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光のもとでⅠ 第四章 恋する気持ち  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
33/35

18~23 Side Akito 03話

 翌朝、玄関を出るとエレベーターホールで湊ちゃんと会った。

 出勤前に会うことはそんなに珍しいことではなく、三日に一度はこんなふうに会う。

「おはよ」

「おはよう……」

 朝、湊ちゃんが憂鬱そうな顔をしているのは珍しい。夜はかなり早くに寝るため、朝はすっきりとした顔をしていることが多い。気になる医学書でも夜通し読んでいたのだろうか。

 そんな想像はすぐに打ち消された

「今日、翠葉休みだから」

「え……?」

 湊ちゃんは眉間にしわを寄せたままエレベーターに乗り込んだ。

「痛みが出始めているの。強い薬を使っているから、今日は一日起きられないと思うわ」

「そうなんだ……」

 そこで、俺はずっと不思議に思っていたことを口にした。

「……あのさ、模試ってそんなに大切なのかな。学校って、そんなに大切なのかな」

 身体とそれらを秤にかけるのはちょっと違うように思える。でも――。

「翠葉ちゃんにとっては大切なものなのか……」

「そうね……。私たちにとっての「普通」はあの子にとっては「特別」であることが多いから」

 二階に着くと、俺はひとりエレベーターを降りた。

「車、乗ってく?」

「いいわ。少しは運動しないと身体に良くない」

 そう言ってエレベーターのドアが閉じられた。

 湊ちゃんは病院に行く用がないときは歩きで出勤。俺は緊急会議が入る可能性があるので常に車出勤。

 車に乗り込むと、今日の予定をざっと思い出す。

 今日は朝から会議で本社だ。そのあとは通常業務だけど、急ぎの仕事は一件だけ。夕方には彼女のお見舞いに行けるだろうか。

 一日身体を起こせないとはいえ、夕方には起きているかもしれない。毎日のように会っているのに、ただの一日すら会えない日を作りたくない。

「……いるものなんだな。毎日会いたいと思える人が――」

 そんな感覚を不思議に思って車を発進させた。


 会議が終わったのは十一時半前。

 学校には戻らずここで仕事をすれば急ぎの案件もタイムラグなく片付けられる。

 久しぶりに本社の最上階にある自分の部屋に入ると携帯が鳴った。

「はい」

『私だ』

 電話の相手は静さんだった。

「どうかしましたか?」

『彼女の警護なんだが、四日か五日には解除できる』

「手、打てそうなんですか?」

『あぁ、問題ない』

 ほかに用件はなく、それだけを伝えるために連絡をくれたようだった。

 ありがたい……。いかなる不安因子も彼女には近づけたくなから。

 それにしても、あの雅嬢がこちらに関与してこないことが多少気になる。彼女の気質上、翠葉ちゃん本人に接触をはかりそうなものなんだが……。

 まぁ、何もないに越したことはない。


 仕事を終えて時計を見れば二時を回っていた。

 昼食も食べずに仕事をするなんて久しぶりだった。

 食べるものは適当このうえないが、湊ちゃんと栞ちゃんにうるさく一日三食摂れと言われ続けた甲斐あって、とりあえず三食欠かさず食べるようにしてきた。

 このデータさえ蔵元に渡せば、あとは仕事をしなくてもとくに文句を言われることもない。

 眼精疲労で若干頭が痛い。適当に何か食べて鎮痛剤を飲んで少し寝よう。

 ここは誰も入らないように蔵元に言ってあるから、誰もお茶すら持ってこない。それがこのうえなく都合がいい。

 最初からそうしてくれれば、高校に仕事部屋など作らなかったものを……。

「それじゃ俺が翠葉ちゃんに出逢うこともなかったか……」

 そう思えば、入社一年間をこの部屋で耐えた甲斐もあるってものだろう。

 ここを四時ぎに出れば四時半には幸倉に着く。その前に栞ちゃんに電話の一本は入れておくべきか……。 


 一眠りして起きると、部屋の掛け時計が四時を指していた。

「ちょうどいいな」

 今出れば渋滞に遭うこともないだろう。

 ジャケットを手に取り部屋を出る。と、間続きの秘書室に蔵元がいた。

 俺が本社にいた頃はこの秘書室に女が四人いたが、香水の匂いにむせ返る空気に耐えられず、蔵元が俺の秘書を一手に担うことになった。その後、若槻が一時期ここにいたが、それも三ヶ月の話。仕事内容を叩き込んですぐに静さんのもとへ送り込んだからだ。

 今となっては蔵元がひとりこの広い部屋を占有している。机は三つあり、書類は山のように積み重ねられているというのに、それらを片付けるのは蔵元ひとりだ。それでも、蔵元は何を言うでもなくそれらを片付ける。

「どちらへ?」

「今日はこれで退社」

「例の件は?」

「終わってる。さっきデータ送信したからもう使えるよ」

 そう言い残し廊下につながるドアを開けた。

 蔵元は湊ちゃんと栞ちゃんの一個上の先輩にあたり、栞ちゃんの旦那さん、しょうさんの後輩でもある。だから、今年で三十一か……。

 物事にあまり動じることはなく、俺の扱い方も心得ている。そこらの重役よりも使える人間。

 藤宮の血縁者で次期社長候補という俺のお目付け役に抜擢されたのもわかるような気がする。決して上から目線でものを言うこともなければ、媚び諂うこともない。自分が正しいと思ったことに対しては進言も躊躇しない。常に俺の行動の先を読もうとしているあたり、一から十まで伝えずとも物事が伝わるのも楽だ。

