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「っ……これは、どういうつもりだっ!!」
フレデリクの重低音の怒鳴り声に沙美は、驚いて彼の方を見た。
「すまないのぉ。お主らには、少し大人しくしていて欲しいのじゃ。わらわ達とサミとの大切な話があるのでの」
「話だけなら、動けなくする必要はないだろっ!」
三人共、下半身が一切動かない。間違いなく術をかけられていた。
術の流れに一切気づかなかったローランは、術士長として激しく落ち込み。ファビオは動かない事を確認した後、自分の首に腕を回しているエテを見上げ苦笑。フレデリクは、ここまで気づかなかった己の迂闊さに腹を立て、そして不審を露にした表情でオトンヌを睨んでいた。
「あの……」
「なんじゃサミ」
「あたしとしたいお話ってのを聞かせてもらえますか?そうしたら、おっさん達を動けるようにしてくれるんですよね?」
「そうじゃな……サミ?」
「はい」
「お主は、不安ではないのか?」
「あたしは、ナディーヌの日記を読んでいますから。日記の中に長さん達が出てくる確率は、家族が出てくる確率と同じぐらい高いんですヨ。ナディーヌは、長さん達が大好きだったんです。それに、ものすっごく信頼してたんです。だから、あたしは不安になる必要は無いんです。
おっさん達と長さん達と、どっちが信頼出来るかって聞かれたら、絶対おっさん達なんですけど……ナディーヌは、別格ですから」
沙美は、にっこり笑って答える。
「わらわ達も、ナディーヌは別格だったのじゃよ。魔法を持たぬ初めての友。そして、わらわ達を一切頼ってくれなぬ友。じゃが、わらわ達が子供好きな事を知って、子育てには呼んでくれた友。数え上げたら、ききりが無いくらい沢山の思い出があるのじゃ」
沙美は、嬉しそうに頷く。
「のぉ、沙美。今日3つの話を既に聞いたじゃろ?サミは、ナディーヌの事をどう感じたのじゃ?」
沙美は少し瞬いた後、「カッコイイ」と一言。
「カッコイイ?」
「はい。日記を読む前なら、優しい人だと答えていたと思う。日記を読んだ後は、面白い人でもあるんだなって。でも、長さん達の語るナディーヌは、すっごくカッコよかった!」
未だ少し赤い目をした沙美だったが、頬を上気させ力説する。
「そうか……では、わらわからのプレゼントじゃ」
不思議な言葉。沙美が聞いた事もないような、奏でるような言葉と共に金色の光が沙美の顔の周りに、特に目の周辺で散っていく。沙美の目から、赤みが消えた。
「よろしくな」
オトンヌは、そう寂しそうに言った後、再び詠うように奏でるように、音を言葉を、沙美全体に降らせていく。
それを見ていたローランは、目を見開き腰を浮かべかけるが、下半身は一切動かない。プランタンが、ローランの頭をぺちぺちと叩いて、「邪魔しちゃだめだよー」と言う。
ファビオは、長達を全面的に信用している訳では無かったが、沙美に悪い事だけは、決してしないと感じていたので、ただただ、光の中に沈む沙美を見ている。
「少しは、信用して下さい」と、イヴェールがなんとかして動こうとするフレデリクをなだめる。その声に向かってフレデリクは睨みつけるが、体の力は抜いた。「本当に貴方は、サミさんの騎士ですね」と微笑みながら言うイヴェールに、フンとばかりにそっぽを向く。
そして、光が消えた後、沙美の姿もそこには無かった。
「オトンヌさん??」
沙美の目の前にオトンヌ。だが、部屋の様相は、ガラリと変わっていた。沙美は、きょろきょろと周囲を見渡す。そして、部屋の窓際にあるベッドに視線が止まった。その上で山積みのクッションを背にして、まっすぐ自分を見つめている人をまじまじと見つめ返す。
白くなった髪を三つ編みにして片側に垂らしている。出会った時は淡い金髪だった。
未だ美しさを湛える年老いた顔。瞳の色は変わらない。空色の瞳。
「な、ナディーヌ?」
その人が、にっこりと笑う。全然変わってない。
沙美は、ナディーヌの横たわっているベッドに駆け寄った。
「サミ、お久しぶり」
記憶と代わらない笑顔。だが、それは病弱だった頃の笑顔のはず。
「ナディーヌ…調子悪いの?」
「普通ですわ。ただ、そうね…もうすぐ、空気に溶ける準備を体がしているの」
その普通の口調で告げられた言葉に、沙美はビクリと体を揺らす。だが、涙は出てこない。こみ上げてくるものが無い。そこで、オトンヌが最初に放った術が、どういうものかを知る。
「そっかー……」
沙美は、掌を握りこむ。
「ねぇ、ナディーヌ。あたしね、長さん達から、いっぱいナディーヌの話を聞いたヨ。もう、ナディーヌったら、日記に自分の事を全然書いてくれないんだもん」
涙が出ないのに安心して、文句を言う。
「だって、サミが心配してしまいますでしょう?それに、私、こんなに元気に一生を過ごせましたわ。伝わらなかったかしら?」
「ううん…ううん、すっごく楽しそうだった。それにね、長さん達が話すナディーヌは、すっごくカッコよかった!」
ナディーヌの目が瞬く。
「すっごくすっごくナディーヌって、カッコいい!
