63.新学期へのリクエスト
「話……?」
「うん」
隼人の腕に頭を乗せているためいつもより小さく桃香が頷いた。
でも、距離も至近なので十分に伝わる……視覚と触覚で。
「えっと、ね」
桃香が身動ぎして枕にしている箇所を腕から二の腕に変える……距離がもっと縮まる。
「夏休み、いろんなことしたね」
「ああ、そうだな」
「楽しかったね」
「ん……」
色々なこと、を思い返してから答える。
「楽しかったな」
「ね」
桃香の笑顔に、笑い返した。
「まだ終わってほしくないね」
「……もう二回くらいあってもいいな」
暑さのピークにだけは戻らない感じで、と都合のいいことを言うと余程おかしかったのか桃香はくすくすと笑って。
「たのしかったもんね」
ふにゃりと表情を崩した。
そんな顔をした後、もう一度桃香が身動ぎをして……これ以上行けない突き当りまで移動する。
「今までで一番の夏休みだったよ」
「そっか」
「はやくんが、いてくれたからだね」
行き止まりに顔から突っ込んで……少し籠った声で言ってくる。
「ありがと」
「ん」
応えるように頷いてから、この体勢では見えてないか……と覚って代わりに空いている方の手を伸ばしてそっと頭を撫でて。
「こちらこそ」
「?」
「桃香が居てくれてありがとう」
「えへ……」
そろそろ痛くないのだろうか? と心配になるくらい胸、というかあばら骨に顔を埋めてくる。
「はやくん」
「うん?」
「えへへ」
「どうした」
「はやくん」
「何だ?」
「だいすき」
「えへ」
初めてではないものの、特別な言葉に……顔を見られる距離でなくてよかった、と安堵するも束の間。
桃香がこんなところに居たら鼓動で筒抜けだな、と気付いて前髪の辺りを掻く。
「いきなりすぎる……」
「いきなりじゃないよ」
「?」
「そうじゃない人とは、こんな風にしないもん」
こんな風、を実演するように胸元に甘えられる。
「……でしょ?」
「間違いない、な」
隼人としても、桃香以外には有り得ない距離だった。
「えっと、それで、わたしが言いたいのは、ね」
「ああ」
「夏休み……色んなことがあって、ね」
「うん」
「はやくんのこと、今までよりずっと好きになったよ、って」
桃香の、上側になっていた左手が隼人の背中に回されて……もっと、とでも言いたげに隼人との距離を無くそうとする。
「帰ってきてくれたとき、わたしの好きなところは変わってなくて」
そして、と桃香が続ける。
「帰ってきてくれてからは……いっぱい、好きになっちゃうことをしてくれたから」
「そういう風に、できてたか?」
「うん……だから、だいすき」
ありがとう、と呟きながら、桃香の髪を梳く。
「ううん」
もっとしてほしいな、と囁く桃香の望みのままに、暫く手を動かし続けた。
「えっと、そういうわけ、だから……ね」
「ああ」
「はやくんのいってたこと、もうされちゃっている、っていうか」
十二分にわかっているし、常々意識していたことだけれど……ふとした悪戯心で桃香に言って欲しくなる。
桃香の言葉で聞いてみたくなる。
「待ってた人じゃなくて、はやくんのことをちゃんと……すきだから」
「ん……」
「いつでも……その、かのじ……はやくんの付き合っている女の子に、してほしいな、って」
ゆっくりながらも言い切ってくれる桃香に満たされながら、幸せだと思いながら。
ごめんな、という気持ちも込めてもう一度桃香の頭に手をやり、引き寄せた。
「俺も……桃香と同じ気持ち」
「……うん!」
「ただ、もう一つだけ桃香に教えてほしいことがあるんだ」
「……なに、かな?」
「昔の俺が出来たのに、今は出来ていないことは……出来た、か?」
「……!」
「え、ええと……」
「……」
「もも、か?」
その質問をした後、動きを止めて……もしかしてこれは先程聞きに徹したことへの意趣返しか? という考えも浮かんだものの、それさえ通り越して少し怖くなるくらいに桃香の沈黙は続いていた。
「うーんと、ね」
「あ、ああ」
ようやく声を出してくれた桃香に、恐る恐る尋ねる。
「九〇……ご? なな? 点……くらい、かな」
「……そ、そうか」
「満点か……って聞かれちゃうと、もうちょっとだけ……ほしいな、って」
桃香が、また隼人の胸に強く額を押し付けてから続ける。
「その、もちろん、余裕で合格点……だから、いつでも、いいよ?」
「……ん」
少し考えてから、再び桃香の髪に触れながら口を開く。
「ここに一つ桃があるとして」
「……うん」
「世界に一つしかなくて、もう絶対に手に入らないくらい特別なものだとしたら」
「う、うん」
「九七点の食べ方は……できないかな」
桃香が、固まった気がした。
「た、たべ……」
「い、いや、その、今言いたいのは……そっちじゃない」
桃香の名前とほのかな良い香りに、ついそういう例え方をしてしまって、焦る。
「桃香には中途半端なことをしたくない……だけなんだ」
そんな隼人に、桃香はまた少しの間黙っていた後。
「そう、なんだ……」
「ああ」
「わたし……大切に、されちゃってる、のかな」
胸元を二回、突かれる。
「……こんな面倒くさくて気が利かない奴だけど、可能な限り、しているつもり」
「おいしく、食べるときのため?」
「……俺が悪かったから、そこからは一旦離れようか」
「えへ……ごめんね」
隼人の胸に当てた額をしばしゆっくりと揺らしてから、小さく桃香が尋ねる。
「どうして?」
「……何が?」
「わたしのこと、大切にしてくれるのは、どうしてかな?」
「どうして……って」
当たり前、と言おうとしてから、もう少しだけ言葉を選ぶ。
「特別で大切、だから……」
「……」
黙って、待っているかのような桃香に、ままよと思い切る。
「世界に一人しか……いや」
「……」
「俺にとっては、世界で一番……かわいい、し」
思い切り過ぎたのか、桃香には「それは言いすぎ」と返される。
そしてもう暫く何かを考えていた桃香が、呟いた。
「はやくんは、大人なんだね」
話の流れと併せて、はやちゃんに比べて、と言われた気がした。
「そりゃ……昔と、比べれば」
「うん」
「桃香だって、その……花火大会の時の格好とか、綺麗だったし」
「うん、ありがとう」
いきなりの大人びた感じの声色に、少し焦る。
「……昔の方が良かったと言われても困る、んだけど」
「それぞれの良さがあると思うよ?」
「それぞれ……」
考え込み始める隼人に、桃香はくすくすと笑って言った。
「そういうところ、とか……かな?」
「え?」
「ううん、なんでもないよ」
横方向だけれど、上目遣いに見つめられる。
「ごめんね」
「え?」
「夏休みのはやくんが素敵だったから、ちょっと欲張っちゃった」
「あ……うん?」
また、胸元に顔を埋めて囁かれる。
「ちゃーんと、待ってるね」
「俺が勝手に言ってることだけど……いいのか?」
「うん、いいよ」
あ、でも……と、甘やかな声でのリクエストを付け加えられる。
「二学期も、わたしがもっとずっと好きになっちゃうはやくんで、よろしくね?」