83.嫌な音、嫌な予感
「ご機嫌、だな」
「えー? そんなこと、ないよ?」
誰に聞いてもそんなことは絶対にある、と断言できる笑顔で桃香が小首を傾げる。
顔見知りに誘われたのがきっかけで、そこで桃香が食い付いて入った隣のクラスの占いの館を出てから元々良かったところがもう一段上がった感がある。
理由は、隼人にも明らかで。
「ね?」
「うん」
「わたしたち、相性もいいんだって」
「みたい、だな」
「ねっ!」
桃香が繋いでいる手の力を強めにして、桃香側の隼人の肩と二の腕の境くらいに頬が付くくらい身を寄せてくる。
ただでさえ人目を引く方の容姿なのに格好とそんな行為によってかなり周囲の視線を集めているが、桃香の方はほとんど気付いていないというかお構いなし、だった。
「……」
隼人の方はそんな視線に対する居心地の悪さが三割、こんな桃香を他の男子に見られたくないが三割。
「はやくん?」
「何でもない」
その二点のせいで桃香のことを堪能できないことへのもどかしさが四割、といったところだった。
やっぱり、夏休みに何度かしたように誰も見知った顔が居ないところの方がこういう時は良いよな、と思いながら。
「桃香、ちょっと」
「うん?」
少しだけ、人目に付かなそうな場所にわざとらしく逸れて、黒い布地の上に零れている桃香の髪にそっと触れた。
「はやくんも、うれしかったの?」
「そりゃあ……嬉しくない訳は、ないだろ?」
「うん」
頷いて微笑んだ桃香の頬にも一瞬だけ指先を遊ばせてから。
「じゃあ、そろそろ時間だし行くか」
「うん」
時計を見て、桃香の手を引いた。
「えー、隼人元に戻ってる」
「……残念です、可愛かったのに」
まあ言われるだろうな、とは思っていたものの。
待ち合わせ場所で悠にも彩にも露骨に不服そうな顔をされる。
「いや、もう今日の分の自分の持ち場は終わったし」
「えー」
「勿体ない」
「はいはい」
自分をからかうのがメインで言っているのはわかっているので適当に流す。
多少は言葉通り可愛く思われたのかもしれないけど、正直それは嬉しくない。
「母さんや……隼人もついに反抗期が」
「育て方を間違ったのでしょうか……」
ただまあ、この学園祭の雰囲気で二人も何となくテンションが高いのは伝わって来た。
「桃香は、隼人も学園祭の間くらいはあの方が良いよな?」
「んーと……」
弱いのを知っていて桃香に振るのはズルくないか? ……となるが。
「あっちも可愛いけど、はやくん照れ屋さんだからお祭り楽しんでくれないとわたしも困る、かな?」
確かに隼人が拒絶の意思を示した後は余計には言ってこなかったな、と思い返しつつ……思わずポロリと言葉が出た。
「桃香はいい子だな」
「え? そ、そう?」
「うん……どこかのふたりと違って」
「あ、あはは」
どこかのふたりって誰のことだ? さあ? などと聞こえてくるがこれ以上は構わないことにする……やたらと口の巧い上に小さいときからの姉補正がある二人相手にこのままじゃ何時まで経っても終わる気がしない。
「ほら、戸浦さんのクラスのお店行くんじゃなかった?」
「おお、そうだった」
「それはそうとして、良い感じじゃない? 真矢ちゃん」
「そうですか? ありがとうございます、お嬢様」
少々並んでから入店し、恐らく真矢の希望でそう言う手筈になっていたのか彼女に応対されながら……お約束の挨拶の後、少し態度を砕けさせての話が始まった。
「これは……今度から家で雇ってしまおうかな?」
「はいっ?」
「本当に出来る人が言うと冗談に聞こえませんよ? 悠姉」
「ほら、この店のオーナーのところに乗り込んで真矢ちゃんが背負わされた借金をドーンと払っちゃって、さ?」
