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光のもとでⅠ 第四章 恋する気持ち  作者: 葉野りるは
本編
20/35

20話

 帰りの車では、秋斗さんの高校時代のことを訊いてみた。

「どんな高校生だったか……?」

「はい……」

 秋斗さんが高校生のときに作ったノートを見たら、どうしても訊いてみたくなったのだ。

「自分では今とそんなに変わらないつもりなんだけど……」

「でも、十年前ですよ?」

「そうだよね……。十年前なんだよね」

 秋斗さんはどうしてか苦笑い。

「年をとったな、っていうのが十年の実感かな。それでも、徹夜の仕事もできるしまだ若いつもりではいるんだけど……」

 徹夜で仕事ができるかできないかが若さの基準になるのだろうか。もしそうならば、私はおばあちゃんなのでは……。

 一日でも徹夜をしようものなら、心臓が不規則な動きを始めてとてもつらいことになる。ほかの人はそうじゃないのかな……。

「翠葉ちゃんは十年後に何をしていると思う?」

「さっき少し考えたんですけど、全く想像ができなくて……」

「きっと、そういうものなんだろうね。十年経ってもそんなに変わってないと思うものなんじゃないかな」

 ……そう、なのかな。でも、十年経ったらもう少し大人の自分になっていたい。もう少し、自分に余裕が持てるくらいにはなっていたい。

「僕が予想しようか?」

「え?」

「翠葉ちゃんはきっとすごくきれいになって僕のお嫁さんになっているよ」

 タイミングよく信号で停まり、前の車のブレーキランプで照らされた顔がこちらを向く。

 目がとても優しくて、そんな目で見られたら心臓が止まってしまいそう。

 言葉が頭に入ってきたのは少し遅れてからで、時間差で頬が熱くなった。

「何か反応してくれると嬉しいんだけど」

 そんなこと言われても、もうとっくに顔は真っ赤なはず。

 あ――そっか……ブレーキランプでわからないんだ。

「翠葉ちゃん、誕生日は試験日前日で午前授業でしょう?」

 突然話が変わって慌てて返事をする。

「その日、帰りにランチを食べて帰らない?」

「え?」

「誕生日のお祝いをさせてほしい」

「……いいんですか?」

 秋斗さんはクスリ、と笑う。

「僕が訊いたんだけどな。……それくらいさせてもらえるでしょ?」

「……はい。……嬉しい……」

 今日、飛鳥ちゃんたちにも誕生日のお祝いをしようと言われた。すごく驚いたけれど、とても嬉しくて……。でも、秋斗さんに言われたのはそれとはちょっと違う「嬉しい」で……。

 この違いはなんなのかな? ――この違いが、「友達」や「家族」とは違う「好き」なのかな。

 何が違う、という明確な言葉は見つからない。けれど、何かが違うというなら色。

 家族が黄色やオレンジ色だとしたら、友達は空色で、秋斗さんはほんのりと色づいた薄紅色。

 今は色でしか違いを感じることができないけれど、確かに違うものだという感覚はある。


 車窓から、見慣れた風景を眺める。

 信号待ちをしている車が並んでいるだけなのに、光がキラキラして見えたり、歩行者用の信号の点滅に鼓動が連動しそうになったり。運転している秋斗さんの手も何もかもが特別なものに思えた。

 世界が変わるっていうのはこういうこと……? 好きな人がそこにいるだけで、全部が特別に見えたり思えたりしてしまうということ?

 今まで読んできた恋愛小説の一文一文が頭の中に洪水のように溢れだす。

 中にはまだわからないものもあるけれど、今まで全くわからないと思っていたものが少しだけわかるようになった。

「……家に着いたのに、翠葉ちゃんはいったい何を考えているんだろうね?」

 秋斗さんの言葉にはっとする。あたりを見回すとそこは家の前で、いつの間にか開いていた助手席の窓には蒼兄が両腕を乗せ、じっと私を見ていた。

「翠葉は本当に見てて飽きないよ」

「声っ、声かけてくれたらよかったのにっ」

「何度もかけた」

「何度もかけたよ」

 蒼兄と秋斗さんが声を揃える。

 どうやら私は、考えることに集中して周りをシャットアウトしてしまっていたらしい。

 車を降りると、その日も四人揃ってリビングのローテーブルでご飯を食べた。




 ――痛いかも……。

 痛みで目が覚める日は最悪。

 外は明るい。もう朝……。ベッドサイドの時計に目をやると、五時半前だった。

 すごく嫌な感じ……。

 痛みで目を覚ますときはいつも嫌な感じだけれど、それとはまた別の感じ。

 これはきつめの薬を飲んだほうがいい気がする。

 ゆっくりと身体を起こし、枕元に置いてあるピルケースを手に取る。

 痛みで呼吸が上がりそう。――落ち着け、私……。

 深呼吸をいくつかしてからベッドから抜け出し、真っ直ぐに簡易キッチンへ向かう。

 グラスに水を注いでいるとき、ツキン、と痛みが走った。その拍子にグラスを落とし、ステンレスの流しにガラスの破片が飛び散る。

 ……割っちゃった。

 これはキッチンまで行かなくてはいけない。

 自室のドアを開け、キッチンへと足を向ける。少しでも痛みを紛らわせたくて、次からは部屋にグラスをふたつ置こう。割れないものを用意しよう。そんなどうでもいいことをひたすらに考えて。

