第8話 「選ばなかった結果」
気づけば、季節が少しだけ変わっていた。
街の色が、前より少しだけ薄く見える。
理由はわからない。
でも、自分の中の何かが減っている感覚だけははっきりしていた。
日常は続く。
仕事も、会話も、食事も、問題なくこなせる。
むしろ、周囲から見れば何も変わっていない。
――何も変わっていない“ふり”だけが上手くなっていく。
スマホが鳴る。
彼からだった。
心臓が一瞬だけ反応する。
『ちょっと相談いい?』
またそれだ。
少しだけ期待してしまった自分が、嫌になる。
でも、断れない。
『いいよ』
送ったあと、すぐに後悔する。
いつも同じ流れ。
会う。
相談される。
ありがとうと言われる。
終わる。
それだけ。
なのに、まだ期待している。
――次こそは違うかもしれない。
そんなわけないのに。
彼はもう“選ぶ側”ではなく、“迷う側”ですらない。
もう、決まっているのかもしれない。
そう思った矢先、噂を聞く。
同僚の会話の中に、偶然混ざる名前。
「そういえばさ、あの人彼女できたらしいよ」
一瞬、時間が止まる。
聞きたくない情報ほど、なぜか正確に入ってくる。
彼。
“相談相手”だった彼。
誰かと一緒にいるらしい。
頭の中が静かになる。
――じゃあ、私はもう完全に“外側”なんだ。
理解するのに時間はいらなかった。
ただ、心だけが遅れて痛み始める。
その夜。
また彼から連絡が来る。
『今ちょっといい?』
反射で嬉しくなる。
でも、すぐに冷静になる。
――また相談だ。
『いいよ』
短いやり取り。
通話が始まる。
聞き慣れた声。
「ごめん、ちょっとさ」
もう、何度目だろう。
“ちょっと”の中に、私はずっといる。
「やっぱさ、どう思う?」
誰かの話。
誰かの気持ち。
私はまた、それを整理する役。
ふと気づく。
私は彼の人生の“途中処理”になっている。
恋愛でも、友達でもない場所。
便利で、安全で、壊れない場所。
通話を終えたあと、静かになる。
その静けさが、一番つらい。
ベッドに倒れ込む。
天井を見ながら、思う。
――あの頃は、こんなに苦しくなかった。
思い出すのは、元彼ではない時間。
曖昧な誰かと過ごした、短い時間。
名前も曖昧な会話。
特別でもないやり取り。
でも、あのときはこんなに痛くなかった。
――あれは恋愛じゃなかったから?
そう思った瞬間、胸が締め付けられる。
恋愛じゃなかったもののほうが、楽だったのか。
なら、今のこれは何?
恋愛なのに、報われない。
恋愛なのに、選ばれない。
それが一番苦しい。
スマホが鳴る。
彼ではない。
新しい出会いの人。
『今度、ちゃんとご飯行かない?』
優しい。
真っ直ぐ。
でも、心は動かない。
どれだけ丁寧にされても、そこに“過去の影”がある限り、届かない。
私は、どこにもいけない。
元の人はもう別の誰かといる。
でも、まだ終われない。
選ばなかった結果だけが、積み上がっていく。
そして気づく。
私は“選ばないこと”を選び続けている。
その代償として、全部を失いかけている。
胸の奥が静かに痛む。
――選ぶって、こんなに怖かったっけ。
誰にも届かない問いだけが残る。




