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第四話 宴の丘・中編

 アーンショー家のテラスは貴賓席の中央に位置していた。アーンショー家は代々、この工房の街として栄えるウールヴァダリルを含め、嵐が丘の北部を治める王族であり、今日のお披露目の実質的な主催者だったのである。


「ヒースクリフとヴィーラント様の手合わせなんて、とんだ余興ですこと。いったい親子でどんな茶番を演じて頂けるのかしら」

 アーンショー家のテラスの中で一際ひときわ派手な衣装を身に着け、そしてそれに負けない程の美しさと存在感を放っていたマティルダが、冷淡な笑いを浮かべてそう言った。

 マティルダはキャサリンの姉である。マティルダはキャサリンとは見た目も性格も対照的なタイプであり、それを伝える有名な逸話があった。アーンショー家へ初めて訪れた人は、彼女とキャサリンが二人でいるところを見ると十人が十人こう思ったそうなのだ、とても仲の良い主人と従者であると。

そんなマティルダの美しさと尊大さは到底十五歳とは思えなかった。

「ヴィーラント様は、ヒースクリフ様の兄弟子の剣をご本人に代わってお披露目されるのです。消して茶番などではありません」

 大勢の賓客のために膨大な給仕の仕事を指揮していたネリーが、マティルダのその意地悪な言葉に応えた。ネリーは只ただでさえ苛立いらだっていたのだ。確かに工房のお披露目式は毎年盛大に開かれる。しかし今年の賑わいは例年の比ではなかった。原因の一つには王立鍛冶工房ヴィーラントの実質的な将来の後継者ヒースクリフの人気がある。鍛冶師ヴィーラントの工房は白の国、黒の国の両国から注目されており、同時にヒースクリフの成長も大勢の人々から注視されてきたのだ。そしてそのヒースクリフがこのお披露目の後に三年間の放浪修行へと出発する話は両国の間に既に広まっていた。

 放浪修行は生死をかけた修行だ。それは決して大袈裟な言い方ではない。実際、何人もの職人が放浪修行へと旅立ち生きて帰ることはなかったのである。特に鍛冶職人の放浪修行は他の職人の放浪修行に比べてその危険度はとても高かった。身に着けた知識や技術を奪うため拉致監禁され地下に一生幽閉されてしまう職人もいたからだ。特に黒の国ではそうした地下職人が大勢いると噂されていた。そんな放浪修行に旅立つ前にヒースクリフがどんな作品をお披露目するのか大勢の人々が関心を寄せていたのだ。

 しかし、それにしてもネリーには今回の来賓の顔ぶれは解せなかった。いくらヒースクリフの人気が絶大であるとはいえ、例えヴィーラント様とヒースクリフ様の手合わせすることが事前に漏れていたとして、どちらにしても今回の来賓は国賓級ばかりなのである。その為に王立騎士団三人衆が揃って警護に駆けつけてもいる。

「ネリー、分かっています。ヒースクリフの兄弟子(でし)ヒンドリー殿が前回の北海への退魔遠征で負傷された話は私も聞いています。でもだからといって、ヴィーラント様がヒースクリフとお披露目で手合わせするなど、誰が聞いても茶番ですわ」

 マティルダの挑発にネリーは腹立たしさを感じたが、それを顔にも言葉にも出さなかった。ネリーは今回のお披露目に嫌な予感を覚えながらも、アーンショー家として決して無礼の無いように細心の注意を払いながら給仕全体を見守っていたのだ。マティルダの言葉に一々心を煩わされるのは彼女の本意ではなかった。


「確かに話だけを聞けば茶番かもしれませんが、この手合わせを実際に見た人は、誰も茶番などとは思わないでしょう。だいたい、今日ここに集まった人々に、貴女は茶番などが通じるとでも思っているの」

 そう言ってテラスに入って来たのは、マティルダとキャサリンの姉であり、アーンショー家三姉妹の長女シャーロットであった。アーンショー家の当主であるミスター・アーンショーの妻であり三姉妹の実の母は数年前に亡くなり、それ以来ミスター・アーンショーはすっかり家から出なくなってしまっていた。そこでアーンショー家の対外的な当主の仕事は全て長女であるシャーロットが引き継いでいたのである。

