56.思い出がまた一つ
「じゃあ、遅れるとよくないので」
「うん」
「戻る、か」
「そうだね」
お互いに少し置いてから、夏の夜より上げてしまった熱を冷ましてから。
それでも不信にはならない程度のタイミングで再度集合場所へと向かおうとする。
「えっと……」
「ん」
さっきの今で、一瞬だけ躊躇ったものの頷き合って手を繋ぐ。
「……」
「何、だよ」
繋いだ間合いで、桃香が隼人の脇腹を三回ばかり突いて来た。
「いじわるの……おかえし」
「ごめん、って」
そうやってから、境内から鳥居の方に降りる石段へと向かった。
「ええと、お待たせ……」
最初の集合では真ん中辺りだった隼人と桃香だけれど今回は最後だった。
「りおちゃん、無事にご両親に会えた?」
「うん、とっても喜んでたよ」
代表した花梨の問いかけに桃香がにこやかに返した後。
「おやおや」
「それ以外にも何があったんだか」
繋いだままの手を指差しながらニヤニヤ組代表のように口を開いた美春と琴美に手早く応じる。
「石段は慣れない履物だと危ないし……あと、遅れたのはちょっと色々あって」
「いろいろ~?」
それって甘いお話だったりする? という絵里奈の前に桃香の手を解いた手で懐から取り出した関係者用チケットを広げる。
「ソース味かな? ……商店街から、ご褒美」
「わー、そういうこと」
迷子の件解決の後、そういう支給の一幕もあった……のでさっきの言い方も嘘ではない。
「おー、焼きそば」
「確かに、そろそろ腹が減ったな、とは思ってた」
誠人と蓮が体育会系高校生男子らしい歓声を上げた。
「一応人数分貰ってしまった……んだけど、足りないな」
そう、石段を桃香をエスコートしながら下っている時から気付いてはいたけれど。
季節柄の怪談ではないけれど、集まっていた人数が明らかに増えていた。
「どうしたの? お姉ちゃんたちに真矢ちゃん」
桃香に言われて、女子組の後ろにさり気無く立っていた悠と彩、真矢が気付かれたか、と笑う。
「気付くよ、さすがに」
「いやあ、色々あって」
「あったんですよ」
「あったんだよね」
「多少意外な組み合わせ……でもないか」
と呟いた隼人の背を悠がバシバシと叩いた。
「年頃の女性の諸々を詮索するな」
こちらのことは邪推してくることもあるのに不平等だ……とは心の中でだけ口にした。
「楽しそうな祭りに隼人と桃香、どっちも気になるだろ?」
「後半はそうっとしておいてほしいというか……一昨日まで一緒だったじゃないか」
「まあ、そうなのだけど……男女の仲は三日置けば刮目しないといかんからな」
「それは男子」
「その男子は親しい女性の浴衣姿に何をぼうっとしているんだい?」
多少の鍔迫り合いにはなったものの、口の巧さではやはり悠が上手で。
「桃香にするほど褒めろとは言わないけれど、感想の一つも言ってはくれないのかな?」
「……浴衣美人が居る、とは思うよ?」
悠に関しては、黙っていれば特上の、を付けたくもあったが否定できる要素は皆無なので割合素直に称賛する。
「では、私は?」
「……似合っているよ、姉さん」
「あら、どうも」
進み出た時は少しだけ唇の端に悪戯な笑みを浮かべていた、今日はやけに年相応な感じに見える彩が満足気に頷いて……。
「あ、じゃあ桃香には悪いけど折角なので」
「そういえば私らにも何も言って無くない? 吉野君」
「そうそう、あたしらも、どうよ?」
「ほらほら」
真矢に加えていつもの三人が続いてきて……傍に立っている桃香はといえばにこにことはしているもののその笑顔にいつもの柔らかさは無かったりした。
脇腹を突かれる、では済まない気がした。
「んー、やっぱり隼人はクラスの男子からどつかれる必要がありそうだねぇ」
「いっそのことコルク弾でも構わんと思うぞ」
友也と勝利が物騒なことを言ってる、と思いながらも当たり障りのない言葉を探して口にする。
「いや、その、華やかで大変結構なのでは……?」
「わー、とっても雑」
「ま、そこは仕方ないか」
そんな折、隼人の後ろから声が掛けられた。
「いや、大変華やかで良いと思うよ?」
「あ」
振り返れば商店街の写真館のおじさんが片手を上げて笑っていた。
「隼人君と桃香ちゃんのお友達の方たちかな?」
「ええ、はい」
「こんばんは、今日は商店街の催しに来てくれてありがとう……私は、こういう者なのだけれど」
首から掛けた許可証と、腕章の「海野写真館」の文字と、何より見るからに迫力あるカメラが職業を主張していた。
「大変な美人さん揃いなので……ぜひ商店街の活動紹介なんかに使う一枚をお願いしたいのだけど、どうかな?」
褒められて悪い顔をしていない女子たちが少し話し合った後、一応の年長者の悠が笑顔で返答した。
「あまり一人一人を大写しで使わないようにお願いしたいのと、画像データは全員にも頂けますか?」
「それは勿論」
「では喜んで」
勿論男子の皆にも入ってもらうよ、と言われて計一三名が並んでやはり境目には隼人と桃香が配される。
それどころか。
「はい、桃香もうちょっと詰める」
「わ」
「隼人も、人数多いんだし」
「……わかった」
背の高い悠や彩、友也を後ろに回しても収まりきらぬと美春と蓮に押しこまれて二の腕同士が浴衣の生地越しにぴたりとくっ付く。
