎様は言葉を返した。
始めて聞く話として下菅村の反応は普通なのだろうが、求めているものには合致しないのだ。
「よろしいでしょうか」
万福寺村の名主が声を出した。
万福寺村は70石という金程村と同程度の規模の小さな村だが、それが二人の領主に分けて知行地とされており、治めるのが難しい村なのだ。
どちらの領主が村にどう口出しするかを絶えず比較する格好になる。
年貢だけ出せばよいとするのか、村をどう発展させるのかの展望を持って関与するのか、村民はどちらの領主により心情を寄せるのかを見るだけで領主としての良し悪し・村民の民度を測る良い指標になっている。
ついでに言えば、万福寺村もフルタイムで2人分、寺子屋通いで5人を工房へ手伝いとして寄越している。
下菅村ロジックだと、175両分、いや寺子屋を半分と見ると21分の4.5人で、それでも160両分になる。
椿井家に収める年貢10年分に相当する。
「村には飢饉と噴火の被害が迫っているという噂が以前から流れておりました。なので、金程村の名主さんから4年後に来るという神託があり、時期が明らかになって安堵したというところがあります。いつくるか判らないものに怯えるより、それまでに準備すればよいと考えるほうが楽です。
万福寺村では、噂の飢饉に備えて毎年少しずつですが収穫の端境期に残る米を増やす努力をしており、ようやく50石(=125俵:万福寺村1年分の米)程度は残せるようになり、多少安堵はしておりました。しかし、7年も続くと聞いて、これではとても足りないという思いと、抜本的な対策が必要だと思います。
今何をすればよいのかは俄かには思い浮かびませんが、まずは各家でできる対策、村の中でできる対策、ご知行地内でできる対策、それぞれの大名家でできる対策、幕府としてできる対策など、それぞれの段階で色々考えて実施していく必要があります。
万福寺村としては、各家・村として何ができるのか、またそれに幾ら位の銭を掛け、その内訳としてどの程度の銭を今回のお金から下賜して頂けるのかを考えて見なければなりません。先に下菅村の名主さんがお叱りを受けておりますが、万福寺村へいかほど下賜して頂けるのかをお教えくだされば、より具体的な施策をご説明できるかと思います」
なるほど、結論は同じでも、下菅村の名主と万福寺村の名主では随分印象が違う。
得てして規模の大きい村ほど態度が大きく、小さい村ほど頭を働かせてものを言うということなのか。
金程村も規模が小さいだけに、生き延びるための糊代が小さい分、必死で知恵を巡らすしかないのと同じことなのだ。
それにしても、金程村は20石しか持っていないのに比べ、万福寺村が努力して50石も溜め込んでいることには驚かされた。
これが普段からの危機意識の差なのだろう。
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