81.お祭りの空気の中で
「おっ疲れさん」
「なかなか盛況なんじゃないか?」
遊んできました、という雰囲気満載で後半戦担当の蓮と誠人が帰ってくる。
「特に問題なかった?」
「無かったよ、というかあっても困るけど」
「確かにそうね」
こちらは普段通りやや心持ち楽し気、といった花梨も戻ってきて後半責任者も担当してもらうので引継ぎと確認を簡単にする。
「招待制だもの身元の怪しい人は入れないし」
「そうそう」
「ま、万が一居たら氷漬けにでもしてあげればいいのかしらね?」
クスッと涼しげに笑って着替えに行く花梨を見送った後。
「あのいいんちょーが……雪でも降るのか?」
「いや、伊織さん割と冗談は言う方だと思うよ? 真顔でだけど」
「何だかんだで盛り上がっているのかな?」
三人して顔を見合わせてそんな花梨評を行う。
学園祭の雰囲気は大なり小なり皆の心に沁みている様子だった。
「じゃ、自由時間だね!」
こちらは間違いなく大だな、と思う様子の桃香が喜色満面で受付をバトンタッチして隼人のところにやってくる。
なお、受付の机のビーカーの前には美術部の創作時に使っている為か良い感じにカラフルに、見様によってはケミカルにも見える白衣姿の由佳子が就いていた。
「では、ごゆっくり」
「……うん」
全身に包帯を巻いてきた誠人に意味有り気に肩を叩かれて列整理も交代し隼人もフリーになる。
「わたしは、せっかくだからこのまま回っちゃおうかと思うんだけど」
ちょっとした宣伝にもなるしね、と帽子の鍔を触りながら桃香が尋ねてくる。
「はやくんは、どうする?」
「外す」
「わ」
言うが早いか自らの頭に伸ばした隼人の手を、隼人が驚くくらいの素早さで桃香が止める。
「はやくん、待って待って」
「……何だよ」
「取っちゃう前に、お願いがあるの」
「……」
やっぱりそうなるのか、と思いつつも。
取り敢えず外したい一心でこの場で動作を起こしたのは失敗だったと痛感する。
誠人や由佳子はまだしも、他の不特定多数の視線がある前で腕を桃香の両手で捕まえられてしまっては、魔女と猫が「戯れている」としか言い様のない絵面だった。
「とりあえず、物置スペースまでいくぞ」
「う、うん」
小さく、桃香にだけ聞こえる声量で言ったものの。
言った後で二人して隣の関係者以外立ち入り禁止の張り紙の扉に消えていくのもどうかとは思いつつも……もう遅かった。
「あ♪」
丁度というか何というか。
簡単に外せたりそのままの格好で学園祭を周る組はとっくに行って、がっちり着替える組は更衣室から戻っていなくてで……少し暗く、喧騒がどこか遠い荷物置きのスペースは無人だった。
「じゃあ、はやくん」
「ん……」
確かに、悠や彩にはさせて桃香にはさせない、というのは理屈が通らないので大人しく適当な椅子に座る。
「えへへ……」
ファーストタッチだけは少し遠慮がちだったが、あっという間に両手で撫で回される触り方になる。
「いい毛並み、だね……」
「おい……」
「あ、ごめんね……でも、綺麗な黒髪なのはホントだよ?」
羨ましくなるかも、と呟く桃香に言い返す。
「桃香だって綺麗な髪してるだろ……」
「ありがと……でもね」
「ん?」
「はやくん、割と古風で和風好きなところあるから……こういう方がよかったかも、って思うことはあるよ?」
桃香の顔を見たくなったけれど、位置的に難しいので首元のリボンを見ながら肩から零れている桃香の髪に触れ返す。
「俺は……これがいいよ」
「!」
「そのままの桃香が、いいよ」
優しく聞こえる声を意識してそう言うと桃香の手が止まって……そしてややあって。
「はやくん」
「……どうした?」
「ぎゅうっ、てしてもいい?」
「場所が拙いだろ」
いつ誰が入ってくるかもしれない場所ではあるし、何より今の体勢と位置関係でそんなことをされたら柔らかな場所に顔を埋めることになる。
それは本音では魅力的でも、今は避けるべきだった。
「ほら、もういいだろ」
そもそも、よくよく考えれば桃香に抱き締められずとも充分に人には見せられない状態だった。
「うん……」
名残惜しそうにもう一撫でしてから桃香が手を離して、一歩下がる。
「ね、はやくん」
「どうした?」
「ぎゅうのかわりに、してみたいことあるんだけど……いいかな?」
「……内容によっては検討する」
100%間違いなくよろしくない内容とは言え拒絶したこと自体は気にしていたので、若干の譲歩をする。
「えーっと、ね」
隼人の目の前に、桃香の手のひらが差し出される。
「……?」
「お手」
「……おい」
「あ、や、やっぱりダメだよね……」
撤回を試みる桃香の前に、包丁を使う時のような猫の手にした右手を差し出し……。
「……!」
慌て気味に広げ直した桃香の手のひら、をスルーして。
「何を、言ってるんだ」
「だっふぇ……」
そのまま桃香の頬に軽く軽く猫パンチを見舞った。
「ねこはやくん、レアでかわいいも……」
ほう? 口が減らないなぁ……と隼人は口の端を歪めてから、もう片方の手も猫にする。
「おかわり、だな?」
「ほんにゃ……」
「えーっと、じゃああらためて」
「ん」
「学園祭、行くよー!」
自分の両頬を触れた後、桃香が右手を上げて宣言する。
変な痕にはなってないよな? と横目で柔らかさに思わずやり過ぎた自覚はある桃香の頬を確認した後、頷いて尋ねる。
「どこから行く?」
