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会いたい人

 そんな夢から覚めると、全てが終わった後だった。


「ああ、みちる……!」


 酸素マスクやら何本ものチューブやらをつけられた状態でベッドに横たわっていたみちるに、彼女の母親がワッと泣きついた。体が動かせないので目線だけキョロキョロ動かすと、母同様に目を赤くした父の姿も見える。


 看護師がそんな母を宥めつつ引き剥がしながら、みちるに微笑んだ。


「よく頑張ったわね、みちるちゃん。手術は成功したわ」


 駆けつけた医師もあちこち様子を見て、穏やかな表情で告げる。


「まだ注意が必要ですが……この様子だと、もうしばらくの入院とリハビリ生活の後、社会復帰できることでしょう。半年もしないうちに、退院できそうですよ」


 ありがとうございます、ありがとうございます——と両親が何度も頭を下げる。ありがとう、とみちるも口にしたが、声はガサガサに掠れていて、彼女自身にもよく聞き取れなかった。

 それでも医師はうんうんと頷いて、頭を下げる両親に見送られ、病室を後にした。


 それから半年ほどして、みちるは予定通り退院の日を迎えることができた。


「先生、皆さん、ほんとにほんとにありがとうございましたっ」


 ぺこりと元気に頭を下げると、看護師が涙を拭いながらみちるに釘を刺した。


「まだ、完全に治ったってわけじゃないんだからね。決められた日に、ちゃんと病院に来るのよ。無理な運動もダメ。薬もちゃんと飲むのよ。飲まなきゃ高熱が出て、倒れちゃうんだからね」

「はあい」

「それと……」


 再三の注意を終えると、最後に気になっていたことを尋ねるべく、みちるの腕に抱えられた紙袋を指差す。


「それ、ほんとに持って帰るの?」

「うん! わたしの宝物だから」


 紙袋の中身は『夜空の騎士』のノートだった。みちるの侵入がバレた後、あの廃病棟は改めてきちんと閉鎖されてしまったが、ノートはみんな持って帰らせてもらうことにした。


「よくわかんないけど……とにかく、退院おめでとう」

「うん、ありがとう!」


 古ぼけた汚いノートを訝しげに見ていた看護師だったが、明るい表情を見せるみちるにつられ、笑顔で彼女を送り出した。


 久方ぶりに帰ってきた自分の部屋は、埃一つなくきちんと掃除されていた。ベッドに飛び込んで、干されたシーツのお日様の匂いを嗅ぎ、大きな犬のぬいぐるみを抱きしめる。

 しかし懐かしい自室に想いを馳せるのもそこそこに、みちるはガバッと身を起こし立ち上がると、彼の名を呼んだ。


「アトスさま!」

「なんだ」


 途端、虚空にふわりと彼の姿が現れる。


「ありがとう、アトスさま。あなたがいなかったら、わたし……きっと手術、怖くて受けられなかったよ」


 その言葉に、彼はどこか誇らしそうに微笑む。


「礼を言われるのは、まだ早い。退院して、なにかやりたいことができたんだろう? 私にもそれを見届けさせてほしい」

「じゃあほんとに、ついてきてくれるんだね!」


 手術の時に見たものが、夢だったのか妄想だったのかどっちでもないのか、わからないがとにかく付き合ってくれるつもりらしい。


「何をするつもりなんだ?」

「あのね……この人に会いにいくの!」


 みちるは紙袋から『夜空の騎士』のノートを一冊取り出し、この人、と裏表紙の隅を指差す。

 そこには『黒森誠』という名前が、ノートの本文と同じ筆跡で書かれていた。どうも作者の名前らしい。


「わたしが手術を頑張れたのは、アトスさまが力を貸してくれたから……それもこれも、この黒森さんて人が『夜空の騎士』を書いてくれたから。だからわたし、直接会って、ありがとうって言いたくて!」


 古びたノートを大事そうに抱えて、花が咲いたように笑う。


「それに……もしかしたら別のノートに、この続きを書いてるのかもしれないし。頼んでみたら、続きを読ませてくれるかも! こんなに気になるところで終わってちゃ困るもんねえ」

