婚約破棄を検討していると言われましたが、殿下が理由を忘れるので断罪劇が始まりません
王立貴族学園の大広間は卒業記念舞踏会のために、いつもよりもいっそう眩しく飾り立てられていた。天井から吊るされた水晶灯は星屑のようにきらめき、磨き上げられた大理石の床には、その光が湖面の月影のように映っている。壁際には季節外れの白薔薇が惜しみなく飾られ、楽団が奏でる優雅な旋律が、貴族の子女たちの笑い声と混ざり合っていた。
その華やぎの中心に、ひとりの令嬢がいた。エリローズ・フォン・アルヴェール。ヴィズウェル公爵家の令嬢にして、王太子の婚約者。銀糸のような淡い金髪を結い上げ、青い宝石を散りばめた夜会服に身を包む彼女は、ただ立っているだけで絵画のようだった。微笑みは穏やかで、姿勢は凛とし、扇を持つ指先まで優雅である。
その前に、王太子レオンハルトが勢いよく進み出た。その隣には、栗色の髪をふわふわと揺らす子爵令嬢リディアが、か弱げに身を寄せている。
「エリローズ! お前との婚約破棄を検討している!」
広間が凍りついた。王太子の声を遮らないようにか、楽団の音楽が静かな曲になった。いや、楽団のヴァイオリン奏者が固まっているので、意図したものではないのかもしれない。給仕は銀盆の上のグラスを落としかけたが耐えた。卒業記念舞踏会参加者に動揺が広がる。
だが、最も衝撃が大きいであろうエリローズは、ほんの少し瞬きをしただけだった。
「……殿下、婚約破棄ですか?」
「そうだ! 婚約破棄だ!」
「なぜですの?」
「……なぜだ?」
レオンハルトは、そこで堂々と首を傾げた。
広間に、何とも言えない沈黙が落ちた。すごく気まずい沈黙、全員が同時に「え?」と思ったときの沈黙である。か弱げにレオンハルトに身を寄せていたリディアが慌てて殿下の袖を引いた。彼女は潤んだ瞳で周囲を見回し、それから殿下の耳元に唇を寄せる。
「殿下、……このリディアをいじめた悪女は許せん、ですわ」
声は小さかった。小さかったが、違和感がすごい。リディアが何かしらをレオンハルトに囁いたのは明らかであった。
「そうであった!」
レオンハルトはぱっと顔を明るくした。
「エリローズ! このか弱く美しいリディアをいじめるようなお前は、婚約者に相応しくないからだ!」
リディアはそこで、胸元に手を当てて震えてみせた。立場の弱い令嬢が恐ろしさに震えている、そんな風に見えるような上手な震え方だった。悲劇のヒロイン選手権があったら入賞が狙えるレベルだ。
だが、エリローズは特に反応を示さない。
「……殿下、いじめですか?」
「そうだ! いじめだ!」
「なぜですの?」
「……なぜだ?」
また止まった。レオンハルトの思考が、開けっぱなしの門のように停止した。リディアの額に、うっすら汗がにじむ。彼女は再び殿下の耳元へ近づいた。
「……殿下、このリディアの美しさに嫉妬して、ですわ」
「そうであった!」
レオンハルトは再び復活した。
「エリローズ! お前はこのリディアの美しさに嫉妬していじめたのだ!」
「……殿下、美しさに嫉妬してですか?」
「そうだ! 美しさに嫉妬してだ!」
「なぜですの?」
「……確かになぜだ?」
レオンハルトは真剣な顔でリディアを見た。それからエリローズを見た。さらにもう一度リディアを見て、最後にエリローズを見た。そして、心底不思議そうに言った。
「そんなに美しいのに、エリローズ、お前はリディアに嫉妬したのか? どう考えてもエリローズの方が美しいではないか。」
リディアの笑顔が、微妙に引きつった。広間のあちこちで、扇で顔を隠した令嬢たちの肩が震えていた。笑ってはいけない。しかし笑うなという方が酷であった。
