17 一歩前進
藍方星。
ヒミコンは吹き出す汗をぬぐう。
ラピスラズリの床磨き。
広すぎて終わらない。
エンドレス床磨き。
磨きに磨く。
クラクラ……、フラフラ……、
体力の限界が訪れる。
この状況、一段落とする。
一分間、休憩する。
さあ次は。
お待ちかね! 魔術訓練だ。
これがいつものルーティンだ。
…………ん?
あれれ?
体に違和感がある。
……あれっ? うそっ?
知らぬ間に。
いつの間にか。
『呪詛』が身についている!
わあ、すごい。
呪詛って……、
勝手にわき上がってくるんだ!
ヒミコンは驚愕歓喜する。
ということで。
呪詛を仕上げることにした。
まずは。
足を肩幅に開く。
グッ、踏ん張る。
すうぅっ、
深く息を吸い込む。
しゅうぅっ、
そこら辺の浮遊霊体、適当に集める。
目を閉じる。
集中する。
呪詛呪文、唱え始める……。
プツンッ……!
呪詛が切れた。
瞬時に切断された。
スッ……、
ゲイルが現れた。
「やめろ、
呪詛は禁止だ」
ヒミコンは口を尖らせる。
「なぜですか?
なぜ、禁止なのですか?」
「馬鹿者。
呪詛は愚かしい呪術だ。
自分自身に跳ね返る。
そもそも一流の魔導師には。
陰湿な呪いなど必要ない」
「だけど!
せっかく魔導師になれたんです!
魔術や呪術、いっぱい習得したいです。
でなけりゃ魔導師になった意味がない……。
自主トレくらい、いいじゃないですかっ」
ゲイルは首を横に振る。
「唱えてよいのは善なる呪文のみ。
マスターすべきは善なる術だけだ。
善なる魔術・呪術・幻術・神術……。
それだけで十分、事足りる。
それに……。
トレジャンは呪詛を嫌う」
ヒミコンは鬱憤が溜まっていた。
不満が爆発する。
「じゃあ、どうすればいいのです?
未だに!
フェイトギアを見る訓練、始まっていませんっ!
いつになったら!
トレジャンの護衛、させてもらえるのですか?
いつになったら!
専属としての任務、与えてくださるのですか?」
ゲイルは冷ややかな視線を向ける。
にべもなく言い放つ。
「お前の心根に……。
卑屈と傲慢が潜んでいる。
だから訓練を始めることができないのだ。
今のお前では。
大事なものは見えないな。
とにかく床を磨け!
己の心も磨き上げよ!
我らは常に。
トレジャンの喜ぶことだけをすればいいのだ」
「へええ?
ああ、そうですか!
トレジャン、トレジャンって……。
彼は一体何者ですか?
まあ確かに?
清らかで賢そうに見えました。
だけど!
一般家庭の普通の子供じゃないですか!
それに……、」
「…………。
黙れ……」
「へ……?」
「大馬鹿者めっ!
黙れと言ってるっ!」
ゲイルは声を荒げた。
語気を強めて言葉を遮った。
「トレジャンの真価が分からぬお前に!
お前如きに!
命懸けの護衛ができるというのか?
できるはずがないだろうっ?
トレジャンが『特別なる宝』であること。
美の局地であるフェイトギアを視れば明らかだ。
しかし無能なお前には!
おそらく理解不能だな」
ヒミコンは口ごもる。
余りの迫力にひるむ。
「フェイトギアとは宿命の歯車である。
すべての人間が潜在意識の最深部に有している。
これが平生普段に見えるようにならなければ!
魔導師としての任務は永久に与えられない。
使命を果たしたいのであれば。
フェイトギア透視は必須だ」
ゲイルは続ける。
「……よく聞け。
トレジャンは身体が弱い。
今も人間界で多くの治療が施されている。
両親が寺社巡りをしているのは。
病弱な我が子の健康を願ってのものだ」
「そうだったのですか……。
可哀想に……」
ゲイルは苛つく。
眉間にしわを寄せる。
「お前の浅薄思考……。
目先だけの同情的感情……。
腹立たしくて不愉快だ。
薄っぺらいから!
トレジャンの真価、理解できないのだ」
ヒミコンは焦る。
図星を突かれた。
「申し訳ございません。
恥ずかしながら私は……。
人の心を汲み取ること、得意ではありません
人に寄り添う心、大いに不足しています。
あのっ……!
トレジャン……、
体調は大丈夫なのですか?」
一転して。
ゲイルは静かな口調で告げる。
「トレジャンは日々、痛みに耐えている。
そして理解している。
我が子を失うのではないか?
そうした家族の不安な心……。
漠然と掬いを求めて。
何かに縋りつきたくなる弱った心情……。
大事な者を失ったとき。
どれほどの嘆きが訪れるのか……。
そして深い悲しみは。
簡単には癒えぬということを……」
ヒミコンは猛省する。
ようやく。
大事な何かに気づく。
どうやら。
自分自身に非があった。
……ああ、私ったら最低だ。
卑屈と傲慢……。
愚痴と不平不満……。
汚い心に支配されていた。
人事・事象を表面でしか見ていなかった。
なんて浅く狭い了見だったのだろう。
思慮配慮が足りていなかった……。
……ああ、そうか!
魔導師四人衆はお見通しだった。
こんな不誠実で薄っぺらい私に。
フェイトギアが視えるはずがなかった。
だから!
三つの泉、覗くことを許さなかったのだ……。
フッ、
ゲイルは口角を上げた。
「少しは磨かれたようだな。
では本日より。
フェイトギア透視訓練を開始する。
まずは。
『露見の泉』を覗くことを認める。
赤黒く濁った水中、穴が開くほど眺めるのだ。
そのうちに。
生存する人間の薄汚いフェイトギア、
透視できるだろう……」
すううっ……、
ゲイルは消え去った。
ヒミコンは感激だ。
ようやく一歩前進した。
……まずは。
生存する人間のフェイトギア、視えるように修練する!
次に。
トレジャンの美しいフェイトギア、この目で透視する!
彼の真価を理解する!
そして切に願う。
自らの至らなさを越えて。
心の穢れを取り払って。
善なるシャーマンになりたい!
ヒミコンは気合を入れる。
決意を新たにする。
「よおし……!
やるぞおっ……!」
藍方星。
今日もいつもと変わらない。
魔導師(見習い)・ヒミコン。
いまだ修行中だ。
赤い作務衣姿のヒミコン、雑用に追われている。
バタバタバタ……、
裸足で駆けずり回る。
ゴシゴシゴシ……、
モップと雑巾で床を磨く。
そして……。
ギラギラギラ……、
目をぎらつかせて『露見の泉』をのぞき込む。
赤黒く濁った水中、穴が開きそうだ。
「ああっ、なんで?
なんで視えないの?」