「シャーロット様の仰る通りです。ヴィーラント様はヒースクリフ様が相手でも決して手を抜かれるようなお方ではありません。それにヒースクリフ様も今回のお披露目には並々ならぬ決意で臨のぞまれております」

 ネリーはシャーロットの言葉に心の緊張が少し緩んだのか、マティルダに対しても思わず口が緩んでしまった。

「ネリー、なんであんたはキャサリンの傍そばにいないの。キャサリンの荷造りは貴女が段取りをしなきゃ駄目なのよ。アーンショー家の人間として、白の国の代表として、くれぐれも粗相(そそう)の無い準備をしてキャサリンを送り出さなきゃ駄目なのよ」

 マティルダはシャーロットの登場に明らかに不機嫌になっていた。母親が亡くなって以来、姉のシャーロットがアーンショー家の関わるこの地域の祭事を全て取り仕切っていることを快く思っていなかったのだ。同時に父親に対する不甲斐なさも感じていた。だからこそ、妹であるキャサリンを黒の国の王妃として送り出すことは、アーンショー家に新たな風を吹き込むことになるのではと期待をしていたのだ。キャサリンが黒の国の王妃になれば、つまりはマティルダは黒の国の国王の義理の姉になる。そうなれば、自分自身もこのアーンショー家で、いや白の国での立ち位置をもっと変えられるのではないかと。

「いいのよ。ネリーは今日一日、私が借りたんだから。ヒースクリフの元気な姿を二人でしっかりと見とかないとね。これから暫しばらくはヒースクリフとは会えなくなるのだから」

 ネリーはシャーロットを普段からとても信頼していた。マティルダと違いシャーロットはキャサリンに対していつも優しかったし、その控えめで地味な立ち振る舞いは、マティルダとは違う美しさを醸し出し人々を魅了していたからだ。だからマティルダとは違い、シャーロットがアーンショー家の祭事まつりごとに口を出すようになっても、それはシャーロットのもつ誠実な性格が、長女としての責任感を態度や行動で示しているのだと信じていた。

「はい、シャーロット様」

 しかしこの時、ネリーはシャーロットの言葉に言い表すことの出来ない不安を感じていた。それは今回のお披露目に対する嫌な予感と同種のものなのか、ネリー自身にもよく分からなかった。


「姉様はご機嫌ですこと。姉様の思惑(おもわく)通りヒースクリフはキャサリンを諦あきらめ、大事な妹キャサリンは傷心の思いで黒の国の王子の許へと嫁いでゆくのですからね」

 マティルダは他のテラスに居る賓客にまで聞こえる様な大きな声で続けた。

「どうせ姉様のことですから、ヒースクリフが放浪修行から戻ったら王の騎士ロイヤルナイトの称号でも与えて、ヒースクリフを王立騎士団に入団させ、ご自分の夫にでもしてしまうおつもりなんでしょ」

 マティルダの声はその美貌にたがわずとても美しく透き通る声ではあったが、彼女の言葉はいつも辛辣で容赦がなかった。

「あら、面白いこと言うわね。でもヒースクリフを王立騎士団に入団させるには、ヒースクリフの父君であるヴィーラント様の許可を頂かないといけないのよ。そんな恐ろしいこと私には出来ないわ」

 シャーロットのその不敵に笑う姿に、マティルダは苦虫を嚙み潰し、ネリーは自らの不安を深めていったのだった。


 ヒースクリフのお披露目の相手がヴィーラントであると告げられると、コロッセウムの観衆は一気に歓声を上げた。ヒースクリフの人気は前述した通りだが、白の国を代表する英雄の一人ヴィーラントの人気はそれを遥かに凌駕していた。鍛冶師として、また工房騎士団の騎士として、生きた伝説の英雄だったのだ。そんな二人の公式の立ち合いを、お披露目の舞台で観れるなどとは、それは最初で最後の機会ではないかと誰しもが思ったのだった。

 そして華やかにして荘厳な音楽に合わせてヒースクリフが登場した。

 今年で十二歳になるヒースクリフの見た目は中肉中背の決して大柄ではない普通の少年だった。キャサリンの背格好がヒースクリフより更に小さく幼かったため、二人が一緒に居る時はヒースクリフがとても大きく見えたが、長身のケンブロックと一緒に居る時は逆に純真で無垢な幼さが際立つぐらいだった。

