上
「サミ」
「なんですか?」
一週間ぶりの召還。ここは、フレデリクの部屋。
精霊の長達はふわふわと空中漂っている。
ローランは杖を横に置き、臨時に敷かれたジュータンの上に座っている。
フレデリクは壁に寄りかかり、ローランの近くに座っている。
ファビオは、端に寄せられた椅子に逆さまに座り、腕と顎を背もたれに乗せている。
沙美は、いつものように大量のクッションの中で、お気に入りのクッションを一つ抱きしめ座っていた。その視線は、声をかけてきたオトンヌの方に向いている。
「ナディーヌの話は、聞かなくてもいいのかの?」
「う…………い、今、修行中……で……」
沙美としては、その話をものすっごく、ものすごーーーく聞きたい所なのだが、未だナディーヌの事を思ったり、日記を読み返したりすると、固定客として涙が湧いてくる。とてもじゃないが聞けない。だけど、『次は、お主じゃな』と言われてしまった。『楽しみじゃのぉ』という追加のとどめまで言われてしまった。 とりあえず、泣かない訓練は必須だ。毎日必死になって日記を読んでいる。まだ涙は止まらない。
「泣いているのか」
フレデリクが、やれやれとばかりに言う。
「う"……」
「我慢するこたぁねぇんじゃねぇの?そのうち、なんとかなるだろ?」
「……でも……」
沙美は、未だオトンヌを見ている。その顔に浮かんでいるのは、楽しげだけじゃない。鈍い自分でも分かるような何かを含む笑み。
「が、頑張ります…」
「そうかぁ……んじゃ、記憶操作だな。最後だけ忘れる。楽しかった事だけ考えろ」
「忘れるの?」
「あぁ。忘れるってよりは、頭ん中に登らせねぇって事だ。忘れられる訳ねぇだろ?」
沙美は、こくこく頷く。
「楽しい事だけ…考える………」
沙美は、楽しい事を思い出してみる。王様とナディーヌの事。あの二人の会話は、面白かった。
「あーーーーーーお、お嬢ちゃん、訓練頑張れ!」
沙美の目にうっすらと涙が浮かんできていた。
エテが慌てて沙美の傍に降り、ぎゅっと抱きしめる。
ローランはオロオロして、フレデリクは仕方が無いとばかりに、沙美にハンカチを渡した。
「まるで、ナディーヌみたいじゃのぉ」
沙美は、オトンヌを不思議そうに見上げる。
「別れたばかりの頃は、今の沙美みたいにラウのような目をしていたものじゃ」
「ラウ?……えっと、それは何でしょう?」
「目が赤い、小さな動物じゃよ」
「ナディーヌも?一度も泣かなかったって……」
「わらわ達の前では、一度も泣かなかったという意味じゃ。
赤い目が治るまでは、随分とかかったのぉ」
沙美は、少し安堵する。とりあえず人前で泣かなくなるよう頑張ればいいと、そう思った瞬間、さっきの体たらくを思い出す。訓練が必須。要必須。早く話を聞く為にも頑張ろうと再決意した。
「随分と先になりそうじゃ」
「う"……頑張って特訓続けます」
今現在、日記を一行読むだけで涙が浮かぶ状態。変な条件反射をつけたかもしれないと、沙美は少し情けない表情を浮かべた。
「諦めて、泣きながら聞くんだな。それもいいだろ」
沙美の心の中を読んだように、フレデリクが言い。その横でファビオが、「そうだよなぁ。俺も、早く聞きてぇもん」と笑いながら言う。もっとその横では、ローランが、泣かれては困るとばかりにオロオロ継続中。
「うーん、もう少し待って。うん、もう少ししたら、もっと頑張れる……はずだから」
聞きたいのは自分だけじゃなかったと、ファビオの言葉でようやく気づいた沙美は、拳を握って大丈夫だと主張。
「うん。大丈夫だから」
泣いてはいられない。
「それで今日は、エテさんとディックさんがお話してくれるんだよね?」
満面の笑みで言う。
涙は、もう無い。
「偉そうなローランの話と、ラグエル卿の訓練話だな」
「それと、お前の話だろう?」
エテが、しっかり付け加える。フレデリクは、それを嫌そうに見返す。
「お前が話すと、つまらん話になりそうだ。私が話そう。付け加えたい事があったら、お前が付け加えろ」
フレデリクは、もっと嫌そうな表情になる。
「安心しろ。変な事は言わん」
「俺の基準じゃない……分かった、俺が適時付け加える。
それから…ファビ、お前少しでも笑ったら、お前の話をしてもらうぞ」
