第六話 旅立ちの丘・前編
ヴィーラントは自分の身長の倍の長さの大剣をまるで片手剣か片手細身剣の様に扱っていた。しかし、それはヴィーラントの鍛え抜かれた肉体と剣術の成せる技である。嵐の様な突きから繰り出されるフェイント、かまいたちの様に襲う水平斬り、全てが一筋の水の流れの様に滞ることなく繋がっている。いや、それは一筋の流れの様に一振り一振りが綿密に連動しているからこそ可能な近接技。つまり、それは大剣を自在に操るというルールに縛られた盤上の駒遊びの様な心理戦でもあった。繰り出される一振りから次の一振りを予測する心理戦である。
水平に空を裂いた大剣はまるで獲物を狩る燕の様に軽やかに、そして素早く向きを変えてヒースクリフに襲いかかってきている。ヒースクリフは空中に飛び上がった自分を追う大剣の姿を目視するよりも早く感じていた。
ヒースクリフが空中に飛び上がった瞬間、その言葉は発せられた。
「ロックウッド君、お友達に結界を張る準備をさせなさい」
「承知致しました」
マーリンの言葉に応える様にロックウッドが姿を見せた。
突然現れたロックウッドの姿に王立騎士団の三人は少しも驚かなかった。他人の気の隙を読むのはロックウッドの得意技だったからだ。ロックウッドにとって相手に気づかれずに行動する事は容易いことなのである。
しかし、結界とは?
三人はマーリンの言葉を気にしながらも、目の前の光景から眼を離すことができなかった。
ヒースクリフは空中で剣の鞘の端をもう片方の手で握っていた。鞘の両端を握りまるでそれを盾にする様に身体の側面に構える。そしてその直後である、ヴィーラントの大剣がその鞘を直撃した。
巨大な大剣の重さと凄まじいスピード、誰もがその斬撃の威力にヒースクリフが大きく弾き飛ばされると思い、反射的にその軌道を予測し目で追った。しかし、そこにヒースクリフはいない。
ヒースクリフはヴィーラントの大剣を鞘で弾き返しながら少しもバランスを崩してはいなかったのだ。いやむしろ受け止めた大剣の勢いをコントロールしヴィーラントの頭上で体を捻り回転している。
しかしそれ以上に三人を驚かしたのは、大剣の一撃を受け止めた瞬間に鞘から発せられた虹色の光だった。
「あの光は……魔の力ではない」
「神の加護だ」
「なんなんだ、あの鞘は」
ランスロット、ガウェイン、そしてトリスタンの言葉を無視する様にマーリンが叫んだ。
「抜刀しますよ。結界は間に合いませんか。あの光はまだ公にしては……」
マーリンの言葉通り、ヴィーラントの背後に降り立ったヒースクリフは、上半身を落とし抜刀の態勢に入った。しかし、その直後だった……。
虹色の光と共に、聞きなれない大きな斬撃音がコロッセウムに響き渡った。
先程まで抜刀の姿勢を取っていたヒースクリフが、今は鞘の両端を持ち盾の様に身体の側面に構えてヴィーラントの大剣を受け止めている。背を向けていたはずのヴィーラントは真正面からヒースクリフと対峙していたのだ。
瞬く間の出来事に、何が起こったのか理解するのに大勢の人がしばしの時間を必要とした。
不自然に剣の勢いを削がれたヴィーラントは、背後に回ったヒースクリフを振り向きざまに捉えようと力技で大剣を振り抜いたのだ。それもヒースクリフの抜刀の瞬間を狙い撃ちするように。
「ヴィーラント殿は、本気でヒースクリフ君を負かしにいっていますね」
ヴィーラントの一撃に言葉を遮られてしまったマーリンが嬉しそうに呟いた。ヴィーラントの振り向きざまの一撃はマーリンにとっても予想をはるかに上回る一振りだったのだ。
ランスロットもマーリン同様にヴィーラントの一振りに驚嘆の表情を隠すことができなかった。だがしかし、ヴィーラントと何度となく死線を潜り抜けてきた仲である、驚くには値しないと自分に言い聞かせていた。それよりも、ヴィーラントの一振り以上にランスロットを驚かせたのは、ヒースクリフの鞘である。
「あの鞘は、魔装しているのか?」