「……えへ」
小さく聞こえた声が、ふわりと柔らかいものに戻っているのを確認して、それならこれで良いのか、と思ってしまいつつ。
仏頂面にはならないように、さりとてだらしなくは崩れないようにと意識しながらごん太いレンズの方を向いた。
良い絵が撮れたよ、と満足気な頷きと入れ替わりに全員丁度分に増えた焼きそばの引換券、となり。
あとは手分けして食事に足る物を買い足しながら広場の一角での花火見物の場所確保、という流れになった。
「……凄い音だな」
「でも」
「ん?」
「なんだか楽しい」
隼人が渡した自身の分以外に先に買い出しに出た美春たちの分まで計五個の水風船を指から下げて少々滅茶苦茶に動かしている桃香にまあ楽しそうだからいいのか、とちょっと苦笑いする。
隼人自身も自分の分と悠、彩の三つを軽く上下させて遊んでいると、後ろから両肩を叩かれる。
「お楽しみ中悪いけど」
「まあ、案外楽しいけどこれ」
「いや、そうじゃなくてね」
代表してたこ焼きの屋台に行った友也がソースと鰹節のいい匂いをさせる五パック入りの袋を下げて苦笑いをしていた。
「写真館の人も言ってたけれど今回の面子は美人ぞろいなので」
「? ああ、うん」
「隼人が真っ先に綾瀬さんを押さえた関係上、別のクラス含め伊織さんたち狙いの男子は多いから……気を付けなよ?」
押さえた、のところで桃香の水風船の音がえらく乱れたな……とは思いつつ苦笑いして返す。
「いや、こちらは遊ばれている方、だと思うけれど」
「隼人ぐらい手慣れてればわからないかもだけど、女子に話し掛けるのにはそれなりにハードルがあったりもするもんだよ」
「……手慣れているは誤解がある」
「傍から見るとそういう風にも見えるからね?」
親しい親しくないで言ったなら、心当たりが無いわけでは全く無いので、黙る。
「小さなころから綾瀬さんに加えて美人のお姉さん二人でしょ?」
「……あの二人にはそれなりに痛い目にも会わされているからね?」
「場合によってはご褒美、と読むと思うよ?」
まあちょっとした注意事項ね、と友也が片目を瞑った所で用心棒に誠人を配した花梨と絵里奈の組がお好み焼きを下げて戻って来た。
「もう少し人が戻ったら、飲み物と焼きそばかな?」
「飲み物の方は重くなるから男子が中心で行った方が良いかな?」
「それは確かにそうだけど、隼人はその関係者チケットだから焼きそば担当ね」
「ああ、了解」
それについては確かに広義の関係者には入る隼人が行く方が良いのはその通りか、と思ってから中パック一三人分なら一人でも行けるか? と考えるもそれを察したかのような桃香に「置いていくの?」とじっと見られる。
そんな隼人たちに肩を竦めながら友也が言った。
「ほら、反則級の先物買い」
「今更じゃないの?」
そして戻って来たばかりなのに全てを察しているかのような花梨もまた涼しく呟くのだった。
「ん……」
またどこかで集まろうぜ、なんて言いながら手を振って別れて。
帰り道でもう店仕舞いを始めている屋台を見て隼人の手を少し強めに握った桃香の手を握り返す。
胸に生じる寂しさは理解できるものだったから。
「楽しかったもんね」
「ああ」
本当に目白押しの夏。
「公園でああいうことするのも新鮮だった」
「だね」
仮置きのベンチが増やされた一角で、この時間帯には誰も使わない子供用遊具の階段に飲み物の瓶や屋台の戦利品を置かせてもらって花火を見上げたのが訳も無く可笑しかった。
「花火も、奇麗だったね」
「……ああ」
商店街の規模上そこまででもないものの、質も量も満足できるくらいの花火大会。
何てベタなことを、と自分に苦笑いしながらも……友也にああ言われて確かに綺麗所は揃っていると思ったけれど。
あの時間、何より誰よりそうだ、と思ったのは桃香の横顔だった。
「じゃあ、またあとで……ね?」
そんなことを思いながらいればあっという間にそれぞれの家の前に到着して。
名残を惜しむかのようにもう一度手の感触を確かめ合うタイミングが完全に一致した。
「えっと、じゃあ」
「ん」
もう一度言わないと離せなかった手を振って後ろ姿になった桃香を、思い付いたことがあって呼び止める。
「桃香」
「はやくん?」
振り向く動作は目に焼き付けながらも。
懐から出しながらカメラを起動したスマートフォンを向ける。
「え? どうしたの?」
確か水族館に行った時だったか、と前置きして続ける。
「可愛いと思うものは撮れ、って言ったのは桃香だったと思うけど」
「い、今……なの?」
「……ああ」
この夏もう一度機会を作るつもりだけれど。
「桃香の浴衣姿、良かったから」
「……またあとで見る、ってこと?」
「写真って……そのためのものじゃないか?」
少し考えた桃香が、いいよ、と言ってから隼人に手を伸ばした。
「ただし、ちゃんと映りが良くなるようにしてから、ね?」
そして。
部屋に戻り片付けをしながら、三回のリテイクとその都度の桃香チェックの上で許可が出た写真を開こうかとしたタイミングでファイルの転送が着信する。
『綺麗な方を残してね?』
そうタイトルがつけられた写真には姿見に映ったさっきまでの浴衣姿のままで髪を下ろして微笑む桃香。
「……両方に決まってるじゃないか」
隼人はそう呟いて、どちらにも保護を掛けた。