嗚呼、前島銑十郎の役者人生とは、何たる哉
江戸時代中期、ちょっと妙なことが起きまして……。
とある旅芸人の一座が、これまた、とある辺鄙な村へとやって来ました。
彼らはとにかく面白おかしく生きることを信条にして、襤褸傘の倒れた方向へ自由気ままに旅をしては興行をしていました。傘は必ずしも良い方角へ倒れるとは限りません。というよりも、連続で人のほとんど住んでいないような村の方へ導いたせいで、一座は食うのにも寝るところにも困るようになってしまったのですが、決して傘の指示に逆らうことはしませんでした。
彼らは心の中でこそ、「傘よ、今度こそ、人が多い町の方角へ倒れてくれ!」とこっそり念じていたでしょうが、今度もその期待は綺麗さっぱりと裏切られる結果になりました。
近年作られたという日本地図にも載っていないような見知らぬ村へ行く事になったのです。
それでも一座のみんなは、それも「興」(面白いこと)で結構だと、笑い飛ばしたのでした。
村へ足を踏み入れた時から、道中犬っころ一匹も見かけないほど、淋しい村でした。家の瓦屋根は崩れ、手入れのされていない荒れた田畑が点在しています。
一座は大道具を積めた大きな風呂敷包みを担いで、うんしょ、うんしょと歩いていきますと、第一村人を発見しました。その人は道の真ん中で、家の方を見て立っていました。
村人に良い印象を持ってもらいたいと思ったので、楽しく朗らかに鈴や太鼓、笛を鳴らそうとしました。
しかしその時、村人が見ていた家の玄関から、さめざめと泣く声が聞こえてきたかと思うと、白い棺が運ばれて出てきたのです。
誰かの葬式でしょう。
黒の喪服を着た人々が泣きながら白い棺を見送っていたのでした。
ああ、楽器を打ち鳴らさなくて本当に良かったと思いました。泣いている人たちの前を通りすぎていくのは、少し気まずい思いがしましたので、葬式が終わるまで離れて様子を見ることにしました。
一座は休憩がてら、重い荷物をおろし、田んぼの縁に座りました。喪服の人たちは互いに何やら話していて、その後は銘銘の家へ帰っていきました。
では、そろそろ行こうかと腰を上げた時、家の中から小さな男の子が一人出てきました。男の子は地面の土くれをいじくったり、枯れ枝で絵を描いたりしていました。
座長の前島藤十郎が同じ芸人仲間の吉川菊治郎に目で合図すると、風呂敷からお侍の格好をした人形を取り出して男の子の方へ歩いていきました。
男の子は二人に気づいて顔を上げました。
藤十郎と菊治郎は互いに持った操り人形を器用に動かして、闘っている場面を演じてみました。
「エイヤ!」
「ソレ!」
「エイヤ!」
「ソレ!」
二人の息はぴったりです。それを見ていた仲間も面白がって、太鼓や鈴や縦笛をやり始めました。
人形とは思えないほど、本物の武士が刀をつき合わせているように見えました。
二人が上手いのは、当たり前で、こうした旅芸人になる以前は、江戸の立派な演芸場で大勢の観客を笑わせる有名な一座だったのですから。
そんな藤十郎たち一座が、地方を巡る旅芸人になったのは、まさに藤十郎の考えでした。
「もちろん、このまま江戸で多くの観客に見てもらうのも良いが、俺は寧ろ貧しくて観劇すらできない村の人たちにもこれを見せてやりたい」と言ったのです。
大道具の作製や衣装などその他身の回りことを世話してくれる付き人もいなくなり、今度は全て自分達だけでやらなくてはなりませんでした。それで次第に、一座の仲間だった人が一人、二人、と辞めていきました。
しかしそんな座長の思いに賛同した五人、田吾作之助、その妻で女芸人の月ノ下おみつ、松岡八兵衛、流岡鳴音そして吉川菊治郎が残ったのです。
男の子はキャッキャッと、子どもらしい笑い声を上げて人形が動くのを見ていました。一芝居終わると、その子は藤十郎に「もう一度、もう一度」と言いました。再び別の芝居をやると、またキャッキャッと笑って「もう一回」と言います。
「お家の人が心配するからまた今度。この次は何時何時に村の中心でやるから、家の人と一緒においで」
と言いますと、ワーワーと地団駄を踏んで、
「お母ちゃんもお父ちゃんもいない。お母ちゃんは白い骨になっちまった」とわめき散らすのです。
そうか、さっきの葬式はこの子の母親のだったのかと思った藤十郎は、「じゃあ、おまいを育ててくれる親類の人がいるだろう?」と聞くと、
