第2話 大賢者
――数日後。
シャノンたちは広原で大規模な戦闘の跡に出くわした。
「……? また、勇者さんたちの倒した魔物かな。ずいぶん多い」
(待て、ご主人。様子がおかしい)
ユキノブの声。少し遅れて、シャノンも気づいた。
「! ユキノブ、起きて!」
(承知)
背後から飛びかかってきた魔物を、馬車から飛び出した死体が一閃、真っ二つに斬り捨てる。空中で弾けた不浄の血と臓物が主人にかからぬよう、ユキノブはさらに刀を振って剣風で吹き飛ばした。
「ありがとう。これは……ハイ・オークかな?」
(そのようだ。しかし手負いだった。勇者殿が仕損じたか)
ユキノブは背筋を伸ばした姿勢のまま、周囲を見回した。
彼は故郷でしつらえた東方の甲冑を捨て、今は西洋鎧と兜で全身を覆いながら刀を振るう異質な剣豪である。重量級の鎧を着ながら軽々と跳ねて戦うその姿は、人の理を越えた死体にしかなし得ないものであった。
「……彼らがこの程度の魔物を討ち漏らすなんて変だな」
(警戒したほうがよさそうだ。他にも気配を感じる)
「わかった。任せるね」
言葉通り、警戒はユキノブに任せてシャノンは気軽な足取りでトコトコと先へ歩き出した。
(ちょっと! あたしも連れてってよー)
「この辺を調べ終えたらね。馬車を動かすにはまず安全を確保しないと」
(仏頂面男より、あたしの方が役に立つしかわいいのに。主くんってほんっと子供)
シャノンはヘザーの言葉をあえて無視して歩き続ける。
死者と必要以上に心を交わしてはならない。彼らはすでに「向こう側」のもの。どれだけ心があるように見えても、それは全て過ぎ去った魂の残響にすぎない――死霊術師として最初に学ぶ警句だ。
(ご主人、西を見ろ)
「西ってどっち?」
(俺が切っ先を向けている方だ)
言われるまま、刀の向いた先を見る。そこには無数の魔物たちが群れをなしていた。
本来なら協力しあうはずのない、多様な種族の混成部隊。明らかに魔王の手下たちだ。
「あ……やな予感」
(下がってくれ。俺がやる)
「なるべく綺麗めに片付けてね。調べたいことあるんだ」
(承知。ふふ、この数なら全力を出せそうだ。支援魔法など掛けてくれるなよ)
「わかってるよ。行ってらっしゃい」
主人の送り出す言葉を合図に、ユキノブは風のように駆け出した。
魔物たちがその姿に気づくより早く、オークの首が三つ、宙を舞っていた。
(ひ、ふ、み……残りは百と九つ。容易いな)
「ゴゲェェェェッ!!」
軍を率いていると思しき、鎧を着たハイ・オークが叫ぶ。
「ェェェェッ……エ?」
叫びが終わると同時に、その眉間には深く短刀が突き立っていた。
(はは! 頭は潰した。残るは烏合の衆よ!)
「楽しそうだなぁ。僕にはよくわかんないけど」
(戦闘狂の気持ちなんてわかんなくていいよ、主くん)
(秘剣……影断ち!)
「グァッ!!」
うろたえる巨体のオーガたちの群れの背後に回り、瞬時にして彼らの足首の腱を切る。
死後の肉体改造による怪物じみた脚力がなければなしえない、彼だけの秘剣だ。
「どうしていつも技の名前を叫ぶんだろう。僕たちにしか聞こえないのに」
(カッコつけでしょ。ダッサいけど)
間もなく、魔物の群れを単身で片付けてユキノブは戻ってきた。
「どうだった? 感想とか」
(……思ったほどの斬り応えではなかったな)
「魔物以外に何か見かけなかった?」
(何か、とは?)
「うーん……説明めんどくさいからいいや。自分で探す」
(ご主人?)
シャノンはその場に佇むユキノブを放置して、さっさと自分で魔物たちの死体に歩み寄っていった。
(無視されてやんの)
(黙れ、ヘザー)
「あ……見つけた。ユキノブ、死体袋持ってきて」
(は?)
「魔物だけじゃない。人の死体があるんだ」
(俺はそんなもの斬ってないぞ)
「知ってる。こいつらが運んでたんだよ。見せしめにでもする気だったのかな……だいぶ傷んでるけど、何があったか話は聞けそうだから」
ユキノブは魔物の血にまみれたその死体を、どうにか拾い集めて一つの袋に収めた。さらにそれをシャノンが聖水と清めの聖句で簡易的な浄化の儀式を行った。
死体を扱う死霊術師は穢れた存在として疎まれがちだが、死と向き合う以上は身を守るために聖なる業も学ばなければならない。死霊術師の仕事は、ある程度まで聖職者と重なっているのだ。
(これ、誰なの? 主くん)
「静かに。術式の途中だから」
(あ、うん……ごめん)
(怒られたな)
(黙れ、ノブ)
シャノンは精神を集中させ、ふーっと長い息を吐く。それから呪文の詠唱をして、死体の回りに青い燐光が浮かぶのを確認した後、袋に向かって話しかけた。
「……何があったのですか? ワイアット先生」
(なに……!?)
