65.新しい眺め
「そういえば今度の週末、かぐやの公園デビューだよね?」
「ああ、ワクチンもそろそろ効果が出るころだから頃合いだと思う」
「楽しみ! 他の子と仲良くできるかな?」
「どうだろう……あいつ、桃香にベッタリだから少し苦労するかもなぁ」
「えへへ、あまえんぼ、だよね」
「むしろ桃香と母さんで行って貰った方がいいくらいかもしれない」
「ダメだよ! はやくんも、ちゃんと来て」
新学期最初のHRを終えての休憩時間。
隼人の席にやって来た桃香とそんな会話をしていると、横から美春と琴美が突っ込んでくる。
「ちょいちょいちょい」
「何の話をしてるの? お二人さん」
いつものニヤニヤとした顔よりかは大分呆れ気味のような表情に、あれ? と思いながらも隼人と桃香は答える。
「何って……?」
「家の仔犬の話だけど……」
「ね? あ、美春ちゃんたちも今度わたしの家に来た時に会っていく? 白くてふわふわでかっわいいよ?」
満面の笑みで提案する桃香と、良かったらどうぞと頷く隼人に。
「あ、そう……わんこね」
「……完全に子供の話している若夫婦だったわ」
「ほえ?」
「……!」
隼人は思わず口元を押さえ、桃香も時間差を置いて焦りの表情に変わり始める。
「えっと、だって、可愛いんだよ?」
「そうなんだろうけど、由佳子ちゃんとこのお姉さん夫婦と話してることや雰囲気一緒だって」
「「!」」
絵里奈の証言で思わず二人でそちらを見ると、今朝下駄箱の前で見られていた時のような何とも言えない苦笑いをされる。
ついでに他のクラスメイトの大多数からも「学校始まったなぁ」という顔をされていた。
「そもそも、どうして桃香の家に行ったなら吉野君の家の子を見ていくことになるのかとか、吉野君の家の子がどうしてそんなに桃香に懐いているのか、って話よね?」
「あ」
「……」
花梨にも小声で冷静に指摘され、そして。
「夏はとっくに終わってんぞ」
呆れて物も言えねぇ、と前の席の勝利が肩を竦めていた。
「ねえ、勝利」
「……んだよ」
遂に完全に「しょーり」で押し切ったんだな、ともう完全に何も言わない勝利に話し掛ける友也の言を耳が捉える。
「隼人、何してるの?」
先ほどの休み時間は陸上部の連絡で別クラスに行っていたらしく、頭を抱えて反省している隼人の様を気にしている様子だった。
勿論、隼人が反省しているのは夏休みの間に緩み切った桃香との距離感、に対して。
気をつけるつもりでいたが、一層引き締めないと重大な事故を起こす、と。
「さすがに浮かれポンチ過ぎたのを反省してんだろ」
「なるほどね……夏休み中に僕らの知らないところでも色々とパワーアップしたみたいだし」
「その前に着けるケジメをしっかりしろって話だけどよ」
納得されるのに異議を唱えたいが、今は何を言っても駄目な気もしてひたすら自己反省に終始していると……。
「では、席替えのくじ引きをします」
チャイムの後、少し置いて壇上から担任から託されていた花梨のそんな声が聞こえた。
「やーっとこの席とおさらばか」
「僕はちょっと寂しいけどね」
「はっ、清々するぜ」
「ねえ、勝利?」
「おう?」
「そんなこと言ってると却って移転先でも近所だったりするよ?」
「やめーや」
そんな前二人のやり取りに思わず吹き出して顔を上げれば爽やかに笑う友也と溜息を吐いている勝利と目が合って。
「あ、そろそろ僕らの番だね」
「お」
「……立つ意味、あったかな?」
教卓の上に置かれた箱の中の紙は、順番的に隼人には勝利の選ばなかった方が自動的にやってくるはずなのでそんな呟きが出る。
「残り物には福がある、ってね」
「吉野の場合は聞くまでもねぇな」
そんな勝利に、たまたま通過する付近の席の美春が「頼むわよ!」と親指を立てていた。
へいへい、といった感じの勝利は、でも誰かを無視することはないんだよな……と思いながら、最後の一枚を引けば「七」という数字が記入されていた。
「ん……」
果たして自分の引いた番号は何処かと黒板に貼られた対応する用紙を見れば、番号はシンプルに窓際最前列から順番に振ってあって……。
つまり窓から二番目の最前列が新しい席ということになる。
「そうか」
席替え前なら桃香の隣だったのにな、と何となく考えて。
考えた後、桃香と隣の席だったならどんな利点があったのだろうか、という方向に考えが行ってしまう……が、意味がないなと気付いて止める。
とりあえず桃香の表情が近いだけで満足感は高いんだろうな、とまでは思っていた。
「?」
それぞれが仲の良いグループで席の結果報告をしあっている教室の中で、視線を感じてそちらを見れば桃香が小さく手招きをしている姿が目に入る。
最前のことがあって一瞬迷ったものの、別に籤の結果の話くらいは普通だと思い直して桃香の方に行く。
仲が良いのは、否定のしようがない。
「どう、だった?」
そわそわが胸の前で遊んでいる両手の指先から伝わる仕草をしている桃香に聞かれて。
「ここ、だった」
今は主が留守にしている現在の桃香の隣の席を指差した。
「……!」
明らかに表情が輝いた桃香に、どうしたんだ? と思い……次いで、もしかして? と桃香の笑顔の意味を考えたとき、教卓のところで花梨が手を叩いて周囲の注目を集めて言った。
「じゃあ、皆、そろそろ新しい席に移動して?」
「視力悪くてって人はどうする?」
「一旦移動した後、私に申し出て! 逆に変わっても良いって人も」
伊織さんそういう処理力高いなぁ、と思いながら教室を斜めに横切って自分の机に戻れば丁度他のクラスもしているのか近場からも机と椅子を動かしている音が聞こえ始め……隼人も両手でしっかり把持して持ち上げた。
「そっちも大移動か?」
「まあね」
ちらりと振り返った勝利の後に続くようにして教室を再度斜め前に向かう。
向かいつつ、その進行方向に居たはずの桃香はどうしているのか? と気になって目を遣れば。
「あれ?」
今までと同じ場所で、席に横向きに座ってにこにこしている、何かを待っているような姿が入って来る。
やはり、もしかして? を表情に出せば縦に一つ大きく頷いてくれる。
「はやくん」
「ん」
「いらっしゃい、かな?」
少し看板娘モードも混じった笑い方で迎えてくれて……横棒一本の番号が書かれた紙を広げていた。
「ええと……お隣に、越してきた者ですが」
にこりと大輪の花を咲かせた表情に、上手い返しが思い付かず、そんな風なことを口にする。
「はい、よろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそ……」
座ったまま深々と頭を下げる桃香に、隼人も少し急ぎで机と椅子を置いて応じて……。
それから。
「えへ……」
「はは……」
お互いの目を見ていつも通りの二人で笑い合って。
桃香がそっと差し出した左手に、軽く音をさせながらタッチした。