ランスロットの疑問にガウェインが慎重に答えた。
「魔装というか、神の加護を魔力によってあの鞘に封じたのだろ」
確かにあの虹色の光は神の加護が発動する時に発せられる光。それを考えれば、ヴィーラントの大剣が繰り出す斬撃の威力をあの鞘がまるで吸収してしまうかの様に受け止めているのは納得がいくように思えた。現に今も、目にも止まらないスピードで振り抜かれた大剣をあの棒切れの様な頼りない鞘で受け止め、さらに小柄なヒースクリフは吹き飛ばされもせず、また地面には踏ん張った跡さえ残っていない。まさにあの鞘が斬撃の威力を吸収しているとしか考えられないのだ。
「確かに立ち合いでは魔剣の使用は禁止されているが鞘なら問題ないか。さらに鞘から発動されるのが魔力ではなく神の加護とあっては、それを諌める理由など何処にもないな」
ランスロット、そしてガウェインの言葉にトリスタンが豪快に笑いながら答えた。そしてその笑いに呼応するように、コロッセウムは歓喜の声援に包まれる。これほどの剣劇を観るのは久し振りだったからである。
ヴィーラントはヒースクリフと再び目を合わした後、ゆっくりとその顔を競技場の脇で控えている見届け人に向けた。見届け人は表情一つ変えずに二人を見守っている。ならばヒースクリフの鞘はなんらお咎めは無いということなのだろう。それを確認したヴィーラントは、素早く後方にさがり間合いを置いた。ヴィーラントの持つ大剣にして三身から四身分の距離を素早く移動する。
「あのすり足、あの足運びはいつ見ても華麗だな」
「あれで膝の腱を痛めているというのだから信じられん」
「痛めているというより……呪いだよな」
珍しく真剣な眼差しで発せられたトリスタンの言葉が、ランスロット、そしてガウェインが漏らす感嘆の言葉に水を差した。しかし、二人はトリスタンを少しも恨んだりはしない。何故ならトリスタンが『呪い』という言葉を使った理由を知っていたからだ。
「ヴィーラントの親父さんは、この狭いコロッセウムでは奥の手は使えない。もちろん、使えたとしても、あれをこのお披露目で使った瞬間に失格、いやそれどころか今のお披露目の定めでは重い罰を受けちまう」
トリスタンのいつにも無い思いつめた表情と言葉に、ランスロットが思わず無言で頷いてしまった。ランスロットは口で言うほどトリスタンのことを悪く思ってはいないのだ。実際のところランスロットは自分には無い物をトリスタンの中に感じ、それに魅かれている自分を自覚している。
「だから、大剣の利を捨てあえて接近戦をいどんだ。そして、その結果がこれだ。ヴィーラントの親父さんのあの顔、ありゃ真剣だぞ。どうするヒースクリフ、呪われた足は伊達じゃない。防御だけでは勝てんぞ、早く鞘から剣を抜けよ」
トリスタンの最後の言葉は、悩ましく興奮した気持ちを押し殺すように発せられた。
そしてトリスタンの期待に応える様にヒースクリフが抜刀の構えに入る。ヴィーラントの一太刀にカウンターで応えるつもりなのであろう。
「マーリン様、結界の準備が整ったそうです」
ロックウッドが閉じた目をゆっくりと見開きマーリンに報告した。
「ネリー君の結界は大した物だからね、期待しているよ。あの光を他の工房の鍛冶師に見られるのは、いささか本意ではないのでね」
「心得ています、マーリン様」
マーリンとロックウッドの会話を聞いて、ガウェインが言葉を挟んだ。
「やはりあの鞘は、湖の乙女の力添えがあって造られたものですか」
ガウェインには心当たりが在った。去年のお披露目の後にヒースクリフは新しく自分専用の工房を森の湖の畔に建てたのだ。そしてその湖は不思議なことに今まで誰もその存在を知らなかったという。
「さすがガウェイン君だね、その通りだよ。でもね、今のヒースクリフ君を侮ってはいかんよ。私の弟子はあくまでも導いただけでね、あの鞘を完成させたのはヒースクリフ君の力そのものの証明なのだよ」
「力そのものの証明ですか?」
「まあ見ていなさい」
