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第5話 死線

「まるで……地獄の光景ね」


 血まみれで殺し合う死者たちの戦いを眺めながら、結界の球に包まれた聖女マリアンヌはそう呟いた。言葉通り、戦場は死体と血で満ち満ちていた。地から、天から降り注ぐオーレリアの猛攻を、ヘザーは爆薬と仕込み刃で必死にしのぐ。その度に地面で魔物の死骸が弾け、血が飛び散る。


「いずれが勝とうと、残るのは死……」


 マリアンヌの瞳が、膝に乗る青年の死体を見つめる。慈しみを込めてその額を撫で、やがて唇を噛んで声もなく慟哭する。


「こんにちは、マリアンヌさん」

「……!」


 突然の声に、びくりとするマリアンヌ。勇者の体を挟んで、シャノンがごそごそと身を屈めて結界の中に入り込んでいた。


「どうやって……あなたは彼女とともに戦っていたのでは」

「抜け出してきました。まだバレてないと思います」


 シャノンは結界をくぐるため、穢れきった彼のローブをヘザーの腹の中に残していた。


「服に僕の血で簡単な呪印を付けてきたので、彼女は僕があそこにいるように感じてるはずです。吸血鬼は視力よりも血の匂いで気配を感じてるらしいので」


 シャノンの蘊蓄を聞かされた聖女はふっと弱々しく微笑んだ。


「……謝らなくてはいけませんね。あなたを過小評価していたこと」

「はあ。別に気にしてません。それより……」


 シャノンはちらりと下を見た。勇者の体は雷に焼かれ、全身の血を抜かれていた。


「使っていいですか」

「なぜ、わたくしに許可を? 彼の命は神のもの。あなたは神など恐れはしないのでしょう」

「ええ、まあ。でもヘザーが……今戦ってる彼女が、あなたと勇者さんは恋愛関係だと言ってたので。許可を得たほうがいいのかなと」


 マリアンヌは眉をひそめて怪訝な顔をした。


「……ずいぶんと誤解があるようですね。わたくしは彼と……そのような関係にはありません」

「あ、そうなんですか。じゃあ、勝手に使いますね」

「お待ちなさい」


 きょとんとするシャノン。マリアンヌは言い淀みながら、言葉を続けた。


「彼を……彼は、苦しみませんか」

「いいえ。死んでますから、痛みも何もありません。厳密には彼の魂はもう――」

「彼は」


 マリアンヌの声がシャノンの蘊蓄を遮る。


「彼は望みを果たせますか」

「はい。勇者さんが望むなら」


 シャノンの迷いない声に、マリアンヌは深く息を吸い、気力を取り戻した表情で彼と向き合う。


「お願いします。彼のために。彼が戦おうとした理由のために」

「……はい」


 シャノンは彼女の気迫に影響されてか、珍しく神妙に答えた。

 そして死体の前に屈み込むと、懐からいくつもの薬瓶と薬草、ルーンの石を取り出した。


「離れててください」


 マリアンヌが死体を地面に置くのを見計らって、シャノンは死体の顎をつかんでぐいと開け、いくつかの薬をドバドバと流し込んだ。それから四肢を順に触れ、骨折や関節のズレがないことを確かめる。


「よし。骨の補強はいらない」


 さらに全身に手際よく針を刺し、そこから別の薬液を注入していく。すべての工程は並行して行われ、一瞬たりとも手が止まることはない。仕上げに小声で呪文を唱えると、失血で干物のようになっていた筋肉に薬液が染み通り、徐々に膨らんで生前の大きさを取り戻し始めた。


「下ごしらえは上々かな……本格的な改修は後でやるとして、今は動かせれば……でも、利き腕の強度は必要か……うーん、ヘザー。もう少し耐えてて」

(や……っ、やってるけどぉっ!!)


 結界の外では、左腕を粉々に砕かれたヘザーが片腕でなおもオーレリア相手に持ちこたえていた。


「……驚いたものだ。小娘の死体一つが、このオーレリアを止めるか」

(あたしだって、将来的に伝説になるであろう天才死霊術師サマの、今のところの最高傑作なんだからね!)

(最高傑作は俺だと思うがな)

(黙ってろ、ノブ!)


 同じ不死者とはいえ、二人の声はオーレリアには届かない。表面上は物言わぬ死体のまま、ヘザーは上下左右から襲いかかる無数の血の槍を手足の仕込み刃でしのぎながら、必死で戦場を駆ける。


(ただ逃げ回るだけじゃないっ!!)


