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第一話 始まりの丘

 世界の片隅に、山と湖、そして美しい森と平原に囲まれた、小さな国が二つありました。白の国と黒の国です。

 白の国は、その昔、神に仕える天使が人と交わり、その子孫によって造られた国です。一方、黒の国は、悪魔に仕えていた天使が人と交わり、その子孫によって造られた国です。

 不思議なことに、白の国と黒の国は、建国以来一度も争いをしたことがありません。何故なら一度争いが起きれば、どちらかの国が確実に滅んでしまうことをお互いに知っていたからです。ですから白の国も、そして黒の国も、万が一でも自分の国が滅んでしまう様な危険を冒してまで、争いを起こすことを望んではいませんでした。

 そこで、白の国と黒の国には、何百年にもわたってある盟約が交わされていました。それは王子の結婚相手、あるいは王女の結婚相手をお互いの国から迎え入れるという内容です。そして、その結婚相手は互いの王族から選ばれるというのが慣わしとなっていました。

 その盟約のお陰で、白の国の民と黒の国の民は、国境らしい国境も意識せず、言葉や文化の違いも感じず、まるで最初から一つの国だったかのように分け隔てなく平穏に暮らしていました。

 ただし、二つの国の民には明確な違いもあります。それは白の国の民は神の加護に守られ、特に白の国の王族は神の加護を代々託された一族であるということ。一方、黒の国の民は魔法を使うことができ、特に黒の国の王族は強大な魔力と膨大な魔術の知識を代々受け継いできたということです。


 そんな白の国と黒の国の間には、とても美しく険しい丘が連なっていました。そんな丘の一つに、白の国の王族の城が一つあります。三人姉妹の王女のうちの末の妹が住む小さな城です。王女の名前はキャサリンと言いました。

 キャサリンは十二歳でしたが、お世辞にも美しいという娘ではありませんでした。しかし、三姉妹の中で誰よりも素直で明るく心優しい性格でした。ですから、キャサリンの笑顔に誰もが癒されていたのです。そんなキャサリンには幼馴染がいました。鍛冶屋の息子のヒースクリフです。

 ヒースクリフの父は国一番の鍛冶屋で、祖父も、曾祖父も、国を代表する鍛冶屋でした。ヒースクリフは、そんな伝統ある鍛冶屋の一人息子として父親から厳しく育てられていました。優秀な鍛冶屋になるには、鍛冶師としての技術だけではなく強い精神が必要だったからです。

 そんなヒースクリフの鍛冶屋の工房も、白の国と黒の国の間にある、この丘にありました。ヒースクリフの父親が鍛えた剣は黒の国の人々からも愛されていたのです。そして何より剣を鍛えるには黒の国から採れる鋼材も必要でしたから、この丘に工房を構えることは好都合だったのです。

 そんな工房で厳しい修行を続けるヒースクリフにとって、心の拠り所となっていたのが、幼馴染のキャサリンとの密会でした。ヒースクリフもキャサリンも密会などという言葉を使いたいとは決して思っていませんでしたが、幼い頃の様に自分達の時間が自由にならない二人は、月明かりの無い新月の晩に、闇夜に紛れては逢瀬を重ねていたのです。そんな二人を黙って見守っているのは満天の星空だけでした。


 白の国では、十三歳を迎えると大人の仲間入りです。男の子は大人の男として職業を自由に選ぶ権利が与えられ、女の子は大人の女として好きな男性のお嫁さんになる権利が与えられていました。ただ変わっていたのは男の子にはお嫁さんを選ぶ権利が無く、女の子には職業を選ぶ権利が無いということでした。しかし、それにはちゃんとした理由、白の国の民が背負う特別な業ごうが関係していたのです。それはある意味では呪いの様なものだったのかもしれません。


「次の新月が、こうして逢える最後になるかも……」

 キャサリンの言葉にヒースクリフは何も答えず、いえ、何も応えることが出来ず、ただ降り注ぐように光り輝く星空を眺めていました。

「姉様たちは私と違って頭もよく賢くて美人だから、この国には必要なの。だから……私が行くしかないのよ」

「国を治めるのに、美人とか関係ないだろ」

 ヒースクリフは子供の様に拗ねた言い方をしました。

「あるわよ。例えば女王様は国の象徴よ、美しくなくては務まらないわ」

「べつにお前の姉さん達が女王になる訳じゃないだろ。それに美しさってものは内面から溢れ出すものだ。剣の美しさも人間の美しさと同じだって親父はいつも言っている。俺もそう思う。だから俺は、お前が好きだ」

 キャサリンはヒースクリフの飾らず率直な物言いが好きでした。でも、その一言は恥ずかし過ぎます。キャサリンは顔を地面に向けました。赤らめた顔をヒースクリフに見られたくなかったからです。

