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ナイフと棒切れ

 長く伸びる廊下は薄暗く、ひんやりとして肌寒かった。地下になっているのか、窓の類は一切ない。

 しばらくキョロキョロしていたみちるだったが、廊下の向こうから足音と声が聞こえてきたので、捕らわれていた小部屋へ一度引っ込み、扉の影から廊下の様子を伺う。やってきたのは二人組の男だった。


「黒森、どこ行ったんだろうな……外に出られたりしたら、ボスにどやされちまうよ」

「いやぁ、入り口は見張りがいるし、上の階の窓はみんな、木が打ち付けてあって出られないし。逃げようったってそうはいかないだろ」

「まあ、そうだな……なんにせよ、早く連れ戻さないと、俺らの立場も危ういぜ。ボス、かなりキレてるみたいだったからな」


 彼らはブツクサぼやきながら、小部屋の前を通り過ぎていった。

 みちるはひとまず、彼らが部屋に入ってこなかったことに胸を撫で下ろす。それに逃げ出したという黒森も、どうやらまだ捕まってはいないらしい。


「荷物、どこにあるんだろう……っていうか、この建物、いったいなんなの?」


 改めて廊下に出て、いくつか並んだ部屋をそっと覗いてみる。しかしどの部屋も荒れていて、もともと何らかの施設だったものが廃墟になったのだろう、ということくらいしかわからなかった。

 ただみちるにはどういうわけか、建物全体に、どこかで嗅いだことのある匂いが漂っているような気がしていた。しかしその正体まではわからない。


「うーん……」


 みちるはしばし考え、敵の目を憚りつつ上の階を目指すことにした。


 さっき男二人が歩いていった方とは逆方向に進むと、廊下の端にたどり着く。突き当たりには扉があって、開けると階段が上と下に伸びていた。

 神経を尖らせ敵の気配を探りつつ、階段を上る。途中何度か、手すりに手をついて呼吸を整えた。体の具合は次第に悪くなっているらしかった。一刻も早く、薬を飲まなければならない。


 辿り着いた一つ上の階を探索しようとしたものの「1」と書かれたプレートのあるこの階層へは、なぜか木材やらカラーコーンやらが山積みにされており、扉を開けて立ち入ることができなかった。なんらかの工事が中断されたまま、放置されているのかもしれない。


 仕方がないので、みちるはもう一階上へと進む。今度は「2」と書かれたプレートが壁に取り付けられていた。どうもみちるが捕らわれていたのが地下1階で、今地上2階へと上がってきたらしい。2階へは特に障害物もなく、難なく立ち入ることができた。


 また同じような廊下に出て、そっと辺りの様子を伺う。長い廊下に、人の姿は見当たらない。


「よかった、誰もいない」


 思わずそう呟き、一つ息を吐き出したところだった。


「ほんとにそうかな?」


 背後から声がした。


 咄嗟に身を翻して距離をとる。確かに伸びる廊下に人影は見えないが、階段を進むみちるの後ろから、誰かついてきていたらしい。

 港でアトスと融合した時には、敵が放つ澱んだ空気のようなものを、離れていても簡単に感じ取ることができた。しかし今は、どこか意識が朦朧としていて、ちっとも気づかなかった。一体いつから背後をつけられていたのだろう。


 派手な柄シャツを身につけた、細身の男だった。品定めするようにこちらを見るその顔には、眉がない。


「黒森だけじゃなくて、ガキの方まで逃げてたとはなぁ」


 廊下を一歩進むと、向こうも一歩踏み出してくる。一歩、また一歩。じりじりと、みちるは長い廊下を追い詰められていく。


 と、額に汗を滲ませ後退りを続けるみちるの足に、何かが引っかかった。思わずつまづきそうになるのを慌てて堪える。

 それは長い木製の棒だった。どうやら箒か何かの柄の部分らしい。本体とも言える穂の部分は、どこへ行ってしまったのだろう。


「しっかし、黒森もお前も、運が悪いな。俺らみたいなのに目ぇつけられてさ」


 その他人事のような口ぶりにムッとする。


「そうよ。黒森さんは、とっても素敵な物語を書く、とっても優しい人のはずなのに……あんたたちみたいな変な組織に関わったせいで、めちゃくちゃになったのよ。どーしてくれんのよ。それに『夜空の騎士』の続きはどーなったのよ!」

