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病室の少女

 鼻の頭に何かが当たる感触で、うたた寝していたみちるは目を覚ました。鼻先を掠めたそれは、開いた窓から入ってきた赤い葉っぱだった。窓から覗けば、真っ赤に紅葉した中庭の大きな木が目に入る。


 午後の日差しに葉っぱを透かしていたら、病室の扉がノックされ、母親が入ってきた。


「お昼寝してたの? また、夜寝られなかった?」

「ママ……」


 赤い葉っぱを見せると、彼女は顔を綻ばせる。


「綺麗な紅色!」


 みちると同じように葉っぱを日に透かしたり眺めたりした後、そっとサイドテーブルに置くと、みちるの顔を覗き込む。


「今はどの山も、紅葉しててすっごく綺麗よ……みちる。手術が済めば、また小さい頃みたいに、家族で紅葉狩りへ行けるようになるわ」

「……うん」


 みちるは布団をぎゅっと握りしめる。強張ったその手に、母親が自身の手をそっと重ねた。


「大丈夫! 絶対ぜったい、うまくいくわ。先生の腕は確かだし、それに、ママもパパも……毎日毎日、神様にお祈りしてるもの」


 だから大丈夫。そんな言葉に、みちるはぎこちない笑顔を浮かべて小さく頷く。

 やがて夕方になると、明日はパパと一緒に来るわね、と言い残し、母親は帰っていった。


 その夜、月が高く高く上がった頃。嫌な夢を見たみちるは、暗い病室の中で一人、目を覚ました。最近はいつもそうだった。夜中、何度も何度も怖い夢で跳ね起きる。だから昼間、ついうとうとしてしまう。


 みちるは体を起こすと、サイドテーブルの引き出しから一冊のノートを取り出した。それを小脇に抱えると、ベッドから這い出して、ぼんやりと明かりの灯された廊下へと一歩踏み出す。キョロキョロと看護師がいないことを確認すると、そっと病室の扉を閉めて歩き出した。


 ベッドに入っていたって眠れない夜に、こっそりと散歩に出るのが、最近のみちるの日課だった。幸い、まだ看護師にバレたことはない。

 足音を殺して、とある場所へと向かう。この瞬間、いつも熱っぽくて重たい体が、どこか軽くなる気がする。


 渡り廊下から中庭を突っ切って、大きな病院の片隅まで足を伸ばす。そこには、現在では使われていない廃病棟があった。ひっそりと佇む灰色の建物は、夜の闇に沈んでいるようだった。


 ほとんどの窓には鍵がかけられているが、一つだけ開けられるところを見つけてあって、みちるはそこから廃病棟の中へと侵入する。新たに閉鎖される様子もなく、みちるがしょっちゅうここに忍び込んでいるのは誰にもバレていないらしかった。


 木の床をギシギシ言わせながら廊下を進み、その突き当たり、目的の部屋へと入る。中には使われなくなったロッカーやベッドがいくつも放置されている。

 そんな部屋の片隅にある小さな棚に、何冊ものノートが積まれて置いてあった。みちるは今持ってきた「No.12」と書かれた一冊を棚に戻して、「No.13」を新たに手に取る。13より大きな数字は探してみても見当たらないので、これが最後のものらしかった。


 目的は達成、見つからないうちに早く戻ろう——そう思ったみちるだったが、しかしどうしても我慢できなくて、埃っぽいベッドに腰掛けると、月明かりの下ノートを開いた。


 表紙の裏に書かれた副題は『闇の中の奇襲』。胸を躍らせ、ページを一枚捲る。


 しばらく夢中でそうしていたみちるだったが、ふと月明かりとは違う光が視界に入って、慌てて身を潜める。そっと外の様子を伺えば、警備員が懐中電灯片手に、中庭をうろうろしているらしかった。


 息を殺してじっと待ち、彼が完全に立ち去るのを確認すると、みちるもそっと立ち上がる。新たなノートを手に、音を立てないように廃病棟を後にした。

 病室に戻り、ベッドに潜り込む。サイドテーブルに置いたままにしていた紅葉が目に入ったので、読んでいたページに栞として挟んだ。


 と、そこで看護師が見回りにやってきた。わずかに聞こえる靴音が病室の前で止まり、その主が細く扉を開けて中の様子を伺っている。みちるは慌てて寝たフリをしつつ、ドキドキ騒ぐ胸を宥める。足音はやがて去っていき、みちるはホッと息をついた。