あたし、少しでも近づけるよう頑張るからね!
本当なら、好きな人が出来たんだヨ!とか、結婚したんだヨ!とか、棒術上達したんだよ、見てね!とか……言いたかった…けど、あたし、あれから、一ヶ月も経ってないんだヨ……う~~全然間に合ってない……」
ナディーヌは、ころころと小さく笑う。
「サミ、好きな人や結婚は、頑張るものでは無いでしょう?気が付いたら自然と貴方の横に誰かがいますわ」
確かにそうだろうと、沙美はコクコクと頷く。だけど、ナディーヌと違って一般市民な自分は、少しは頑張らないとだめかもとか心の片隅で思っていたりする。
「…棒術だけは残念です…わね…………」
その、先ほどまでとは違う、少しトーンの下がった声に、何か無いかと周囲を見渡すが、棒のようなものはこの部屋に無い。それに、今の自分では、とても人に見せられるレベルに無い。こういう時、困った時の神頼みで神様がポーンと棒を投げてくれればいいのにと思った時に閃いた。
「あの…この世界って魂の扱いは、どうなっているのかな?」
「タマシイ?……それは何ですの?」
「ん~と……簡単に言うと心の事かな。
あたしの世界では命が尽きた時、体から魂だけが抜けて、またそれが新しい命になって生まれ変わるっていうお話があるんだ。
だからね、ナディーヌも魂だけになったら、頑張ってあたしと会える所に、生まれ変わってくれると嬉しいな」
正確には、お話では無い。宗教に関する事。前に来た時、宗教という言葉がこの世界には無い事に疑問を持って、ローランに聞いた。返答は、この世界には、そういうものは無いという事だった。だからこそ、目の前のナディーヌも空気に溶けるという言い方をするのだろう。
沙美は、困った時の神頼み教は利用するけど、宗教は嫌いだった。沢山読んだ本の中で、そしてテレビの中で知った宗教は、施政者が宗教というお題目を利用して民衆を動かすものか、心弱い者から金品を強奪する国が認めた犯罪者集団か、他宗教を受け入れない心が物凄く狭い神という言葉に似合わない殺戮団体、としか思えなかった。頼ったって、神は居ない。自力で何かをしなければ、何も得られない。おっさん達に会って、その思いは強くなるばかりだった。
だから、適当に捏造する。死に行く者に対して、心安らかにあるようにと言葉を続ける。
「生まれ変わるのですか?」
「うん」
「記憶は……」
「う~ん、ナディーヌぐらいカッコよければ、気合で記憶も残せないかなぁ?」
沙美は、かなり無茶な事を言っているのを自覚している。だが、ナディーヌが、心を残して空気に消えてしまうのだけは嫌だった。
「気合?」
「うん。ナディーヌなら大丈夫。今度は、ずっと一緒に時を刻めるヨ!」
沙美の物言いに、ナディーヌは小さく笑う。これが、空想の話だという事、沙美が気を使っている事、それを理解している。そう理解していても、ナディーヌは、この話が夢のある話だと思った。今まで、空気に溶けるという事は、精霊の一部になると教えられてきた。それも、空想の話の一つには違いない。新たな話が加わるだけ。
ナディーヌは、にっこりと笑った。
「分かりましたわ。私は、これから精霊の一部になると思っていましたが…そうね、立派な精霊の一人に生まれ変わるという選択肢もあるのですね。
沙美、私は貴方がこの世界に来たら、いつでも貴方の周りに居ますわ。その時に、棒術を見せて下さいね」
沙美は、無様に歪んでいるであろう顔を見せたくなくて、コクコク俯きかげんに頷く。
「そうかぁ精霊になるのかぁ……ナディーヌだったら、どんな精霊になるんだろう?それこそ、王子様のパクリじゃないけど、光の精霊なんか似合いそうだなぁ…」
「まぁ、あの子の事まで長様達は、お話したのね。私は、シルヴァーナみたいに綺麗じゃありませんわ」
「そうかなぁ?確かに瞳に海はないけど、空はあるよね。あ、そうか!空気の精霊なんか素敵かも」
「空気の精霊……プランタンさんの仕事を取ってしまいそうね」
「あ、そうか。んじゃ、やっぱり光の精霊でお願いします。そうなれば、昼間屋外で棒を握っていればいいんだよね!」