エリローズは、扇で口元を隠しながら、頬をほんのり染めた。
「まぁ! 殿下。照れてしまいますわ」
「エリローズは今日も可愛いな!」
レオンハルトは満面の笑みを浮かべた。完全に婚約破棄の空気ではなかった。
「……で、なんであったか……?」
リディアは一瞬、虚空を見た。たぶん心の中で何かが折れかけた。だが彼女もここまで準備してきたのである。引くわけにはいかない。今度はやや強めに殿下の袖を掴み、耳元で早口に囁いた。
「……殿下、エリローズ! お前はその美しさにあぐらをかき、リディアの教科書を破ったり、服を隠したりと嫌がらせを続け、リディアを怯えさせた、ですわ」
「そうであった!」
レオンハルトは三度目の復活を遂げた。復活のたびに威厳が少しずつ減っていることに、本人だけが気づいていない。
「エリローズ! お前はリディアの教科書を破ったり、服を隠したりしたのだ!」
エリローズは静かに首を傾げた。
「なぜですの?」
「……たしかに」
レオンハルトはまた考え込んだ。広間の空気が「またか」という一体感に包まれる。
もはや貴族たちは断罪劇を見ているというより、レオンハルトの記憶力と論理力の危機を見守っていた。
「……リディアが目障りだったのなら、そんな地味な嫌がらせなどせず、子爵家に正式に抗議を入れれば社会的に立ち行かなくなるだろうし、もっと極端に存在を消す方策もあるだろう。それにそこまでしなくても学園に圧力をかけて他校に転校させることもできるだろうに、なぜそんな地味な嫌がらせをしたのだ?」
レオンハルトは心底納得がいかない顔をしていた。
「エリローズらしくもない。本当に不可解だ。」
その言葉に、広間の何人かが小さく頷いた。失礼な話である。だが、エリローズが本当にやるならもっと優雅に、もっと合法的に、もっと相手が二度と立ち上がれない形で処理するだろうという妙な信頼があった。
エリローズはにこりと微笑んだ。
「殿下。わたくしを何だと思っていらっしゃるの?」
「素晴らしく聡明で、美しく、敵に回すと怖い婚約者だ」
「まぁ! 殿下。照れてしまいますわ」
「事実だ」
リディアの顔から、だんだん血の気が引いていく。何かがおかしい。本来なら今ごろ、エリローズは真っ青になり、周囲から冷たい視線を浴び、リディアは涙ながらに勝利を掴んでいるはずだった。なのに今、レオンハルトは婚約者を褒めている。絶賛である。
「……で、なんであったか?」
レオンハルトが四度目に首を傾げた時、エリローズがすっと一歩近づいた。その動きは、舞うかのように滑らかだった。彼女はレオンハルトのそばに寄り、扇で口元を隠したまま、甘やかな声で囁いた。
「……殿下、処刑ですわ。大して可愛くも美しくもないのに殿下を惑わした罪で、リディア様を処刑です」
その囁きは、砂糖菓子のように甘く。内容は一切の慈悲なく容赦なかった。
「そうであった!」
レオンハルトはまたしても元気よく頷いた。もう誰が何を吹き込んでも信じるのではないか、という危険な確信が広間に広がった。
「リディア! 王族に対する不敬極まれり! 処刑の検討である!」
「ノォォォォォォォォ!!」
リディアの悲鳴が、大広間の天井まで突き抜けた。さきほどまでの可憐な震えはどこへやら、両手をぶんぶん振り回して叫ぶ姿は、悲劇のヒロインというより、魚市場で値切りに失敗した商人のようだった。
「なんでそうなるんですの!?」
「たしかに」
レオンハルトはまた考え込んだ。
「なぜだ? エリローズ」
エリローズは少しだけ困ったように眉を下げた。その表情すら、絵になっていた。
「殿下、処刑はかわいそうなので、とりあえず地下牢行きでよろしいのでは?」