「誰もいない。今日から一人だけだ」と悲しく言うのです。
藤十郎は「ちょっと待て」と言って菊治郎と一緒に仲間の待つとこへ戻ってきて言いました。
「俺はあの子を、この一座で面倒をみてやりたいと思うが良いか」と。
この提案には、さすがに皆は驚いた顔をしていましたが、すぐに「そうしよう。子どもがいたら明るくなる」と賛成しました。
藤十郎はその子どもの元へ行って、
「俺たちは旅芸人の一座だ。傘が示す所なら何処へでも旅して面白おかしいことをしている。おまいも一緒に来るか?」と言いますと、その子は「うん」と頷きました。
だんだんその子は、芸人たちの身の回りのことを手伝うようになりました。さらに絵を描くのも、大道具を作るのも上手かったので、実際に舞台で使う書割* や衣装や道具を作る仕事も任せられるようになりました。
芸人たちが舞台に立って人形劇をやったり、楽器の音に合わせて躍りを踊ったりするのを見ていたその子は自分もやりたいと思うようになりました。それで、藤十郎は子どもに少しずつ芸事を教えるようになりました。
物覚えの良いその子は、難しい立ち回りも、細かくて複雑な動作もすっかり覚えてしまったので、みんなは大変驚きました。そして、ついにその子の初舞台の日が決まりました。
座長からもらった芸名は"前島銑十郎"。古くさくなく粋な芸名を考えるのに相当頭を抱えた藤十郎は、ついにこの名前を与えました。
実は「銑」には、「精錬されて艶のある金属」という意味があることを知った、月ノ下おみつが座長にこの文字を使ってみてはと勧めたことがきっかけでした。
金物が精錬されればされるほど、艶のある良質な金物になるように、日々芸を磨き役者として一層魅力を増すよう願って名付けたのでした。
銑十郎の初舞台は、商人たちが行き交う賑やかな町でした。襤褸傘が銑十郎のために良いところを引き当ててくれたようでした。
「暮六つ** に、鴻ノ池広場にて、『奇妙な髑髏』の劇をやるよー!
今度はうちの座の新人役者の初舞台だ!
爺ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃんみんな誘って見にきてくれろー!」と太鼓を打ち鳴らして叫びました。
夕暮れ時になると、仕事を終えた町民たちがぞろぞろと鴻ノ池広場へ集まってきました。老若男女、身分も様々な人々です。広場は、すでに簡単な舞台が出来上がっており、ゆらゆらと燃える蝋燭がより不気味さを演出していました。人々はこれから何が始まるのか、胸を高鳴らせていました。
カンカンカン!!
甲高い拍子木が鳴り響きます。いよいよ、始まりです。
ひょっとこのお面を着けた男装の人と、お多福のお面を着けた女装の人が前に出てきて、
「皆様、ようこそお越し下さいました。今夜皆様にお見せいたしまするは、我が一座に在籍しております年十七の役者の初舞台でございます。
どうか、皆々様方。温かくこの新役者の初舞台を見守って頂けると幸いにございます」と言いました。
「おー! いいぞ、いいぞー!」
観客は拍手しました。
ヒューヒュルヒュルヒュル……
縦笛を吹くのは、この道三十年のベテラン、流岡鳴音でありました。
春の朗らかさが残る夕べに、寒い寒い冬の嵐が来たかのような錯覚を起こさせるような素晴らしい音色でした。
書割の絵には、遠い山々に雪が降り積もり、白いぼた雪がボツボツと描かれています。これを描いたのは銑十郎でした。見物客はこの背景の絵がとても薄気味悪く、吸い込まれそうでしたので、体がひょいと寒くなる来さえ起こるのでした。
それはこんな話でした。
雪がしんしんと降りしきる真夜中のこと、一人の若い女がある樵の家の戸を叩きました。一晩だけでも良いから、今夜泊めてくれないかと、こう言うのです。樵はこんな雪の夜に、女を一人帰すのも可哀相に思いまして、泊めてやることにしました。
明かりの下で、差し向かいに座って見ると、女は今まで見たことのないほど美しい女であることがわかりました。女は火鉢の中で、ぱちぱちと爆ぜる音がそんなに珍しいのか、少女のようにじっと見ておりましたが、ふと目の前にいる髭もじゃの大男がじろじろと自分を見ているのに気づいて言いました。
「ここに家があって本当に良かったです。今夜は雪は酷いですし、このまま寒空の下で凍え死んでしまうと覚悟しておりました。遠くにぽっと灯りがともっているのを見たとき、わたくしは、『ああ、これはきっと神様のお恵みに違いないわ』と思いました」