ナディーヌは、「そうね」と言って小さく微笑む。沙美は、異世界の人。だが、この世界の未来の人でもある。それは、最初に会って沙美と精霊の話をした時に浮かんだ推測。そして、オトンヌが沙美を召還した事で、裏づけが取れた。ナディーヌは、オトンヌの術が異世界に届かない事を知っている。今、沙美も無意識に肯定してしまった。
この世界の未来で、どんな姿でもいいから、出会えたら素敵だと思う。ナディーヌは、今も人を魅了する笑みを浮かべている。沙美に向かって、肯定するように微笑む。
沙美がほんの少しでも信じられるように、そして自分の心にも、ほんの少し信じられるように微笑む。そして、遥か年長者になってしまった者からの笑みを浮かべた。
「ねぇ、サミ」
沙美はコクリと頷く。ナディーヌの手が沙美の手を両手で包む。
「私ね、物凄い大失敗をしてしまったの」
「ナディーヌが?」
「まぁ、サミ。私、結構失敗をするのよ。そのせいで、随分と父に怒られたものです」
ナディーヌの視線が遠いものになる。
沙美は、何も言わず、ナディーヌだけを見て、話の続きを待った。
「私が、結婚した理由を長様達から、お聞きになったかしら?」
コクリと頷く。
「私は、フェルナンの事を心からお慕いしていましたが、どうしても結婚する訳にはいかなかった。王妃というのは、子供を産む事が第一の仕事だからです。
あの当時の私は、いつでも死と隣り合わせで、出産どころか子供を作る行為さえ出来なかったの。とてもじゃないけど、王妃になれない。心から喜んでいたけど、頷く事は出来なかったわ」
ナディーヌが、溜息をつく。
「なのに、あの人ったら、何かにつけ用事を作っては、私の所へ来てプロポーズをするの。『貴方だけです。私の傍に、最後までずっと居て下さい』…って」
沙美は、必死にお願いをする王様を想像して小さく笑う。
「それが、何度も続くと………私は、次のプロポーズを待つようになってしまったの。そして……あの人が来ない事を恐れるようになってしまった……」
沙美は、ナディーヌの細くなってしまった手が、少し強く自分の手を握るのを感じる。
「結局私は、どうせ死ぬのだからと、ここに王が頻繁に来て政務を疎かにするよりは、新しい王妃を迎えられるよう気持ちを切り替えるきっかけを作るべきだと父に進言してしまった……嘘……私は、もうフェルナンから離れているのが恐くて、少しでもあの方の時間が欲しくて……プロポーズを受けてしまった…だけ…」
沙美は、不安そうにナディーヌを見つめ続けている。
「私は、最後までプロポーズを拒み続けなくてはいけなかったの……私の我侭で、あの人を酷く傷つける所だった……」
「でもっ」
ナディーヌの顔が、左右にゆったりと動く。
「医者という術士が生まれる事など、想像出来なかったわ。確かに城の医療は街中よりも優れていたけれども、今みたいに奇跡的に健康になる事など、あり得なかった…」
「ナディーヌ…」
「親しい人が亡くなる。それは、心が悲鳴をあげる事だと知らなかった。
それが愛してる人なら尚更、心が死んでしまう事もあると分かっていなかった。
あまりに死に近すぎた私は、そんな事は普通の事で、悲しい事だと思い当たらなかった……自分が最初に去るものだとしか思っていなかったから……まさかおいていかれると思わなかった……それを母を亡くした時に、王妃になる直前に知ったの」
沙美は、ナディーヌの顔をまじまじと見る。涙は無い。けれど、酷く悲しい泣き顔。
「でも……私は、今とても幸せ。健康になった。あの人の政務を手助けできた。子供達がいる。孫もいる。息子は立派な王になった。長様達と一緒に楽しく過ごした。そして、貴方、サミに出会えた」
沙美は、コクリと頷く。
「物凄い幸運で、そんな人生が送れた。そう未来なんて分からないという事を私は知ったわ。
ねぇサミ……私は考えすぎなのかもしれないって、最近は思うようになったの」
沙美は、小首を傾げる。
「死んで別れようとしていた私のあの人への償いだと、必死になって政務の手伝いをしてきたわ。でも……ようやく私は、この歳になって分かった。最愛のあの方の手をとって、正解だった…と」
