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光のもとでⅠ 第四章 恋する気持ち  作者: 葉野りるは
本編
14/35

14話

 ホームルーム中はかろうじて身体を起こしていられた。けれども、最後の挨拶で起立した際に立ちくらみを感じその場にしゃがみこんでしまう。

 視界は怪しい、でも聴覚は生きている。

 背中に手を添えてくれたのは桃華さんだった。

「大丈夫?」

「……うん」

 そこに野太い声が降ってくる。

「保健室行くか?」

 川岸先生だ。

「いえ……。少し休めば治まりますから……」

「じゃ、簾条頼んだ。何かあればすぐに知らせろよ? テニスコートか職員室にいるから」

 先生が立ち去ると、

「蒼樹さんを呼ばなくても平気?」

「うん。……桃華さん、ごめんね」

「私のことは気にしなくていいわ」

 完全に視界が戻り、桃華さんの目を見て話せるまでには回復した。でも、少し怖くて立ち上がることができない。

 長く座っていれば座っているほど次に立つときの波も大きくなる。

 怖くても少しずつ上体を起こさなくちゃ……。

 壁に手をついて身体を支え、少しずつ膝立ちになり椅子に座る。

 立ち上がる前に椅子に座らないとだめなんて情けない……。

「このあと司が迎えに来るらしい」

 海斗くんが桃華さんに言うと、

「……あの男、どういうわけか翠葉にだけは優しいわよね」

「うん、俺もちょっと驚いてる」

「それ、誰の話?」

 突如、会話に加わったのは司先輩だった。

「……立ちくらみ?」

 冷徹な目で見下ろされる。

 何を隠そうとしてもきっと見破られてしまうだろう。

 思いながら無言でいると、

「簾条か海斗、少し時間があるなら付き合って」

「手伝いたいところだけど、悪い。俺、今日部活の準備当番なんだ」

 海斗くんは顔の前で手を合わせて「ごめん」と謝った。

「私は大丈夫」

 桃華さんが答えると、

「じゃ、翠の荷物と靴を頼む」

「了解」

 私を置いてきぼりにして話だけが進んでいく。

「あの……」

「……これで階段上り下りするとか言うつもりじゃないよな」

 切れ長の目に見据えられて、「そのつもりです」と言える人がいるなら見てみたい。

 答えられずにいると、

「翠葉、残念ね? 今の翠葉に選択権なんてないわよ?」

 桃華さんがにこりと笑み、「靴を持ったらすぐにあとを追うわ」と教室を出ていった。

 誰もいなくなった教室に司先輩とふたりになると、

「ゆっくりでいいから立って」

 手を差し出され、今日は素直にその手を借りて立つ。

 先ほどのようなひどい眩暈は感じず、無事立ち上がることができた。そのまま右腕を支えられてテラスへ向かう。

 テラスは部活が始まる前で人が多かった。それに、食堂での校内展示の真っ最中ということもあり、いつも以上に人がいる。

 この状況で人目を避けることは無理に等しい。できることなら早くに通り過ぎたい……。

 そんな思いが歩調に表れていたのだろうか。

「急いで歩かなくていいから」

 隣から静かに声をかけられる。

「でも――」

「気にしなくていい。少し視線を集める程度だ」

「それが嫌なんですけど……」

「諦めろ」

 身も蓋もない言葉にうな垂れたくなる。

「翠葉、安心なさい。物珍しい目で見られているのは藤宮司だから」

 桃華さんが後ろからやってきた。その手には私のかばんと靴が持たれている。

「……桃華さん、ありがとう」

「どういたしまして」

 あと少しで図書棟の入り口なのに、気持ち悪くて仕方がない。

「ごめんなさい――少し、座っても……」

 全部言い終わらないうちにテラス伝いにコンクリートに膝をつく。

 肩が上下するくらいに息が上がっていた。それはあまりいい傾向ではない。

 下手するとこのまま過呼吸になってしまう。

「翠、我慢してしっかり息を吐き出すんだ。吐いて……吸って……吐いて……吸って……」