 この大きな病院に転院してしばらく経つが、物置代わりにされた廃病棟のこと、そして中に入れる窓があることは、つい最近まで知らなかった。それを見つけて以来、みちるは眠るのが怖い夜に気を紛らわせるべく、夜の散歩、探検として侵入を繰り返している。


 しかしそれだけではない。廃病棟から持ち出してきたノートも、わざわざ叱られる危険を犯してまでも病室から抜け出すのを止めない、大きな理由になっていた。


 昔の入院患者が残したものなのか、棚に残されたままになっていた、何冊ものノート。そこにはページの隅から隅までびっしりと、長編の冒険小説が綴られていた。

 二度目の探索でノートを見つけ、そのページを開いて以来、みちるはすっかりその作品『夜空の騎士』の虜になってしまった。


 続きを読むのは明日にしようかとも思ったが、やはり我慢できなかった。なにせこれが最終巻なのだから。

 看護師が戻ってこないのを確認して、ベッド脇の小さな明かりをつけて続きを読む。

 みちるの目が輝き、薄暗く薬品臭い病室は、広大な空想の世界へと変わっていった——



——しかし、朝日が昇り出す頃。現実に帰ってきたみちるの目に残るのは、感動でも興奮でもない。困惑と焦りだった。


「え……ここで終わり!?」


 ノートは毎度、最初から最後のページまでびっしり字で埋め尽くされていた。しかしこの一冊は三分の二くらいで終わっていて、あとはずっと白いページが続いている。

 物語自体も、全くもってエンディングを迎えたとは言い難い。闇夜の奇襲に気づいて見えざる敵を迎撃する騎士団長アトスが、敵の意外な正体を見抜き「ま、まさかお前が……!」と驚愕の表情を浮かべるところで終わっている。


「お前って一体誰だったの!? 怪しい動きしてた部下? それとも姿をくらました王子!? 宝玉奪還作戦はどーなったの!? アトスさまは大丈夫なの!?」


 思わず声が出たところで、ガツンと頭に衝撃が走った。


「いたっ!」


 涙目になってハッと気づけば、馴染みの看護師が手にしたファイルの角でみちるの頭を小突いていた。


「みちるちゃん。また夜更かししてたわね?」

「あ、西本さん……もう朝? いつのまに」

「いつのまに、じゃないわよ」


 西本がため息をつく。


「みちるちゃん、夜寝るの怖いって言ってたよね。気持ちはわかるけど……手術を乗り越えるためにも、夜はちゃんと寝なくちゃ」

「う、うん……」


 耳にタコができるほど聞かされた小言。でも今はそれどころではなかった。

 古いノートの後半は、何度見ても、日に焼けて茶色っぽい表紙と対照的に真っ白だ。


 その晩性懲りも無くまた廃病棟に忍び込んでみたが、やはり続きのノートはどこにもないらしかった。


「アトスさま……一体どうなっちゃうの」


 窓から青白い月を見上げて呟く。


「負けたりしないよね。強くて麗しくて誇り高い、最強の騎士だもんね?」


 しかし彼は若くして王国一の強さを誇る騎士である反面、なかなかそそっかしいところもあるのだ。

 第三話では、とある村にかけられた竜の呪いを解くための旅路で、武器商人に騙され呪いの武具を押し付けられ、立ち寄った村では傷んだまんじゅうを食べさせられ、乗り回している馬に愛想を尽かされ後ろ足で蹴り飛ばされてもいた。そういうエピソードに事欠かない男だった。確かな剣の腕もさることながら、そういった間の抜けたところにどこか親近感を覚え、みちるは彼に強く惹かれていた。


「死んじゃったり、しないよね……?」


 みちるはしばし考え込んだ後、そこいらの机をゴソゴソ漁る。引き出しをガタガタさせながら短い鉛筆を見つけると、白いページを捲って、何やらつらつらと書き付け始めた。


 しばらく書いたかと思えば、鉛筆の頭のちびた消しゴムで消す。書き直して、消して、また書き直して。月明かりに照らされながら、何度も何度も消しては書いてを繰り返す。


「……よし」


 最後に句点を打って満足すると、ノートと鉛筆を綺麗に棚にしまって、人目を憚りながら病室へと戻った。

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