第2話 「優しさの種類」
朝、目が覚めて最初にしたのは、スマホの確認だった。
――あ。
少しだけ、間が空く。
昨日までなら、無意識に開いていたトーク画面。
でも今は、その名前がもうどこにもない。
自分で消したのに、少しだけ探してしまう。
馬鹿みたい。
代わりに開いたのは、特に何もないホーム画面。
通知もない。
当たり前なのに、妙に静かだった。
「……すっきりした、はずなんだけどな」
口に出してみる。
でも、その言葉はどこか軽くて、
自分の中に落ちてこなかった。
“終わった”。
そう思っていたのに、
気持ちはそんなに単純じゃない。
会社に向かう電車の中。
いつもより少しだけ顔を上げてみる。
窓に映る自分は、昨日よりはマシに見えた。
――いや、気のせいかもしれない。
駅を降りて、改札を抜けたところで。
「おはよう」
聞き覚えのある声に振り向く。
「あ……おはよう」
そこにいたのは、昨日の彼だった。
偶然、というには出来すぎている気がする。
「この時間なんだ」
「うん、いつもこのくらい」
「そっか」
それだけの会話なのに、なぜか変に意識してしまう。
昨日のことが頭に残っているからだろうか。
「昨日、大丈夫だった?」
さらっと聞かれる。
「うん、大丈夫」
即答した。
――本当は、ちょっと違う。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
軽く笑ってみせる。
こういうときの“ちゃんとした顔”は得意だ。
「そっか」
それ以上、彼は踏み込んでこなかった。
それが、少しだけ拍子抜けで。
でも同時に、少しだけ安心した。
会社までの道を、なんとなく一緒に歩く。
無理に話題を探さなくても、沈黙が苦じゃない。
不思議だった。
昨日までの自分なら、
沈黙は“気まずいもの”だったのに。
昼休み。
スマホを開く。
――やっぱり、何もない。
当たり前だ。
もう連絡先は消した。
来るはずがない。
それでも、少しだけ期待してしまう。
もし、別の手段で連絡が来たら、とか。
そんな都合のいいことを考える自分に、少し呆れる。
「なに、ぼーっとしてる」
声をかけられて顔を上げると、彼がいた。
「え、なんでここに?」
「たまたま通っただけ」
本当にたまたまなのかは、わからない。
「ご飯、食べた?」
「まだ」
「じゃあ一緒に行く?」
あまりにも自然な流れで、誘われる。
「……いいの?」
「いいよ」
その“いいよ”が、軽すぎなくて、少し驚く。
昨日までなら。
誰かに誘われること自体、ほとんどなかった。
自分から動くばかりで、
“誘われる側”になることに慣れていない。
「じゃあ、行こう」
頷きながら、少しだけ違和感を覚える。
――なんで、こんなに楽なんだろう。
カフェで向かい合って座る。
「何食べる?」
「なんでもいいよ」
「それ一番困るやつ」
少し笑われる。
「じゃあ、これとか」
「いいね、それにする」
決めるのが早い。
迷わない。
それだけで、会話がスムーズに進む。
前の恋は、違った。
何をするにも、相手の様子を伺っていた。
誘っていいのか。
今、大丈夫なのか。
でも今は――
そんなことを考えなくていい。
「なんか、元気になった?」
ふいに聞かれる。
「え?」
「昨日より顔、明るい」
一瞬、言葉に詰まる。
「そうかな」
本当は、まだ整理できてない。
でも、“元気じゃない”とも言いたくない。
「うん、いい感じ」
そう言って笑う彼の顔が、少し眩しい。
――なんでこんなに、まっすぐなんだろう。
「優しいね」
気づいたら、そう言っていた。
「普通でしょ」
「普通じゃないよ」
即答してしまう。
「そう?」
「うん」
少しだけ沈黙が落ちる。
本当は聞きたい。
なんでそんなに優しいのか。
誰にでもそうなのか。
でも、聞けない。
期待してしまいそうで。
「……ありがとう」
代わりに出てきたのは、無難な言葉だった。
本当は違う。
“嬉しい”とか、“戸惑う”とか、
もっとちゃんとした感情があるのに。
帰り道。
「じゃあ、また」
「うん、また」
その“また”が、少しだけ違って聞こえた。
曖昧じゃない。
ちゃんと続いていく感じがする。
家に帰って、ベッドに倒れ込む。
静かな部屋。
スマホを手に取る。
通知はない。
でも――
今日は、何度も確認しなかった。
「……なんでだろ」
あんなに気にしていたのに。
あんなに振り回されていたのに。
少しだけ、距離ができている気がする。
でも。
完全に消えたわけじゃない。
まだ、好きだと思う。
たぶん。
それでも――
今日、少しだけ思った。
“好き”って、こんなに苦しいだけじゃなかったかもしれない。
その考えに気づいた瞬間、
胸の奥が、少しだけ揺れた。