 司先輩の声に合わせて呼吸を繰り返しているうちに、だいぶ呼吸が落ち着いてきた。でも、ひどい吐き気は続いている。

 これにはよく覚えがある。間違いなく血が下がっている――。

「よくがんばったね」

 秋斗さんの声が降ってきて視線だけを向けると、

「あとは僕に運ばせてくれるかな」

 訊かれたのか、ただの確認だったのかはわからない。言われた直後には横抱きに抱え上げられていたから。

 驚いたし恥かしかったけど、もう何を言う気力も残ってはいなかった。

 頭を支える力すら怪しくて、秋斗さんの胸に頭を預ける。

「簾条、上履きも頼む」

「了解。荷物はここまででいいわね」

 そんな会話のあと、履いていた上履きを脱がされた。

 そのあとのことはよく覚えていない。




「気がついた?」

 ……秋斗、さん?

 視線をめぐらせると、コンクリート打ちっぱなしの部屋で横になっていた。

 病院じゃない……。でも、

「点滴……?」

 ベッドの上にある寝具を乗せる棚にS字フックが掛けられており、そこには点滴のパックがぶら下がっていた。

 ラインは私の右手首につながっていて、その手は秋斗さんが握ってくれている。

 点滴を受けているときは手首が冷えて痛くなることが多いけれど、今はそんなこともない。むしろ、あたたかいくらいだった。

「湊ちゃんがごめんって」

「……え?」

「点滴の針、腕に入れようとしたけど入らなかったみたい」

 視線を少しずらすと、確かに腕に針を刺した痕があった。

 きっと、針が刺さらないくらいには血圧が下がっていたのだろう。

 もう一度点滴パックに視線を移す。と、ソルデム3Aと書かれていた。

 昇圧剤を投与するときにも使われる点滴で、血液と同じ浸透圧の輸液。

 単なる輸液だというのに、この点滴を一本打つだけでも体がとても楽になる。

 自分の体はそんなに水分が不足しているのだろうか、とは思うけれど、状態が悪いときにはライン確保のために入れられることも少なくないのであまり気にしない。

「大丈夫?」

「はい……」

「これが終わる頃にはまた湊ちゃんが来るから」

 コクリと頷くと、

「手、冷たいね」

 両手で右手を包み込まれた。

 その手がとても優しくてあたたかい。昨日と同じあたたかさ……。

「秋斗さん、迷惑かけてすみません……」

「何度も言うけど、迷惑だとは思っていないよ」

 そうは言われても申し訳ないと思うのは止められない。

「……司に目が覚めたことだけ伝えてくる」

 秋斗さんは羽毛布団を胸元まで掛けてくれると仮眠室を出ていった。

 ぬくもりを感じていた右手が、寒いはずのない空気に触れてどんどん冷たくなっていくのがわかる。

 突如襲うのは不安。

 この状態で二ヶ月も高校に通うことができるのだろうか――。

 まだ薬を飲み始めて一日。副作用がひどく出るのは最初のうちだけだけど、痛みが出始めたら鎮痛剤を常用するようになる。そしたら、今と大して変わらない。

 外部生が大変なのは最初の二ヶ月だというけれど、私が大変なのはこれからの二ヶ月ではないだろうか……。

 どうしてこんなにも大きな問題を忘れていたのか。毎年毎年、同じことを繰り返してきたのに……。もう、この身体とは十六年付き合っているのに。

 今年の四月五月が例年とは違ったから……? 今までで一番楽しい学校生活だったから?

 だから、これから始まる二ヶ月も変わるとでも思ったのだろうか。

 違う――変わると思うどころか、こんな恐怖すら忘れていた。

 心の準備ができていないうちにプールの滑り台を滑り始めてしまった気がする。

 このまま私は滑り落ちていくだけなのかな……。

 ――だめ。それじゃだめ。

 何か考えないと……。どうしたらこの身体で学校に通えるのかを考えないと――。

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