きみと共に歩む道 蒼き月歴4世紀頃 ―三つの月の年代記―
それでは今回は、蒼き月歴4世紀頃 (後世三月暦6世紀頃)――
とある地方における市井の一巡礼士の人生を紐解いていきましょう。
メリッサ:剣の腕で家族を守り
ベイル :治癒の才が芽吹く
両親は共に冒険者だった。
顔も覚えていない父が遺跡で母やPTを守るべく死んだ後、母は幼い姉と乳飲み子だった僕を連れて冒険者を引退して実家のあったこの小さな田舎街に帰ってきた。
冒険者としての生き方しか知らなかった母にとって、田舎での暮らしは何かと苦労が絶えなかったようで、母がよくため息をついていたのを憶えている。
死者が天国から地上の私たちの元へ会いに来てくれるという年に一度の星降る日、母が父や仲間たちとの冒険譚を話してくれた。
「メリッサ、ベイル。お父さんはね、とても強かったのよ。みんなを常に守ってくれていたの。守護者としての責任感からかとても厳しい人でもあったわ。でもお母さんが作るお菓子に首ったけでね。いつも嬉しそうに食べてくれていたわ」
父の話をする母は、とても嬉しそうで、そして、どこか苦しそうだった。
母が星降る日にだけ作ってくれた、その素朴なお菓子の味はいまだに覚えている。
母が亡くなった日のことも、ぼんやりと記憶に残っている。
棺を見送りながら、祖父が小さく呟いた。
「あいつのヒーラーの腕が残っていれば、こんな苦労を背負い込むこともなかったんだが……」
当時の僕には、その意味がよく分からなかった。
葬儀の後、姉さんと僕は祖父に引き取られ、三人で暮らした。
姉さんには剣士の適性があったようで守護者だった父さんの形見という剣をいつか継ぐんだと街の道場で日々剣士の修練に励んでいた。
半年後、姉さんが成人年齢の15歳になる。そしたら剣士としての冒険者登録試験に挑むそうだ。
そんな、つつましくも幸せなある日の夜。
その夜は白き月も蒼き月も姿を隠し、赤き月だけが夜空に浮かんでいた。
祖父はよく、「赤き月の夜には戸締まりをいつも以上に気をつけなさい」と言っていた。
その意味を僕は初めて知ることになった。
街唯一の物見櫓から、緊急を知らせる鐘の音が鳴り響き、切羽詰まった叫び声が街中に響いた。
「ゴブリンの襲撃だー!」
「武器を取れ! 門を閉めろ~!」
次の瞬間、街中が騒然となった。
大きな物音と共に、多数の足音が駆け回った。
やがて、悲鳴と断末魔が夜の闇に混じり始めた。
とても危険なことが起こっているのだと、幼い僕にも分かった。
近くの洞窟に根城を構えるゴブリンの群れが、街を襲っているらしい。
雨戸の隙間からは、紅い月明かりと街の篝火の下で守備隊がゴブリンたちと戦う姿が見えた。
どうか、倉庫だけで満足して去ってくれますように。
僕の願いもむなしく、奴らは家へやって来た。
玄関を蹴破られるとすぐ、祖父の断末魔とともに、何かが壁に叩きつけられる音が聞こえた。
姉さんは僕にベッドの下へ隠れるように言うと父の剣を壁から取って構えた。
父の形見の剣はこれからの戦いを予期するかのように淡く輝き始めていた。
「ベイル、何があっても出ては駄目よ」
扉の前から重い足音が聞こえた。
弟がベッドの下に隠れるのを見届けて私は気を奮い起こした。
「来なさい!」
と同時に、扉が荒々しく蹴破られた。
「ホブゴブリン……なんで……!」
しかし、その黄色い瞳が見つめていたのは――私が構える父の剣だった。
値踏みするように細められた瞳。
父の形見の剣は、それに応えるように淡い光を強めていった。
「まさか、この剣を……?」
キィン――!