「はあ?」


 柄シャツの男は一瞬きょとんとした顔になるが、しかしすぐに、言葉に熱のこもるみちるを鼻で笑った。


「でも、騙される方も悪いんだぜ。組織の仕事を手伝ってくれたら、妹さんの病気を治せる医者を紹介してやる、なんて誘いに乗ってよ……たった一度でも、俺らみたいなのと付き合っちまったら、もう綺麗な世界には戻れねぇ。戻りたいなんて言ったら、上に何されるかわからねぇし。まあそもそも、そんな凄腕の医者のツテなんか、あるわけねぇんだけどな」

「ひどい……!」

「そうは言うけどなぁ」


 いつしか目に涙を浮かべ憤慨するみちるを、柄シャツは鬱陶しそうにあしらう。


「アイツだって、けっこう乗り気でやってたんだぜ? 人間、一度悪いことしちまえば、もうその次の躊躇なんか消えちまうんだよ。残るのは、自分さえよければいいって感情だけ。自分が金を得られたら、ボスにいい顔できたら、あとは誰がどうなろうが知ったこっちゃない……ま、さすがに次の仕事が大きすぎて、怖気付いたらしいけど」

「黒森さんはそんな人じゃない! あんたたちに無理やり悪いことさせられてただけだよ。ほんとのほんとに悪い人なわけない!」


 食い下がるみちるに、柄シャツはため息をついた。


「まあそう思いたいなら思ってるといいさ、世間知らずのお嬢ちゃん。どのみちお前もアイツも消されるんだからよ……!」


 言うが早いか、胸元から何か取り出す。ナイフだ。鞘から出された刃がギラリと鈍い輝きを放っている。


 ナイフ片手に、柄シャツがこちらへ突っ込んでくる。みちるは間一髪それをかわし、しゃがんで足元の木の棒を手に取った。彼の足にひっかけてやろうとするも、すんでのところで飛び越えられる。


「危ないもん持ってんじゃねぇか」


 ナイフを振りかぶる柄シャツに、みちるは棒を盾に対峙する。


 公園で、拾った棒切れを振り回して遊んだことすらない。剣道の授業だって受けたことがない。それでもみちるには、感覚的に、どう構えたらいいのかわかった。正しいのかそうでないのかわからないが、自分の動くべき道筋が、脳内にはっきりと思い描かれている。


 その道筋に沿って、一歩前へ躍り出た。振り下ろされるナイフを受け流し、彼の背後へと回り込む。単なる世間知らずの少女とは思い難いその動きに、柄シャツがギョッと目を見開く。


 そんなわずかな隙をついて、みちるはさらに一歩踏み出す。柄シャツは慌てて避けようとしたが、ほんの少し遅かった。

 みちるの持つ棒が彼の手の甲を叩く。柄シャツはギャっと短い悲鳴をあげ、握りしめるナイフを取り落とした。みちるはすかさずゴルフのように、棒の端でカツーンとナイフを弾き飛ばす。小気味良い音がして、ナイフは長い廊下の端へと勢いよく滑っていった。


 口を開けたまま唖然とする柄シャツ。

 みちるは手を押さえて座り込む彼の前に仁王立ちし、眼光鋭く睨みつけた。


「黒森さんは無事なの? わたしの荷物はどこにあるの? ここから出るにはどうしたらいいの? 答えて」


 毅然とした口調で問い詰める。


「小娘が、つけ上がりやがって……」


 柄シャツは手の甲をさすりながらゆらりと立ち上がる。俯いていた頭を上げると、眉のないその顔には、薄ら寒い笑みが張り付いていた。


 その手がシャツの内側に伸び、即座にみちるも顔の前で棒を構える。しかしそこで一瞬、視界がぐにゃりと大きく歪んだ。それがいけなかった。

 意識が遠のいたほんのわずかな時間に、柄シャツが二本目のナイフを構えて飛びかかる。みちるはバランスを崩して倒れ込み、今度は逆に、持っていた棒を払い飛ばされてしまった。


