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12.我が習作の致命的欠陥を認め、逃げ道を断たれること

 ふぅむ。作品の方向性を示すには、先ずはこの程度が書けていれば充分だろうか。

 いや、勿論この習作が、冒頭部分で既に余白最大化の要件から外れてしまっているのは私にも分かっている。出だしこそ “ぶぶへん!” に良く教えられた書き方となっているだろうが、直ぐに旧弊が私の腕を取り、筆を走らせるようになってしまった。では、何故気付いているのにそのまま書き続けたのかと言えば、余白を作りたいのなら、やはり組み方でどうにでもなると思い直したからである。その方が、例えば極端を言えば一行一文字の組み方だって出来る訳で、そもそもの所、作家が各自で調整するより余程効率よく余白が得られるだろう。その様な訳なので、私は安んじて旧弊に身を委ねたのである。

 …と開き直って言ってはみたが、実は私とて、文芸部長の注文を忘れている訳では無いのである。彼は、新しいナノベを読者に提示してみたい、そしてそれは、有意の小説を、可能な限り短い一文の積み重ねで書き表して初めて達成される、と確信を込めて語っていた。同時に、私に対しては、新領土の開拓を勧めてくれもしたのだ。私は結局、開拓の我が水田に水を引く作業にだけ成功したようなものなのだが、文芸部長はこの乏しい成果をどのように評価するだろうか。ここで一度、相談してみた方が良いだろう。私は受話器を取った。

 いやぁ、先生。さすがにそれは上手くないですなぁ。案の定ではあったのだが、私の目論見を聞き終えての文芸部長の審判は、惨憺たるものであった。右耳に当てていた受話器のその部分が、じんわりと暖かくなる。それで私には、慎み深い文芸部長が、電話線の向こうで音も無くそっと溜息をついたのだと察せられた。自身の身勝手さ、期待に応えようとしなかった不誠実さを今度こそ目の前に据えられて、私は恥じ入るしかなかった。

 先生の仰る通り、余白は確かに組み方次第でどうとでも作れます。しかし、例えば版面の半分を余白にしたいからと言って、版面の中央で文を折り返し続けるような組み方をすれば、さすがに読者も違和感を持つでしょう。場合によっては、だったら最初からその字詰めで組め、そう批判されるかも知れません。そう考えると、やはり余白は、筆者の創作意図によって生じるのが一番望ましいと思うのです。先生。私共は先生のお力を信じていますし、特に私などは、作品完成の暁には “映じれば黙し、読めば饒舌” と評されることになろう先生の新境地を、是非とも拝見したく思うのです。

 分かりました。もう一度考え直してみます。この交渉に全面的な敗北を喫した私は、そう約束するしかなかった。今度は私の方が、創作の迷宮に迷い込みそうな予感に凍え始めた内心で、相手の受話口を脅かさないよう気を付けねばならなかった。文芸部長は俄に声を弾ませ、二度、三度のくしゃみを交えつつ、私に礼と激励を述べた。そして、実際に今なら何を言おうと彼の意見が採択されそうな場に、私共々二人だけを置いて、事も無げにこう言うのである。

 あ、そうだ。一つ申し遅れていたことがございました。先生にもご協力を頂いているこのアンソロジーなんですが、実は、一般的な作品よりも大きめの文字で組むことになりまして。一行の字詰めが20字って事に決まったんですよ。なので、その版面に自然な余白設計を、と考えますと、先生には一行当たり10文字前後の心積もりでご執筆頂くことになろうかと。いやぁ、先生がまだ、本格的に書き始めておられなくて幸いでした。何卒、宜しくお願いいたします。

 なにっ、10文字!? 私は目を剥き、腰掛けていた椅子ごと仰け反ったが、異議を申し立てようとした時にはもう電話は切れていて、私の退路もすっぱりと断たれていた。それは困難に眩んでいる私の目に、机に嵌め込まれた白い墓石に見えた。この度の出版契約書が、私の目前に重々しく差し出されてあって、所定の欄には既に、見紛いようも無く私の署名と、判が捺印してあったのである。

 瞳孔が開ききるほど驚いたが、もうこうなっては、書き上げる以外に残された道は無くなった。電話機の液晶の光が、横目にも小さな太陽の如く映じている。刺すような痛みに慌てて目を閉じたが、結局は、脳を震え上がらす要因が光から焦燥へと変わっただけだった。箱の中のたった一つの原子、思考によるそんな最果ての孤独よりも、なお寄る辺なき孤独。カフカの掌篇の主人公は、そんな真空に生きる定めを負わされてしまったようだった。一方で、同じ理不尽に襲われながら “ぶぶへん!” の主人公が正反対の生活を営めたのは、ひとえに放って置かれなかったこと、取り囲む人々が言わば日向に日向に、驚くべきエネルギー密度で天晴に関わり続けたからだろう。“ぶぶへん!” の筆者は、この作品が内包する語り得る物語、その濃密な可能性を、余白最大化と両立させて言語化できたことになる。そして今の所、その技は私には評価・研究対象に留まるもので、自身の武器には到底なり得ていないのだ。

 などと、嘆いてばかりもいられない。意味内容の充実と使用する言葉の節約、両者を同時に最大にする魔法のような方法を探らねばならない。何か手掛かりはないだろうか。減らすという意味ではいわゆる文字落としが思い付かれるが、これが減らすのはただ使用可能な言葉だけで、必ずしも作品の総文字数でないことは、筒井康隆の長篇 “残像に口紅を”の印象的な饒舌を思い出せば充分だろう。あるいは、私が歴史に名を残せるほどの詩人ならば、一つの言葉、一つのフレーズに意味や感情を幾重にも折り畳んで、それらを何千行にもわたって書き連ねられよう。しかし、全ては無い物ねだりなのである。

 改めて “ぶぶへん!” を読み返して目に付くのはその改行の多さで、なるほど、これは一行を短くする一つの便法だろう。また、この作品の通称を初めて聞いた時にも思ったことだが、この通称自体、有用な意味を保存したままの字数圧縮になっている訳で、ここにも私が学ぶべき所はありそうだ。これ以外にも、何か効果的な圧縮の良い方法はあるだろうか。今、私が最も気を付けるべきは常識に囚われないことなのだろう、殊更酷い世間知らずでもある私なのだから。我が慣れ親しんだ作家的良心の呼ぶ声とは、反対の方へ、反対の方へと進まねばならぬのかも知れぬ。溜息が漏れそうだが、とにかくその様な決意をもって、上に書いた習作を書き直してみよう。それにしても、一行あたり10文字前後か…はぁ…あ、いやいや…

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