72.星に願いをするのなら
「思った以上に……」
チケットを画面で提示した後、入場時間でも明度の低い館内でそれをいいことにいつも以上に腕にくっついていた桃香が呟いた。
「ぴったりに……なるんだね」
「下調べはしてたんだよな?」
そのことについてはネットでの事前チケット購入時に確認はしたぞ? と隼人が言い返す。
色々な選択時に「これ!」と言い出すと聞かないのはどっちだ、と言葉の端に乗せながら。
「うん、したよ」
「ん……?」
「だから、はやくんと来たいって思ったんだから」
にこりと笑って力強く頷く様に、さっきのは羞恥とかでなくて単なる感想か……とこっそり肩を落としながらも。
まあそれでこそ桃香か、と納得する。
「ありがと」
「ん」
ソファーベッドに近い席に、厳密には必要ないものの手を差し出して桃香をまず座らせてから。
一瞬だけ逡巡するものの、色々が今更だと腹を括って桃香の隣に腰を下ろす。
「えへ」
隼人が体勢を整えるのを待って、桃香が肩に頭を預けてくる。
「ほんとは」
「ん?」
「はやくんの腕、借りちゃいたいんだけどね」
「……」
小さく頬ずりしてくる桃香の囁きに、少なくとも今は駄目だろと思って。
「それは今度な」
「!」
「……」
「じゃあ、今度ね」
今は駄目だということを言うつもりだっただけで、次に腕枕をする約束をするつもりは無かったのに、そんな今度するしかない物言いを無意識にしてしまっている。
確かに桃香に触れたりしている時の満たされる気持ちは他では在り得ないものだから仕方ないが、こんなに欲しているのか……と自分で呆れる。
「……」
「どしたの?」
「いや別に」
つまり、近くに居ると心地いいんだな……と、結論すればそれはそのまま今の状況だった。
「そろそろ、かな?」
「……みたいな」
アナウンスがあって、今から入って来る人は急ぎ足で……というタイミング。
「はやくんは、プラネタリウムって来たことある?」
「実は初めて……桃香は?」
「むかーし、家族で」
「そっか」
それはもしかして、と考えれば。
「五年生、の時だったと思う」
「ん」
考え通り、離れていた間のことだったと肯定される。
「今回は、いっしょだね」
「……何というか」
「?」
「かなり、一緒だな」
こんなシートに寄り添いくっついた状態で収まってしまって、なんて考えてしまう。
「うれしいね」
「まあな」
甲どうしが触れた手を、一瞬だけどうしようかと考え合って……小指同士だけ絡めてみて。
「あ、はじまりそう」
「ん」
軽く踊っている声に、その主の横顔を少しだけ盗み見てから、上に広がるスクリーンに意識を向ける。
その時、ふと思い出すことがあって小さく笑う。
「はやくん?」
「いや……大したことじゃないんだけど」
「?」
向こうでもそうだったんだけど、と前置きを付けて言う。
「首を上に向けるより、最初っから寝転がった方がよく見えるんだよな、って思い出した」
「……」
その言葉に、桃香が何かを言おうとしたけれど……丁度ナレーションが始まったため、飲み込んでいた。
ただ、少しの不安を感じさせる息遣いだったから。
肩に預かっている桃香の頭に、軽く隼人からも頭を寄せて……一緒にいると伝えた。
軽妙で聞きやすいナレーションに導かれて秋の星空を見ていく。
順に絵を重ねられながら星座を眺めていると、リボンで結ばれた二匹の魚のところで桃香が小さく笑った吐息が聞こえた。
「?」
そのままもぞもぞと何か動いているな、と思っていると繋いだままだった手のところに桃香の髪から解かれたリボンが掛けられて、そのまま空いた方の手で案外と器用に結びつけられた。
「うお座」
ナレーションの隙間に、ちょっと得意そうな囁き声で言われて、その部分を強調するように揺らされた。
確かにそうかもしれないけれど、と苦笑いしながら、でも……と桃香に囁き返す。
「あの二匹って親子だけど、いいのか?」
「!」
いつもなら脇腹辺りを突かれるタイミングだけれど、その隙間が無いためか手をペチペチと叩かれてしまう。
勿論、全く痛くないのでされるがままになりながら……。
でも女神、っていうところはそんなに間違ってないよな、とも思った。
「そういえば」
「……ん?」
プログラムが終わって。