銑十郎扮するこの美しい女は、本物の女以上に「女」に見えました。とても艶かしく、魅了させる不思議な力、言い換えれば、「魔の力」を感じさせる演技で、客はもうこの女に目が離せなくなっていました。
大男は少し恥ずかしげに、「こんな襤褸屋ですが、好きに使って下さい」と言いました。
女は、「お気になさらないで下さい。ただ寝床さえ与えて下さったらそれで良いので御座いますから」と言うのです。
大男と一つ屋根の下、一つの灯火の下で、大鍋を突っつきあっている姿は、まさに結婚したての夫婦のようでした。恥ずかしそうに互いの顔を見ては、伏せるような仕草に、客は自分達の結婚当初もこうだったのかもしれないなどと、隣に座る夫や妻をちらっと見ては、思い浮かべるのでした。
女は、「歩き疲れましたので、わたくしはそろそろ休ませて頂きます」と言うと、そろそろと衣擦れの音をさせながら、奥の部屋へ入っていき、戸をぱたんと閉めました。
男は一人火鉢の前に胡座をかいて、鼻をほじくったり、汚い髭を触ったり、頭をぼそぼそかいたりしていました。美しい女が一つ壁の向こうで寝ていると思うと、何となく落ち着きませんでした。
灯火を消して、寝床に向かいましたが、隣の部屋からは何の物音もしませんでしたから、もうすっかり寝てしまったのだと思いました。こっそり中を覗いてみたいと思い、戸を静かに開けようとしました。けれど心の中の自分がこう言います。
「そんな汚らわしいことをしてもいいのか。女は夜にたった一人で大男の家にやって来た。きっと怖かっただろうが、それでも勇気を出して、泊まることにしたんだ。そんな女の気持ちを裏切るようなことをしてもいいのか」と。
そこで男の手は止まり、寝ることにしました。
翌朝、男は朝御飯の美味しそうな匂いで目を覚ましました。女が小さなテーブルにのりきらないほど、たくさんの料理を並べていたのです。樵の家は貧しく、山の芋ばかし食っている生活でしたので、白米どころか、椎茸や蓮根、卵に鮭の切り身さえ食ったことがありませんでした。
「家にこんなものはなかったはずだが」と男は思いました。市場へ買い出しに出掛けたと考えましたが、ここからは何里も離れた所にあり、一日ではとても買って帰ることはできませんから、不思議に思いました。
女はその夜、男に「どうか、こんなお願いは厚かましいこと重々承知しておりますが、どうかもう一晩だけ、わたくしをここへ置いては頂けないでしょうか」と言いました。
男は「もちろんよい」と言いました。内心、容姿の美しく料理も上手い女を、このままここに置いて置きたい気がしていたのです。
女は朝早いうちに起き出してきては、一日分の料理を作っているらしく、女が料理を作っている所を一度も見ることがありませんでした。変だとは思いつつも、様々なご馳走を毎日作ってくれる女に聞いてみることはしませんでした。そんなことをしたら何となく気まずい気がしたのです。
今夜は鮟鱇鍋です。樵の家は海のない山ばかりのところでしたので、こうした鮮魚が度々食卓に並ぶと奇妙で仕方がありません。
何ヵ月も経ち、ようやく樵の住む村にも春が訪れました。男は女を正式に妻に向かえたいと思うようになり、ある晩のこと、隣で縫い物をしている女にこう言いました。
「おらの嫁さんになってはくれまいか」と。
それを聞いた女は縫い物の手が止まり、大粒の涙が膝の上にぽろぽろと落ちたのです。
男は自分の嫁になるのが泣くほど嫌なのかと思ったので、「嫌ならいいんだ。でもこれからもここにいてくれろ」と言いました。女は目を輝かせて男を見ると、
「いいえ、違います。わたくしは嬉しいのです。こんなわたくしをお嫁にしたいなどと言って下さる殿方は始めてでしたから。何と言ったらいいのやら。本当にこのわたくしで良いのですか?」と言ったのです。
男は驚いて、「もちろんだとも。是非おらの嫁さんになってくんろ」と喜びました。
寝床についた男は興奮で眠れませんでした。しかし、しばらくすると一つの疑問が浮かんできたのです。
あんなに美人で器量の良い若い娘を放っておく男がいただろうか。
今まで結婚を申し込まれたことがないというのは本当だろうか、と。
観客たちは、きっと狐につままれているんだとか、鶴の恩返しみたいな話だとか言い出しました。
