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練炭に火をつけて口上を述べる <C210>

農村部には娯楽が少なく、些細なことでもこれを皆で楽しむ、という風潮があったとどこかで見た覚えがあります。そんな風景を描写できるほどの筆力があれば良いのですが、なかなか思うように書けていません。

 火鉢の中に納まった練炭に、黒い塊に、簡単に火が着いたのを見た観客はどよめいた。

「このように、いとも簡単に火が着きまする。

 驚かれましたかな。

 そうで御座いましょうとも。

 これも、我が金程村が作り上げた練炭の威力でございまする」

 父は、台の上に上るとまた口上を述べ始める。

「皆様、火鉢の中の練炭をご覧あれ。

 火とは言え、薪や木炭のように燃え盛ることはございません。

 強い火力ではございませんが、安定した同じ火力がこのままずっと夕方まで続くのでございます。

 ほれ、そこの小僧、どこぞで水が一杯入った鉄瓶を借りてまいれ」


 突然話しかけられた義兵衛は、あわてて集団の中から駆け出して近くの家に飛び込んだ。

 この家の人も辻で始まった面白そうな見ものを見逃すはずもなく、じっと戸口から眺めており、早速に水の入った鉄瓶を差し出してきた。

 ついでに湯飲みを2つばかり借用し、そして駆け戻る。

 この家の人も義兵衛にくっついて辻売りをしている場にやってきた。


 義兵衛が鉄瓶を借りにいく間も、父・百太郎は休む間もなく口上を述べ続けている。

 凄い。素直に義兵衛も俺も思った。

 ともかく人を飽きさせないことが辻売りの極意なのだ。

 このような一面を村では見たことがなかっただけに驚いた。


 寒村とは言え、人を統べるということは、色んな技能を持ち、場面・必要に応じてこれを惜しみなく使うことが重要なのだという生きた事例を目にしているのだ。

 父の背を見て子は育つというが、義兵衛の中には「僕は今まで何を見ていたのだろうか」という思いが溢れてくるのがわかった。


「父上、鉄瓶です。水が一杯入っています」

「ご親切にもお貸し頂け、誠にありがとうございまする。

 さて小僧、ちょっと蓋を取って、火鉢の周りでご覧になっている方々に中を確認してもらえ。

 水をこぼすではないぞ」

 義兵衛は鉄瓶を捧げ持ち、蓋を取って水が入っていることを見せて回った。

「まだ冷たい水が入っています。

 どうぞご覧ください。

 さあ、ほれこの通り、一杯に冷たい水が入っていますよ」

 これで義兵衛も見世物に参加できた。


「では、それを火鉢にかけておくれ」

 義兵衛は火鉢に金網をかけ、その上に水の入った鉄瓶を載せた。

 火鉢の中を見ると練炭の火は上面全部に広がり安定している。

 これなら大丈夫だ。


「さあて、このように鉄瓶をかけております。

 たかが火鉢ではありますが、この小さな火鉢の上で煮炊きすることもできるのであります。

 なんと便利な火鉢でありましょうか。

 今は仮の改造火鉢という姿ではありますが、この練炭を使う専用火鉢、その名を七輪と申します。

 この練炭なるもの、大きさ形・重さは一定であり、七輪の中で燃え尽きたる後は新たなる練炭を放り込むだけで復活するので御座います。

 また、この練炭、同じ大きさと形であることから、ほれっ、後ろに積み上げておりますように狭いところに簡単に仕舞うことができるので御座います」

 アピールするポイントを繰り返し、丁寧に説明することで、徐所にどれだけ良いものなのかを観客の頭の中に染みこませていく。


 繰り返し説明するうちに、鉄瓶から湯気がシュウシュウと噴出してきた。

「皆様、ご覧の通り、先ほどの水を一杯入れた鉄瓶が湯気を噴いておりまする。

 今路上で湯を沸かしましたが、この火鉢程度の代物でどこででも湯が沸かせる、つまりは煮炊きが出来るというものをご存知でしょうか。

 もちろん魚だって焼くことができますぞ。

 便利なものでしょうが。

 どうです、そちらの棒手振ぼてぶりのお兄さん」