「たしかに」
レオンハルトはあっさり頷いた。
「よし! リディア! 地下牢へ行くのだ!」
「そこで、”はい”と言って自分で行く人がいるんですの!?」
「行かないのか?」
殿下は不思議そうに目を瞬かせた。
「もしかして処刑の方が……」
「ノォォォォォォォォ!? 極端!」
リディアは床に崩れ落ちた。栗色の髪が乱れ、潤んだ瞳はもはや本当に潤んでいる。演技ではない。命がかかると涙は本物になる。
「エリローズ様、すみませんでした! 私が全て悪うございました! 助けて!」
広間の空気が変わった。ざわめきが起こる。先ほどまで黙って成り行きを見守っていた教師や貴族子弟たちも、これでおおよその事情を察した。つまり、リディアは殿下を利用してエリローズを陥れようとした。しかし肝心のレオンハルトが、勢いだけで動き、理由を毎回忘れ、相手の囁きに容易に上書きされるという、想定外の性能を発揮したのである。罠を仕掛けたつもりが、罠が自走して自分に戻ってきた。ある意味、見事な因果応報であった。
エリローズは静かにリディアを見下ろした。その瞳は冷たくもなく、怒りに燃えてもいない。ただ、優雅だった。だから余計に怖い。
「うふふ、どうしましょう」
リディアは震え上がった。レオンハルトも、つられて少し震えた。エリローズはゆっくりと扇を閉じた。ぱちん、という小さな音が、不思議なほど大きく響いた。
「殿下」
「なんだ、エリローズ」
「まず、婚約破棄はなさらないのですわよね?」
「もちろんだ。なぜ私がエリローズと婚約破棄しなければならないのだ?」
広間中が心の中で叫んだ。あなたが言い出したのです。だが誰も口には出さなかった。王太子殿下である。そして何より皆、エリローズの微笑みが怖かった。
「では、リディア様の処遇ですが」
「地下牢か?」
「地下牢も少し大袈裟ですわ」
「処刑か?」
「なぜ戻りますの?」
「すまない」
レオンハルトは素直に謝った。エリローズはリディアへ視線を向ける。
「リディア様。あなたが殿下に何を吹き込んだのか、わたくしはこの場では問いません」
「え……?」
「ただし明日、学園長、王宮法務官、あなたのご実家の子爵、そしてわたくしの父を交えて、正式にお話を伺います。その場で、教科書を破った件、服を隠した件、その他わたくしに関する虚偽の証言について、ひとつひとつ確認いたしましょう」
「あ、あの……」
「ご安心なさって。わたくし、あなたを処刑するつもりはありません」
エリローズは微笑んだ。
「社会的な形で、適切に、丁寧に、後腐れなく処理いたしますわ」
「やっぱり怖いですわぁぁぁぁ!」
リディアの叫びは、今夜いちばん心からのものだった。レオンハルトは感心したように頷いた。
「処刑しないなんて、やはりエリローズは優しいな」
「ええ。わたくし、慈悲深い女ですもの」
「うむ。可愛い」
「まぁ、殿下ったら」
その横でリディアが床に伏したまま、しくしく泣いている。誰も助けに入らない。自業自得という言葉が、これほど似合う状況も珍しかった。やがて学園長が咳払いをし、衛兵が控えめに進み出た。
エリローズは彼らに軽く頷く。
「リディア様を別室へ。逃げないように見張りをつけてくださいませ。地下牢でなくて結構です。……まだ」
「まだ!?」
リディアは最後の力で叫んだ。衛兵に支えられながら連れて行かれるリディアの後ろ姿を見送り、レオンハルトはふむと顎に手を当てた。
何も解決していないようで、実はだいたい解決している気もする。広間に、ようやく音楽が戻る。楽団は恐る恐るワルツを奏で始めた。レオンハルトは何事もなかったかのように手を差し出す。