明け方頃、男はふっと目を覚ましました。まだ、外は暗くて月の光だけが差しています。隣に寝ていたはずの女の姿がなく、家の中はひっそりとしています。男は不審に思い戸を開けて居間を覗きました。
ここで観客はごくりと唾を飲み込みます。
台所に、一人の腰の曲がった老婆が壺の中から、白い欠片を取り出しています。よく見ると、それは骨のようでした。壺は台所の床の下に隠してあるらしく、それは何個もありました。
老婆は骨張った、しわしわの手で、一つまみの骨をつかむと、鍋の中へ放り込み、なにやらぶつぶつ言っています。するとその骨が、脂ののった秋刀魚になったのです。
今度は別の瓶から骨の粉を取ると、皿の上に撒きます。そして例のぶつぶつを言うと、ふっくらと粒のたった白米になったのです。
今まで美味しい、美味しいと食べていたのは全て、人の骨だったのかと思って男は身震いしました。
客たちもみんな、とりつかれたかのように、顔が青白くなり、背筋が凍りました。がたがたと震え出す人もいたくらいに、銑十郎の老婆の演技は初舞台とは思えないほど上手かったのです。
老婆は後方から見つめている視線の熱を感じて、ふっと振り向きました。男と目が合ってしまったのです。
客は呼吸するのも忘れていて、ばたっと気を失う人もいました。
「見ましたね……。あなた……わたくしを…見ましたね……」
嗄れた声は、あの艶のある若い女の声ではありませんでした。
すると突然老婆は、老婆とは思えないくらいの早さで男の方へ走ってきたのです。
男は「あっ!」と、畳の敷居に足を引っかけ、後ろへ倒れ込んで頭を打ちました。男はそのまま意識を失いました。
翌日、太陽が寝室に差し込み、はっと目を覚まして、隣の布団を見ると、その上には一つの髑髏が置いてあったのです。
観客は精巧に作られた髑髏をまじまじと見ています。しかし、次第にざわざわと話し始めました。
「あれは本物じゃあないだろうか」、「いや、本物のわけないよ」と。
髑髏の近くには紙切れが置いてありました。それにはこうありました。
「今まで本当にお世話に成りました。このご恩は一生忘れません。
後れ馳せながら、あなたへのお礼の品を置いておきました。
わたくしの頭の骨です。
あなたは、わたくしにいつまでもここにいてほしいと言って下さいました。そして、わたくしをお嫁にしたいとも言って下さいました。
ですから、わたくしは自分の頭の骨をここに置いておくことにしたのです。
そうすればいつまでもずっとあなたといられるでしょう?
あなたの喜ぶお顔が浮かぶようです」
男は青ざめた顔で、手紙を引きちぎると、髑髏を持って山へ行き、そこへ埋めました。しかし、帰ってくると、またあの髑髏が必ず家のどこかにあるのでした。そして毎晩、髑髏はカタカタと鳴るのです。
拍子木を鳴らして劇は終わりました。人々は固まって動けなくなりました。本当に、目の前の髑髏がカタカタと動いたように見えたからでした。
この劇は別の町でも行われ、銑十郎は一躍、名物役者になりました。その上、傘が必ず一座を人々がごった返す街へと導いてくれるので、生活にも余裕ができて、付き人を雇うこともできるようになりました。
あの辺鄙な村でたった一人の母に死に別れた少年を拾ったお陰で、こんなにも良いことが続いて、仲間は喜びましたが、一方で銑十郎を不気味に思うようにもなりました。
銑十郎が作ったというあの髑髏だって骨にしたって、全部本物に見えるのです。江戸で再び人気一座となった彼らの、『奇妙な髑髏』は江戸で一番の演目になりました。言ってしまうと、それ以外の演目はあまり人気が出ませんでした。
千秋楽を終え、座長は銑十郎を楽屋へ呼びました。ずっと気になっていたことを明らかにするためでした。座長の楽屋には、有名な人たちの祝辞や菊の花がたくさん飾られてありましたが、全ては銑十郎の初めての脚本である、『奇妙な髑髏』に対する祝辞だったのです。
「銑十郎、おまいはこれまでよく頑張ってくれた。稽古も長旅も辛かっただろうが、何でも一生懸命やってくれた。そこで、一つ聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「おまいが作ったという大道具は、どれも本物みたく素晴らしくできている。とくに、あの"髑髏"。
正直に言ってほしい。あの髑髏は本当におまいが作ったものか?」
銑十郎は、くくくと笑い出しました。
「どうしてですか?