かん高い金属が砕ける音。
ホブゴブリンの一撃を逸らそうとしたが、そのまま重い衝撃を受け――
ベッドの下の隙間から剣と共に姉さんが崩れ落ちるのが見えた。
「姉さんっ!」
僕は言いつけを忘れベッドの下から這い出した。
ホブゴブリンへの恐怖よりも、怒りよりも姉さんを失いたくなくて無我夢中で姉さんにすがった。
ホブゴブリンは低い唸り声を上げた。怒りとも失望ともつかない声だった。
そして、それ以上僕たちに興味を示すことなく、血に濡れた足跡だけを残して去っていった。
半ばから折れ、光が失われた剣は姉の血だまりの中に転がっていた。
「姉さん!嫌だ……!」
姉さんを抱く僕の手が淡い緑色に光りだし――僕の中から暖かな力が姉さんの中へ消えていった。
姉さんの瞳にかすかに光が戻ると、
「母さ……の力……。生……さい」
消え入るような声でそうつぶやくと、姉さんの瞳は再び光を失った。
僕の手から姉さんに流れ込んでいた淡い緑の光はいつの間にか止まっていた。
僕の意識は急速に遠のいた。姉さんの最後の言葉を胸に抱いて。
その一晩だけで、小さな街の3割近くが殺されるか、連れ去られた。
唯一手つかずで残ったのは街はずれの林の中にあった修道院と孤児院だけだった。
僕はそこへ引き取られた。
後に人々は、この時代を『赤き月第十六期』と呼ぶことになる。
赤き月が天に現れるたび、魔物たちは凶暴化し、群れは大きくなり、各地で同じような惨劇が繰り返された。
世界が悲嘆に沈み、人々が絶望に打ちのめされ始めたころ、赤き月は何事もなかったかのように静かに夜空から姿を消した。
アゴッド:未来ある若者を救い
ベイル :二人の師を得る
祖父と、太陽のようだった姉さんを失ってからの僕は、うまく笑えなくなっていた。
僕だけじゃない。あの夜の惨劇で身寄りを失った子供達の多くがそうだった。
そんな修道院に、一人の巡礼士が現れた。
アゴッドと名乗るその人は、無理に励ますことも、忘れろと言うこともしなかった。
ただ、静かに寄り添ってくれた。
「今はそう思えないかもしれません。でもみなさんの家族はきっとそばにいます。行く末を見守ってくれていますよ」
彼はそう言うと、一人ひとりに向き合いながら僕たちの心の治療を施してくれた。
「ベイル。私の治療はあなたの記憶を少し見させてもらうところから始まります。一番会いたい人を思い浮かべてください」
「……お願いします」
アゴッドさんは僕の額に右手で触れ――僕の前に亡くなったはずの姉さんと母さんが現れた。
「ベイル、あなたはよくやってくれていたわ。ありがとう」
「私たちを大事に思ってくれてありがとう。でもベイル。これからはあなたの人生を生きなさい」
「姉さん……。母さん……」
一番聞きたかったその二人の言葉が、凍りついていた僕の心を溶かし始めた。
彼は修道院に3年――蒼き月暦にして1年滞在した。
大神殿から派遣されてきた、戦災やスタンピードなどに遭った人々の魂を救済をする特務巡礼士だった。
人々の記憶を診て、失われた者達への想いをもとに幻覚魔法を医術的に使用し、心を整理する手助けをしていた。
そして彼は僕らに生きるための力として、剣と盾の手ほどきもしてくれた。
また彼は僕に、魔力の感じ方の基礎を教えてくれた。彼と僕では使える魔法の系統が違うため、教えてくれたのは初歩のみだった。
僕が14歳を迎えたある日、彼が言った。
「今年の暮れに私は一度大神殿へ戻ります。きみもついてきますか?」
「アゴッド先生、僕もあなたのようになりたい。ついていきます」
僕も自分を救ってくれた彼の生き方に憧れ始めていた。
「では私の師匠のタオパス司教に引き合わせましょう。あとは彼が導いてくれます」
「タオパス師、お久しぶりです」
「アゴッドちゃん、お久しぶり!今回も街一つ救ってきたんだね。きみにしか出来ない事だから、頭が下がるよ。おつかれさま!そして後ろにいる……きみか!手紙で言っていた子は!」
アゴッド先生に引き合わせていただいたタオパス師はとても気さくな人だった。歳はアゴッド先生より一回り位上なのだろうか。
