ハッピーエンドへの一撃
「死ね黒森!」
怒声と共に、金本が黒森目掛けて突進してくる。しかし黒森はひらりと身をかわし、金本の巨体は埃だらけの床へとダイブした。その隙に壁へ立てかけてあったモップを手に取ると、今度は突っ込んできた小野田の足を払って転ばせる。
しかし二人ともめげずに立ち上がると、同時に黒森の方へと向かってきた。
金本は釘をたくさん打ちつけたバットを、小野田は消火活動用の真っ赤な斧を手にしている。
「きえ〜っ!」
奇声を上げた金本が、釘バットを頭上に掲げる。力いっぱい振り下ろされるそれをかわして、黒森もモップを振るった。空を切るような鋭さでバットに柄を当てれば、バットの表面が割れ、打ち込まれた釘がバラバラ抜けて床へ散らばった。
「ああ〜っ! 釘が!」
金本が散らばった釘を拾い集めている最中、次は小野田の魔の手が黒森に迫る。小野田は消火斧を振り回し、黒森の眼前に躍り出た。
握られた斧といい、血走った目といい、傍目にはかなり恐ろしい光景であった。普段の黒森なら、というか大概の人間が悲鳴を上げて逃げ出したくなる場面だったが——今の黒森はやはり、状況を的確に判断し動く冷静さ、恐怖に屈しない度胸、そして勝つ自信、その全てを胸に宿していた。
薙ぎ払うように振るわれる斧を、体の重心を落としてかわす。真っ二つにするように振り下ろされれば、ひらりと左右に身をかわす。
打ち捨てられ積み上がった椅子だの机だのの山に軽々登ると、斧を構える彼の頭上から飛び降りて、弁慶の刀に飛び乗る牛若丸よろしく、その柄にすとんと降り立った。
小野田は思わず斧から手を離す。行き場を失った斧の刃は、古びた木の机に深々と突き刺さり、抜けなくなってしまった。
「あ、兄貴ぃ……」
「た、た、退却だっ!」
二人は使い物にならなくなった凶器を放り出して、階段室へと飛び出していった。
地下2階は途端に静まり返る。思わず息を吐き出して座り込む黒森だったが、いつまでもこうしてはいられない。
「君にもなかなか、剣の素質があるらしい……私もより一層、稽古に励まなければいけないな」
「よく言うぜ」
融合を解いたアトスが黒森を褒めるが、身の丈以上の大暴れで、足がガタガタ震えている。
そんな体に喝を入れ、黒森は這うようにしてみちるに近づく。横たわる彼女の顔色は、もはや蝋燭のように青白かった。
「こいつの持ってる、手術室の鍵。取られた荷物はきっと、この部屋にある……組織のヤツらが現れても、俺とお前が協力すれば、きっとなんとかかなる。みちるに薬飲まして、さっさとここから出よう」
アトスが頷く。黒森は再びみちるを担ぎ上げた。軽くて熱い体は、まだ確かに脈を打っている。
「みちる。それに、愛美……待ってろ。俺、今度こそ、なんとかしてみせるよ」
地下フロアから出て階段を駆け上がる黒森に、アトスも続く。腕の中のみちるは、固く目を閉じたまま、途切れ途切れに呼吸を繰り返していた。
◆
途中何人かの敵をやり過ごしつつ、黒森たちは目的の手術室へと辿り着いた。
例の鍵を使い立て付けの悪い扉を開けば、朽ちた手術台のそばにショルダーバッグが放り出されている。その口は開けられていて、パンパンに詰められた荷物が辺りにぶちまけられていた。中身を全部取り出した後、目的の計画書だけ抜き取られたあとらしい。散乱する荷物の8割がお菓子の類で、黒森は呆れ返る。
ひとまずみちるを手術台に横たえると、お菓子だらけの荷物をガサゴソ漁り始めた。
「あ、それだ! そのケースに入ってる、白と赤のを1錠ずつだ」
黒森はアトスに言われるがまま錠剤を取り出し、キャラクターがプリントされた大きな水筒を手に取ると、みちるの頭を上げて飲ませてやった。