 円を描いて走っていたヘザーは、悠然と歩いてきたオーレリアが近づくのを見計らって、踵の火打ち石をカッと打ち合わせた。散った火花が地面に触れた瞬間、オーレリアの周囲を火炎が包む。


「油……成る程、逃げると見せて仕掛けをしていたか」


 オーレリアは足を止めず、炎の中を恐れることなく歩き続けた。頭上から注ぐ血の雨が、徐々に炎をかき消していく。


「質の良い油だな。私の時代よりいいものが出回っているようだ。長く生きてみるものだ……これがあれば吸血鬼狩りの効率も上がったろうに。少量の油で、これだけの火力が出せるのであれば」


 地面から全ての火を消し去ったオーレリアは、ヘザーの顔を見据え――それからふっと顔を背けた。視線の向く先は聖女の結界。


「そう、これだけの熱……生身の術者には耐えられまいな?」

(!?)

「防火したとて蒸し焼きになる。つまり、死体の腹にはもう術者はいない」

(……主くんっ!!)


 居場所を気づかれたと悟り、ヘザーはすぐにシャノンを呼ぶ。しかし、シャノンは術に没頭してその声に気づかなかった。



「……勇者さん。聞こえますね。勇者さん」


 両目を閉じて、死者に呼びかける。青い燐光が、勇者の死体からほんのりと放たれる。

 だが、返答は聞こえない。じっと動かないシャノンの姿を、聖女マリアンヌは不安げに見守る。


「勇者さん?」

(…………)

「もしかして、拗ねてますか? 時間がないんですが」

(クソ餓鬼が! 俺を笑いに来やがったのか? そのために呼び出したのか? 負け犬の俺を嘲笑って、死体を見世物にするのか? クソが、ちくしょう、ちくしょうッ!!)


 荒々しい言葉がシャノンの脳内に響く。シャノンはその激情に影響されないよう、深呼吸をする。荒ぶる魂は危険だ。子供じみた感情であっても、その怒りは交信する死霊術師の心まで壊しかねない。


「……勇者さん。心を落ち着けて。僕の声を聞いて下さい。あなたの力が必要です」

(嘘を付くなッ! 俺を学のない馬鹿野郎だと思ってやがっただろう。戦うしか能がねえって! 死体どもと一緒に陰口叩いてやがったんだろうが!)

「思ってましたけど、陰口はしてません。全部直接言いましたから」

(……そうだ、てめえは言いやがった! しかもマリアンヌの前でだ!)


 勇者の声はさらに激しくなったが、会話を続ける中で彼の感情が徐々に落ち着いていくのをシャノンは感じ取っていた。死の瞬間の狂乱から、生前の彼の感情へ。


「マリアンヌさんも、このままだと死にますよ」

(ああ、マリアンヌ……ちくしょう、どうせなら一発やってから死にたかったぜ。聖職者だからって……付き合ってたんだぜ、俺たち)

「一発やる、ってどういう意味ですか? あと、彼女は付き合ってないって言ってましたけど」

(それは表向き――)


 シャノンが復唱した言葉を聞いて、隣で見守っていたマリアンヌが眉をひそめる。 


「……シャノン? 勇者様となんの話を?」

「あ、すみません。こっちの話です。あと、勇者さんがこの話は貴女にするなと」

(それを言っちまってどうすんだ馬鹿野郎!)


 マリアンヌとの会話でシャノンの意識が勇者から離れた一瞬、ヘザーの呼びかけが矢のように飛び込んでくる。


(主くんっ! オーレリアがそっちにっ!!)

「え?」


 シャノンが振り向いた瞬間、視界一面に赤い色が広がる。球状の結界は赤い血に包まれ、波打つ血流が牙となって、結界を破らんと攻め立てていた。


(この……っ!)


 血を操るオーレリアを妨害しようと、ヘザーが飛びかかる。だが、無双の魔剣ナハトブルトを凌ぐのが精一杯で、彼女を止めるには至らない。

 やがて、ぴしりと音を立て、結界にヒビが入る。


「させない……!」


 結界が破れる寸前、マリアンヌは頭上に両手を掲げ、全身全霊を込めて祈りを捧げる。二重三重に強められた結界は、一時的に血の奔流を弾き飛ばす。


「シャノン! 結界はわたくしが保たせます。あなたは勇者様を!」

「……はい」


 激しい攻防が繰り広げられる中、シャノンは再び勇者の死体に意識を集中させた。


(ああ……クソ吸血鬼女か。状況はわかった。俺の死体を使いたきゃ勝手にしろ)

「それじゃ駄目なんです。あなたの遺志――あなたの明確な望みがないと、この死体は『あなた』にならない。つまり、力もろくに使えません」

(はあ!? 望みなんてあると思うかよ? 俺はただの死人だ!)

