加登屋の座敷での交渉 <C2108>
加登屋さんがやってきて、果たしてどうなるか、です。
萬屋のお婆様の話が出るたびに、微妙になってしまう座敷の空気なのだ。
そこへ、事前の冗談で話したことが真になってしまったかのように、最後の救い主として加登屋の主人が現れたのだった。
「ちわ~。加登屋です。
こちらに義兵衛さんと助太郎さんはおられますか」
『助かった!』
もう、そうとしか言い様がない、絶妙な介入である。
「もうそろそろ、夕餉の頃でしょう。
なかなか戻ってこられないので、こりゃ捕まっていると思い、食事の準備をしましたよ。
難しい顔をして膝付き合わせていても、良い考えは出ません。
美味しいものを頂きながらなごやかに話せば、良い知恵も出ましょうほどに。
さあ、加登屋へおいでください」
千次郎さんは、それもそうだという表情になり腰を浮かせた。
「ありがとうございます。
お世話になります」
中田さんはそうお礼をいいつつ、丁稚に留守となる店の始末を頼んだ。
そこへ店の小僧が出てきて、小判13枚、銀を計100匁分、4文銭80枚を持ってきた。
「大事なものを忘れておりました。
お受け取りください」
義兵衛は数を数えて頭陀袋へ仕舞いこんだ。
「助太郎、これで黒川村から木炭が残り半分は買える。
こうやって積み上げてくしかない」
小声でそう説明した。
加登屋の主人を入れた5名様のご一行は、奥の客間に用意された宴席に案内された。
そして運ばれてくる膳が5個。
そして、お銚子とお猪口が付いている。
膳の上を見ると、あの金程村謹製の卓上焜炉が乗っている。
そしてその上には出汁を張り、8分の1丁位の木綿豆腐が入った四角い鉄皿が乗っている。
「ふひゃふひゃ、これを見せて驚く顔が見たかったのじゃ」
主人は妙にはしゃいでいる。
「まあ、一献いかがですかな」
そう言いながら、皆のお猪口に酒を注いで回る。
「ここは、加登屋の主人たるワシからご挨拶をさせてもらいますぞ。
炭屋・日本橋本店主人の萬屋千次郎様、ようこそおいで下さいました。
この店は金程村と昵懇にさせて貰っており、いわば親戚のようなものと思っております。
義兵衛さんを困らせたらいけませんぞ。
・・・中略・・・
という訳で、皆様お互いに仲良くやって行きたいと思います。
では、乾杯」
炭屋の奥座敷とは違い、少々華やかな感じで宴が始まった。
「江戸とは違い、あまり珍しいものはありませんが、この店から始まる宴席の定番をお楽しみ頂けたらと思います」
こう言いながら、得意満面で卓上焜炉に火を点けて回る。
「これは、湯豆腐と言って、義兵衛さんから教えてもらった料理なのじゃ。
卓上焜炉は前回来た時に4個貰ったのだが、今日15個貰えたので、これでやっと店に出すことができますのじゃ。
ご存知の通り、この店は筏流しの船頭さんが良く利用するので、この湯豆腐の噂はあっという間に川崎宿に広まりますぞ。
船だと、川下に話が広がる速度が早いことと言ったらもう比べようがありません」
千次郎さんは、その言葉を聞いてギョッとしたのが判った。
「お婆様が言っていたことは、本当だった。
こりゃうかうかしていられない。
江戸より先に東海道筋で噂になってしまったら、料亭への売り込みの目算が崩れてしまう。
加登屋さん、この湯豆腐を料理するというのは、いつ教えて貰ったのですかな」
「炭屋のご主人、いや、千次郎さんとこれからはお呼びしようかな。
実はほんの先日、前回義兵衛さんがこちらへこられた3月14日の時のことじゃ。
まあ、小炭団の使い方と言うて、野菜を茹でて食べてみたのは3月9日のことだったかの。
最初に小炭団を使った料理がどうなるかを見せてもらった時には驚いた。
しかし、その数日後に焜炉を見せられ、こんな料理があると見せられた時にはもっと驚いた。
その驚きの中には、この鉄皿も含まれておる。
