第5話 「その優しさは、誰のためだったの?」
あの日の夜から、少しだけ日常が変わった。
変わった、というより――戻ってしまった。
スマホを見る回数が増えた。
通知音に敏感になった。
仕事中でも、ふと意識が飛ぶ。
彼からの連絡は、続いていた。
『昨日はありがとう』
『あの店、また行きたいね』
『今度、いつ空いてる?』
そのどれもが、優しかった。
でも。
どこか“軽い”。
深く踏み込んでこない距離。
昔と同じ、あの距離。
――今度、いつ空いてる?
その言葉を見るたびに、少しだけ期待してしまう。
もしかしたら。
今度こそ。
ちゃんと向き合おうとしてくれているのかもしれない。
そんな、ありえない希望。
私はそれを、必死で否定しながら、
同時に捨てきれずにいた。
そして、返信してしまう。
『今週なら少し』
送ったあと、すぐに後悔する。
――また、同じことをしてる。
でも、止められない。
当日。
待ち合わせ場所に向かう途中、
何度も足が止まりそうになる。
逃げたい。
でも、逃げたら全部終わる気がした。
彼は、すでに来ていた。
「早いね」
「そっちこそ」
軽い会話。
何も変わっていない。
安心と、同時に違和感。
「今日はちょっと、話したいことあってさ」
その言葉に、胸が少しだけ跳ねる。
――来た。
そう思ってしまう自分がいる。
「何?」
できるだけ普通に聞く。
彼は少しだけ視線を外してから、言った。
「実はさ、今ちょっと気になってる子がいて」
――一瞬、意味がわからなかった。
音が、遅れて入ってくる。
「え?」
それだけしか出なかった。
「だからさ、相談っていうか……
女の子の気持ちって難しくてさ」
その言葉の続きが、もう頭に入ってこない。
気になってる子。
相談。
じゃあ、私は――
何?
心の奥で、何かが音を立てて崩れる。
でも顔は、動かない。
「……そうなんだ」
やっとそれだけ言えた。
声が、自分のものじゃないみたいだった。
「うん。でもさ、話しやすいのってお前なんだよ」
その一言が、さらに追い打ちをかける。
話しやすい。
都合がいい。
安心できる。
それって。
“恋愛対象じゃない”ってことじゃないの?
胸の奥が、じわじわと痛くなる。
でも彼は続ける。
「だからさ、ちょっと相談乗ってくれる?」
その瞬間。
全部が、確定した。
――ああ、そういうことか。
優しさじゃなかった。
期待でもなかった。
ただの“都合のいい場所”だった。
私は、笑おうとした。
でも、できなかった。
「……うん、いいよ」
言ってしまった。
断れなかった。
また。
また、同じだ。
彼は安心したように笑う。
「助かるわ」
その笑顔が、遠い。
昔好きだったはずの顔なのに。
今はもう、何も響かない。
帰り道。
空がやけに重い。
スマホが震える。
『今日はありがと!やっぱ話しやすいわ』
その一文を見て、息が詰まる。
やっぱり。
私は“恋愛”じゃなかった。
“安心枠”だった。
ただそれだけ。
――なんで期待したんだろう。
自分に対して、初めて怒りが湧く。
でも同時に、わかってしまう。
期待してしまうのが、やめられないことも。
帰宅して、靴を脱ぐ。
そのまま床に座り込む。
涙は出ない。
でも、胸の奥がずっと痛い。
スマホを見つめる。
もう一度、メッセージを開く。
何度見ても同じ。
優しさのようで、距離を置く言葉。
――もう終わってる。
そう気づいてしまった瞬間。
静かに、何かが壊れた。




