十三話 偃月市埠頭殺人事件
朝日と潮風が漂う埠頭。普段は寂れたそれに過ぎないが、立ち並ぶ倉庫を背にした海岸沿いには人集りが出来ていた。
「――下がって! 下がってください!」
今朝のニュースをきっかけに興味本位で集まったであろう人々を、男性の警察官が必死に現場へと入れんとしていた。
「悪ぃ! 退いてくれ! 」
その人混みを掻き分ける恭也もまた、事件現場を見ようとする一人であった。
しかし他の野次馬と彼が違う点は、ただの興味本位ではなく、バディを組んでいた相方の訃報を知って駆け付けた点だ。
何とか最前列まで辿り着き、警官の影にあるブルーシートに包まれたそれを見つけた。
「ちょっと君!」
恭也は警官の制止を振り切り、ピッシリと貼られた黄色の封鎖テープを超えて事件現場へと強行する。
「君! 待ちなさい! 勝手に入られちゃ困るよ!」
尚も恭也の足を止めようとする警官。
「すんません。俺、こいつ――片桐司の知り合いなんす!」
「知り合い……?」
ブルーシートの中身のそれを指差しながらそう言う彼に対し、当然警官は不信の目を向ける。
「どうした、何かあったのか?」
「あ、東郷刑事!」
騒ぎに気付き、スーツの男性が二人の間に入る。
「この少年が被害者の知り合いらしくて……」
「知り合い……名前は?」
「狩生恭也っす。彼とはCSのバディを組んでいて……」
またも頭ごなしには納得しないその男性に掻い摘んで説明していると。
「――狩生? 何故ここにいる?」
その騒ぎが連鎖するように人を呼ぶ。次に現れたのは片桐響だった。
「片桐……先生……?」
彼女がここにいる事は何ら不思議ではないが、恭也はとっさの事で驚いた。
「俺、さっきニュースで司が……その……死んだ事知って来たんす」
恭也は言い辛そうに答えた。
「……そうか。驚いただろう?」
「はい……」
平然を装う彼女の目元には涙の後が残っていた。
「……先生は……やっぱ、遺族として……?」
相変わらずぎこちない言葉に対して片桐は頷いた。
「ああ、彼女は被害者の片桐司の姉……は言わなくても大丈夫そうか。事情聴取も兼ねてこちらに来て貰った」
彼女の代わりにスーツの男性が答えた。
「どうやら君からも話を伺う必要があるようだ。自己紹介が遅れたが、私は東郷新。この現場を取り仕切っている偃月署の刑事だ」
東郷と名乗るスーツの男性が名刺を差し出してくる。
「だが、生憎今は現場捜査や彼女の事情聴取で忙しい。そうだな……今日の十七時に偃月警察署の方に来て欲しい。その時間には落ち着いて話が出来るだろう。その際には君がこの場に来た目的も果たせるだろう」
「うっす」
恭也としても話を聞けるなら異存はなかった為、素直に頷いた。
「……片桐先生。じゃあ俺、学校行ってますから」
「ああ……恐らくだが、今日は顔を出せない」
「分かってます。ゆっくりで良いっすから」
「すまないな」
その後恭也は学校へ行った。学校では片桐が休んだ事、それと今朝のニュースからざわついた雰囲気が漂っていたが、恭也は普段通りに授業を受けた。
そして放課後の十七時、恭也は約束通りに偃月島の中央に位置する行政区の偃月警察署へと向かった。
受付にて『東郷刑事に呼ばれている』と口頭で伝えると、すんなりと二階の応接室へと案内された。
「――申し訳ない、待たせた」
数分後、今朝のスーツの男、東郷が姿を見せた。
「少し込み入っていてな」
彼はそう言いながら慌ただしくテーブルを挟んで向かい合うようにソファーに腰を下ろした。
「この時間なら落ち着いてるんじゃなかったんすか?」
恭也は嫌味混じりな言葉を吐く。
「事情が変わった。その辺りも含めて話そうと思っている」
東郷は自分のデスクから持ってきたであろうノートパソコンを開き、最初の質問をした。
「まず最初に。君のプロフィールについて確認を行いたい――狩生恭也、性別は男性。七月二十九日生まれの現十五歳……詳しくは省くが、特殊な経緯でその歳にしてCSのA級を務め、今は偃月訓練学校に通っている。そして、被害者とはCSの任務においてバディを組んでいる関係だった……間違いないな?」
「うす」
片桐――響の方から話を聞いたのだなと思いながら恭也は頷く。
「よし。次に訊きたい事は、被害者と最後にいつ会った?」
「確か……昨日の今くらいの時間っす。詳しい時間は覚えてないんすけど」
「昨日の夕方か」
東郷はノートパソコンのキーボードを叩きながら話し続ける。
「ふむ、どうやら被害者と最後に会ったのは、容疑者を除いて君らしい」
「容疑者?」
彼は短く咳払いをする。
「後で話す。それより昨日の夕方、被害者と会った時何処で何を話した?」
「会ったのは商業区の喫茶店」
「その場所は君が指定したのか?」
「いや、彼から。学校終わりに話したい事があるからそこに来てくれってメールで。んで話した内容は主に、少し前に起きた事件についてっすね」