「エリローズ。一曲踊ってくれるか?」
「ええ、喜んで」
エリローズはその手を取った。ふたりは大広間の中央へ進み出る。つい先ほどまで婚約破棄が宣言されていたとは思えないほど、優雅に、自然に、ワルツが始まった。レオンハルトの足取りは軽く、エリローズのドレスの裾は花びらのように舞う。周囲の者たちは、半ば呆れ、半ば安堵しながら、その光景を見守った。
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その大広間の端で、ただ一人、安堵とは違う感情でその光景を見つめている令嬢がいた。ロザリー・フォン・アルヴェール。ヴィズウェル公爵家の令嬢にして、エリローズの妹である。
淡い桃色の髪をふわりと結い、薔薇飾りのついた小さな扇を胸元で握りしめた少女は、柱の陰から大広間の中央を凝視していた。
彼女は、先ほどから一部始終を見ていた。婚約破棄を検討している、などという聞き捨てならない宣言。それに対して一切動じない姉。理由を問われるたびに停止する王太子。慌てて囁くリディア。その囁きを大声で復唱する王太子。そして、問い返す姉。リディアが焦って言葉を足す。姉がまた問い返す。周囲が察する。リディアが自滅する。
最後には、婚約破棄どころか、姉と王太子が何事もなかったかのようにワルツを踊っている。ロザリーは、ぷるぷると肩を震わせた。怖がっているのではない。ツッコミを我慢しているのである。
「……物語が」
小さな声だった。だが、魂の底からにじみ出た声だった。
「物語が、始まりませんわ……!」
ロザリーは扇をぎゅっと握りしめた。
「お姉様っ! 平和、圧倒的平和。とても平和です! なにが、うふふ、どうしましょう、ですの! 可愛すぎますわ! お姉様!」
そこで一瞬、ロザリーは頬を赤く染めた。姉への愛が勝った。しかしすぐに我に返る。
「……脱線しましたわ。違いますわ。なんという協力プレイなんですの!」
彼女は、優雅に踊るエリローズとレオンハルトを見つめた。大広間の中央で踊る二人は、絵画の中から抜け出してきたようだった。王太子は穏やかに微笑み、エリローズはその手を取り、淡い金髪を光にきらめかせている。
だが、ロザリーには分かっていた。あれは、ただの仲睦まじい婚約者同士の舞踏ではない。勝利の舞踏である。
「殿下、……なぜだ? じゃありませんわ」
ロザリーは扇の陰で目を細めた。
「日頃そんなおとぼけキャラではありませんでしょう。もっと聡明冷徹、外交交渉でも貴族派閥相手でも一歩も引かず、けれどお姉様にだけは甘々系な王太子ではありませんか」
そう。レオンハルトは、本来あのような人物ではない。学園の成績は常に首席級。王国史、法制、財政、軍事、外交、どの分野においても教師陣を黙らせるほどの才を持つ。王宮の会議に同席すれば、老獪な貴族相手に平然と急所を突く。決して、理由を三歩ごとに忘れるような人物ではない。
「もう間違いなく、わざとですわ……!」
ロザリーは震えた。つまり、あれは演技だった。レオンハルトはリディアの言葉をあえて受け取り、あえて復唱し、あえて理由を尋ねた。そうすることで、リディア自身に言わせたのである。エリローズが悪女である理由を。いじめがあったという筋書きを。嫉妬という動機を。教科書や衣装の件を。それらを、すべて。リディア自身の口から。しかも大広間中の貴族たちが見ている前で。
「公開尋問ですわ……」
ロザリーはごくりと息をのんだ。
「しかも、お姉様はほとんど何もしていらっしゃらない。ただ、なぜですの、とお尋ねになっただけ。殿下はおとぼけのふりをして、リディア様に台本を吐き出させた。お姉様はその台本の穴を、微笑みながら一つずつ広げていった……」