「っ!なんでだよ!お前なんか、すっげぇ笑ったじゃねぇかっ!」
「あれは、俺が知っている話だ。お前にも子供の頃があったよな?公平さは必要だ」
ファビオは、胡散臭い笑みを浮かべているフレデリクを睨みつける。こういう時だけ軽々しく笑むなと、心の中でだけ突っ込む。言葉にはしない。したら、少ない言葉で倍以上の衝撃のある台詞が返ってくる。負け戦決定済み。
「ちっ……好きにしろよ」
完璧な敗者の逃げ台詞である。
精霊の長達は、それぞれ楽しげに笑う。いつも通りの展開に慣れきったローランは、勝てる訳がないのに無駄に足掻くなと呆れ顔。沙美は、それを楽しげに眺めている。
「じゃぁ、話すぞ。
こいつらが、十歳ぐらいの頃の話だ」
エテが楽しそうに、ゆっくりと、ローラン、フレデリク、そして最後にファビオを見る。
「黒髪のほそっこい子供は、裁縫が大好きで、弟が大好きで、弟の才能を見ているのが大好きだったんだ。
だから、いつか、弟には色々な服を見る旅に出てもらって、自分は弟の描いた服を作っていこうと決心していた。そんな未来を考えるだけで、嬉しそうな笑顔を浮かべる。可愛らしい子供だった」
エテの言葉が示しているローランは、困ったように全員から視線を外し、一つため息をついた。
「ローラン、まさか、その服って自作?」
「いえ、こういう大掛かりなものを作る時間はありません。これは、母が送ってきたものです」
「すっごい綺麗だよねー」
最初に見た時と同じような服だが、最初と同じぐらい、いやそれ以上に細かな刺繍が目立たない所にまで施されている。かといって、派手ではない。生地と同じような色で刺繍されている為、近づいて見ると感動するというものだった。
「作る時間が無いって事は、時間さえあればローランも作れるって事だよね?もう縫い物はしないの?」
「していますよ」
ローランがポケットから取り出したのは、男性のものとは思えない豪奢なハンカチーフ。細かいレースの縁取り、一面の小花。一箇所にだけ、大ぶりの青い花。
「……すっごいねー。でも、これも時間かかるんじゃないの?」
「いいえ。この程度なら、休憩時間ですぐに出来てしまいますから」
「それは、休憩にならないんじゃぁ…」
ローランは小さく笑って、そのハンカチーフを沙美に手渡した。
「どうぞ。サミさんにと作ったものです。
ただ、適当に作ったものですから、あまりいいデザインではなくて、すみません」
沙美は、声も出ずに首をぶんぶん横に振った。適当?自分だったら、真剣に、それも年単位の時間を使わなければ作れない。いいデザインじゃないって、それが、どうしてこんなに綺麗で華麗になるのか不明。
「弟がデザインしたら、もっと違うものになると思います」
どんな弟さんだ?と沙美は思う。これで、既に芸術品。弟さんが作ったら、何になる?それこそ王様が使うような、信じられないものが出来るのだろうか?と、真剣に考えてしまった。
「あ、ありがとう。すっごく嬉しいけど…こんなに綺麗なもの、使えないヨ。机の前に飾っておくね」
「そんな事言わずに、どうぞ使ってください。それは、そういうものですから」
優しい笑みで言われたら、否とは答えられない。沙美は、困ったような顔をしながら小さく頷いた。
「次、いくよ。
金髪のがっしりした子供は、小さい頃から毎日鍛冶の仕事を父親から教わり手伝っていた。黒髪の子供が将来を疑っていないように、金髪の子供も、将来は鍛冶屋になる事を疑っていなかったんだ」
エテは、物凄く楽しそうに笑った。
「そうだ、金髪の子供は、今とは違い表情豊かな元気な子供だったな」
「はぁ?」
声を上げたのはファビオ。瞬時にフレデリクをガン見したのは、沙美。
「本当だぞ。そうだな、酔っ払っている時が一番近いか?」
「あれって、芝居じゃなかったんじゃねぇのかよ。素か?」
「あれと言われても、俺は覚えてないから知らん」
「本当に覚えてねぇのかぁ?」
「本当だ」
未だ、ファビオは、疑わしそうにフレデリクを見ている。
「なぁローラン、マジ?」
「そうだ。
ラグエル卿が、今のディックにしたと思っていたのだが……違うのか?」