そんなキャサリンの顔を、ヒースクリフは優しく手で起こしました。

「だからさ、次の新月の晩、二人で逃げ出そう。この世界は白と黒の国だけじゃない。俺たちが二人で幸せに暮らせる場所が何処どこかにきっとあるはずだ」

 キャサリンは赤く染まった自分の頬に涙が伝わるのを感じました。それはキャサリンの涙ではありません。ヒースクリフの涙でした。その涙の理由をキャサリンは痛いほど判っていましたので、自分も一緒に泣いては駄目だと自分自身に言い聞かせました。

「でも、そんなことをしたら……貴方のお父様が悲しむわ。ヒースクリフ、貴方はお父様の宝、希望なのよ」

 ヒースクリフを見上げるキャサリンの瞳にも、大粒の涙が溜まっていました。

「キャサリン、神様への信仰で一番大切なのは何だい?」

「それは……愛よ。例えば……優しさだって愛が無ければ、ただの自己満足になってしまうわ」

「俺は、鋼を鍛えるのにも一番大切なのは愛だと思っている。つまりこの世界で一番大切なものは愛なんだよ。愛が無ければどんなに着飾り正義を翳かざしても、それはまやかし物になってしまう」

「ヒースクリフ……」

「まやかしの平和や幸せのために、キャサリン、お前が犠牲になる必要はない」

 ヒースクリフに強く抱きしめられたキャサリンは、彼の胸に顔を埋め……ただ声を押し殺し泣くことしかできませんでした。ヒースクリフの想いにも、自分自身の想いにも、何ものにも自分を偽らずに応えることが出来ない……そんな自分に絶望を感じていたのです。

「キャサリン、俺を信じろ。俺たちの愛を信じろ。俺たちの愛は必ず神の加護を受け、そして神に祝福される。何故なら俺たちの愛は嘘偽りのない本物だからだ」

 ヒースクリフはそう言うと、キャサリンに口づけをしました。それは今まで交わしてきた口づけとは違ってました。ヒースクリフの舌がキャサリンの心を優しくノックするように唇から挿し込まれたのです。キャサリンは閉じていた自分の心の鍵をそっと開くように唇を開きヒースクリフの舌を受け入れました。ヒースクリフはキャサリンを強く抱きしめ直すと、そのままキャサリンの心を激しく弄まさぐる様にキャサリンの舌に自分の舌を絡ませます。

 ヒースクリフの熱い想いに我を忘れそうになったキャサリンが、なんとか言葉を絞り出しました。

「だめよ、ヒースクリフ。私達はまだ神の前で一生を添え遂げると誓ってはいないのよ。私達はまだ……」

 キャサリンはその後に続く言葉を発するのを恐れました。それを口にしても、それは決して叶えることの出来ない夢に過ぎないのだと、諦めなくてはいけない自分の我儘わがままなのだと、ずっと言い聞かせてきたからだです。

「だったら、ここで今……誓いを立てよう。俺たちの愛と信仰が本物なら、神様はどこにいても俺たちの誓いを見届けてくれる」

(そら)を見上げれば無数の星の光りで夜空は神々しく輝いていましたが、丘には荒々しい風が吹いていました。それは神様の造られた箱庭で人間が愚かに生きては死んでゆく様さまをキャサリンに連想させます。それでもキャサリンはヒースクリフの瞳から眼を逸らさずに言いました。

「わかった。今、ここで誓うわ。私の愛に嘘偽りはない。私は貴方を、貴方だけを一生愛し続ける」

(この体がどれほど汚されようとも、この心が絶望の焔に何度焼かれようとも、私の魂は貴方だけのもの。それで私は救われる)

 キャサリンの言葉にヒースクリフは片膝を大地につけ身をかがめ、キャサリンを見上げる様に答えました。

「俺もお前だけを愛している。これからずっと、俺の一生を懸けてお前を愛する。だから何時(いつ)までも、何処(どこ)までも、俺についてきてくれ」

 キャサリンはクスッと笑いました。跪ひざまずいて愛の宣誓をしているのに「俺」だなんて。礼儀を知っているのか知らないのか……本当に不器用で真っ直ぐで、愛しい人。

「わかったわ。何時(いつ)でも、何時(いつ)までも、何処(どこ)までも。……約束する」

 キャサリンは目の前で跪ひざまずくヒースクリフの頭を両手で優しく抱きしめました。


 そしてその夜、二人は初めて体を重ね、愛の契りを交わしたのです。

 二人の幼い体と心を、星空が美しく、そして優しく照らしていました。


 朝陽が夜空を橙色に染め始めた頃、二人は次の新月にこの丘で待ち合わせをしそのまま国を出る約束をして別れます。


 これが、この丘に刻まれる新しい物語の始まりでした。



第一話「始まりの丘」・了

これは2017年10月27日に「魔瑠琥の童話集」にて公開されたものを転載したものです。

※2017年11月27日 物語の整合性を取るため台詞の一部を修正しました。

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