「はい……ベイルといいます」
「うん!いい目をしているね。どれ。手を出してごらん。きみの中に眠っている治癒魔法の才能がいかほどのものか感じさせてもらうとしよう」
タオパス師はあっけにとられている僕の手をぎゅっとつかむと何やらごにょごにょ言い出した。
「おお……おおお……なるほど……そしてこうだとどうか……」
タオパス師の手から緑色の淡い光が僕の中に入ってきた。とても温かく優しい力。
僕の身体の隅々に行き渡り、包まれるような感覚を覚えた頃、それは終わった。
「きみ、いいね!いい力だ!僕のもとで……そうだな、3、4年程か。研鑽を積めばものになるかもしれないね。その間、他のスキルも習得しようか」
そう言うと、タオパス師は懐から何度も読み返したのであろう、しわくちゃになった手紙を取り出して目を落としながら言った。
「手紙によれば、お父さんは守護者だったよね!なら剣と盾もやってみようか!」
タオパス師は手紙から顔を上げ、微笑みながら僕を見た。
「ひょっとしたら守護者の才能もあったりしてね!いやあ、いい先生がいるんだよ~」
「あ、他の事がやりたくなったらそれはそれでやったらいいからね!」
タオパス師のもとですごした3年間――神殿で用いる蒼き月暦にして1年――は、人を癒す、人を護るという事の意味を僕に教えてくれた。のちの巡礼士人生の礎となる日々だった。
ベイル :運命の娘と出会い
ミュリー:親友の窮地を救う
巡礼守護者として独り立ちし、いくつかの街や村を巡った頃、とある小さな街でミュリーという娘と出会った。
精霊に愛された者だけが持つ聖印を、彼女は右目に宿していた。
森を歩けば鳥や小動物が寄ってきて、小さな精霊たちが彼女の周りを楽しげに舞っていた。
どこか姉を思わせる優しさと、けれど姉とは違う、陽だまりのような笑顔を持つ娘。
レンジャーとして優れた技を持ち、精霊の加護によるささやかな癒しの力も授かっていた。
何より誰かのためなら危険を顧みず走り出してしまう、あまりにも眩しいその姿に、僕は少しずつ惹かれていった。
彼女と出会って、もうどのくらいたっただろう。
気づけば朝食を共にし、依頼を共にこなし、帰る家も同じになっていた。
ただ、それが自然だった。
「自らの心の動きに従うのです」
かつての師、特務巡礼剣士アゴッド先生の教えを思い出した。
(僕の旅はいったんこの街で終わりにしようか)
この街の神殿に籍を置かせてもらうことにした。
(これからは彼女と共に歩んでいきたい)
星降る日の祭りを来週に控えたある日――ミュリーが居間で物思いにふけっていた。
「レッセさんのパン屋で今年はどんな限定菓子が出るのかな……去年は確か……琥珀糖の木の実パンだったわよね」
「ああ、あれ琥珀糖がカリカリで食感も良かったよね~。美味しかった」
「ね~! いつもの木の実パンじゃなくて、木の実を餡にしてくるんであったの!あれ美味しかったよね~!」
「ミュリー、涎」
「え? うそっ」
ミュリーは慌てて口元を拭った。頬がみるみる赤くなっていった。
僕は楽しそうに限定菓子を空想する彼女を、目を細めて見つめていた。
(ほんと可愛いな)
「そういえば神殿で患者さんからちらっと聞いたんだけど、今年は子爵様の領内でポロッチの実が豊作だったらしいよ?」
「ポロッチ!あの赤橙色の皮にくるまれた甘酸っぱい果物ね!」
「そうそう。どのくらいの豊作かわからないけど、街のお店にも卸してくれたらいいねぇ」
「ね!レッセさんとこには絶対卸してほしい!」
「楽しみだね~。お祭り当日はものすごく混むだろうからいつもみたいに早めの時間に出ようね」
「うん! 早めに行ったら、限定菓子も焼きたてで食べられるのよね~。幸せ!」
「ん~! いい香り! ベイル!ポロッチ! 本当にポロッチだったわ!」
「よかったね~! 先週から楽しみにしてたもんね」
ミュリーは、瞳に星が浮かんでるのかと思うくらい、キラキラした視線を店頭の限定菓子――ポロッチパンに向けていた。