「後でお姉ちゃんたちと合流した後、真矢ちゃんのとこ行くのは確定として」
「ん」
「まずはお腹に何か入れよっか」
「それはそうか」
前半後半で交代する関係上、昼は大きく回り軽い空腹感にはもう襲われていた。
「あとは、体験型トリックアートって、ちょっと気になってるかも」
「確かにそうかもしれない」
準備期間中に見た看板で思い出して頷く。
「どんな感じなのかな?」
「その背景の前で写真撮るとトリックアートになる、ってのだろ?」
「あー、うん、聞いたことあるかも」
そんな二人に、後ろから声がかかる。
「ヘイ、そこのお兄さん、トリックオアトリート!」
「お菓子をくれないとイタズラするよ、桃香に」
マントの関係上か普段より締め具合は軽めに絵里奈が桃香に抱き着いていた。
あと、普段の制服姿に戻った美春と琴美も手を上げる。
「お邪魔はする気はないけど」
「お昼は一緒にどうよ?」
言われれば絵里奈に何かを奢る約束もあったのも思い出し……桃香に視線で確認した後。
「じゃあ、そうしようかな?」
「よーし、決定」
「ボールドーナッツで良いかな?」
模擬店で色々買って食べようか? という流れになり、隼人から絵里奈に進呈する分はチョコレート系との指定もあったのでチョコがけオプションもあるのを確認して、そう提案する。
「モチロン」
「二つ買うので、女子で分けて食べて」
「お! いいの?」
「吉野君太っ腹」
まあ、何だかんだで美春たちには感謝している面も無くはない、訳で……こういうのも良いか、と思う。
「ああ、ボールドーナッツいえば」
「うん?」
「キッチンカーで売ってるお店で、一個ハート形が入ってるって話題のところあるよね」
「美春ちゃん、それはベビーカステ……あ」
「知ってるの、桃香?」
「「!」」
その話題と思わず桃香が行ってしまった指摘に、桃香のみならず隼人も動きが止まる。
「ほほーん?」
「吉野君のその様子と」
「桃香のその顔は……」
桃香のその顔、はちょっと見たいけれど隼人としては女子の方を振り向けない。
「桃香はあげちゃったのかな? 知ってるけど」
「食べちゃったんだねぇ、吉野君は」
「相変わらず甘々~」
何か返したいが……事実、は覆せない。
「え、えっと……あはは」
「ねーえ、桃香」
「今度お泊り会、しようね~?」
いつもよりねっとりとした声で三人に絡まれている桃香から。
「は、はやくん……たすけて~」
「ごめん、どうしようもない」
こればかりは隼人には救う術がない。というか、口を出せばむしろ悪化する気がした。
「じゃあ、吉野君」
「……はい」
「御馳走様、でした」
「まだ何も買ってませんけど」
「またまたぁ」
そして隼人も甘んじて三人に肩やら背中やらを叩かれるのだった。
「ちょっと夏祭り、思い出すわね」
「あー、確かに」
琴美の一言に、美春が相槌を打って、隼人と桃香も頷いた。
多少大掛かりな出し物のため空き教室を使っている関係上、隼人たちの教室は所属の生徒とその友人たちの休憩所のような状態だった。
そしてソースの香る焼きそばは屋台でも出店でも、円形に並べた教室の机の上でも主役商品だった。
「教室でこういうもの食べるの新鮮」
「だな」
ノリが今度は遠足な桃香に頷きながら焼きそばとホットドッグの昼食を食べ進めれば話題は当然ながら主に学園祭であり、クラスの出し物になる。
「小さい子でも楽しめてて良かったって言われたよ」
「三年生の方はガチの奴みたいだからね」
「やっぱ行こうよ? 琴美」
「美春と絵里奈で行って来てって言ってるでしょ!」
「えー、だっていくらスレンダーとはいっても琴美の方が美春よりかは抱き着き甲斐があるじゃん」
「コラ」
「いちいち比べるな!」
「あ、痛っ!」
学園祭の空気のせいで普段より三割増しで賑やかだな……と思いながら桃香に目を遣ると。
「……?」
盛り上がっている美春たちをにこにこと見ているのはよくある光景だが、それとは別に廊下の方にも笑みを深める要素がある様子だった。
「どうした?」
「え、ううん、大したこと……じゃないから」
桃香は首を横に振るが、隼人だけでなく美春たちの視線まで「気になる」と集めていて。
「その、えっとね……」
「うん」
「受付してたりとか、廊下見てる時とか思ったんだけどね……」
「ほう」
「結構みんな、仲良ししてる……な、って」
全員が桃香の視線を追えば、丁度その時、廊下を上級生の男女が腕を組んで歩いて行く姿が扉の向こうに見えた。
「その……男の子と女の子、で」
「「「……」」」
段々フェードアウトするような声の桃香に対して、三人は深く深く溜息を吐いた。
「何それ桃香」
「ツッコミ待ちなの? ん?」
「大丈夫、桃香と吉野君の方がよっぽどだからね?」
「だ、だから大したことじゃないって言ったのに~」
再びもみくちゃにされる桃香を横目で見ながらそっと気持ちその場所から距離を置きつつも確かに校内にそんな姿は散見される、とも思う。
もしかして目立たぬように紛れて少しは桃香に触れていても良いのだろうか? と。
「いや……やっぱり、止そう」
かなり真剣に検討した後、口の中で小さく呟く。
そういう想定は往々にして悪い方に外れるものだし、一応……ただ仲が良い幼馴染同士なのだから、と最近忘れかけていた建前を思い出す。
「はやくん、たすけてー」
「……うん、ちょっと厳しい」
桃香を拗ねさせない程度に大人しくしておこう、と決めてジンジャエールを飲み干した。