 柄シャツは倒れたみちるに馬乗りになって、ナイフを構える。勝ち誇った顔で、細い首元に狙いを定めた。


「悪い大人を舐めるからこうなるんだぜ……ま、諦めな。お前もアイツも、こうなる運命なんだ」


 邪悪な笑みを浮かべた顔が、二重にも三重にも見える。ガンガンと、耳鳴りも大きくなる。腕が上がらない。


 それでも、黙っていることはできなかった。


「そんなの、覆してみせる。わたしには、それができる。きっと、黒森さんにもできるはず」

「そうかいそうかい。なら、やってみろよ」


 掠れた、しかし力強いみちるの声に、柄シャツが舌打ちする。


「お前らみたいな弱いヤツに、何ができるってんだ。こんな世の中じゃなあ、賢くてズルいヤツしか生き残れねぇんだよ!」


 ナイフを大きく振りかぶる。見開いたその瞳には、狂気と、ほんの少しの諦めが滲んでいた。

 そんな瞳から、みちるは少しも目を逸さなかった。


 真冬の夜明けのような、冴え渡る瞳で彼の瞳を、そしてナイフの切先を見つめる。みちるには確かにその瞬間、時が止まったかのように感じられた。


 確かに振り下ろされるナイフ、その銀色の先端。みちるは鈍く光るそれを、両の手のひらで挟んで止めた。


 音が消えた世界に、手と手が重なる破裂音だけが、鮮やかに響き渡る。


「……はあ?」


 柄シャツには、何が起こったのかわからなかった。呆気に取られた彼の手から、ナイフはするりと抜ける。

 みちるは奪い取ったそれを脇へやり——


「えいっ」


——ゴン、と今度は硬く鈍い音が響いた。


 少し目に涙を浮かべたみちるに睨みつけられながら、柄シャツは白目を剥いて後ろに倒れた。

 強烈な頭突きをくらった額を真っ赤にして。


「……ふう、痛かった」


 みちるも赤くなった額をさすって、なんとか立ち上がる。いよいよ熱が上がっているようで、もう立つのもやっとだ。


 重たい体を引きずるようにして、その辺の部屋の入り口に張られた「立ち入り禁止」の黒と黄色のロープを外すと、なんとかして柄シャツを縛り上げる。無人の部屋に縛った彼を転がしておき、念の為、口もハンカチで塞いでおくことにした。


 これでよし、と一息ついたところで、柄シャツのスキニージーンズのポケットから何か飛び出しているのに気づく。小さなネームプレートのついた鍵だった。

 ネームプレートにはところどころ剥げた字で、部屋の名前らしきものが書かれていた。


「え……手術室?」


 そんな漢字の並びに、ハッと顔を上げて辺りを見回す。よく見ると、各部屋の入り口脇には木の札が下げられていた。今柄シャツを閉じ込めた部屋の札には「診察室」とある。掠れたりところどころ割れていたりで、注視しないと気づけないような文字だった。


「ここ、もしかして元病院?」


 隣の部屋を覗いてみると、札の字こそ読めないものの、ベッドだのシーツだのに混ざって、銀色の容器や大量の瓶、使い方もわからない謎の器具なんかが打ち捨てられていた。


 どうやら、廃病院がアジトとして使われているらしい。みちるが目を覚ました時に気づいた、どこかで嗅いだことのあるような匂いは、自らの入院時に嗅いでいた薬品の匂いを、なんとなく思い出していたのかもしれない。


 みちるは再び、手にした鍵を見つめる。少し考えたのち、手術室を探すことに決めた。ひょっとしたら奪われた荷物は、鍵をかけた手術室にあるのかもしれない。なんら確証はないが、他に手掛かりもなかった。


 2階はみんな見てしまったので、別の階を目指して階段室へと戻る。途中足元がぐらついて、顔から転んで再び額をぶつけた。しかし倒れ伏しているわけにはいかない。

 壁伝いに、這うようにして階段室を目指す。なんとか扉にたどり着く頃には、ぐわんぐわんと脳を直接揺さぶられているようで、吐き気まで込み上げ始めていた。


「こ、この扉、開けられるかな……」


 必死の思いで、廊下と階段を隔てる扉に手をかける。一度開けて通ってきた扉だが、体力を著しく消耗した今、あちこち錆びついて重たいこの扉を開けるのも一苦労、というように思われた。


 しかしみちるの心配とは裏腹に、ギイギイとイヤな音を立てながら、扉はあっさりと開く。

 そのあまりに軽い手応えで、気づいてしまった。扉の向こうにも、こちらに向かって扉を開ける人間がいるのだ。しかしそれに気づいたところで、もう逃げようも隠れようもなかった。


 青ざめた顔から、さらに血の気が引いていくのを感じる。そんな彼女の前で、なす術もなく扉が開けられていく。絶望的な状況に、今にも卒倒しそうだった。


 しかし扉の向こうの人物が姿を現すと、みちるは危機的状況も体の不調もすっかり忘れて、思わず明るい声で叫んだ。


「あーっ! 黒森さんだ!」

「うわーっ! お前、昨日の……なんでこんなとこに!?」


 扉を開けた男——黒森も大声をあげ、慌てて口を押さえて辺りをキョロキョロする。誰もいないのがわかると、急いで扉の内側にみちるを引き入れた。


 暗い踊り場で、みちるにとっては念願の、黒森にとっては思ってもみない再会の時が訪れた。

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