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光のもとでⅠ 第四章 恋する気持ち  作者: 葉野りるは
本編
17/35

17話

「薬は抜けたかな?」

 顔を覗きこまれて心臓がトクリと音を立てた。

「テラスに蹲ってるのを見たときは心臓が止まるかと思ったよ」

 ……今、心臓が止まりそうなのは私のほうです。

 心の中で呟きながら、平静を装ってはみるものの、全然できていない気がする。

「そうね、血圧も八十ちょっとあるし、血色もいいみたいね」

 栞さんの分析が少々恨めしい……。

 血圧が高いのは、ただ単に秋斗さんが近くにいるからだと思う……と自己分析を試みたところでなんの役にも立ちはしない。

「じゃ、僕はこれで帰るから。また明日ね」

 笑みを向けられたけれど、その顔を直視することはできなかった。

 今は秋斗さんがどんな表情をしていようと、どんな言葉を口にしようと関係なく、ありとあらゆるものに反応して顔が赤くなってしまいそう。

 自己防衛に、顔を半分ほど隠す勢いでお布団をかぶってみたものの、それにどれほどの効果があっただろう。

 今日は帰っちゃう。でも、明日も会える――。

 雅さんには申し訳ないと思いつつ、秋斗さんが一緒にいてくれる時間が宝物に思えた。

 相変らず心臓は忙しなく動いているけれど「好き」という気持ちはとてもあたたかい。このドキドキに慣れる気はしないけど、嫌ではないかもしれない。

 佐野くんは、こんな気持ちで飛鳥ちゃんを見ているのね。……雅さんも、同じなのかな。

 雅さんに会ってから今日で三日が過ぎた。

 常に人と行動しているからなのか、それとも防犯カメラが一役買っているのか、はたまた、ただの取り越し苦労なのか――そのどれかはわからないけれど、とくにアクシデントは起こっていない。このまま、何ごともなく二週間が過ぎるといい――。


 夜九時になるとお母さんから電話があった。

『翠葉、大丈夫? なんだか脈拍がすごいことになっていたけれど……』

 思い出すだけで、すぐにでもバクバクいいだしそう。それでも、秋斗さんがいたときよりはだいぶ落ち着いている。

「うん、大丈夫」

『あのね、蒼樹の誕生日に午後から休みが取れたの。だから、家族で食事でもって思っているのだけどどうかしら? たまには外で食べない?』

「うん、楽しみ。でも、二日から全国模試があるから、あまり長時間は外にいられないかも」

『そうね。夕方に藤倉市街で落ち合いましょう。デパートで翠葉のプレゼントも買わなくちゃ。外食先はウィステリアホテルだからデパートからも近いわ』

 そのくらいなら大丈夫だろう。

「じゃ、蒼兄にも話しておくね」

『お願い。じゃ、季節も季節だから無理はしないようにね?』

「はい」

 通話を切り、携帯に向かって口にする。

「お母さん……。お母さんもお父さんを見てこんなにドキドキしたことある……?」

 今でもとても仲が良くて一緒に仕事をしているけれど、こんなふうにドキドキしたことがあったのかな?

 いつか訊いてみたい。たくさん時間が取れるときに。


 ふと、「恋愛」の意味は辞書になんと書かれているのか、と思い立ち、国語辞書を開いた。

「特定の異性に特別の愛情を感じて恋慕うこと。また、男女が互いにそのような感情をもつこと――」

「愛情」という漢字を目にして動揺する自分をどうにかしたい。自分が自分に耐えられなくなりそうだ。

 ……確かに世界は変わるかもしれない。けれども、キラキラした世界というよりも、ドキドキだらけでとても心臓に悪いような――そんな世界に一変した気がするのは気のせいかな。




 薬を減らしたことで身体のだるさはかなり軽減された。その代わり、痛みが少しずつ出てきているのを感じる。まだ我慢できるけれど――そうは思っても、我慢しすぎて薬が効かなくなるほうが厄介だ。

 鎮痛剤の服用続けることで血圧と体温が下がってしまうことを思えば、あまり飲みたいものではない。それでも、この一週間を乗り切るためには仕方がない。どうしたって取捨選択をする必要がある――。

「昨日よりは楽?」

 キッチンカウンター越しに栞さんに話しかけられる。

「はい、多少ですけど……。でも、人の手を借りなくても歩けそうです」

「そう、良かったわ。痛みは少しあるみたいね」

「はい。……でも、大丈夫」

 キッチンから出てきた栞さんはお弁当箱をテーブルに置くと、

「この間、桃華ちゃんが作ってきてくれたサンドイッチが美味しかったって言っていたでしょう? だから、同じようなものを作ってみたの。食べられるようなら食べて? それから、いつものスープ」