「ただの死人じゃありません。あなたは勇者です」

(……っ!)


 勇者の声が少しの間途切れた。


(……俺はッ! 俺は、ただの勇者の子孫だ! 先祖が昔の魔王を殺したってだけで、クソみてえな使命を押し付けられて! 化け物どもに挑まされて、挙げ句が……挙げ句が、この死に様だ)

「でも、普通に結構強かったですよ。勇者さん」

(世辞なんざいるか! 俺は、なり損ないだ。負け犬だ。歴史にもそう刻まれる。ハッ、魔王が勝った後で、歴史を残せるほどの人間が生き残れるか知らんがな……)


 投げやりに言って、勇者は深い溜め息をついた。


(俺はただの冒険者でよかったんだ。隣にちょっといい女がいて、多少の財宝を見つけて、楽しく暮らせりゃ満足だった。でも、でも……)

「でも、あなたは魔王と戦おうとしましたよね」

(……ああ。みんなが持て囃すから、断れねえだろ。世界が終わるとか言われて、逃げられるわけない)

「僕、『勇者』って言葉がなぜ救世主の同義語みたいに使われるのか不思議だったんです」

(……何の話だ?)

「あ、話が飛んですみません。つまり、『勇者』って勇気があるだけの人ですよね。あなたの先祖も。別に最強の戦士とか騎士ではなくて」

(今、俺と先祖を侮辱したか? お前?)


 勇者の声は怒りよりも、あきれが勝っていた。彼はより鮮明に生前を思い出しつつあった。すなわち、シャノンと話す時はいつもこんな風にイライラさせられていたな、ということを。


「いえ、褒めたんです。普通の人は魔王と戦おうとしないので。たぶん現代最強の戦士でも、オーレリアとヴォー・ゴランの名前を聞いたらすぐ背を向けて逃げ出しますよね」

(……だろうな。俺だって逃げたかった)

「でも、あなたは逃げなかった。すごいなあって」


 勇者は舌打ちした。死者の魂がどうやってそんな音を出すのか、シャノンは内心不思議に思う。


(俺は、逃げる勇気がなかっただけだ)

「そうなんですか?」

(不名誉が怖かった。死ぬほうがマシだと思ったんだ。それだけだ、くそっ、結局……俺はそういう奴なんだ。それしかない、みっともない男だ)


 声の響きが少しずつ落ち着いた調子に変化し、それから勇者の声は止まった。


(……おい、シャノン)

「はい」

(望みがあるかと聞いたな? 思い残しがあるかって)

「はい」

(俺は魔王をぶっ殺したい。あの野郎を倒して、そして……勇者として名を残したい)


 死体の右手がひとりでに動き、ぐっと空を掴んだ。その手の中には何もなく、だが、指は生前以上に力強く、無念に満ちていた。


(できるか? お前なら)

「……はい」

(死体の俺に聖剣が振るえるのか? 賢者先生はお前が仲間にいるだけで力が弱まると言ってたんだぜ)

「僕の推論が正しければ、それは間違いです」

(賢者ワイアットより自分が賢いってか。傲慢にも程があるぜ、クソガキ)


 勇者の声は笑っていた。


「アルフレッドさん。旅が終わったら、全てはあなたの成果として伝えます。あなたが魔王を倒し、世界を救ったのだと」

(……いいだろう。ただし、条件がもう一つ)

「なんです?」

(二度と俺をダサい本名で呼ぶな)

「わかりました」


 勇者の遺志を確かめると、シャノンは手早く最後の儀式を始めた。死者の魂を定着させ、不死の戦士と化する死霊術師の本領。

 その背後では、必死に結界を支えるマリアンヌの声が響く。


「シャノン、限界です……! 結界が――っ」


 結界にヒビが入り、隙間からオーレリアの血流が吹き出す。赤い糸のようなそれは、空中を触手のように伸びてシャノンの体に巻き付いていく。主の剣が、確実に獲物の首を切り落とせるように。

 そして、結界が砕け散る。瞬間、血の膜の向こうからオーレリアが魔剣ナハトブルトを振るう。生あるもの全てを両断し、その血を吸い尽くす剣。


「死ね」

(主くん、だめ……っ!!)


