加登屋の奥座敷での宴 <C2109>
大儲けしていたことがばれてしまいました。さてどうなるのでしょうか。
加登屋の奥座敷で宴会の最中、事情を聞いた千次郎さんの指摘『160両の木炭を加工して1000両で卸そうとしている』に凍りつく義兵衛。
しかし、次の一言に救われた。
「やはり義兵衛さんは、お婆様の言われるように商人になるべきです」
よくよく見ればここにいるのは商売人で、いかに安く買って高く売るのかを生業としている人達なのだ。
加登屋さんにしても、食材を加工し客に提供するということで、生活を成り立たせており、慈善事業をしている訳ではない。
皆、よりよい生活を求めて必死で工夫して稼いでいる。
その意味では、義兵衛の感性とは合致しないものの非難されるべき行為ではない、と思ってよいようだ。
いや、この中では胸を張ってよいことらしい。
ただ、助太郎は微妙な表情をしている。
「ところで義兵衛さん。
1000両ものお金を一体どうなされるおつもりなのですかな」
うわっ、早くも酔っ払いの絡みだ。
「はい、江戸でも申し上げましたが、金程村は小さな村で、いつも食べるところではギリギリの生活をしています。
木炭加工で得たお金で米を買い、村人みんなが腹一杯ご飯を食べれるようにしたい、というのが願いです。
なので、この木炭加工での商売が軌道に乗ったら、今度は売掛金を仕切っている米問屋との交渉になると見ています」
この辺りが今明かせるギリギリの話だろう。
チラッと助太郎の顔を見ると、大飢饉の話をしてしまうのではないか、と緊張しているのが判る。
「それにしても1000両と言うと、椿井様は500石に比べると随分多い。
過分とも言える収入ではないですか。
何か存念がおありでしょう」
どんどん突っ込んでくる。
しょうがないので、次のカードを見せるしかない。
「では、正直に申し上げます。
この木炭加工で大儲けできるのは、せいぜい2年、上手くいって3年位までと見ています。
色々と新規参入を妨げる方法や、特産として認知される工夫を重ねていますが、これほどの利益があがる商売です。
やり方さえ判れば、真似するところが絶対出てきます。
5~6倍の利益が出るところに、2倍程度でも良いとする商品が出てくれば、もう太刀打ちできません。
僕が考え出せる新しいものも限りがあり、金程村単独での勝負は難しいと感じています。
そこでまず、金程村の事業ではなく、椿井家知行地での事業にしようと方向転換している最中です。
いろいろ申し上げましたが、狙いは、この1000両のお金を元手にして、これから先も餓えることがない仕組みを作り上げることです」
義兵衛も多少酔いが回ってきたのか、言うことが支離滅裂になってきている。
聞いている千次郎さんや中田さん、加登屋主人もどこまで判っているか、義兵衛さんは把握できない感じなのだ。
幸い、義兵衛さんの中の俺は影響をあまり受けていないようで、まだ状況を把握できている。
話を元に戻すべきだろう。
「ところで、川下の料理屋へ料理用七輪や卓上焜炉を売り込むことを制限されると、僕らは困るのですがどうお考えですか」
こういう事態も想定して、萬屋さんとの約束には、敢えて江戸市中外は自由ということをきちんと盛り込ませているのだ。
多分、千次郎さんはこのことを思い出して苦慮しているのだと思う。
「ウッ」と呻いてしまっている。
この場合、加登屋さんのように補償するとも言えない。
加登屋さんの場合、料理を提供する機会損失の補填であり、上限は算出可能な範囲と見ていることは明らかだ。
それに対し、金程村が行う売り込みの制限は、補償すべき被害算定額が見えないのだ。
江戸の外とは言え、萬屋の売り出しより先に売り込みされると、他所には無いという殺し文句を封じられてしまう。
千次郎さんの酔った頭の中は、交渉に使えるカードを見つけ出すのに、ぐるぐるしながらフル回転しているに違いない。
「義兵衛さん、あまり千次郎さんを困らせないでくださいよ。
折角の懇親の席なのですから。
物を作る回転資金が無くなることを懸念されているのでしょう。
多少ならば、この加登屋がご用立てしますよ。
それと、千次郎さん。
義兵衛さんを江戸に拉致するのは、いま少し待ってもらえませんかね。
いずれにせよ、米問屋との交渉があるのであれば、義兵衛さんは萬屋さんを頼られるはずです。
それを思えば、萬屋さんを邪険にされるとは思いませんよ。
売り出しに合わせて是非助けて欲しい、とだけ言っておけば、義兵衛さんは必ず応えてくれます。
そう思いませんか」
加登屋さんが落とし所を作ってくれた。
「ところで義兵衛さん、溝口や川崎の料亭で卓上焜炉の売り込みをしようとしていたのですよね。
今までの流れだと、もう売り込みに行くなんてことは無理目ですよね。
そこでもし宜しければ、一体、どんな料理を考えていたのか教えてもらえませんかね」
加登屋さんが結構しつこく聞き始める。
先ほどの不毛な遣り取りを抑えてくれたこともあるので、ここは一つ説明するしかなかろう。
「しかたありません。
ちょっと準備する具材があります。
醤油、酢、味醂、それに柚子かスダチ、カボスといった柑橘系の果物はありますか。
それに小さい丸椀ですね。
それと、鉄皿に入れるだし汁と、具にする白身魚の切り身で寿司種のように薄く切ったものがあるといいのですが」
千次郎さん、中田さんは何が始まるのかと目を皿のようにして見ている。
助太郎にも説明していないので、こちらも驚いた顔をしている。
「はい、どれもありますよ」
流石に小料理屋だけに何でも揃っていた。
卓上焜炉をおき、鉄皿を載せ出汁を張る。
小炭団に火を付けると、怪しい赤い光がポゥ~と広がる。
安定した火力に、義兵衛は安心する。
そして、丸椀に、醤油3・酢2・味醂1の割合でそれぞれの調味料を入れ、柚子を絞る。
箸の先で少し混ぜ、味が濃いので出汁をほんの少し足す。
やがて、焜炉の上の鉄皿がグツグツといい始めると、義兵衛は皆に説明し始めた。
「これは、白身魚の切り身の『しゃぶしゃぶ』という料理です。
この皿にある切り身を取って、鉄皿の出汁に浸します。
少し透明感のある白身部分が白くなったら引き上げて、丸椀の付け汁に浸して熱いまま口に入れます。
ちなみに、丸椀に入っている調味料は『ぽん酢』と言います」
そう言って、手本を示すように箸で切り身を取り、出汁の熱湯を潜らせる。
熱が伝わると透明感が消え白くなった切り身を、ぽん酢にダボンと降ろし、拾い上げて口にする。
「ハフ、思った通りできたな、ハフハフ、熱くて柔らかくて美味しい。
さあ、みなさんもどうぞ」
それぞれ箸を白身魚の切り身に伸ばし、譲りあって順番に熱い出汁に浸しゆらゆらと泳がす。
ほんわりと白くなった所で引き揚げ、ぽん酢につけて口に運ぶ。
最初は加登屋主人だった。
「はっ、こりゃなんじゃ」
そう言ったきり、絶句している。
次は、千次郎さんが「ほっ、ほっ」と言ったきり茫然としている。
中田さんは「えっ、はふっ、一体全体・・・」口が固まっている。
最後は、助太郎だった。
「ハフハフ、義兵衛さん、こんな物があるなんて、なんで・・・」
新しい料理として紹介したのは「しゃぶしゃぶ」でした。
次回は、これを肴に宴会が続くという話です。
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