アヒージョのオイルは捨てないで
「-ーすいませんご馳走してもらって」
女は頭を下げた。
「いえいえ、構いませんよ。こうやって人と会話するのも醍醐味ですから」
答えたのは一見すると妙齢の女性と判じられる。なぜ“一見すると”なのか。それは彼は女装した男だから。
女装男子と呼ぶには齢を重ねているが、“オネェ”ではない。恋愛対象は異性だ。
それはさておき、目の前の女はかなり洒落っ気のない格好をしていた。
紺色のトレーナーにまだ青々としたGパン。肩までの黒髪は切りっぱなしの印象が強い。
だが、艶はあり、肌もキメが細かい。磨けば光る可能性は大だ。
「それにしても……」
女は上を見る。
太陽が落ち、濃紺へと趣を変えた空には、無数の星々がちりばめられている。『夜の絶景百選』なる雑誌に掲載されてから、この広場にも客が押し寄せるようになった。
いつのにかソロ専門のキャンプ場まででき、少し足を動かせば多種多様なテントが目に飛び込んでくる。
だが、彼がいたのはやや奥まったところ。物好きはいるもので、近寄ってくる輩もいる。
何人かのときもあるが、時に一人で。
「ここにいるとなんか夜空を独り占めしている感じですよね。まあ、わたくしがいるから今はそうなりませんけど」
そう言って女は椅子から立ち上がる。
-ー違和感を抱かなかったのだろうか。折り畳みとはいえ、用意してあったことに。追い返さないだけならばともかく。
運動後を思わせる吐息をついてから、彼女は立ち上がる。
「じゃあ、わたくしはこれで……」
直後、その身体がかしぐ。
「大丈夫?」
帰ってくる言葉はない。
彼は闇の中、唇で下向きの弧を描いた。
まさかこんな上玉が釣れるとは思わなかった。
睡眠薬を持ったアヒージョとスモアを食べている姿を眺めながら、ヨダレを垂らしそうになったが、必死で耐えていたのだ。
ここは人間の精気を糧とする妖彼の餌場。獲物は彼女みたいに一人でやって来た馬鹿。
すべて精気を吸えば相手は死ぬが、だからどうしたと言うのか。知らない相手に心を許す方が悪い。
いつものように獲物の喉を掴み、精気を吸い始める。掌から全身の細胞一つ一つへと“旨味”が広がっていった。
心臓の鼓動が速くなる。もっと欲しい、もっと欲しい。
本能に従い、加速度的に食事を進め-ー
「!?」
不意に、手首を握られた。信じがたいができる奴など一人しかいない。
女。
餌食まれるだけの者が、明確な意思を持って行動していた。
いや……
彼は見た。
女の目が完全に閉ざされているのを。しかも、寝息に一切の乱れがない。
常軌を逸した光景に息を呑んでいたら、心臓が一段と鼓動を早めた。
熱い、五体が熱い。
汗が滝の風情で流れ落ちる。
先程まで彼は女のエナジーを取り込んでいた。だが今は、掴まれた手首へと猛スピードで栄養が流れて……否、押し付けられている。
「バ、バカ、やめろ」
震える声で抗議するが、聞いてもらえない。
逃れようにも拘束する力は強く、引き剥がせない。
「あ、ああ……」
-ー一瞬だったのは不幸中の幸いか。
彼の肉体は空気を入れすぎた風船さながらにはぜ割れた。
「-ーなあ、その身体マジでどうなっているんだ?」
妖怪に襲われたときの一部始終を話した相手は、女にそう訊いていた。
女の名前は原賀成未。ワケアリと言われればワケアリだが、そんな奴らは世間に存外いる。
ここは像ヶ原警邏隊取調室。局長の長壁譲は眉間にシワを寄せ、成未を凝視していた。
「そんなこと言われてもわたくしもわからないんですよ。まあ、無事だったから構いませんけどね」
口元を綻ばせる。
譲は大きなため息をつき、
「まあ、隕石が直撃してくたばらなかった時点で只者じゃないのは確かだけどな」
「だからわたくしを徴兵したんじゃありませんか?」
「やったのは俺じゃない」
成未が仕留めたのは何人もの人間を喰らってきた化け物らしく、彼女の行為には正当防衛が認められた。彼の肉体は破裂し、辺りに血肉や骨、内臓の類いが無数の欠片と化し、散らばっていた。警邏隊の面々も目を背ける域だったという。
便利屋の強化版に勤めている彼女も掃除に駆り出された。もっとも成未にできたのは物理的な清掃で、霊を祓うのはそれを専門とするプロの役目だが。
事が済んだところで、成未は警邏隊詰め所の近くにあるレストランに入っていた。
注文したのは、マッシュルームのアヒージョとミニサイズのスモア。スモアはスイートとビターの二種類があり、選んだのは後者。
丸っこいキノコを噛み砕き、合間にスキレットで焼かれたスイーツを挟んでいく。
妖が引っかけたときの餌は、エビのアヒージョと甘ったるいスモア。プリプリの海産物とガツンとくる甘味の取り合わせもなかなかであったが、こちらもこちらで旨い。
何より、死の危険性がないのが一番だ。
どうしたら自分が死ぬか、成未にはわからないが。
アヒージョがオイルだけになったところで、カットされたバゲットを入れ、キノコのエキスがしみたソースを纏ったそれを口に入れる。
-ーあのときはあれができなかったもんなぁ……
もしあの妖が生まれ変わったとしたら、ぜひ知ってもらいたい。彼はオイルを捨てていたのだから。