怖い。怖すぎる。あまりにも息が合っている。目配せも合図もなかった。なのに二人は、最初から最後まで同じ流れを共有していた。おそらく、リディアが何かを仕掛けてくることは事前に掴んでいたのだろう。だが、具体的な台詞までは分からなかったはずだ。にもかかわらず、即興であそこまで綺麗に相手を自滅させた。
「こわい婚約者コンビですわ……!」
ロザリーは思わずつぶやいた。それから、ふと自分の胸元に隠していた小さな革表紙の手帳に触れた。そこには、彼女が今日まで密かに集めていた記録がある。
リディアが教科書を自分で破った可能性。隠されたはずの衣装が実は本人の部屋にあったという証言。なんならリディアが自分で池に飛び込んだのを見ていた証人も確保していたし、リディアが数日前から今日の舞踏会で何かを起こすとほのめかしていた証言もとっていた。すべて、姉を守るために集めたものだった。
本当なら。本当なら、ロザリーはここで颯爽と飛び出す予定だったのである。
『その告発、待っていただきますわ!』
そう言って証拠を掲げる。周囲がどよめく。リディアが青ざめる。エリローズが驚いたように振り返る。
『ロザリー、あなた……』
そしてロザリーは言うのだ。
『お姉様の潔白は、このロザリーが証明いたしますわ!』
完璧だった。姉妹愛。逆転劇。抱擁。場合によっては涙。すべて準備していた。
なのに。
「お姉様と殿下が、全部終わらせてしまいましたわ……!」
ロザリーは悔しそうに唇を噛んだ。いや、悔しいわけではない。姉が無事だったのだから、それが何よりだ。姉が傷つくこともなく、婚約破棄などという馬鹿げた茶番も成立せず、むしろ姉の美しさと聡明さと恐ろしさが大広間中に知れ渡ったのだから、それは良い。
とても良い。
最高に良い。
ただ。
「妹の見せ場が……!」
ロザリーは扇で顔を覆った。
「お姉様っ! 妹の見せ場を! ほんの少し! ほんの少しだけ残してくださいませ!」
その時だった。ワルツを終えたエリローズが、レオンハルトと共に大広間の端へ歩いてきた。ロザリーはびくりと肩を跳ねさせた。まっすぐ、こちらへ向かってくる。エリローズは、まるで最初からそこにいると知っていたかのように、迷いなくロザリーの前で足を止めた。
「ロザリー」
「お、お姉様」
「ずいぶん熱心に見ていましたわね」
「そ、そんなことはございませんわ。ほんの少しだけです。ほんの、最初から最後まで」
「全部ですわね」
「はい」
ロザリーは即答した。姉には嘘をつかない。エリローズはくすりと笑った。
「あなた、何か持っているでしょう?」
「な、何のことでしょうか」
「証拠ですわ。リディア様の自作自演に関するもの」
ロザリーの肩が再び跳ねた。
「なぜご存知なんですの!?」
「あなたの考えそうなことですもの」
エリローズは当然のように言った。ロザリーは胸を押さえた。尊い。姉が自分を理解している。これは実質、抱擁ではないだろうか。いや、まだ違う。まだ抱擁ではない。
レオンハルトが静かに口を開いた。
「ロザリー。君の集めた証拠は、明日の正式な聴取で必要になる。協力してくれるか」
その声は、先ほどまでの「なぜだ?」を繰り返していた人物と同じものとは思えないほど落ち着いていた。低く、静かで、王太子としての威厳がある。ロザリーは、やはり、と確信した。先ほどのあれは完全に演技だった。
「もちろんですわ!」
ロザリーはぱっと顔を輝かせた。
「このロザリー・フォン・アルヴェール、全力でお姉様の潔白と美しさと可愛らしさと尊さを証明いたしますわ!」
「後半は証明しなくてもよい。分かりきったことだからな」
