【神四路B/W】 屋武隆と神四路の猛虎
「アニキ、俺たちの仇を討ってくだせぇ~!」
「神四路マジヤバイっす! アニキに頼るしかないんすよ~!」
顔中青あざだらけの後輩ふたりが屋武隆の元に駆け込んで来たのは、隆が高校一年生のときだった。
そのとき隆は仲のいい取り巻きと共に、高校近くの空き地で雑誌やらなんやらを読んでいた。その後輩たちは中学生のときに喧嘩を通じて知り合った仲で、当時の反抗心はどこへやら、今ではすっかり隆を頼りにしていた。人のいい隆の性格もあって、彼らの頼みを無下に断るわけにもいかず、隆は読みかけの雑誌を脇に置いて彼らの話を聞くことにした。
「酷い怪我じゃな。誰にやられた」
「アイツっす! 神四路で噂になってる猛虎っす!」
その噂なら隆も聞いたことがあった。隆の住んでいる本郷市の隣にある神四路市に、やたら喧嘩の強い中学生がいると。隆はまだ彼に会ったことはなかったが、上級生にも臆することなくかかっていく気概の持ち主だと聞いている。
「俺たち、ただ神四路に遊びに行っただけなんすよ」
「それなのにアイツ、俺たちに喧嘩売ってきて」
「俺たちもなんとか抵抗したんすけど、アイツ強くて……」
「アニキ、どうか力を貸してくだせぇ!」
彼らの話を聞いて、隆は神四路の猛虎に憤りを覚えた。ただ神四路に遊びに行っただけの後輩に喧嘩を売って怪我をさせたことは、隆の正義感に訴え掛けるには充分な要素だった。
「ようし、ワシが仇を討っちゃる。明日は神四路に行くぞ」
「さすがアニキっす! 神四路の猛虎をボコボコにしてやってくだせぇ!」
こうして隆は神四路市に足を運ぶことになったのだった。
神四路にある中学校の門の前で、隆はひとり下校する生徒の群れを眺めていた。
門の前で生徒をひとり捕まえて話を聞いたところ、神四路の猛虎、名前は平沢大雅というそうだ。タイガーだから虎か、と隆は納得してにやりと笑みを浮かべた。
しばらく待っていると、生徒から聞いた特徴に合致する少年が出てきた。敵を射抜くような鋭い目をしているが、そこらにいる不良のように制服を着崩したりはしていない。隣では髪を黄色に染めた少年が、彼を小突いて意地悪い笑みを浮かべていた。制服を多少ラフに着ていることからも、友人の方が見た目はよっぽど不良のようだ。そのギャップに笑みを浮かべかけたが、隆は慌てて表情を引き締めた。これから喧嘩を売りに行くのに、締まりのない顔をしていては示しがつかない。
「おんしが平沢大雅か」
彼らの前に立ちふさがり、隆はそう声をかけた。どうやら正解らしく、ふたりの少年のまゆが不審げに持ち上がった。
「トラ、また何かやったの?」
「覚えねーよ。アンタ誰だ」
挑みかけるように隆を睨みつけた大雅は、どうやら噂通りの気概の持ち主らしい。込み上げた嬉しさを押し込めて、隆は凄みをきかせて低い声で名乗りを上げた。
「ワシは本郷の屋武隆じゃ。昨日はうちのもんが世話になったらしいの」
「昨日?」
「あートラ、あれだ。駅前商店街の二人組じゃない?」
思い出したらしい黄色髪の少年が問いかけると、しばしの間を置いて大雅もあぁ、と声を漏らした。後輩の話が間違いではなかったと確信し、隆は不敵な笑みを浮かべて拳を手のひらに打ち付けた。
「そういうことじゃ。後輩の仇、取らせてもらうぞ」
「だそうで。じゃ、トラ頑張ってね~」
「はぁッ!? っておい山吹!」
そそくさとその場から逃げ出した黄色髪の少年――名は山吹というらしい――に注意を取られた大雅に向かって、隆は右の拳を打ち出した。注意がよそに向いていたにも関わらず、大雅は顔に向かってきた拳を軽く体をひねって躱す。おっ、と思わず心の中で声を上げたが、隆は攻撃の手を緩めることなく左の拳も突き出した。
「ちょっ、待てって! なんでオレが喧嘩売られてんだ!」
「自分の胸に、聞けい!」
隆の攻撃をたくみに躱しながら抗議の声を上げた大雅に、隆はひときわ鋭いストレートを放つ。
その拳を真正面から受け止めて、怒りが沸点に達した大雅が、つり上がった目で隆を睨み上げた。
「どーやら、話の通じねぇゴリラらしいな……!」
大雅はそのまま受け止めた隆の拳を払うと、素早い動きで隆に接近してきた。右から放たれたジャブをギリギリ受け流す。本郷では負け知らずの隆だが、神四路の猛虎も話に聞く以上にやるようだ。久しぶりに自分の中の闘争心に火が着いたのを感じ、隆の体がぶるりと震えた。
それからは本気で拳を交えた。大雅はどんな運動神経をしているのか、ことごとく隆の拳を躱して受け流していく。そんな中再び口を開いたのは、隆のフックを避けた大雅だった。