萬屋さんは、ひょっとして卓上焜炉にばかり目がいっとりませんか」
「それは、どういった意味でございましょうか」
「料理は食べる対象だけでなく、それを盛る器も重要なのです。
皿が無ければ、卓上焜炉を生かす料理は作れません。
義兵衛さんは、とりあえずということで、何にでも使えるこの皿を鍛冶屋に頼んで作ってもらったのです。
こちらもその必要性が判ったので、同じ皿を20枚作ってもらいました。
しかし、料理によって色々と上に載せる皿を変えたりすると考えると、何種類もの皿があってもおかしくありません。
つまり、焜炉を数倍する皿の需要がある、ということです。
義兵衛さん、どうですか」
突然振られた話に、どこまで話してよいか迷った。
「加登屋さんのおっしゃる通りです。
実は今日やっと汎用の鉄皿を9枚揃えたところですが、本当はこのような無骨なものではなく、お目出度い模様が刻まれた皿や、料理・季節に合わせたものがあればよい、と鍛冶屋さんにも話をしていた所なのです。
あと、この程度の鉄皿でも良いということであれば、丁度今、鍛冶屋さんは20枚持っています。
1枚100文と言っていましたがね」
嘘ではないし、最小限の関与で済んだ。
ここに幾ら力を入れても、自分達に直接の利益はない。
「一歩も二歩も先を行かれている思いです。
非常に不躾なお願いをします。
萬屋は、今丁度この卓上焜炉を江戸で広める動きをしています。
なので、先に川崎宿にこの料理が広まるのはとても具合が悪い。
申し訳ありませんが、店に出すのは数日待って頂けませんか。
その代わり、幾ばくかの補償はさせて頂きます」
義兵衛も、助太郎も、この大人の事情という裏側を直接見る場面に立ち会ってしまった。
「まあ、数日ということであれば宜しかろう。
補償については、後で納得いく形にして頂ければよいですよ。
義兵衛さん、どうですかな」
加登屋の主人は、今回訪問の狙いをどこで知ったか話を振ってきた。
「これは困ります。
練炭や小炭団の販路を求めてこの登戸に来ています。
加登屋さんの協力を得て、川下の料理屋へ料理用七輪や卓上焜炉を売り込もうと考えていたのです。
炭屋さんへの練炭製品の卸しが銭にならず、売掛けになった今、銭を得る唯一の手段を封じられると工房への原材料の供給が止まり、生産ができなくなります。
例えば、今日頂いた委託販売の最後の売り上げ金は、黒川村で買い付ける木炭の費用なのです。
右から左にお金を回してやっと動いていることを、ご理解ください」
うん、嘘ではない。
「先日、金程村に木炭を回して欲しい、と言われておりましたがこのことでしたか」
中田さんが口を挟んできた。
「その話は聞いていないぞ。一体どういうことだ」
千次郎さんは怒気を含んだ声で問い詰める。
「申し訳ございません。
14日に義兵衛さんがこちらに来た折、村で加工する木炭が不足していることと、この手当てに対する協力を求めておられました。
確か、萬屋から要求する練炭・炭団と同じ重さの原料の木炭が必要、と聞いていました。
言い訳になりますが、要求量がはっきりしないので、どれだけ欲しいかは言われませんでした」
「小炭団70万個というと、確か1個9匁だから、6300貫(=23.6t)、つまりざっと1600俵の木炭が要るという話なのだな。
村での買値だと、おおよそ160両位。
すると、160両の木炭を加工して1000両にする図式ということか。
なるほどなぁ」
お酒の入った千次郎さんは、ギロッと目をむいてこちらを見る。
まずい、これは余計なことに気づかれてしまった。
ほんの少しの加工で、大化けしていることがばれてしまいました。
さて、どうなるのでしょうか、が次回です。
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