52.祭囃子に誘われて
「……」
皆との待ち合わせの三〇分前、に桃香と約束した時間の一五分前。
ほぼ二分おきに時計を確認しながら、忘れ物はないか三度目の確認をする……も男子の手荷物などたかが知れているため時間は進まない。
女の子の準備、に時間はかかるため桃香の支度が整ったら呼んでもらうことにはなっているので、ひたすらに待つ。
そんな当の桃香はというと、桃香の母もある程度出来るものの、それなりの時間歩き回るとのことで着付けの資格持ちで成人式の日には商店街の美容室のヘルプに入る隼人の母に指導されながら支度している最中だった。
女の子の着替えを待つという行為のほかに、それが自分の部屋の真下ということで、その事実からくるむず痒い落ち着きのなさ加減をうまく処理することも出来ず自室で立ったり座ったりを繰り返していた。
ともあれ、待つのみで頭の処理には余裕があるので色々考えたりするが、結局こう収束する。
きっと浴衣の桃香は可愛いことを確信していて、心の底から楽しみだ、と。
そんな状態だったので。
階段下から桃香から準備オーケーの声がかかると同時に立ち上がり部屋を出る……もあまりに待っていました感があるのもどうだ、と思い直し一度部屋に戻り深呼吸してからゆっくりと階段を下りる。
「えへ」
そんな隼人を待っていた桃香がはにかみながら袖を広げた。
「どう、かな?」
白地に赤と数匹黒も混じった金魚の柄の浴衣が鮮やかな姿だった。
「うん、夏の祭りっぽくていいんじゃないか?」
「そう? よかった」
ミルクティー色のお団子を後ろに二つくっ付けた笑顔に頷き返して、促す。
「じゃあ、そろそろ行くか?」
「うん」
廊下を抜けて、居間の両親に出掛ける旨を再度伝える。
父は黙って頷いて、母はというと。
「きちんと桃香ちゃん守るのよ」
と、こちらもある意味いつも通りだった。
着付けのお礼を改めて口にした桃香を待って玄関に向かい、先に草履を履いて桃香に手を差し出した。
「慣れて、ないだろうから」
「うん、ありがとう」
鼻緒をしっかり通して桃香が頷くのを待って玄関先に出る、手はそのままで。
「なんというか……」
「うん?」
「いつもと違う可愛さで……何か、いいな」
家の外に出て、改めて桃香に伝えた。
「ほんと?」
「ああ」
「ちゃんと、女の子らしくできてる?」
「出来てるよ」
この桃香で駄目なら誰なら……そんな風に思いながら。
「ありがと」
繋いだままだった手が軽く握られて、桃香の言葉と同じ意味がこちらでも伝えられる。
その上で。
「はやくんは」
「ああ」
「洋服と浴衣だと、どっちが、好み?」
「……少なくとも今日は浴衣」
「それはそうだよね」
少し上がり始めたらしいテンションで笑われる。
「はやくんは」
「ああ」
「浴衣、やっぱり似合うね」
「ん……」
商店街でも和風美人で名高い母の方に似てはいるので、どちらかというと和装でアドバンテージが出る方だとは自覚はしていた。
「ええと、ありがとう」
「えへへ……」
楽しそうな笑顔を浮かべた桃香が、ふと黙ってから隼人を見上げてくる。
「あのね、はやくん」
「ん?」
「綺麗な女の人に声とかかけられても、行かないでね?」
「そんなわけあるか」
髪を崩さないように注意しながら桃香の額を突く。
「だって」
「だって?」
「今日のはやくん、とっても格好いいんだよ?」
「……あのな」
もう一回、桃香の額を押した。
「声を掛けられるとか云々以前で……さっきのはそっちの意味じゃない、そんなわけあるか、だ」
じんわりと意味を理解し始めた桃香に、間を開けず言う。
「それに、気をつけないといけないのは桃香の方だろ」
「え? わたし?」
自分の顔を指差しながら聞き返される。
「ほら……そういうところ、だよ」
最近ようやく理解できてきたが、隼人の周りの見目麗しい女子の中で桃香は飛びぬけて雰囲気が柔らかく……悪く言えば声を掛けられやすい感じではあった。
一学期の間に可能であれば気付いておくべきだったが。
「え、えっと……でも」
「ん?」
「守ってくれる、よね」
少し間を置いてから、さっきの母の言いつけか……と思い出すが、それを理由にはしたくなかった。
「そんなの、当然に決まってるだろ」
今日は俺が約束しているんだから、と少し強めに言ってから、じゃあ行こう……と歩き始める。
「えへ……」
満足そうな溜息が聞こえて。
そのことに心地よさを覚えながら通りに出ると家の中にいたときから薄く聞こえていた祭囃子が確りとしたものに変わった。
「あのね、はやくん」
「ん?」
「じゃあ、これ、どうしよっか?」
「ああ……」
繋いでいる部分を軽く二度握って確認してきた桃香の質問に、少し考える。
日曜日の少々早い時間を言い訳にして繋いだ水族館に行った時等の数回の例外を除けば商店街の中心ではさすがに避けている行為。
人で賑わい、顔馴染みも何人も行き交ったり出店にいたりするだろう。
「まあ、桃香が迷子になっても困る、し」
「ならないよ……多分」
「多分じゃちょっと心配かな」
「うん、そうかも」
軽口のほかに理由を作っている、のが通じたのか桃香が頷く。
「あとは、桃香が変な声を掛けられても嫌だし」
嫌、の部分にかなり本音が溢れる。
「集合場所の鳥居の手前」
「え?」
「そこの手前までなら……見えてくるまでは」
妥協案というか、色々な都合やら何やらを折り込んで、でも丁度いい言い訳は出来たな、と思いながら。
「このまま、行くか」
「うん」
頷いた桃香の手を引いて、普段よりずっとゆっくりな歩調で。
見慣れた光景に少し非日常が混じった街に入っていくことにした。