驚く声は、ユキノブのものだ。
つい先日別れたばかりの大賢者ワイアット。勇者とともに旅を続けたはずの彼が、なぜ死体となってここにいるのか。
(おお、童……そうか、わしは死んだか)
「はい。お話を聞いたら、防腐処置をして王都にお送りします」
(いや、そんな手間はいらん。ここで火葬にしてくれ)
「わかりました」
(はは、蘇りというのも中々得難い経験だな。死してなお見識は深まるものか)
「先生、もう一度聞きます。何があったのですか」
(む? ああ、そうだな……簡単なこと。わしらは見くびっておったのよ。『魔王』などと呼ばれても、しょせんは人の子。魔を従えるとて大したものではなかろうと)
「何と出くわしたのですか」
(奴はまさに魔の王、ぬしをも凌ぐ死霊術師よ。太古に滅びた闇の化身を、そして魔に堕ちた英雄たちを蘇らせおった。己の配下として……)
「具体的な名前でお願いします」
質問攻めにするシャノンに、ワイアットの魂はカッカッと笑った。
(変わらんのう。あるいは死体相手ならば、ぬしも優しさを見せるのかと思っておった)
「はぁ……まぁ、あまり時間もないので」
(そうじゃったな。従僕として使役するのでなければ、魂はそう長く留まってはおれん。わしの死体を使う気はないんじゃろう?)
「はい。損傷が激しいですし、それに――」
(それに?)
「僕の改造死霊術に向いているのは、大きな心残りがある死者だけです。先生は、案外スッキリされているみたいなので」
再び、カッカと笑う声が脳内に響く。
(そうじゃな。こんな道半ばでクソのような死に様を晒しても、正直なところもう生きるのにも倦んでおったところじゃ。長生きしてもろくなことなどありゃせん)
「先生、話が長いです」
(わかった、わかった。魔王の居城はここより西の果て。その道中で、わしらは二人の伝承の騎士に襲われた。一人は竜王の背に乗った竜騎士ヴォー・ゴラン。もう一人は鮮血の騎士オーレリア。名前ぐらいは知っとるじゃろう)
「…………」
答えに窮するシャノン。死霊術とその周辺の魔法学については狂ったように知識を吸収してきたが、それ以外は同年代の少年たちと知識に大差ないのだ。伝承物語などにも疎い。
(ご主人、あとで俺が教えてやる)
ユキノブが出した助け舟に、死してなお知識欲の強い大賢者ワイアットが反応する。
(おお! 今の声がぬしの『お仲間』か? あの色っぽい姉ちゃんはおるか?)
「モーリーンは封印中です。先生、話に集中してください」
(む……仕方あるまい)
咳払いをし、話を続けるワイアット。馬車からは「あたしじゃないの!?」とヘザーの声が響いたが、二人はそれを無視した。
(恐ろしい奇襲じゃった。空からは竜の咆哮と槍の雨が降り注ぎ、地面からは血の腕がわしらの足をつかみ、紅き深淵へと引きずり込む。三人ぽっちにしては、なかなか奮戦したんじゃぞ)
「僕がいても、結果は同じだったでしょうか」
(……さぁな。今言っても仕方ないことじゃ。いずれにせよ、全滅は免れた。こうしてぬしが生きておるのだから)
「勇者さんは?」
(わからん。雷で竜王を打ち落としたところで、わしは後ろからオーレリアに刺されて死んだ。伝説に歌われる美女に殺されるとは、わしにしちゃ上出来じゃ)
「お悔やみ申し上げます」
(洒落が通じんのう……そこのお仲間たちも苦労するじゃろう)
(いや、まぁ……)
(えっと……うん)
主人の手前、言葉を濁すユキノブとヘザーの声を聞いて、ワイアットの魂はふっと小さく笑った。顔は布に包まれて隠されているが、まるで優しい笑顔が見えるようであった。
(さて。童よ、ぬしはどうする。このまま進んで、我らの二の舞になるか)
「進みます。それが目的なので」
(死ぬぞ?)
「死なないようにします」
(……人の忠言を聞くような男なら、追い出されもせんかったか。まぁよい、だが一つだけ心しておけ)
「はい」
(手段を一切選ぶな。あらゆる可能性を考慮し、使える全てを使え。さもなければ魔王は倒せん。人の世は滅び、お前の望みも叶うことはない)
「…………」
(さらばだ、シャノン。我が最後の弟子よ)
「……さようなら、先生」
そうして、死体袋の光は消えた。
大賢者ワイアットの遺体をシャノンたちは丁寧に火葬した。