フレデリクはうんざりしたように、エテを見上げる。エテは楽しげに笑っている。フレデリクの視線など、軽くスルーしていた。
「最後におまけな。
赤毛の子供は物心つく前から生真面目で、父親から与えられる非常識レベルの訓練を、泣きもせずに、もくもくとこなしていた。この子供も、将来を早くから決めていた。父親のような強い騎士になろうとな」
「今もそうだぜ」
苦笑を浮かべたファビオが、さらりと言う。
ローランとフレデリクは、その内容に突っ込みたい気持ちはあったが、暗黙の了解が出来ていた二人にとって、彼の過去となる話に一切口を開かず、微苦笑を浮かべていた。
「お父さんって、どんなお父さん?」
沙美は、性格よりも非常識レベルの訓練にひっかかった。具体的な事を聞くつもりは沙美もなかったので、とりあえず当たり障りの無い質問を考えて尋ねてみた。
「あれねぇ………一言で豪快?それに非常識を大量に付け加えて、戦いの世界が大好きをふりかけたら、あぁなるんじゃねぇの?」
「……なんか、凄そうなお父さんだねぇ……一回お会いしてみたいな」
「お嬢ちゃん、会うのは構わねぇ……だがな、あれに会うんなら棒を持っていったら最後だ」
もの凄い勢いで、棒はダメだと繰り返す。
「な、なんでかな~?」
「想像を絶する訓練をさせられるに決まってる!」
沙美は呆然としながら、心の中で決まってるんだと呟く。
「あいつは、女子供関係ねぇからな!平等精神だとか、訳分からねぇ事ほざきやがって、死にそうな目にあわせられるぞ」
「そ……そーなんだ」
「おうよ!
だからな。あいつに会おうと思ったら、まずは手袋だ」
「は?」
「お嬢ちゃん、最近棒を持つ所が硬くなってきただろ?あいつは、間違いなく見分ける。とにかく手袋だ!」
「う、うん…」
沙美が、呆然状態から脱する間もなく、ファビオはとんでもない父親の事を語りだす。主に、危険回避の為の助言。
「ファビ」
「あ~?」
「俺達が会ったら、お前と同じように訓練をしてくれるという事か?」
今まで暗黙の了解の為に黙っていたが、訓練という言葉で黙っていられないとばかりにローランが手をあげて聞く。その横でフレデリクもじぃっとファビオを見ている。
「…………お前らなら………まぁ、生きて帰ってこれる……だろう、な……」
珍しくファビオは、茶化さない。真剣に二人を値踏みして、ぼそぼそと答えを言う。
「なら、いつか連れて行け。楽しみしてる」
あまり詳しくつっこむと、普段見ないようなファビオが出てきそうだったので、適当な言葉でフレデリクが会話を終わらせた。
「話していいか?」
「はい、お願いします」
エテの言葉に、沙美はコクコク頷いて、話を元へ戻した。
「ある時、村に二人の術士がやってきたんだ。それは、数年に一度ある事で、術士の才能を持つ子供がいないか調査しに来た者達でな。
術士のチェックを受けてない二人は、この時初めてその術を受けた。
結局、ローランは最高位の光を生み出し、術士学校へ行かなくてはいけなくなったんだ」
ローランが学校へ行って一年後。ようやく与えられた休みに、家に帰る事になった。
だが、そこに現れたのは、今までとは違うローランだった。
一切人と話さない。
目を合わさない。
話しかけても振り返らない。
ローランは、たった半日で孤立した。ただ一人、隣に住んでいたフレデリクを除いて。
「ローラン!」
怒鳴るような呼び声に、足も止めずローランはフレデリクから通り過ぎようとした。だが、唐突に眩暈に襲われた。目の前に火花が散る。
「俺は、お前を呼んだんだぞ!」
同年代の子供達の中で一番力の強いフレデリクの拳固が、ローランの頭に炸裂していた。
涙目のローランは、頭をおさえながらも必死になってフレデリクを睨み返した。
「ローラン!」
「ぼ、僕に構うな!術……無しっ!」
甲高い子供の声が、叫んでいた。
「何だ?その術無しって。もしかして、術が使えないって事か?」
「そうだ!術無しのっ………」
フレデリクは、表情を一切変えず、ローランの頭をもう一度殴っていた。
「お前、馬鹿になったな」
冷静な瞳が、真っ直ぐにローランを射抜く。
「術士学校って、馬鹿を育てる所だったのか」
「っ!」
「前のお前だったら、そんな事絶対に言わないぞ」