ナディーヌは、にっこり微笑む。
「人には、未来は分からない。何が起こるか分からない。
その中で最適の解答を導き出さないといけないのだけど……分からないからこそ、自分の心に素直に従う事も必要だと思うようになった…」
沙美は、真剣な顔で頷く。
「ねぇ、サミ。色々考えすぎて、目の前の事しか考えられなくなった時、私の言葉を思い出して。
貴方の心は、何を求めているかしら?って一生懸命問い詰めて、答えを出すの。
きっと、その答えが正解よ」
「うん!分かった。必ず、そうする」
「そうすれば、きっと素敵な方の隣に立てるわ。その選択に対して後悔なんかしては、だめよ。
償いで手伝うのでは無かったと、心からフェルナンの為にしたかったと……そんなつまんない後悔。サミ、貴方はしないでね」
「うん!」
沙美は、任せておけとばかりに満面の笑みを浮かべた。
ナディーヌの手が、ゆっくりと沙美から離れていく。
「良かった…今貴方に、サミに会えて……来てくださってありがとう、サミ」
「あたしもナディーヌに会えて、ものすっごく嬉しいヨ。呼んでくれて、ありがとう、ナディーヌ」
沙美は、離れていった手を追いかけるように体を寄せ、ふんわりとナディーヌを抱きしめた。
「あたし、ナディーヌをものすっごく尊敬していて、ものすっごくすっごく大好き!」
もう、おばあちゃんと言っていいような年齢の相手に言う言葉では無いのは知っている。
「ごめんね。こんな夜遅くに遊びに来ちゃって」
へへへと沙美は、笑う。そして、ポイポイっと、背中にあったクッションを広いベッドの左右にどける。
「もう寝る時間なんだよね」
沙美が腕で支えられるぐらい軽くなってしまっている。元々軽いのかもしれないが、いくらなんでも軽すぎるだろうと思った瞬間、ナディーヌの「空気に溶ける」という言葉を思い出す。
「ナディーヌ、食が細くなったりとかしてない?」
「うふふ…この年齢になると、自然とそうなるものよ」
「んでも、もう少し体重が増えてもいいと思うけどなぁ」
たわいもない話をしながら、沙美はナディーヌを横たえ、髪の毛を整える。
「相変わらず綺麗だなぁ……」
溜息と共に言葉が漏れる。
「何を言っているの?こんなおばあちゃんに」
ナディーヌは、くすくす笑う。
「おばあちゃんになっても、ものすっごく綺麗……ずっと……見ていたいなぁ……」
沙美の本音が、ポロリと零れる。
ナディーヌは小さく笑って、沙美に手を伸ばす。頭を引き寄せ、額に小さく口付けた。
ほんの少しの間。
温もりが沙美の額から離れる。
沙美は少しの間固まって、それから真っ赤になった。
「う、うっわぁ~!!顔、洗えないヨっ!!」
ナディーヌは、心から楽しげに笑いながら、「だ、めよ……サミ……女の子が…顔を…洗わない、だなんて」となんとか言葉にする。
「えーもったいなーーーーい」
「サミ………」
ナディーヌは、ひとしきり笑った後、「それなら、サミも、同じようにして下さるかしら?そうしたら、きっと唇が覚えていますわ」
沙美は、コクコクと頷いて、そおっとナディーヌに近づく。なにせ、額であれ何であれ、人にキスをするのは生まれて初めての超初心者。その少し皺が入った額になんとか唇を近づけ、くっつけた。
「うっわー緊張したーー」
その沙美の言葉に、ナディーヌは、「まぁ…」と言って、また小さく笑う。
「えへへ、嬉しいなぁ」
沙美は、唇よりも、ナディーヌの笑顔を、眼に焼き付けようと、暫し見蕩れているように見続けた。
それから、満面の笑みを浮かべる。無様な顔なんか絶対見せない。
「ナディーヌ。会えて嬉しかったー!」
楽しげにみえるように、手をぶんぶん振る。
「またねー!」
沙美は、オトンヌの傍へ戻り。一言二言言葉を伝えてから、もう一度ナディーヌを見る。
「絶対、またねー!」
オトンヌが詠う。そして、満面の笑みを浮かべた沙美は、ぶんぶん手を振り続け、ナディーヌの前から消えた。
ナディーヌは次で最後ですm(__)m