「2つ……いや! 3つく~ださいっ!」
ミュリーは後ろを振り返るといたずらっぽく微笑みながら舌を出してきた。
そしてポロッチ餡パンを受け取ると、さっそく一口ほおばった。
「……! おいっし~い! ベイル!ベイル! ポロッチの餡がくるまれてる!」
そう興奮気味に言うと、ひとちぎり僕に渡してきた。表面には、細かく刻まれたほんのり甘いポロッチの皮がかけられていて、香りも素晴らしかった。
「ほんと、おいしいね~」
(夢中になって食べる彼女はほんとかわいい。最近では一番の笑顔じゃないか?レッセさん、ありがとう)
僕は店頭で忙しくしてるレッセさんに軽く頭を下げた。
「じゃ、次はベイルの行きたいお店いこっか」
そのあと僕らは店を数軒巡ると街が喧騒に包まれだしたので帰ることにした。
商業区を離れる前、ミュリーが細工師の店先で足を止めた。
店頭に飾られた、小さな蒼銀の首飾りをじっと見つめていた。
けれど値札を確認すると、小さく頭を振ってその場を離れた。
「いいの?」
「うん。ポロッチのお花をあしらってあってかわいかったんだけど……少し高いから。依頼をがんばったら買おうと思って」
ある日、街での用事を済ませて帰宅すると、彼女の姿が無かった。
(今朝、冒険者ギルドへ事務手続きをしに行くといっていたな。ならもうじき帰ってくるだろう)
手には、彼女が先日細工師の店先で見つめていた、ポロッチの花をあしらった蒼銀のチョーカーがあった。
星降る日の祭りから数日、ずっと彼女はどこかそわそわしていたから内緒で買ってきたんだ。
(彼女に早くプレゼントしたい。彼女の喜ぶ顔が見たいな)
彼が所用で出かけていた間、私は冒険者ギルドを事務手続きのために訪れていた。
用事がすみ帰宅しようと思ったとき、ギルドの緊急転移魔法陣がある部屋から大きな物音が聞こえた。
そして血みどろの親友ヴィキットが血相を変えて助けを求めに現れた。
彼女のPTが街近くの遺跡で遭難しかけているらしい。モンスターによる奇襲でPTの癒し手が意識を失い、窮地に立たされているという。
あいにく、冒険者のほぼすべてが出払っていて彼女の悲痛な懇願は宙に消えかけた。
(彼女のPTとは多少の面識がある。何より緊急性が高すぎるから私が助けにいかなくちゃ!)
最低限、ギルド職員に、神殿へ癒し手の派遣を求める言づけを頼み、その場で売られていた回復ポーションと罠キットを買えるだけ買った。
さらに貸し出し品の中で一番いいレンジャー装備一式を借りた。
そして彼に置き手紙をしようと筆を取るも必死なヴィキットの涙を見て走り書きだけ残し救出に向かった。
遺跡に着き、いくつかの角を曲がると前方の角のあたりから戦闘音が聞こえてきた。
魔力切れを起こし、応戦能力のないヴィキットにほとんどの回復ポーションを持たせた。
「打ち合わせ通りに! 私は合流する前に最低限の罠をしかけておくから、みんなを回復してきて。すぐに行くわ!」
足止め用の罠をいくつか仕掛けるとすぐに私も合流した。
しかし聞いていたより状況が悪くなっていた。
気絶と聞いていた癒し手は、既に死亡していた。
回復ポーションでPTメンバーたちの出血こそ止まっていたが、守護者の剣は折れ片腕も使い物にならず、槍士は顔色が青白くなっていた。
通路の角をうまく使いながら撤退戦を続ける彼ら。
角の先へ視線を向けると、この階層では見慣れない魔物の赤黒い単眼が、暗闇の中で揺らめいていた。
その足元には、複数のゾンビウォーリアーの肉塊。そして、このPTの癒し手だったギャラックが血だまりの中に横たわっていた。
「なんでこのフロアにスケルトンナイトが……!?」
「やつが闇の中から急に出現してギャラックを」
「まさか……赤き月の……!」
冒険者の間では、ごく稀に、深い闇がその地にいるはずのない魔物を産み落とすと伝えられていた。
人々は、それを――《赤き月の忌み子》と呼んだ。
まさか、本当に起こり得るなんて――
私が使える唯一の精霊魔法――持続回復を守護者と槍士にかけ終えた頃、守護者が背中越しに言った。