 どちらかというと、スタンドプレーが向いている俺には打ってつけの人材だった。そのあたり、父さんの人を見る目は確かなのだろう。

 そんなことを考えつつ高速エレベーターで地下へ下り車に乗ると、携帯を手に取った。

「栞ちゃん? 俺、今から行こうと思うんだけど、翠葉ちゃんは?」

『まだ起きないのよ』

「えっ……でも、もう四時だけど」

『そうね……。でも、もう少ししたら起きるかもしれないわ。それに秋斗くんが来てくれると私も買出しに行けるから助かるわ』

「俺が買って行こうか?」

『秋斗くん、食材の良し悪しわかる?』

「……ごめん、自信ない」

『そうでしょう?』

「今本社だから、四時半過ぎには着くと思う」

『わかったわ。事故起こさないように気をつけてね』

 まだ起きていないのか……。それだけ強い薬を使っているのか――もしくは、薬が効きやすい体質なのか。

 どちらにしても、俺にはわからない分野だ。

 エンジンをかけ車を発進させると国道へとつながる道を走った。


 途中蔵元から電話が入り、急を要するデータを送ってほしいと言われた。そのデータが学校のパソコンに入っているため仕方なく学校に立ち寄ったものの、渋滞に嵌ることもなく四時半には彼女の家に着いた。さすがにこの時間じゃ蒼樹も帰っていない。

 まずは盗聴チェックかな。

 玄関で栞ちゃんが出迎えてくれコーヒーを淹れると、

「じゃ、私ちょっと買い物に行ってくるわね」

 栞ちゃんの後ろ姿を見届けドアの閉まる音を聞く。

「……別にいいんだけどさ。全然かまわないんだけどさ」

 俺と翠葉ちゃんをふたりにしていいものかな? 栞ちゃん、あなた俺が翠葉ちゃんを好きなの知ってるでしょうに……。

 彼女の部屋のドアを前にひとつため息をつく。

「また据え膳か……」

 苦い笑みが漏れるのも仕方ないと思う。

 一通り盗聴チェックをするも、とくに異常はなかった。取り越し苦労で済めばそれに越したことはない。

 彼女の部屋の前に戻ってきたが、彼女が起きてくる気配はなかった。一応ノックをしていみたけれど、返事もない。

 さて、どうするか……。

 一瞬躊躇したものの、早く会いたい気持ちが抑えきれず、ドアをゆっくりと開けた。

 部屋の突き当たりに彼女を見つけ、側まで行き顔を覗き込む。彼女は健やかな寝息を立て、こちらを向いて寝ていた。

 投げ出された右手を取り布団の中にしまうも、その手を放すことができず掴んだまま……。

 眠っているからか、いつもよりも少しあたたかく感じる彼女の手。それでも、俺の手のほうがあたたかいくらいだった。

 無防備な顔を見て思う。ひとつひとつのパーツがきれいだと。

 睫はバサバサするほどに多いわけではない。けれど、一本一本がとても長い。色味は薄いものの形のいい唇。高くも低くもない鼻に、今は瞑られている目。

 その目は表情をくるくると変えるのに一役買っている。

 彼女の笑顔を思い出すと笑みが漏れた。

 肌理の細かい肌に傷み知らずの艶やかな髪。

 今だって触れたくて仕方がない。けれど、気持ち良さそうに寝ているのを起こしたくないから見ているだけ。

 ふと、パレスでの森林浴を思い出す。

 あのときに香った匂いがこの部屋にはかすかに残っている。

 ルームコロンなのか、彼女愛用のものなのか……。

 どちらにしても、この香りは好きだと思う。不快さを一切感じない。

 こんなふうに彼女を見つめられるのは寝ているときだけなんだろうな。

 彼女は目が合うだけで顔を逸らしてしまうほどに恥ずかしがり屋で、男に免疫もない。それを思えば、手をつないでただ見ているだけというこんな時間ですら愛おしく思える。

 彼女にキスをすることができたら、この手に抱けたらどんなに幸せか……。

 邪な感情を抱きつつ彼女を見つめていると、彼女の目が開いた。

「おはよう」

 彼女は驚きに言葉が口にできないようだった。

「あ、驚いてる驚いてる……」

 彼女は目をまん丸にして、布団の中で右手を少し動かす。手を引くとかそういうことではなく、俺の手がそこにあることを確認するような動作。

「……すごく、びっくりしました……」

 彼女は身体を起こそうとすると、「きゃぁっ」と小さく声をあげた。

 ……なんだろう?

 身体は起こしたものの、布団を手にしっかりと持っている。まるで、自分の身体を隠すように……。

「お嬢さん、どうしました?」

「……あの、あの、あの――。少し部屋を出てていただけますか……?」

 蚊の鳴くような声でお願いされた。

「あ……そっか。配慮が足りなくてごめんね」

 俺はすぐに立ち上がり彼女の部屋を出た。ドアを閉めることも忘れずに。

 ……忘れてた。相手は年頃のお嬢さんで、下着一枚で俺を誘惑してくるような女どもと一緒にしてはいけなかった……。

 きっと彼女はパジャマ姿を見られたのが恥かしいのだろう。ついでに、寝癖のついた髪の毛も、かな? あれはあれでかわいいと思うんだけど……。

 いつか、ベッドの上で乱れる彼女を見てみたい。

 自然と生まれる男の欲望――。

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