マーリンは不敵に笑いながらそう言った。そして不意に険しい表情になると、その幼い顔には不釣り合いな声でこう続けたのだ。
「この立ち合いから片時も眼を離してはなりませんぞ。ここから世界が大きく変わるのです。これはその第一項となるのです」
ヴィーラントの戦場での二つ名はワルキューレだった。しかしその名の由来を知る者は、共に死地に赴いた極少数の騎士だけだった。当然、ヒースクリフもそれを知らない。現国王の定めにより、お披露目の立ち合いは純粋に新作の剣、鍛冶師の技、そして工房の技術を広めることに主眼が置かれるようになった。だからヒースクリも知らないのだ、生きた伝説と称させるヴィーラントの本当の力を………。
「ヒースクリフはカウンター狙いか。あくまでも先手をヴィーラントに譲る気なのはいいが、甘く見ると痛い目に遭うぞ、ヒースクリフ」
ヒースクリフの剣の師匠でもあるランスロットがそう呟いた直後、ヴィーラントがまたもや一気に間合いを詰めにかかった。同じ様に剣を胸の前に構え突きの構えを取っている。その剣の軌道を予測しヒースクリフは僅かに身体を逸らしながら足を踏み込む、ヴィーラントの突きを避けながら懐に飛び込み抜刀の一振りで仕留めるつもりだったのだが……。
実際は違った。
ヴィーラントは突きの構えから半円状に剣を振り上げるとそれを素早く振り下ろしたのだ。
ヒースクリフはそれを避けて懐に飛び込もうとする。しかしヒースクリフが抜刀の姿勢に入った瞬間、ヴィーラントは振り下ろした大剣をそのまま下段に構え、すり足で地を這う様に高速でヒースクリフの背後に移動する。そしてヒースクリフに抜刀の隙を与えず下段から斜め上に向かってすくい上げるように大剣を振り抜いたのだ。巨大な大剣が重力に抗う素振りも見せずヒースクリフを襲った。
ヒースクリフは抜刀せずに、またもや大剣を鞘で受け流すように弾く。
そして、虹色の光に紛れてヴィーラントの懐に再び飛び込もうとする。
もちろんヴィーラントにはこの一手を読まれているだろう。しかし大剣を返す隙も間合いも与えたりはしない。ヒースクリフはヴィーラントがいったん後退し間合いを取り攻撃に転じると予測し、それを阻止するためより素早くより深くヴィーラントの懐を目がけて飛び込んでいった。
しかし、ヴィーラントはヒースクリフの予想を上回る素早さで後退し間合いを取る。そして再び大剣が綺麗な弧を描きながら、これもヒースクリフの予想を上回る勢いで頭上から振り下ろされた。ヒースクリフには間一髪のところでそれを避けるのが精一杯だった。
こうして、間合いを自在に操りながら大剣を振るうヴィーラントの熾烈な攻撃が始まったのだ。
「ヴィーラント殿は水面を優雅に移動する白鳥の様ですが、対してヒースクリフ殿は軽やかなステップで剣の舞を踊る道化の様ですね」
「そうだな。しかし、並の腕では道化も務まらんぞ」
「そうですね。ヒースクリフ殿がマスターの見立て通りだといいんですが」
来賓席のテラスの一角に、黒のマントを羽織る男と、その従者と思われる同じく黒のメイド服を着る少女が居た。マスターと呼ばれた黒マントの長身の男は、少女の頭を軽く撫でると囁くように言った。
「それより、あの光の干渉波は分析できたのかい」
「それが分析の途中だったのですが、今しがた強力な結界が張られてしまい邪魔されました」
少女はふくれ面で不機嫌そうに答えた。それが自分の仕事を邪魔され完遂できなかったせいなのか、主人である黒マントの男から子ども扱いされるように頭を撫でられたせいなのか、つんと澄ました顔からはその真意を測ることはできない。
「見届け人達の仕業だろうか」
「いえ、違うと思われます。強力な魔力の痕跡を感じますから、私と同じ黒の血を色濃く持つ者の術です」
「なるほど、それは興味深い。あの光の正体を隠匿したいと思う輩が居るということだ」
黒マントの男は握っていた鋼の杖でコツンと床に軽快に一度打ち鳴らし優しく微笑んだ。