「ミュリー、すまない……! 残っているのはスケルトンナイトが一体、スケルトンアーチャーが一体、それにゾンビウォーリアーが……あと三体だ!」
「もう少しだけ二人で耐えて! ヴィキット、来て! 罠の位置を教えるわ! 覚えたら二人を先導して撤退して!」
「わかった! 二人とももう少しだけ待っててね!」
「「ああ!」」
私はヴィキットに罠の位置を教えると、彼女を抱きしめた。
「ミュリー……ありがとう」
「大丈夫よ! 私は撤退戦のプロなんだから! まかせて!」
普段そんなに声を張ることのない私の様子に、ヴィキットは一瞬、抱きしめ返す腕に力を込めた。
「じゃあ……いくね!」
「帰ったらレッセさんのお菓子フルコースね!」
私はそう言うとヴィキットにウィンクをして二人の元に戻った。
「ヴィキットについて二人とも撤退して! 私はゾンビウォーリアーの足を罠で止めてくるから!」
「恩に着る!」
「頼む!」
守護者と槍士が撤退し始めるのを視界に収めながら、大きな声で言った。
「私も厳しくなったら緊急脱出の巻物を使うからとにかく出口へ!」
「わかった!」
守護者の声が背後から聞こえた。
「ピルピ。頼んだわよ……」
守護精霊の名を呼ぶと私の右目が淡い蒼に発光し始めた。
1日にそう何度も使えるわけではないが、守護精霊の力を借りて弓の命中力を高めた。
ミュリーの帰りを楽しみに待っていると神殿から急ぎの使いが訪れてきた。
「よかった……ベイル殿が家にいてくれて! ミュリーさんが!」
ヴィキットのPTが遺跡で遭難しかけ、彼女はその救出に向かったらしい。
冒険者ギルドの職員が神殿へ癒し手の派遣を求めに来たという。既に一人の助祭が現地へ向かっていたが、今日が非番だった僕にも彼女の危機を知らせるため、使いを寄越してくれたそうだ。
そして事情を知ると、いてもたってもいられなくなり、僕も急ぎ装備を整えて遺跡へ向かった。
懐には、彼女へ贈るつもりだったポロッチの花をあしらった蒼銀のチョーカーが入ったままだった。
遺跡に着くと、入り口で助祭がヴィキットのPTを治療していた。
守護者の鎧には無数の傷が。
そして盾は大きくへこみ、剣は途中から折れていた。
槍士の槍も、何か強大な力を受け流したのだろう、軸が歪んでいた。
治療を受けていたヴィキットが、足を引きずりながら僕のもとへ来た。
「まだ中に、ミュリーが……」
「ミュリー!」
頭が痺れ、世界がコマ送りのように感じ始めた。
早く彼女に合流したいという焦燥感から、無我夢中で遺跡の奥へ進み――
いくつかの壊れた罠にはゾンビの肉塊が。
あちらには頭部を粉々に吹き飛ばされたスケルトンアーチャーらしき残骸が。
彼女の得意な撤退戦のはずなのに、入り口に近い側に彼女の姿はなく――さらに奥に進むと――。
切り裂かれたポーチと共にいくつかの巻物が散らばっていた。緊急脱出の巻物らしきものも見えた。
僕はいてもたってもいられず、彼女を呼んだ。
「ミュリー!!」
次の角を曲がった時、奥に赤黒く光る単眼――!!
スケルトンナイトに踏みつけられた彼女が見えた。
彼女は僕の声が聞こえたようで顔を僕のほうに向けた。
と同時に、無情にもスケルトンナイトの刃が彼女の背に振り下ろされた。
(ベイルが来てくれた!)
心が軽くなった。
次の瞬間、背中がとても熱い!熱い!
熱い!!
身体に全く力が入らない。
「ベイ……ル」
視界がおぼろげになりだした。
出会ったばかりの頃のはにかむようなベイルの笑顔。
口いっぱいにおにくをほうばる私の口元を拭いてくれたベイル。
ポロッチパンをひとちぎりあげたら、クシャクシャな笑顔で喜んでくれたベイル。
(ピルピ……彼を、お願い)
「ごめん……ね……」
その瞬間、顔を伏せたミュリーの姿に姉さんの最後の姿が重なった。
そこから先のことを、僕は覚えていない。
神殿製の装備には対アンデッドの力が込められている。
一般の冒険者なら手こずるスケルトンナイトも、僕には敵ではなかった。
(僕が、僕が最初からこの場にいれば……!いられれば……!)
