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夢を照らす月明かり

 闇夜の森の中、ナイフの刃が白い月明かりと赤い炎を反射してギラギラ輝く。


「騒ぐな……お前ら、近寄るなよ。近寄ったら刺すからな」


 そう言って、青沼はグッと刃先をみちるの首元に近づけた。先ほどまでの慇懃な態度とは打って変わって、乱暴な口調で警官たちと相対する。


「し、しまった。縛る時、拳銃にばっか気を取られて……おいアトス、お前、凄腕騎士のくせしてなにボヤボヤしてんだよ」

「うむ……私としたことが、ミチルに怪我がないのにホッとして、完全に油断してしまっていた」

「どーすんだ!」


 柄シャツと警官もめいめいに取り乱す。


「黒森、お前、誰と喋ってんだ……」

「ええい、みんな静かにしろ! ヤツを興奮させるな!」

「警部の声が一番うるさいですよ!」

「騒ぐなっつってんだろ!」


 苛立った青沼が声を張り上げ、皆慌てて口をつぐむ。


「くそっ……」


 黒森が小さく舌打ちする。その横で、アトスがスッと一歩前に出た。当然他の誰も注意を払わないなか、みちると黒森が彼を見つめる。


「あ、アトスさま……」


 身じろぎしたら、ナイフの先が首に押し付けられた。今にも肌が裂けて血が噴き出しそうだ。


 しかしアトスは冷静だった。揺らぐことない瞳で、真っ直ぐにみちるを見つめている。


「ミチル……どうしたらいいか、もうわかるな?」


 よく通る低い声に、みちるは全身の震えが引いていくのを感じた。さざなみの立っていた心が、月を映し出す湖のように、静かに落ち着いていく。


「……うん!」


 力強く頷くみちるからは、すでに怯えの表情が消えていた。融合せずとも、彼女にはすでに、動くべき道筋が見えていた。


 そんなみちるの決意には気づかず、青沼はすり足でジリジリと後ずさる。額に汗を浮かべ、唇を噛みながら警官ひとりひとりを牽制している。


 誰もが息を呑み静寂に包まれた森、その上空へと、一羽のカラスが枝を揺らして飛び立った。

 それを合図にするかのように、警官のひとりが青沼に飛びかかるべく、音を立てて地面を蹴った。


「そこまでだ、青沼!」

「ああっ、刺激しちゃいかん!」


 刑事が青ざめ、飛び出す警官を止めようとする。

 青沼の意識が飛びかかってくる警官に向いたその一瞬を、みちるは見逃さなかった。

 少し身を屈めて勢いをつけると、構えて前傾姿勢になった青沼の鼻先目掛け、思い切りよく——


「えいっ」


——頭突きをくらわせた。ゴン、と鈍い音がこだまのように反響する。


「…………!」


 青沼が声もなくよろめいたところで、するりとその腕から抜け出し、彼が衝撃で取り落としたナイフを足先で蹴っ飛ばす。

 ボタボタと鼻血を流してうずくまる青沼に、刑事の指揮のもと警官が束になってかかり、彼はあっという間に手錠をかけられてしまった。


「怖かったよー、アトスさまー」


 その割に笑顔で、みちるはアトスへと駆け寄る。

 柄シャツは警官に拘束されながら、自らもあの頭突きをくらった時のことを思い出し、ひとり静かに冷や汗をかいていた。


 結局、青沼は数人の仲間や柄シャツと共に、パトカーで連行されていった。消火活動の甲斐あって、廃病院の火の手も随分弱まり始めた頃だった。


 しばらく警察相手に話していた黒森だったが、彼も警官のひとりに付き添われ、怪我をした足を引きずりながら救急車の方へと歩き出す。乗り込む間際、駆け寄ってきたみちるに微笑んだ。