「ありがとうございます」

 いつもと同じ時間、七時二十分になると、「出られるか?」と蒼兄に訊かれた。

「うん、大丈夫」

「じゃ、行こう」

 ごく自然に、当たり前のように手を差し出された。

 今日はひとりでも歩ける。でも、私はその手を取る。


 栞さんに見送られて車が発進する。

「蒼兄、昨日お母さんから電話があってね、三十日の夕方に藤倉市街で落ち合ってホテルでご飯食べましょう、って。私と蒼兄のお誕生会みたいだよ」

「あぁ、そんなメールが届いてたな」

「家族が揃うのは久しぶりだね」

 前回お父さんとお母さんに会ったのは五月三日で今日はもう二十七日。

 仕事がますます忙しくなったのか、月に四日帰ってくることも難しくなっていた。それでも、連絡だけはこまめに取っている。

 こんなに長く家を空けられるようになったのは、一重に栞さんのおかげ。さらには、このバングルが知らせるバイタルを見て安心できるからなのだろう。

「そうだな。バングルをつけてから、仕事の合間に翠葉の状態がわかるようになったから安心してるんじゃないか?」

 蒼兄も同じように思ったみたい。

「秋斗先輩に感謝だな」

 その一言にすら反応してしまう。

 昨夜、お母さんとの電話を切ったあと、メールひとつが届いていることに気づいた。どうやら、電話の最中に受信していたらしい。

 メールを開いてみると秋斗さんからだった。



件名 :苺のような君へ

本文 :君は僕の笑顔を反則だって言うけれど、

    君のあの顔はもっと反則だと思うよ?

    でも、僕は喜んでいいわけだよね?


    身体、お大事に。おやすみ。



 なんと返信したらいいのかわからなくて、「おやすみなさい」の一言しか返せなかった。

「翠葉、自分でもわかってるんだろうけれど……顔、真っ赤」

 蒼兄に言われて、思わず両手で顔を覆ってしまう。

「そんなんじゃ先輩にすぐばれるよ? しかも、あの人のことだから間違いなく調子に乗る」

「……もしかしたらもう気づかれてしまってるのかも……」

「くっ、昨日メールでも届いた?」

「ご名答……」

「でも、良かったんじゃないの? 初恋は実らないっていうけど、翠葉のはもう実ってるも同然だろ?」

「……そう、なのかな……」

「……何悩んでるんだか」

 悩んでいるというか、気持ちを持て余している感じ……。

 せっかく返事をするのを模試のあとにしてもらったのに、そんなことは関係ないくらいに動揺してばかりの自分をどうにかしたい。そもそも、この気持ちと返事は一緒くたにしてはいけない。