白く細い喉が動くのを確認し、黒森が再び頭を横たえたところで、アトスは脱力しその場に座り込む。深く深く、安堵と憂慮の混ざったため息をついた。
「これでひとまずは大丈夫のはずだ……しばらく安静にしていれば、とりあえず熱は下がってくるだろう」
黒森は目を閉じるみちるの顔を覗き込んだ。即効性というわけではないだろうが、水を飲んだためか、先ほどよりいくらか楽そうに見える。
「病弱なくせに、随分無茶するなぁ」
「私も止めたんだがな。それだけ、君に会いたがっていたのだ」
アトスの言葉に、どんな顔をしたらいいかわからなくて、ばつが悪そうに頬をかく。
「こんな重たい荷物持ってよ……」
散らばった荷物に目を移した彼は、大量のお菓子に混ざって、見覚えのあるノートの存在に気がついた。表紙が日焼けした、古いノートだった。
「これって……」
手に取ったノートの表紙には『夜空の騎士 No.3』とマーカーペンでタイトルが書かれている。ほかにもたくさん、全てのノートを持ってきているようだった。
「……ごめんな」
誰にともなく謝って、ノートを拾い集めた。端が少し破れてしまっている表紙を、大事そうに指先で撫でる。
黒森がパラパラとページを捲っていると、そう言えば、とアトスがみちるの荷物を覗き込んだ。
「そこに、赤くて分厚いノートがあるだろ。読んでみるといい」
「ん? これは俺のじゃねえけど……いいのかな、勝手に見て」
「私からあとで謝っておこう。君は、読んでおくべきだと思う」
中学卒業の際もらったのを引っ張り出してきた、シンプルでそっけない自身のノートと違って、かわいいチェック柄のノートだった。
ほんの少し躊躇いつつも、まあそこまで言うならと表紙を開いて、つらつらと細かく書かれた文章を読み上げる。
「えっと……『王さまのいんぼうは、うちゅう人にそそのかされたものだった。しかしうちゅう人はアトスさまと友だちになり、きし団に入ることを決める』……な、なんの話だよ」
「それはな、ミチルがミチルなりに、続きのない『夜空の騎士』の続きを考えてみたものだそうだ」
「これが? あの話の? 続きだって?」
丸い文字は何ページにも渡って書き連ねられてある。ほかにも、黒森も知らないアトスの弟が現れ古代兵器を見つけるだとか、深海生物が陸に上がって王国に危機が迫るだとか、とにかく荒唐無稽なプランがいくつも考えられていた。
「なんだそりゃ……あの話のどこに、宇宙人が出てくる余地があるんだよ……いくらなんでも唐突だっての」
そう言って呆れるが、なぜかその口元が緩んでくる。どういうわけか、胸が弾んでいるのを感じる。
アトスも微笑んで、そっとみちるの頬に手を触れた。
「誰も来ない部屋で忘れ去られているより、宇宙人と友達になって幕を閉じる方が、ずっといいさ」
彼のその言葉に、黒森はページを捲る手を止めた。
「そう、だよな。ハッピーエンドを、諦めちゃいけねぇよな」
パタンとノートを閉じ、アトスとみちるの方を振り返る。
「行くか。なんとかしてここから出て、まずみちるを病院に連れてって、それから……」
手術台に歩み寄り、再びみちるを抱え上げようとした時だった。
「まずい……誰か来るようだ」
「え!?」
緊張感の増した硬い声で、アトスが黒森を制する。じっとして耳を澄ますと、手術室の扉の向こうから、足音が聞こえてきていた。カツンカツンと、冷たく規則的な音が響く。
「ヤバい、ボスだ……!」
その足音だけで、体中の毛が逆立つのを感じる。
やがて足音が部屋の前で止むと、今度はギギギとイヤな音を立てて、手術室の横開きの扉が細くゆっくり開けられていく。
黒森はその様を、ただ見ていることしかできなかった。強張った体を動かすことすらロクにできなかった。