 しかし見た目とは裏腹に、実際のヒースクリフは幼い頃から鍛冶師としてヴィーラントに厳しく育てられ、また剣の腕も王立騎士団三人衆により英才教育を受け、その肉体は鋼の様に強くまた刀剣の様にしなやかに鍛え上げられている。残念なことにその美しい肉体は丹精して造られた防具に隠され観衆に晒されることはなかったが。

「まあ何でしょう? あの棒切れの様なものは」

 シャーロットの言葉は、その場にいた観衆全ての人が同じ様に思ったことだった。


「あの棒切れ見たいなものは、おそらく(さや)だな」

 そう言ったのはトリスタンだった。大酒を飲みながらも、その顔には少しも酔いは見られず、むしろその瞳は戦場に居る様に険しく凝こらされていた。

「あんな細くて短い棒切れが、(さや)だと」

 トリスタンの言葉を疑う様にランスロットは単眼鏡を取り出した。コロッセウムの競技フィールドには如何いかなる魔力も干渉することはできないため、光学望遠鏡を使い物理的に直接観察をするしかなかったのだ。

 確かにその棒切れはちょうどヒースクリフの腕の長さと同じぐらいである。ヒースクリフの身長を考えれば、もし本当にそれが(さや)であるなら相当に短い剣となる。

「あの長さからすると短剣だろうが、しかし細すぎるな。まるでレイピアの(さや)の様だ」

 ガウェインが冷静に低い声で答えた。

「しかしレイピアにしては短すぎる。恐らくはレイピアを小型化した接近戦用の小剣スモールソードなんだろ。ヒースクリフの闘い方にも相性が良いだろうからな」

「お三方は、好き放題に言っていますね」

 そこへ黒のローブに身を包んだ老人が現れた。黒のローブは黒の国の正装である。そしてローブに施された金の刺繍の種類によってその地位が表される。老人のローブの金刺繍はシンプルな柄でありながらとても手が込んでおり誰が見てもそれが王族か王族の関係者であると分かるようなものだった。しかし不思議なのはその人物から発せられた声である。見た目は老人なのに、まるで少年の様に若々しい声であったからだ。

「マーリン、またお忍びか。お忍びだったらそのローブは止めろと何度も言っているだろ」

 ランスロットの(いさ)める言葉に老人はニヤリと笑うと頭に被せていたローブのフードを深く引き下ろし顔を隠した。そしてフードを再び引き上げると驚いたことにそこには悪戯な顔を浮かべて笑う少年がいたのだ。しかし実際には見た目が少年というだけで、彼の本当の年齢を知る者は誰一人として居なかった。

「マーリン殿は、あの鞘とそこに納められている剣の正体をご存知なのですか?」

 ガウェインの問いかけに、マーリンは悪戯っぽく笑って言った。

「それを言ってしまったら、今から始まる大事な舞台が台無しになってしまうでしょう。ほら、ヴィーラント殿の登場ですよ」

 マーリンはそう言うと、競技場の扉の一つを予言するように指さした。そしてその直後、扉は開かれ大剣を持つ大男が現れた。ヒースクリフの育ての父であり師匠である鍛冶師ヴィーラントである。そしてヴィーラントの携えている大剣を見て誰しもが納得したのである。あの様な巨大な大剣を扱あつかえるのは生きた伝説の英雄ヴィーラントだけであると。

「なるほど、これは見事な大剣だ」

 その大剣の美しさにガウェインが思わず溜息の言葉を漏らした。いや、ガウェインだけではない、コロッセウムの観衆全員が溜息をついたのだ。


 鳴り止まない歓声の中、ヴィーラントとヒースクリフは競技場の真ん中に進み出で対峙した。

 そして、しばらく沈黙の時間が流れた後、二人は揃って来賓席のアーンショー家のテラスに向き直った。そこで深々とお辞儀をすると、コロッセウム全体が割れんばかりの大歓声に包まれた。


 お披露目が始まるのだ。



 第四話「宴の丘・中編」・了

これは2017年11月17日に「魔瑠琥の童話集」にて公開されたものを転載したものです。

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