急速に冷たくなっていく彼女を強く抱きかかえると、ありったけの治癒魔法を彼女に流し込んだ。
助祭様に治療をしてもらうと、なんとか歩けるようになった。
みんなへの応急処置も終えた助祭様に、ミュリーとベイルの元へついて来てもらえるよう頼んだ。
「ヴィキットさん、私も心配していたところです。向かいましょう」
二人の元へたどり着くと、ベイルさんから緑の治癒光がミュリーに何度も、何度も何度も――流れ込んでは消え、流れ込んでは――消え。
ベイルさんに抱きかかえられたミュリーの腕はだらんと垂れ下がったまま――
「そんなっ! ミュリー! ミュリー! いやあああああ」
ベイルさんのこめかみはまるで焼き焦げるかのようにどす黒い橙色に発光し始めていた。
「いけない! ベイル! そのままでは、きみの魔術回路が焼き切れてしまう!」
助祭様がベイルさんをミュリーから引きはがそうとした。
治癒魔法こそ止まったものの――ベイルさんは虚ろな目で、ミュリーの亡骸をより一層強く抱いていた。
「ごめんなさい! ごめんなさい。ベイルさん。ごめんなさい……」
僕は神殿で目覚めた。二日が経っていた。
枕元にミュリーに贈ろうとしていたポロッチの花をあしらった蒼銀のチョーカーが置いてあった。
心なしか、チョーカーが蒼色に淡く光っているように見えた。
(ピルピ、きみなのか……?)
僕はチョーカーを掴むと、遺体安置所へ急いだ。
神殿の計らいで彼女は氷の棺に納められていた。
「ミュリー……」
愛しいきみはもう目を覚ましてくれない。
「きみに……贈りたかった……」
僕は再び巡礼の旅に出た。
胸元には、ミュリーの遺骨を納めたポロッチの花のチョーカーがあった。
生前、彼女が見たいと言っていた景色を共に見ながら、各地で傷ついた者たちを導いていった。
ときおりチョーカーに淡い蒼光が宿り、命に危険が及ぶような罠をすんでのところで回避できていた。
「ミュリー、ピルピ。今日はどの街へ向かおうか」
ベイル :若い二人に自分を重ね
テッド :老いた巡礼士を師と仰ぐ
辺境の小さな鉱山に隣接した鍛冶屋街を訪れた頃、僕の人生で2度目となる赤き月狂乱期である『赤き月第十七期』が巡ってきた。
その街には、テッドという若き助祭と、その連れ合いのルルという精霊の加護に恵まれた剣士がいた。
テッドは助祭として司祭を補助したり、街の冒険者ギルドからの要請に応えたりする日々を送っていた。
ルルの背中を護る彼の姿勢に僕はどこか若き日の自分とミュリーの姿を重ねていた。
赤き月によるモンスターたちの凶暴化や襲撃に備え、街の防備は可能な限り整えられてきた。
そしてとうとうこの日がやってきた。
この夜も白き月も蒼き月も姿を隠し、赤き月だけが夜空に浮かんでいた。
街の北西の山を根城にする二匹のホブゴブリンに率いられたゴブリンの大集団が街へ押し寄せた。
その数、ざっと七十。
ゴブリンの大集団が街の防壁に取りついてから半刻。
早々に防壁の一部が突破されたようで小さな街の数カ所で剣戟の音が聞こえていた。
僕は神殿でテッドや司祭たちと次々と運ばれてくる重傷者に治療を施していた。
「治癒魔法が必要な方のうち、特に重傷の方はベイル師か司祭の元へ! あとはなるべく私が!」
テッドはなかなかに状況判断に優れた良き若者だった。
ルルは逃げ遅れた子供たちを背中に庇った。
「みんな! あのおじさんのところまで走れるよね! お姉さんが護ってあげるから!」
ルルは後方にある、この街で一番大きな商館を利用した簡易的な砦の前まで出てきて、子供たちを受け入れようとしている男を指さした。
「「うん! おねえちゃん!」」
「じゃあ、お姉ちゃんが合図をしたら一生懸命走るのよ――行って! 振り返らないで!」
子供たちが一生懸命駆けていく後ろ姿をちらと確認すると、ゴブリンの分隊に向き合い――(プップ、頼んだわよ……)
ルルの心の声に呼応するかのように、精霊の加護を受けた右腕が淡い蒼色に光り出した。
「来なさい! まぬけたち!」
鮮やかにゴブリンの分隊をせん滅させると、ルルも商館に向かおうと踵を返した時だった。
いつの間にか回り込まれていたのか、右の通路からゴブリンの小隊が見えた。