まさか、座長はあれが本物の髑髏だと思うのですか?
冗談でしょう?」
「……」
不気味な沈黙が流れます。何時間にも、何秒にも思える不思議な時間です。
「……だったら、どうします……?
本物の人の骨だったら……?」
銑十郎は不気味にぎらぎら光る目をして笑いました。
「座長、お目が高い。
あれは私の母の骨ですよ。
あなた方が村へ来るずっと前のことですが、私は母を殺したんです」
「……」
「日々草の葉っぱには毒があると、私は母から聞いていましたので、実際にそれを食べたらどうなるんだろうと思いまして、私は味噌汁にそれを入れたんです。それで人が死ぬとは思わなかったのです。食事が始まると、まず母は味噌汁に手をつけました。一口飲んだ母は苦しむことなく、ぽっくりと死にました。私は不思議と怖いとか恐ろしいとか思いませんでした。とにかく母の遺体を、そっくりそのまま寝かしておいたのです。蛆がわいて、自然に骨になってしまいました。
母の骨。それはまさに芸術品でした。
私たちの村は家同士離れていますし、なにせひどく辺鄙な村でして、人が亡くなったとしても、誰も気付きません。ある時、尋ね人があって、白骨した遺体を見つけました。私がまだ五つか六つかの時でしたから、まさかこの子どもが母親を殺したとは思わないでしょう。
その人は、すぐに葬式の手配をして、村人たちを呼びました。葬式の始まりです。白い棺の中には母の骨に似て非なるものが入っていました。
どう言うことかと申しますと、実は私は母の骨と全くそっくりに白木で、人間の骨格を作ったのです。本物をよく観察して、忠実に再現して作ったのです。私は大事な母と離れるのが嫌でしたから、取り分けておいたのです。人々はそれを母の骨だと思って棺に入れました。
そして私は、大事な母を亡くした、悲しくて哀れな子どもを演じたのです。村の人は私のところに来ては、「何と、可哀想な坊やだこと」、「ああ、こんなにも涙を流して。さぞ、辛かったろう、怖かったろう」と声をかけました。涙が頬を伝い、冷たいものが地面にぽつりと落ちたとき、私の心の中では、何と面白おかしいことか、と大笑いしていたのでした。
そうです。私の役者人生はもうこの時から始まっていたのです」
「……それでおまいは……、あの劇の脚本を思い付いたのだな……?」
「はい。あの劇のお陰で、皆さんを江戸の町でまた一躍有名一座に返り咲いて差し上げたでしょう?」
銑十郎は金物の鈍い光のような眼光を座長に向けたまま笑い続けました。
ハッハッハッハッ……
何と面白おかしい話でしょう!
あの髑髏の綺麗に並んだ歯がカタカタと鳴り出しました。
座長は一目散に楽屋を飛び出し、仲間を連れて遠くへ逃げ出しました。銑十郎が決して戻ってはこれないように、北へ北へ、遠く遠く旅を続けたのでした。
歩き疲れた末に、一座はひどく辺鄙な村へたどり着いたのです。空は鈍より曇っていて、今にも雪が降り出しそうに寒くなってきたのです。肩や頭や顔に冷たいものがぽつん、ぽつんと、ぶつかるのを感じ、空を見上げました。
それは雪でした。
次第にぼた雪になり、辺りは真っ暗です。
「どこかに泊まる家があるといいのだが……」
吹雪になり視界は一層悪くなり、このままだと凍え死んでしまいます。すると、小さな山小屋に灯りがともっているのを見つけた一座は、
「ああ、これは、まさに神様のお恵みに違いない」と口々に言いました。
藤十郎が戸を叩くと、一人の若い女が出てきました。
……みなさんはそれが誰だったかはもうお分かりですね……?
若い女はこう言いました。
「ずっと待っておりましたのよ。わたくしの楽屋で」
奥であの髑髏がカタカタとなったのでした。
<The end>
* 書割…芝居大道具の一つ。木製の枠に紙や布を張り、風景や建物などを描いたもの。
** 暮六つ…春分、秋分でいうと午後六時頃。
最後までお読み頂きありがとうございました。