 薬を飲み自室に戻ってくると、倒れるようにベッドに横になった。

 割れたグラスはあとで片付けよう……。

 お願いだから引いて――。

 薬効が現れるまで二十分から三十分はかかる。それまでは耐えるしかない。

 すでに冷や汗をかく程度には痛みが出ていた。

 キッチンに行ったついでにタオルも持ってくれば良かった……。

 この時間、蒼兄は毎朝恒例のランニングに出ているから家には誰もいない。枕元にはナースコールのようなものもあるけれど、家に誰もいないのでは押す意味もない。

 ふと視線をずらすと、サイドテーブルに置いてあった古典のノートが目に入った。

 秋斗さんのノート……。

 昨日目を通した文章を思い出す。平家物語の冒頭――。


 祇園精舎の金の声

 諸行無常の響きあり

 沙羅双樹の花の色

 盛者必衰の理をあらわす

 おごれる者も久しからず

 ただ春の夜の夢のごとし

 たけき者も遂には滅びぬ

 ひとえに風の前の塵に同じ


 祇園精舎の無常堂の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる。釈迦入滅のとき、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理をあらわす。おごり高ぶった者も、長くおごりに耽ることはできない。ただ、春の夜の夢のように儚いもの。 勇猛な者もついには滅びてしまう。全く、風の前の塵に等しい。

 ――口語訳もばっちり。

 つまり、祇園精舎の鐘の音には、この世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがあり、沙羅双樹の花の色はどんなに勢いが盛んな人でも必ず衰えるものである、という道理をあらわしている。

 きれいな響きで好きだけど、必ず衰えるというのはわかっていてもどうしてか悲しい。

 ほかにはどんな言葉があっただろうか。――栄枯盛衰?

 ……だめ。そういう方向に考えを進めたいわけではないのに、思い切りマイナス思考をいこうとする。

 時計を見ても分針はあまり進んでいない。かろうじて、八という数字を指しているだけ。薬を飲んでから、まだ十分しか経っていない。

 予感はきっと当たる。さっき飲んだ薬じゃ効かない――。

 でも、効くと思っていないと効くものも効かないと紫先生が言ってた。

「……効く。翠葉、さっき飲んだ薬は効く……。効くから、だから大丈夫――」

 声に出して自分に言い聞かせる。

 静かな部屋に、自分の呼吸だけが荒く響いていた。

 痛みから身体を庇うように小さく丸まる。右手は胸に添えたままでずっと力が入っている。

 痛いのは胸だけ……? 背中は……?

 あまり過敏にはなりたくない。でも、痛みの範囲は知らなくちゃいけない。

 じっと痛みの範囲を感じていると、どうやら痛みは胸にだけ起きているようだった。

 胸だけ。だけどきつい――。額を汗が伝うのがわかる。不安になるな、不安になるな――。大丈夫、絶対に大丈夫だから……。

 意識して、ゆっくり呼吸をするように心がけているのに徐々に呼吸は早くなる。

 蒼兄っ――。

 携帯はすぐ近くにあるのに手が伸ばせない。そのとき、ドアをノックする音がした。

 返事をできずにいると、すぐにドアは開き、息を切らした蒼兄が入ってきた。

「翠葉、薬はっ!?」

「飲ん、だ……」

「時間はっ!?」

 時計を見ると、分針が十一を指している。

「あと、五分……」

「……次の薬を飲もう」

 蒼兄はすぐにお水と薬を用意してきてくれた。

 薬を飲んでもあと三十分近くはこの状態だろう。

 額に滲む汗をタオルで拭き取りながら、

「翠葉、ゆっくりだ。ゆっくり呼吸するんだ」

 何度も声をかけられた。私は何度も頷き、それを実践しようと試みる。

「大丈夫、絶対に効くから」

 蒼兄は肩や頭をさすりながら声をかけてくれる。

 涙が溢れてきて蒼兄の顔が滲む。そのとき、電子音が鳴り響いた。

 蒼兄の携帯らしく、スポーツウェアのポケットから取り出して電話に出る。

「はい。――今、三段階目の薬を飲ませたところです。――たぶん今日は無理だと……。――はい、わかりました。またあとで連絡します」

 その話し方に、湊先生か栞さんかなと思った。

 蒼兄がいることで少し安心したのか、呼吸は落ち着き始めていた。

 手足が硬直するところまでひどい過呼吸ではなく、

「も、だいじょ、ぶ……」

 さすってくれている蒼兄の手を左手でぎゅっと握った。

「痛みは胸だけ?」

「ん……蒼兄、何かお話して?」

「……何か、か。じゃ、高校のときの話をしよう」

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