「……そうか」


 一瞬の間を置いて、アトスが頷く。その表情はなぜか苦々しいものだった。


「まあ、私としても気になるところではある。謎の敵襲があったところで、私の世界は長らく閉ざされてしまっていたのだからな」

「でしょ!?」

「しかし、だ」


 目を輝かせるみちるを、冷静な声で制する。


「私は、彼に会うのは反対だ」

「え、どうして!?」

「うむ……作者であるマコトは、今君がこうしているように、私をこちらの世界へ呼び出すことができた。だからこうして、彼ともよく話をしていたのだが……」


 どうやら読者であるみちるのほか、作者である黒森にも彼と話す力があり、二人には面識があったらしい。当然と言えば当然なのかもしれない。


「しかし次第に、彼には私のことが見えなくなっていった。それと同じ頃だった、彼が私の物語を閉ざしてしまったのは……」


 どこか遠い目をして続ける。


「彼が持っていた、君と同じような、豊かな想像力はもう失われてしまったのだ……だからもう、物語の続きなどどこにも存在しない。私には、そう思えてしまう」

「そんな……」

「それに、なにせもうかなり時間が経っているわけだからな。今彼がどこで何をしているかなんて、当然わからない。まあどうせ、ロクでもないことをしてるに決まってるがな」

「な、なんでそこまで言うの?」


 アトスはふいっと顔を背けて続けた。


「決まってる。ヤツのことが嫌いだからだ」

「ええ〜」


 あまりに子どもっぽい素振りに呆れつつも、まあ随分ほったらかされていたようだし、ヘソを曲げるのも無理ないかも、と考えを改める。


「しょうがない、じゃあわたし一人で会いにいくよ」

「む……居場所の見当がついているのか?」

「うん。病院にノートがあったんだから、過去に入院してたのかなーと思ったんだけど。先生や看護師さんに聞いても、そんなの教えられない、って……でも、ほらこれ!」


 じゃーん! と効果音をつけて『夜空の騎士』の最後のノートを手に取ると、今度は名前が書いてあるのとは反対側の隅を指し示した。


「このノート。よく見たら隅っこに『野々花中学校卒業記念』って文字と、十年前の日付が書いてあるんだよね」

「ほお」

「それでね、この野々花中学校って……なんとなんと、わたしが通ってるとこなの!」


 正確には、まだ通ったことはない。入学二年目にして、来月から通い始める予定の中学校だ。


「きっとここの卒業生が、卒業記念でもらったのを使ったんだよ。だから学校の先生に聞けば、黒森さんが今どうしてるのかわかるかもしれない」

「なるほど、確かに有力な手がかりだ」

「でしょ!?」


 みちるは得意げに、グッと拳を突き上げた。


「というわけで! 登校予定日にはまだ早いけど、これから学校に行こうと思って!」


 そう言うが早いか、母親が用意してくれていた新品のセーラー服と鞄をクローゼットから引っ張り出してくる。


「い、今からか? 退院してきたところじゃないか。それにもう日も暮れる……」

「だからだよ。同級生の子に会うのは、まだちょっと緊張しちゃうし……生徒が少ない時間なら、慣れるのにちょうどいいかなって。それに、ちょっとでも早く、黒森さんの居場所を掴みたいし!」


 慣れない形状に若干戸惑いつつ、セーラー服に着替えて鞄を持つと、鏡の前でくるっと回ってみせた。濃紺の襟とスカートがふわりと舞う。


「どう? 似合う?」


 しかし彼はどういうわけか、切長の目をほんの少し丸く見開いた。


「……その服は」

「中学校の制服だよ」

「…………」


 黙ってしまったアトスだったが、みちるにじっと見つめられ、似合うよ、と慌てて付け加える。

 みちるは少し不機嫌そうに口を尖らせ、しかしすぐ笑顔になって話を続けた。


「アトスさまが見えなくなっちゃったのには、きっと何か理由があるんだよ。だってこんなに素敵な物語を書く人が、ロクデナシなわけないもん。わたし、会ってワケを確かめて……それでやっぱり、ありがとう、って言いたいよ」


 みちるはスカートの裾を整えると、くるりと身を翻して、部屋を出ていこうとする。


「……ま、待て。私も行こう」


 結局アトスも、慌てて彼女のあとに続いた。


「行きたくないんじゃなかったの?」

「べ、べつにそうは言ってない、こともないこともないかもしれないが……とにかく、私は騎士として、君と交わした約束を守る。君を一人にするのも心配だし」


 妙に言い訳じみた口調でブツブツ言うと、みちるを追い越す勢いでさっさと部屋を出ていく。


「……ほんとは気になってるくせに」


 呆れつつ、アトスに続いてパタパタ階段を下り、母のいるダイニングへと飛び込んだ。


「ね、ママ! ちょっと今から、学校行ってくる!」


 母親はキッチンで、久方ぶりの娘の帰宅を祝うべく、腕によりをかけて食事の支度をしていた。しかし娘の唐突な宣言に面食らうと、危うく湯を張った鍋を取り落としそうになる。

 彼女はなんとか鍋を置きなおし、セーラー服姿のみちるを見て一瞬感極まったような顔をした後、すぐ厳しい顔で首を振った。


「何言ってんの。今退院してきたとこじゃない! それにもう夕方よ、みんな帰る時間だわ」


 ほら見ろ、とでも言いたげなアトスをちょっと睨んで、彼と同じことを言う母親を説得にかかる。


「ね、いいでしょ。ちょっと行って帰ってくるだけだから! これもリハビリだよ、リハビリ!」

「でも……」

「お願い! ちょっとでも早く、学校に行ってみたいの! それに、先生にご挨拶もしとかなきゃいけないでしょ?」


 眉根を寄せて唸っていた母親だったが、しまいには折れて、渋々コンロの火を止めた。


「しょうがないわね……でも一人で行くのはまだ早すぎるわ。ママが車で送ってあげる。学校について、先生にご挨拶したら、すぐ帰るわよ」

「はーい!」


 元気に返事をする娘に、母親は呆れて肩をすくめて、少し目元に滲んだ涙を拭った。

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