リボンを戻している桃香の姿を良いものだな、と思いながら見ていたため何かを思い出したような呟きへの反応が遅れた。
「かみの毛座、ってあったよね?」
「ああ……まあ、春の星座だからこの季節は見えないけど」
「そうなんだ」
素直に感心した桃香が、続ける。
「面白い星座もあるよね」
「彫刻室やテーブル山から考えれば、由来からすればまだ理解できるけど」
「……そなの?」
ちなみにどんな感じ? と聞かれて簡潔に答える。
「王様の無事の帰りを願掛けして捧げた王妃様の髪」
「そうなんだ……」
丁度リボンを整え終えて髪をチェックしている桃香を横目で見ながら、そろそろ出口付近も空き始めてよいかと思って立ち上がって手を差し出す。
そんなタイミングで。
「ね、はやくん」
「……何かあっても自力で戻ってくるから桃香の髪はそのままで」
例え短くても何かを損なうわけではないけれど、今のままが好みなのでそう制した。
「……!」
「何だよ?」
「どうして、わたしが考えたことわかったの?」
「流れで何となく……」
「そっか」
立ち上がって、もう一度自分の髪に触れた桃香が言ってくる。
「じゃあ、大事にしておくね」
「……ぜひそうして欲しい」
「うん」
「やっぱり、日が短くなってきたね」
「確かに」
ホールを抜けて外に出れば空には茜色の兆しがあった。
「んー……」
「どうした?」
「お昼から、星空を見て、でも今度は夕方って……変な気分」
「……かもな」
「ね」
桃香の素朴な感想に、思わず二人で笑う。
「一番星、そろそろかな?」
「まだ空が明るすぎるから……家に着く頃じゃないか?」
「ん、そっか」
「少し散歩でもするか?」
「うん」
即答する桃香と並んで、プラネタリウムの敷地をとりあえず駅とは反対側に歩く。
「はやくん、結構詳しかったね」
「星のことか?」
「うん」
頷いた桃香に、僅かの間迷ってから口にする。
「まあ、向こうは……よく見えたし、割と好きだったから」
「そっか」
教えてもらうのは楽しいよ? と笑う桃香が続けて聞いて来る。
「プラネタリウムくらいすごいの?」
「あんなにはっきりしてないし、ナビゲーションもないぞ」
「それはそうだよね」
大真面目に答えた隼人に桃香が噴き出す。
「でも、こっちとは違うんだよね?」
「夜の空の暗さが違うから、な」
あれが本当の真っ暗闇……だよな、と思い返している隼人の手を桃香が軽く揺らしてから囁いた。
「わたしも、いつか見てみたいな」
「……まあ、機会はあるんじゃないか」
桃香が愛想付かさない限り……なんて前置きを取ってつけながら返す。
「じゃあ、問題ないから」
「……ないのかよ」
「わたし、一度でいいから流星群、みてみたいな」
「ああ……天候とか合わないと厳しいぞ」
「でも、こっちじゃいくら頑張っても明るいのが流れてくれないと見えないし……」
桃香は夜起きてられないものな……なんてからかうと今度はいつも通り脇を突かれる。
「はやくんは、見れたことある?」
「まあ、何度か」
「ほんと? どのくらい?」
「本当に凄かったときはあれ? って思う間に三つくらい来た」
「おおー」
感嘆の声を上げた桃香が、少し声を落ち着けて尋ねてくる。
「お願い事とかは、できた?」
「あっという間過ぎて一回すら言えないよ」
「あはは……そっか」
笑った桃香が、もう少し声を潜めて……何かを期待するように。
「何って、お願いするつもりだったの?」
「そりゃあ……」
口を結んで横を見れば、教えて? と目線が見上げてくる。
「桃香と見れたらいいのにな、だよ」
「えへ……」
「知ってるだろ?」
頷いた桃香が、でも……と隼人の腕を抱きしめながら囁いて来る。
「きっとそうだよねって思っていても、言って貰うのはちがうよ?」
「……」
「ね? はやくん」
にこりと笑った顔に、頭の中で何かが引っ掛かった気がしたけれど……すぐに桃香の次の言葉が聞こえた。
「ところで」
「ん?」
「もしも今、流れ星がみれるよ? ってなったらお願いはどうするの?」
「今か?」
「うん、今」
一緒にみれるよ? と桃香の腕が主張する。
「また……見れますように、とか?」
「それでいいの?」
「その時も桃香と見れるなら、それでいい」
「えへへ……そっか、そだね」
今日一番、桃香の笑顔が輝いた。
「きっと、一緒に見に行こうね」