 私は模試が終われば自分のことで手一杯になる。恋愛どころではなくなる――。


 蒼兄と昇降口に向かって歩いていると、海斗くんと途中で会った。

「翠葉、おはよ! 蒼樹さん、おはようございます」

「海斗くん、おはよう。今日は朝練なかったの?」

「いや、部活には行った。今日はこれ渡さなくちゃいけないから先に出てきたんだ」

 海斗くんはかばんからノートを取り出した。

「何?」

 そのノートを受け取ると、

「秋兄からのプレゼント」

 にっこりと笑われてフリーズした。

 私、落ち着こうっ――今目の前にいるのは秋斗さんじゃなくて海斗くんっ。それに、このノートだって単なる試験の山帳だ。何も反応する要素はないはず。

 そうは思っても意志に反して顔の温度が上昇していく。

「蒼樹さん……これ、何?」

 海斗くんが、これ、と指したのは私の顔だった。

「くっ、これはしばらくいじり甲斐がありそうだな」

 蒼兄はメガネを外して涙を拭きながら笑っている。

「えっ!? どういうことっ!? 何、俺、今なんて言った? ――秋兄!? 翠葉、秋兄となんかあったっ!?」

 海斗くん、それ以上秋斗さんの名前を連呼しないでっ。

 ノートで顔を隠し、その場に座り込んでしまう。

「翠葉さん……もしかして、恋、しちゃいましたか?」

 海斗くんの声が上から降ってくる。秋斗さんよりも少し高めの声だけど、骨格が似ているからか、必然的に声の質も似ていて――困る。

「蒼樹さん、いいなぁ……。俺もこんな妹なら欲しいっす」

「いいだろ? かなりかわいいぞ」

 ふたりは私を置き去りにして会話を続ける。

「ま、そういうことなんだ。海斗くん、あと頼んでもいいかな?」

「任せてくださいっ!」

「じゃ、翠葉。具合悪くなったらすぐに連絡入れろよ?」

 言うだけ言うと、蒼兄は頭をポンと一度優しく叩いて大学へ向かって歩きだした。

「翠葉、もういじめないからさ。とりあえず教室行こうよ。ほら、翠葉が座り込むと髪が地面につく」

 目の前に差し出された手を取ってゆっくりと立ち上がった。


 教室には桃華さんがいた。ここ数日、桃華さんの登校は私よりも早い。

「……翠葉、昨日よりも顔色はいいのだけど……。若干血色が良すぎないかしら? ……熱、ないわよね?」

 桃華さんの手が額へと伸びてくる。私はブンブンと顔を横に振るものの、前の席で海斗くんがくつくつと笑いだす。

 海斗くんも蒼兄もひどい……。

「何よ……海斗ひとりで楽しんじゃって。ずるいじゃない」

 桃華さんが文句を言うと、

「翠葉に向かって、片っ端から男の名前言ってみ」

「なっ……」

 文句を言おうと思ったけど、続く言葉が見つからなかった。

 桃華さんは「え?」という顔をして、すぐに司先輩の名前を口にした。私の顔をじっと見ると、

「違うのね」

 すぐに次の名前を挙げる。「じゃぁ、秋斗先生?」と。

「……大当たりね?」

 クスリ、と笑われ机に突っ伏す。

「桃華さんまで、ひどい……」

 海斗くんの笑い声に桃華さんの笑い声が追加される。

「で、初恋の感想は?」

 まるで昨日の蒼兄と同じ質問を海斗くんに投げられた。

「……心臓が壊れそう」

「じゃぁ、模試明けの答えは決まったのね」

 模試明けの答え――返事のことだ。

「……それは別、かな」

「……はっ!? なんで? だって両思い確定じゃん」

 海斗くんが机に乗り出してくる。

「……私、テストが終わったら薬漬けだから。きっと、自分のことしか考える余裕なくなっちゃうもの」

「……昨日あんな状態だったのは薬のせい? だとしたら、今、意外と平気そうなのは薬をやめたから?」

 桃華さんはとても鋭い……。

「ピンポン……。本当はもう飲み始めなくちゃいけないの。でも、そうすると模試どころじゃなくなっちゃうから、湊先生にお願いして一週間ずらすことにしたの。だから、模試明けは欠席が続くかも」

「そういうときこそ、好きな人が側にいたらがんばれるもんじゃね?」

 海斗くんに言われて、普通の女の子はそうなのかな、と少し考える。でも、考えたところで、その「普通の女の子」に自分はなれそうにはない。

「秋斗さんは手を差し伸べてくれるのかもしれない。でも、私は何も返せない……。それが嫌だし、何よりもダーク翠葉さん登場って感じの期間なんだよね。そのダークサイドの自分を抑えるのに必死だから、本当にそんな余裕はないんだ」

「バカね……。そんなときは思い切り甘えちゃえばいいのに……。秋斗先生だってそれを望んでるでしょうに」

「……でも、無理。その状態の自分は見られたくないの」

 言うと、海斗くんと桃華さんは大仰にため息をつかれた。

「本当に困った子だなぁ……」

「ある意味謙虚すぎるのも問題ね」

 海斗くんと桃華さんの言葉に苦笑を返す。

 困った子、というのは当てはまるかもしれない。でも、謙虚、というのはどうだろう。なんとなく違う気がする。

 痛みと闘っているときは何度となく心が折れる。それはまるで、ポキ、と音を立てて折れる小枝か何かみたいに。その都度、心を立て直してがんばるのだけど、また簡単にポキ、と折れてしまうのだ。

 そのくらいに弱くなる自分を誰かに見せたいとは思わないし、好きな人ともなれば余計に見せたくはない。そんな私は見てほしくない――。

 普段、具合が悪いのを言わないとかそういうのとは別の問題。

 自分がこんなにも醜い生き物だったのか、と思うほどに心の中はドロドロしたものでいっぱいになる。そんな季節であり、そんな期間がこれから二ヶ月間も続く。逃げ道などどこにもないことはもう知っているのだ。

 蒼兄……もし、両思いだったとしても付き合うとかそういう形にはおさまらないと思う。秋斗さんに好きだと言ってもらえて、自分が秋斗さんを好きだと気づけた。それだけで私には十分なの。その先は範疇外の幸せっていうか……やっぱりどうしても考えられないの。

 私という人間はどこまでも有限の生き物なのだな、と改めて思う。

 体力もそのうちのひとつだし、大切な友達や人が増えることすら怖いと思う。

 この手に持ちきれなくなって、何かひとつでも零れてしまったら……と思うと、それ以上増やしたいとは思えない。

 私には限りがある――。

 現実として、それを痛感していた。

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