 そう観客に振ったところ、早速そのお兄さんは聞いてきた。

「もうし、主。

 確かに便利そうだが、まずその練炭とやらが本当に1個で夕方まで火が保つのか、いささか疑問じゃ」

「さて、それを見て頂くための実演でござりまする。

 先ほど火をつけましたので、本日夕方になってもまだ燃え尽きてはおりますまい。

 ご懸念の御仁は、宵の口にでもまたこちらへお越し頂ければ良いので御座います。

 是非、宵の口にこの火鉢で燃えている練炭をご覧になって頂きとうございます」


 父・百太郎の強気の発言に驚かされる。

 昨日村で試したものは、途中で空気穴を絞って長持ちさせたとはいえ、おおよそ9時間は燃焼していた。

 今日火を付けたのは昼前なので、日没まで7時間といった所だろうか。

 どこかで空気穴を調整することができれば、夜までは持つに違いない。

 父は、チラッと義兵衛のほうを見たので、自信ありげに大きく頷くように伝えた。


 義兵衛は沸いた湯を湯のみに入れ、棒手振のお兄さんに差し出す。

「まあ、沸いたお湯でもいかがですか」

 父もこの義兵衛の側面支援に満更でもない様子だ。

 そして、立ち台の上から手を伸ばしてくるので、やはり湯を入れた湯のみを手渡した。

「長い口上は、喉が渇くわい。

 この練炭と火鉢で沸かした一杯の白湯の美味い事、とてもこの辻で沸かしたものとは思えませぬぞ。

 この温かさが五臓六腑に染み渡りますわい。

 さあ、皆様もどうですかな」

 これもまたパフォーマンスにしてしまうのかと、義兵衛も俺も感心を通り越して感動してしまった。


 白湯を飲み終えた棒手振のお兄さんが、湯のみを返してきながら、こう問いただす。

「この白湯は誠に美味かった。

 だか、主よ。

 肝心の練炭の値段について、まだ一言も述べて居らぬではないか。

 確かに良いものかもは知れぬが、それは値段と相談だと思うぞ」


 義兵衛はギクリとした。

 ここが肝心なところなのだ。

 この対応一つで今までの口上は無に帰するかも知れない。

 ここまで値段についてわざと言及を避けていた父は、考えぬいたであろう返事をする。

「練炭は全く新しいものなので、実はこれを売るにあたってどれ位の値が良いのか見当がとんとつかない。

 それで、この場で皆にいくらまでなら出せるのかを尋ねる意味で、このように辻売りをしているのだ。

 一番高く値を付けた方に順次お譲りするというのはいかがであろうか。

 もっとも、この練炭を1個作るのに、試しということもあって、実は200文程度かかっている。

 余り安い値しかつかないと、ワシは村にいる婆からどれだけ小言をもらうのか、思っただけでも身震いするわい。

 出来れば250文くらいで売れたらなあとの希望は持っているが、さすがにそれでは高かろう」


 なるほど、どこにそんな知恵があったのか、練炭の売買をオークションにしようとしているのが判った。

 しかも、さりげなく底値でも200文にしたいという希望をちゃっかり入れている。

 多分、『高かろうから、100文から競りを始めよう』と切り出すつもりかなと思ったその時である。

 見物人の輪の一番外側から大きな声がかかった。


「百太郎さん、お前さんの言い値の250文で買う。

 その練炭を2個貰いたいので、合わせて500文出す」

 見物人の輪の一角がざっと割れ、その出来た間から先ほど挨拶した商家の番頭がずずっと歩み出てきた。

「これは、金程村がいつも炭を卸している炭屋番頭の中田様では御座いませんか。

 先ほどは挨拶もそこそこで、とんと失礼いたしました」


 見物人は、この新しい見ものを歓迎するように喝采を上げた。

 この時代、碌な娯楽がないので、この道でのやりとりが大道芸のような感じで受け止められているのだろう。

 そして、この場を見た人が語ることで、噂として広がっていくのである。


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