「いきなり戸浦さんに重い過去を捏造しないでください、あとここのオーナーって誰になるんです?」
「え、えっと……じゃあ、折角なんでお店の裏で虐げられておきましょうか?」
「お、それいいね!」
何を言っているんだか、なんて思いながら……運ばれてきた珈琲を、瞼を閉じて口にする。
「はやくん?」
「ん?」
「どうしたの?」
「普通に珈琲味わってるだけだけど」
潜めた声で聞いて来た桃香に素知らぬ声で応えるけれど……内心では穏やかではない。
何処を如何したところで、この状況で桃香と居て、声まで聞いてしまえば先日の件がまたしても鮮やかに蘇る。
自分がそういう年代の男子である自覚はあるのでそういうことも当然あるのではないかと思いたい気持ちもあるが、それにしてもそれがちょっと強くはないだろうかと自分を疑い始めている所だった。
「どうしました? 隼人」
真矢に見送られて……あと、そこでまた悠が茶々を入れて、模擬喫茶店を辞した後。
隼人の顔を見ながら彩が問いかけてきた。
「お店の途中、というかかなり前半から黙ってますが」
「んー? そりゃあ、決まってるだろ?」
後ろに手を振ってから追いついて来た悠がにんまりした顔で断言する。
「桃香にあの格好で『ご主人様』って呼ばれてるとこ想像して、どうやって桃香に頼もうか考えてるとこ、だろ?」
「違います」
想像ではなく事実になった後です、とは心の中で呟く。
桃香が余計なボロを出さないか横目で確認したが、少し赤くなって曖昧に笑いながら黙っているだけなので……まあ、言われて照れているくらいにしか見えないだろう。
「ははあ……隼人も男の子なんですね」
「そりゃ……男子だよ」
当たり前です、と頷きながらも。
それを今、自分で思い知ってるところだよ……と内心で戸惑いながら頭を抱えている。
「いいんじゃないか? 桃香、尽くすタイプだし隼人のためならなんだってしちゃうだろ?」
「さ、さすがにそこまでじゃないよ……」
「じゃあどこまで?」
「な、ないしょ……」
彩に言われている隼人に続いて、悠に言われて桃香も若干ギクシャクとし始める。
どこまでかは隼人にもわからないけれど、少なくともあのくらいではあるので……嬉しいけど、困る。
桃香に対する箍が外れる前に、しなければいけないことくらいわかっているが……したいこともして欲しいことも色々と浮かんでしまっている。
人目を気にしなければ今日は肩か腰くらい引き寄せたかったし、服の安否を気にしないならあの時は抱き締めたかった、から。
「……」
これは良くないな、と思っている所に桃香で悠が遊んでいる様が聞こえてくる。
「でも、注意しないと駄目だぞ、桃香?」
「え?」
「あんまり桃香が美味しそうなことをすると、いくら桃香大事な隼人だって大人しい猫のままじゃなくなる……かもしれない」
「何言ってるんだか」
少し食い気味に否定してしまうのは、心当たりしかないから。
「あ、でもはやくん百て……」
「百?」
「な、なんでもないよっ!」
勿論言った手前そのつもりなのだけれど、それを反故にしたくなるくらいだ……っていうのも桃香にはわかって欲しいと思う。
わかられると……それはそれで非常に困るのも事実だけど。
「かき氷、いかがですかー? 今ならソース増量中!」
「全部がけもアリ!」
「スーパーボールすくいもやってまーす!」
そんなことを話しながら校庭近くの廊下に差し掛かれば、隼人の耳には模擬店の売り込みが聞こえて……ああ、抹茶味辺りがあれば甘過ぎず頭も冷えていいかもな、と思った時だった。
「!?」
背中の方から何やら破裂音のような音と悲鳴が響き。
「桃香!」
「え?」
咄嗟に桃香の二の腕を掴んで引き寄せていた。