「事件……それは四月三日の商業区で起きた魔族出現事件か?」
「そう、それ。でもまぁ、内容はこれと言って抜粋するような話じゃなかったけど……彼の様子も普段通りでしたよ」
「そうか……そうみたいだな。その店内の防犯カメラの映像と食い違いはない」
そう言って、ノートパソコンに映し出されていたそれを恭也に見せる。
「……試してたのかよ」
「人聞きが悪い。再確認していただけだ。君の話と防犯カメラの映像を照らし合わせてな」
「物は言いようだな」
恭也は彼、東郷の事を食えない人物だとこの時初めて確信した。
「そろそろ本題に移ってくれよ」
「先程までの拙い敬語は止めたのか?」
「んなのどうでも良いだろ。で、さっき容疑者とか言ってたけど、どういう事だよ?」
「その前に事件の概要について話す必要がある。今朝の事件――もとい、偃月埠頭殺人事件。今日の朝五時、偃月市埠頭の倉庫区画の海岸沿いにて、海面に浮かぶ死体が発見された。被害者はSCのA級隊員である片桐司」
東郷はパソコンを閉じ、ポケットからディールを取り出して司に関しての資料を映し出す。
「彼の腹部には刃物の刺傷があるが、直接の死因ではない。彼の死因は溺死。刺された後、海に投げ落とされて亡くなった」
「随分と具体的じゃねぇか」
「現場付近にそれを記録した防犯カメラがあるからな」
「……何だと?」
驚く恭也を横目にその映像を再生する。
「これは死体発見時刻から一時間前の映像だ。この黒いフードの人物が被害者を海に投げ落とす様子が記録されている」
顔を隠すように黒いフード付きのパーカーを着用した人物が、防犯カメラの死角から腹部から血を流す片桐司の体を担いで現れた。
そしてそのまま海へと投げ落とし、カメラの映像外へ早足で消えて行った。
「……こいつがさっき言ってた容疑者って奴か?」
「そうだ。顔は上手いように隠れて見えないが、この人物は確かに真相への鍵を握っている」
「あるいは犯人そのもの……そう言いたいんだろ?」
東郷はその人物が大きく映し出されるタイミングで一時停止ボタンを押す。
「何とかして見つけねぇとな……」
「これが誰なのか……それは分からないが、手掛かりはある」
「……? 手掛かり?」
「こいつの手の甲を見てみろ」
「手の甲……?」
その人物の手――右手の甲を見ると、赤と黒のタトゥーが入っていた。
「赤と黒のタトゥー。これは偃月市の闇の中にひっそりと潜む半グレ集団『レッドブラック』のものだ」
「レッドブラック……聞いた事あんな。確か、元は関西に巣食ってた奴らだろ? 半グレってっつっても、ヤクザやマフィアみたいな違法行為に手を染めてるっつう……」
「そうだ。八年前に関西が魔族に占拠された日本魔西事変を境に、こいつらは偃月市へと流れ着いた。それ以降、闇取引だのなんだのと黒い事には見境なく手を染めている忌々しい連中だ」
東郷は深く溜息をつきながら、映像の人物を睨みつける。
「ま、その話が本当なら今回の事件もこいつらが起こしたのなら納得だな。レッドブラックのアジトは割れてんのかよ?」
「それが分かっているのなら既に逮捕している」
警察はレッドブラックの足取りすらも追えていない状況だった。
「たまに末端のメンバーを逮捕するが、そいつはアジトの場所も、果てにはリーダーが誰かも知らない始末。どうやらグループ内ではディールのみでやり取りがなされているらしい」
「随分用心深い奴なんだな。レッドブラックのリーダーさんは」
八年もの間、偃月で生き残った理由こそがその用心深さなのだろうか。
「レッドブラックが絡んでるのは間違いなさそーだな……で、俺にこれを話した理由はなんだよ?」
「…………」
「遺族ならまだしも、普通被害者の知り合いだけって理由でここまで話さねぇだろ」
「単刀直入に言う。我々警察の捜査に協力して欲しい」
「協力ねぇ」
恭也は考える間もなく答えた。
「良いぜ」
「……訊かないのか?」
「何が?」
「何故自分なんだ。そう疑問に思わないのかと言っているんだ」
「んなもんどうだって良い。俺は何であいつが殺されたのか知りたいだけだからな。刑事さん、あんた今朝言ったよな? 俺があの場所に来た目的を果たせるって。俺の目的は、なんであいつが死ななくちゃいけないのか……それが知りたくて来たんだ」
「そう言えばそんな事も言っていたな」
あの言葉は自分をここに引き摺り出す為の出任せだったのかと、恭也は怒りを通り越して呆れ果てた。
「ほんと食えねぇ奴だ、あんた」
「よく言われる」
「……ま、あんたの思惑がどうとか知ったこっちゃねぇ。こっちはこっちで勝手に動かせて貰うぜ。もちろんあんたの指示は受けねぇ」
「大丈夫だ。だがその都度の助言は受け取って貰おう。それが条件だ」
「へっ、了解だ。東郷刑事」
こうして恭也は片桐司が被害者となった事件、偃月市埠頭殺人事件を捜査する事にした。