 結界に触れて自分の肉体が消散することも恐れずに、身を挺して魔剣を止めようとするヘザー。だが、その体は結界にたどり着く前にコトンと地面に崩れ落ちた。


(え――!?)


 シャノンが編み出した死体の改造蘇生術は、既存の蘇生術とは一線を画する機動性、自律性、そして判断力を死者に与える。その代わり、術の行使には大きな制約が課せられる。すなわち――

 同時に操れる死体は、一体のみ。


(塵になりやがれ、クソ女)


 割れた結界の破片が散り、血煙が赤い霧となって蒸発する。

 その奥で、死せる勇者の握った聖剣が黄金色に輝いていた。切っ先は、真っ直ぐにオーレリアの胸の奥に突き立つ。


「ぐ……かぁぁぁっ!!」


 かつてはこの世の夜を統べた吸血鬼の女王オーレリア――その苦悶の声は空を震わせ、木々に止まった鳥たちを一斉に飛び立たせた。

 剣が貫いたのは彼女の核ではない。だが、刃に宿る聖なる力の奔流が、大量の血を繋ぎ止めていた吸血鬼の力を断ち切り、肉体を急速に崩壊させたのだ。苦しみ悶えながら、オーレリアは崩れてゆく自分の体をかき抱く。魔剣はすでにその手から滑り落ち、地面の小さな赤黒い染みと化していた。


(くそったれ。認めるぜ、お前は最高の死霊術師だよ。生きてる時より体が軽い)


 聖剣を握りしめた勇者は、黒く焦げた腕を素早く数度振って具合を確かめた。生前敗れた相手をこうもあっさり仕留めたのだから、その実感も大きいのだろう。


「あ、まだ応急処置なので。四肢の動きはもっとよくなると思います」

(……お前、化け物か?)


 驚きの声を発してから、勇者はふと自分の体を見て自嘲する。


(けっ。今の俺と同じか)


 勇者は一瞬、後ろで彼の焦げた背中を見つめるマリアンヌの顔を振り返ってから、再びオーレリアに向き直った。オーレリアの体は既にほとんど崩れ去り、首から上だけが地面に転がっていた。その崩れかけた頭の端からは、彼女の核――脈打つ古き心臓が覗いていた。


(おい、シャノン。トドメを刺しちまうぞ)

「待ってください。話を聞きたい」


 シャノンは勇者を押しのけ、オーレリアの頭の前に跪いた。


「オーレリアさん。魔王の情報を教えて下さい。そうすれば、あなたを見逃します」

(な……!? おい、てめえ!)


 勇者の怒りの声を聞き流し、シャノンは続ける。


「彼の術の秘密。どうして死体も残っていない過去の戦士を復活させられるのか。それがわかれば、魔王の術を破る助けになります」

「…………」

「僕の血を少しあげれば、あなたは消滅せずに済むでしょう。それから百年か千年、どれだけかかるか知りませんが、いつかは復活できる。妥当な交換条件だと思いますが」

「は、は……! 面白い。やはり、お前を喰いたかったな……心残りだ」

「回答は?」

「否。私はあの方を裏切らない」

「それは彼があなたを蘇らせたからですか?」

「彼が私の望みを叶えてくれるからさ」

「望みとは?」


 オーレリアは少しの間、沈黙した。


「……人の世の終わり」

「なるほど」

「若き死霊術師よ。なぜ、人のために戦う? どれだけの偉業を成そうと、凡俗どもは死の匂いのするお前を英雄などと崇めはせぬぞ。お前は異端だ。弾かれ、避けられ、恐れられ……いつかは狩られて、槍の穂先の首となる」


 質問を返されたシャノンは一瞬考えてから、ふぅと息を吐いて答える。


「僕は、僕の望みを果たしたいだけです」

「ならば彼はお前の敵ではないはずだ。彼は力になるだろう」

「……あなたは僕の望みを知らないですよね?」

「死霊術師の望みはいつも一つだ。『失われたものを取り戻す』、その愚かで無謀な望みのため、冒涜に手を染めていく。お前もそうなのだろう?」

「…………」


 シャノンは真顔で長い間じっと黙り込んだ。こんなシャノンを見るのは、ユキノブたちも含めて誰もが初めてだった。


「オーレリアさん。僕に使役される気も、ないですか」

「ふ……御免被る。子供は趣味じゃない」


 それが彼女の最期の言葉だった。人間に手を下されるのを拒むように、オーレリアは残ったわずかな血で小さな針を形作り、自分の心臓を一突きした。残されたのは小さな血溜まりだけだった。

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