「マスター、その笑い顔止めてください。マスターが笑うとただ怖いだけですから」
「なるほど、それも興味深い意見だな」
そう言うと黒マントの男は、コツンコツンと再び杖で床を打ち鳴らしながら笑った。
「それよりもマスター、おかしくないですか? あの光の正体を隠しておきたいなら、そもそも、あんな物をお披露目の舞台に持ち出さなければいいのに」
「確かにそうだな。しかし、この舞台に持ち出さなければならない理由があったのだろう。いずれにしても、あの光の正体は遠からず解るはずだ。秘密などと云うものは、その存在が知れてしまった段階でもう秘密ではないのだからね。それに、この茶番もそろそろ幕が下りる頃だよ。そうれば、あれが何故このお披露目の舞台に持ち出されたかも判るだろう」
「やっぱりマスターはこの立ち合いが茶番だって知ってたんですね。では私との賭けは無効ですね。結果の判っている賭けなど成立しませんから」
「なるほど、それも興味深いな」
黒マントの男は杖でコツコツと床を打ち鳴らしながら、いかにも愉しそうに笑っていた。
「シャーロット、あちらの黒マントの男性は、ローン・マックリブイン殿ですか?」
黒マントが床を打ち鳴らした音は不思議な響きの音色だった。決して耳障りではないのに、その響きは少し離れたアーンショー家のテラスまでしっかりと届いていたのだ。その不思議な音色にアン王女が気づいたのである。
「そうですよ、アン王女。あれは姉様が密かにご招待したドロントハイムの悪の鍛冶師ダークスミスです」
アン王女の質問に答えたのはシャーロットではく妹のマティルダであった。マティルダは相変わらず姉のシャーロットに腹を立てていた。来賓名簿に無いゲストをシャーロットがもてなしているのが不愉快だったのだ。
マティルダはアン王女が来賓することさえも知らされていなかったのである。そんな勝手な振る舞いをする姉をマティルダは許せなかった。
「マティルダ、マックリブイン殿をその名で呼ぶのはお止めなさい、失礼ですよ。マックリブイン殿はマイスターの御身分です。それもヴィーラント様と同じく魔剣を打つことの出来るグロースアルティヒの称号を持つ偉大な鍛冶師です」
「承知いたしております。でも、そうですか、姉様にとってはドロントハイムの悪の鍛冶師も偉大な鍛冶師ですか。承知いたしました」
そう言いながらは、マティルダは嫌味たらしい笑い声をテラスに響かせるのだった。そんな笑い声を聞きながら、テラスに居た誰しもが心の中で思っていた。マティルダこそ美しい悪の華のようだと。
そんなマティルダの笑い声に隠れる様に、アン王女がシャーロットの耳元で囁いた。
「シャーロット、ヒースクリフは大丈夫なのですか? 随分とヴィーラント殿に押されているようですが……」
「アン、心配しないで。ヒースクリフは必ずやってくれるわ」
シャーロットはそう言うと、ごく自然にアン王女の手を握り締めた。そしてアン王女もその手を強く握り返す。
「大丈夫。彼が私達の救世主になってくれるのよ。彼を信じて」
シャーロットの言葉を聞いてアン王女は安心したように微笑んだ。それは無垢で純真な少女の様な笑顔だった。シャーロットはアンの髪飾りを直す振りをしながら、傍らに控える従者にそっと目配せをした。従者はシャーロットの合図を確認すると、そっと頬を赤らめながら俯いた。
従者はネリーに瓜二つの容姿をしている。
「ネル、ありがとう」
シャーロットはそう言うと、人目をはばからず大胆に、アンに口づけをしたのだ。
二人の口づけは決して誰にも気づかれることはなかった。
従者のネルが人除けの結界を二人の周りに張ったからだ。
ネリーは複雑な心境で目の前で起きていることを見守っていた。
アン王女とシャーロットの関係、それに加担する双子の妹。
そしてヒースクリフとヴィーラントの立ち合いの結末。
『ロックウッド、私はどうすればいい?』
ネリーの念じた問いかけに、ロックウッドからの返事は無かった。
第六話「旅立ちの丘・前編」