「それじゃ、俺も行くよ。大変なことに巻き込んで、悪かったな」


 ううん、とみちるが首を振る。


「どきどきして、楽しかったよ」

「そりゃよかった。でももう、あんま無茶すんなよ」

「うん……ありがとう、黒森さん」


 何台ものパトカーが、今度はサイレンを鳴らさずに山を下りていく。連なる車列を見送ると、黒森は最後に、みちるの傍に立つアトスに目を向けた。


「ありがとう。みちるを、俺を、助けてくれて。妹の、愛美のそばにいてくれて……本当に、ありがとう」

「……ああ」

「俺きっと、もっとお前の世界を拡げるから。だから、悪いけどもうちょっと、待っててほしい」


 仕方ないな、と頷くアトスに、黒森は軽く片手を上げ、促されるままに救急車で運ばれていった。


 その後みちるもすぐに病院に連れていかれ、待ち構えていた両親に泣きつかれ、こってり絞られ、あちこち診察され、一日入院させられ——ようやく自分の部屋に戻ってきて一息ついたのは、再び月が夜空へ昇る頃だった。それに明日にはまた、警察で事情聴取を受けなければならない。


「なんか、とんでもない冒険しちゃったなあ……」


 ベッドの縁に腰掛けて、窓から覗く月を見上げる。今夜は満月らしかった。


「アトスさま。ほんとにほんとに、ありがとう。アトスさまがいたから、怖いのも平気だったし、黒森さんにも元気になってもらえたよ」


 ベッドの隣に座る彼にぎゅっと抱きつく。彼の穏やかな鼓動が、未だ高揚の止まないみちるの胸を落ち着かせてくれる。


「私も、君に出会えてよかった。君が私を見つけてくれて、私を思ってくれて、生まれてきた意味を思い出させてくれて……本当に、嬉しかった」

「……アトスさま?」


 覗き込んだ彼の顔には、どこか寂しそうで、それでいて満たされた表情が浮かんでいた。


「ミチル。私は、元いた世界に戻ろうと思う」


 ぽつりと呟かれたその言葉に、みちるがハッと息を呑む。


「マコトが、私の物語を、未完のまま終わらせないと言ってくれたから……私は物語の世界に戻って、待っていなくてはならない」


 そう言って、机の上に置かれたみちるのノートを指差す。


「本来のノートは燃えてしまったが……ミチルが私のことを思い、作ってくれた世界が、ここにはある。私はここで、物語の続きが紡がれるのを待とうと思う」

「……それじゃ、もう一緒にはいられないの?」


 別れの時を悟ったみちるの声が、か細く震えた。


「そんなの、いやだよ」


 気づかないうちに溢れた涙の粒が、頬を静かに流れる。

 アトスはそれを、ほっそりとした指先で掬った。


「私の心を少し、君の心に置いていこう」


 みちるはその言葉に、彼の決意が揺るがないことを察してしまう。


 やだやだと泣き喚きたかった。離すまいと腕にしがみつきたかった。ずっとここにいてと叫びたかった。

 それでも、彼の群青色の瞳を見つめていると、他にしなくてはいけないことがあるような気がした。だからゴシゴシ涙を拭いて、ウサギのように赤くなった目をして、こくりと頷いた。


「そしたら、わたし……いつでも勇気が出せるね。あなたのこと、思い出すだけで」

「そうだ。私はそのために、生まれてきたのだから」


 物々しい言葉がなんだかおかしくて、さっきまで泣いていたのも忘れて笑ってしまう。


「ありがと、アトスさま」


 みちるはちょいちょいと手招きして、アトスに顔を近づけさせると、その白い頬にそっとキスをした。


「ありがとう、ミチル」


 彼もみちるの頬にキスを返す。

 ほんの少し緊張して、閉じていた目を開けた時には——月明かりに照らされる部屋の中、すでに彼の姿はなかった。


 みちるは窓から差す月の光をなぞるようにして立ち上がると、机の上のノートを抱きしめた。


「……わたしも黒森さんみたいに、物語を作ってみようかな。誰かを幸せにできるような、そんなお話……」


 赤いチェック柄の表紙をそっと撫で、また月を見上げた。もう何度か月が昇って沈んでを繰り返せば、いよいよ学校へ行けるようになる。


「お友達たくさん作って、一緒にお買い物とかして、お揃いのかわいいシャーペン買って、それでそれで……このノートにいっぱい、いっぱい書くんだ……ふふ」


 戻ったベッドの中でたくさんの夢を数えつつ、青い月に見守られながら、みちるはそっと目を閉じた。もう、眠るのはちっとも怖くなかった。

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