「う、煩い!煩い!煩っ……」
三度目の拳骨が、ローランの頭に炸裂した。
ローランは、ぶっ倒れた。
「気づいたか?」
あの後、フレデリクは、自分達より背の高い草がぼうぼうと生えている所まで、ローランを背負って運んだ。
「お前、自分が思ってもない事を言って楽しいか?」
ローランの体が小さく揺れる。目が見開かれる。
「あのなぁ。生まれた時からの付き合いなんだ、分からない訳ないだろ!」
見開かれた瞳から、ぼろぼろと涙が零れた。
フレデリクが、子供らしくないため息をつく。
「何があったか、言ってみろ」
ローランは、泣きながらこくこくと頷いた。
「最初は……僕の術の力が、一番強いって事で、やっかまれた……」
村へ来た術士が判別の術を紡いだ時、まるで部屋の中に太陽が現れたかのように眩しい光に満ちた。それを見た術士達は興奮し、それがそのまま学校の先生にまで伝播した。授業でも、才能があるからと事あるごとに賞賛された。
しかし勉強でのそれは、才能ではなく元来努力家のローランの資質だった。授業を真面目に受け、予習復習を欠かさない。それは、両親から服を作る事を教えてもらった時の姿勢。だからこそ、瞬く間に才能と同じように、トップレベルにあがっていっただけだった。
「でも…その気持ちは…分かるから……僕も、弟に対して…思わなかった訳じゃないから……デザインする才能が欲しかった時があったから……だから…だから、気にしなかった、んだ………でも……」
再び涙が、ぽろぽろと零れていく。
「先生が言うんだ……僕達は選ばれた者だからって、稀なる才能だって、だから偉いんだって……だったら、だったらっ!それまで、僕が尊敬していた、術の才の無いお父さんは?お母さんは?デザインの才能を持っている弟は?皆を助ける為に努力してきた、僕の時間は?……服も作れないような奴等が、術無しは存在価値が無いって言うんだっ!」
「お前、仲間はずれにされたのか?」
ローランが、コクリと頷く。
「仲間外れにされたのは、いいんだ……だけど…だけど、僕…弱いから……皆と同じように言えって、同じような態度をとれって……毎日、毎日、脅された……殴られた……一人は…もう、諦めていた……でも、痛いのは、嫌だったっ……その殴る子の家……この村から近いから…………っ」
ローランの涙が止まらない。フレデリクは、じっとそれを見つめた後、一つ頷いた。
「分かった。お前、一週間後に帰るんだよな?俺も、途中まで一緒に行く」
ローランの目が瞬く。
「途中に、騎士で有名なドワがあるだろ?あそこの領主んとこに、騎士見習いとして入る事にした」
「だ、だめだよ!!」
「何で?」
「だって、だって、ディックは、叔父さんの跡を継ぐんでしょ?」
「そんなの、騎士を止めた後でも出来るし、騎士をやっている最中だって出来る!」
「どうして?どうして、騎士になるなんて…」
「あそこへ行けば、戦い方を教えてもらえる。俺は、力が強いからな。色々教えてもらえると思う。そうしたら、お前にも教えられるだろ?そんな、馬鹿な奴等に負けないようにしてやる!」
驚いて涙が止まっていたローランの目に、再び涙が盛り上がってくる。首を横に振った瞬間に涙がまた零れた。
「それに、ドワなら、この村よりエールにずっと近い。休みの日は、そっちまで行くから。そうすれば、寂しくないよな?ついでに、馬鹿を殴る!」
「ディック!ディック!洒落にならないよ。ディックは、この村一番に強いじゃないか!」
小さい頃から、鍛冶仕事をさせられていたフレデリクは、元々の体の資質もあったのだろうが、気がつくと村一番の強い子供になっていた。あまり怒る事も、喧嘩をする事も無かった子供だったが、何か納得いかない事があると、とことん追求する。そして、それが原因で殴り合いの喧嘩に発展し、結局それまで一番強かった子供、フレデリクより5歳も上の子供に勝ってしまった経歴の持ち主だった。
「大丈夫。手加減する」
ローランは、酷く疑わしげにディックを見つめた。
「ディック……約束だよ」
「分かった。
まずは、お前ん家へ行こう。お前、ちゃんと叔母さんや、叔父さん、モーリスに謝れよ」
「うん!」
このお話は、上中下の3話になります。