今ならギリギリ商館に間に合うか――ルルは左の通路寄りを全力で駆けた。
駆けた――が、左からゆらりと歩く大きな――ホブゴブリンの姿が見えた。
「なっ!」
ホブゴブリンは笑っているようだった。そうこうしているうちに、右から来た小隊にも追いつかれた。
その窮地を見て、商館からも救援の者たちが飛び出した――
そのころ、テッドはルルが別の場所で戦っていることが気がかりでありながらも、懸命に、神殿に運ばれてきた重傷者に、持ち前の治癒魔法や医術で処置を施していた。
襲撃が始まって4時間が経過しようとしていた。誰もが額に疲労の色をにじませていた。
「テッド、司祭殿!すまない!僕の治癒魔法はこれで打ち止めになる。あとは二人が頼りだ!」
僕は二人へ声をかけた。
「司祭! すまない! こっちにきてくれ! 守備隊長が! 施術室まで運び込めない!」
瀕死の守備隊長を運んできた兵士が叫んだ。
「わかった! すぐ向かう! テッド! ここを頼んだぞ!」
「はい! 司祭様!」
「テッド! テッド! ルルが!」
神殿の施術室の外から悲痛な声が響き渡った。
テッドが施術室の入り口方向に視線を向けると、左腕が潰され、右肩から右胸にかけて大きな裂傷を負った瀕死のルルが運び込まれてきたところだった。
「ルル!」
テッドはとっさにルルに治癒魔法をかけたものの――彼の淡い緑の治癒光は傷口に吸い込まれはしたが、傷口はなかなか塞がらなかった。
「ルル!!」
テッドがもう一度治癒魔法をかけたが、状況は変わらず。
「そんな……ベイル師! 私の治癒魔法では彼女を……ルルを助けられない! なんとか……なんとか! お願いします!」
悲痛な表情でルルの隣に崩れ落ちたテッドと、今にも命の灯が消えようとしているルルを見て、僕は、僕の治癒魔法の研鑽は今この時のためのものだったのだと感じた。
「わかりました。なんとか……なんとかしましょう!」
そう答えてテッドに首肯すると、僕は自分の内なる魔術回路――全身の隅々にめぐらされた魔術回路に意識を向けた。
魔力を絞り出すようなイメージと共に、全身の魔術回路が引きはがされるような激痛が走った。
「……ぐっ!」
(ここで……! ここで踏ん張れなければ、何のための治癒魔法だ……!)
僕の全身が焼き焦げるかのようなどす黒い橙色に発光した。
ミュリーを喪ってから早30年以上。
日々研鑽を重ね、上級治癒魔法に迫るまで磨き上げた渾身の治癒魔法をルルに送り込んだ――!
テッドの目の前で、全身をどす黒い橙色に発光させたベイル師から――ひときわ輝く緑の治癒光の奔流がルルの患部に流れ込んだ。
みるみるうちにルルの傷が塞がっていった。
全身の出血は止まり、潰された左腕も半ば戻り、右肩から右胸にかけての大きな裂傷はすっかり塞がった。
それまで意識を失ったまま苦しげに呻いていたルルの顔に生気が戻り、穏やかな寝息を立てていた。
「ぁぁ……! ぁぁぁ……! ベイル師! ありがとう。ありがとう……ございます……」
泣き崩れるテッドの肩に手を添え、ひとりごちた。
「今度は……間に合えたよ。姉さん。ミュリー……」
鍛冶屋街は甚大な被害を受けながらも、どうにかゴブリンの襲撃を退けた。
だが、その戦いを境に、これまでの数々の無理がたたったのか、僕の身体は急激に衰え始めた。
そして今は彼女と出会った街に帰ってきていた。
傍らには常に彼女の形見のチョーカーと姉さんの形見の剣があった。
髪はすっかりと白くなり、皮膚には深い皺が刻まれた。
(今年の冬が最後かもしれないな)
そんな僕にもとうとう終わりが訪れたようだ。
いつまでも変わらない頼もしい笑顔の姉。
そして陽だまりのような笑顔のミュリーが手を振っている。
「ただいま」
姉さんが笑っている。
彼女も、あの頃と変わらない笑顔で隣に来てくれた。
旅の途中で見た景色のこと。
助けた人たちのこと。
色々なことが思い出された。
話したかったことが奔流のように口元まで出かかる。
「……でも、続きは歩きながら話そうか」
朝日に染まる金色の野原。
どこまでも続く巡礼路を三人で歩んでいく。
お読みいただき、ありがとうございました。