「まぁ! 殿下。照れてしまいますわ」
レオンハルトは真顔で答える。
「エリローズが美しく可愛いことは、王国の誇るべき事実だ」
「殿下……!」
ロザリーは感動した。この方は分かっている。姉を婚約者に持つ者として、最低限にして最高の理解をしている。エリローズは扇で口元を隠した。
「二人とも、大げさですわ」
「大げさではありませんわ、お姉様!」
「事実だ、エリローズ」
「まぁ」
エリローズは少しだけ頬を染めた。ロザリーはその表情を見て、胸を押さえた。可愛い。今すぐ肖像画に残すべき可愛さである。むしろ王立美術院に緊急招集をかけるべきではないか。だが、ここで叫んでは淑女らしくない。ロザリーは必死に耐えた。
「ロザリー」
エリローズが柔らかく呼んだ。
「あなたがわたくしのために動いてくれていたこと、嬉しく思いますわ」
「……お姉様」
「よく頑張りましたわね」
その言葉と同時に、エリローズの手がそっと伸びる。白い指先が、ロザリーの頬に触れた。ロザリーは固まった。褒められた。頬に触れられた。もう十分である。いや、十分ではない。欲を言えば抱擁もほしい。だが、そんな贅沢を望んでよいのだろうか。
ロザリーが内心で葛藤していると、エリローズは小さく笑い、そのまま妹をふわりと抱き寄せた。
「お姉様ぁ……!」
ロザリーは陥落した。圧倒的陥落である。先ほどまで「物語が始まりませんわ」と嘆いていた少女は、姉の腕の中で完全に幸せになっていた。レオンハルトはその様子を見て、穏やかに目を細めた。
「やはり、ロザリーは君に似ているな」
「そうかしら?」
「敵に回したくないところが」
「まぁ」
エリローズは楽しそうに笑った。ロザリーは姉の腕の中から顔を上げる。
「殿下」
「なんだ?」
「本日の殿下のおとぼけ演技、正直少し可愛かったですわ」
「……それは褒め言葉か?」
「お姉様の可愛さには遠く及びませんが」
「それは当然だ」
「当然なんですのね」
エリローズはそんな二人を見て、また扇で口元を隠した。
「さて、ロザリー。明日の聴取に備えて、あなたの証拠を整理しましょうか」
「はい、お姉様!」
「殿下もご一緒に?」
「もちろんだ。私の婚約者を陥れようとした者の処理だ。最後まで見届ける」
その声は静かだった。先ほどの「なぜだ?」の殿下はもういない。いるのは、王国の次代を担うにふさわしい、冷徹で聡明な王太子である。ただし、その視線がエリローズへ向くと、すぐに甘くなる。
「それに、エリローズと一緒にいたい」
「まぁ、殿下ったら」
「また始まりましたわ」
ロザリーは小さく呟いた。冷徹王太子。お姉様限定で砂糖漬け。重い。甘い。でも良い。非常に良い。ロザリーは扇を広げ、決意を新たにした。こうして、卒業舞踏会の夜。表向きは、王太子が婚約破棄を検討し、しかしなぜか理由を忘れ、リディア子爵令嬢が自滅し、エリローズ公爵令嬢が微笑みながら事態を収めた一件として記録された。
しかし裏では。公爵令嬢エリローズ。王太子レオンハルト。そして妹ロザリー。三人による、静かで恐ろしい証拠整理会議が始まろうとしていた。ロザリーは思った。物語は始まらなかったのではない。すでに始まっていたのだ。ただし、断罪されるのは姉ではない。姉に喧嘩を売ったリディアである。
「……こわいですわ」
ロザリーはぽつりと呟いた。それから、姉の横顔を見て、ふにゃりと笑った。
「でも、お姉様が可愛いので全部よしですわ」
その言葉に、エリローズは小さく首を傾げた。
「ロザリー、何か言いまして?」
「いいえ。お姉様は今日も世界一お可愛いです、と」
「ふふっ、ありがとうロザリー」