「大体ッ! テメーがちゃんとしつけねーから悪いんだろうがッ!」
「なにを抜かすッ! あやつらが一体なにをしたと言うんじゃ!」
更に繰り出した隆の拳を腕で払い流し、怒りにかっと顔を赤くして大雅は怒鳴った。
「ババァいじめんのは悪いことじゃねーのかって言ってんだよッ!」
「……なんじゃと?」
思わぬ一言に、隆の動きが一瞬鈍った。その隙を逃すわけもなく、大雅の拳が隆のみぞおちに食い込んだ。
「ぐはっ!」
目に星が飛び、隆は吹っ飛ばされるまま地面に倒れ込んだ。荒い息を整えながら、大雅は頬を伝い落ちた汗を手の甲で拭う。
「詳しい話は彼らに聞いたらいいんじゃない?」
無言で息を整えていた二人の間に軽やかな声が飛び込んだ。なんとか体を起こしてそちらの方を見やると、黄色髪の少年が自分の後輩ふたりの腕をひねり上げているではないか。彼らの制服は土に汚れており、山吹とかいう少年にやられたのだろうと予測できた。
「アニキぃ~」
「どういうことじゃ、おんしら!」
ようやく立ち上がった隆が怒鳴りつけると、ふたりは萎縮してまごつき、一向に喋り出そうとしない。その様子を冷たい目で見ていた山吹が呆れたようにひとつ息をついた。
「しょーがない。僕が説明するよ」
山吹の説明によれば、昨日大雅と山吹が駅前商店街を通りかかった際、老婆にいちゃもんをつけていた彼らに出くわしたらしい。それを止めようと大雅が割って入り喧嘩になったそうだ。
「おんしら、間違いないのか?」
後輩ふたりは壊れた人形のようにこくこくとうなづいた。怒りに身を任せてふたりを殴りつけようとした隆の拳を、山吹が横から掴んで止めた。
「もういいんじゃない? 昨日トラにボッコボコにされてるし、僕も今日ちょっと遊ばせてもらったから。充分懲りたと思うよ」
淡々とそう言った山吹の言葉に冷静になって見下ろせば、彼らの顔面には痛々しい青あざが広がり、制服もよれよれで土にまみれていた。確かにこれ以上殴るのがかわいそうになるほどボロボロである。隆はおとなしく拳を下ろし、大雅と山吹に向けて頭を下げた。
「すまんッ! ワシの勘違いじゃった!」
「ったく……もう勘弁してくれよな」
頭をガリガリと掻きむしって大雅がぼやいた。山吹はしばし隆を見つめた後、なんの脈絡もなく隆に問いかけた。
「ねぇ、タカシってどういう字を書くの?」
「ん? 隆起の隆、じゃが……」
「ふふっ、じゃあリュウ、だね。神四路の猛虎バーサス本郷の暴れ竜だ。ふふふっ」
そう一人で勝手に納得しておかしそうに笑いながら、山吹はヨレヨレの後輩ふたりをようやく解放した。ふたりがすがるように隆を見てきたので、隆は同情のかけらもない目で二人を睨みつけた。
「もう二度とワシを利用しようと思うなよ。さっさと目の前から消え失せい」
リュウの怒気に気圧され、後輩たちは脱兎のごとく逃げ出した。その姿を見送ってから、隆は改めて大雅と山吹に向き直った。
「ほんにすまんかった。しっかし、おんし強いのー」
「ふふっ、神四路の猛虎の名は伊達じゃない、ってね♪」
「うっせー」
ニヤニヤ笑う山吹を小突いて、そっぽを向いた大雅の耳が赤い。もしかして照れているのだろうか。
かわいらしい一面を意外に思いながら、隆は山吹に視線を向けた。途中で逃げ出して腰抜けが、と最初は思ったが、それがよもや隠れて様子を見に来ていた後輩たちを捕まえるためだったとは、とんだ狐である。
「おんしも、あの二人を手玉に取るとはなかなかじゃの」
「僕? 僕はまぁ、軽く遊んだだけだよ。リュウとはやりたくないな~」
山吹は涼しい顔でへらりと笑ったが、やり合えばおそらく大雅とはまた違った点で翻弄されそうだ。隆も出来れば山吹とは戦いたくないと思った。
「いちち……では、ワシは帰るけんの。詫びはまた改めて来るわい」
「もう二度と会いたくねぇよ……」
「お饅頭でよろしく♪」
ずうずうしく要求する山吹の頭を「コラッ」と叩いて、トラは山吹を半ば引きずるように去っていった。その背を見送りながら、まだ痛んでいる腹をさする。自然と顔が緩み、笑いが込み上げてきた。
「まったく……面白い奴らもいたもんじゃのう」
ひとりで笑ってから、隆も本郷へ向けて歩き出した。
これが、屋武隆と平沢大雅、そして後々隆が深く関わることになる今野山吹との最初の出会いだった。
昔にキャラクターをつかむために書いた短編その2を公開です。
隆……リュウは、本編でもそこそこ重要な位置にいて、神四路カンパニーの謎を探る上でかかせないキャラクターです。出会いのきっかけはトラだけど、山吹とのつながりのほうが後々強くなります。
喋り方がちょっと独特なので書くのが難しい……なぜこんな喋り方になったのか……