03.あの子は今
後頭部のみならず全身に突き刺さりそうなクラス中の視線に心臓がキュッと縮み上がる。
初日から悪手中の悪手をやらかした自覚は間違いない、何せ高校生にもなって女子に悲鳴を上げさせたのだから。
そのどうにも言い逃れできない状況が、今度は視線だけでなく言語化されて聞こえ始める。
「何があったの?」
「いや、アイツが綾瀬さんに声かけてて」
「桃香、泣いてなかった?」
それはもう居たたまれない、何て次元でさえ無く……。
いっそのこと逃げたい、とも頭では思うのだがここでそうするのは最悪の判断なのもわかっていて。
だからといって桃香の後を追うわけにもいかず、立ち尽くすしかできない。
「えーっと、吉野? って何中よ?」
「いや、そもそも見たことないけど」
「あー、じゃあ知らないんだ」
「っつか、ソッコーごめんなさいされてんのウケる」
聞こえる声の中に若干気になるものも混ざってはいるが、それはそれとして自分の立場が変わるわけはなさそうで。
ただ、何をどう弁明すればよいのか。そう思い固まる隼人の肩に救いかどうかはわからない手が差し伸べられ、軽く叩かれる。
「いやー、お兄さんやっちゃいましたなぁ」
「初日から行く度胸はスゴイけど」
「手を出しちゃいけない相手って世の中にはいるのよ」
少しだけ楽し気、だが声色にはお怒りを滲ませた複数の声にさっきまでの硬直をようやく解いて振り返れば桃香と話している姿を見た女子たち四名に囲まれていた。
「……決して悪意があったわけでは」
「それは私達が判断します」
「っていうか、絶対ダメだけど」
その中でも一番目立つロングヘアの少女が、桃香の後ろの自席と思しき椅子を引いて隼人に座るよう視線で促した。
「とりあえず、お話し、しましょうか?」
「うわー、花梨こわっ」
「自業自得だけどご愁傷様」
花梨、と呼ばれた彼女は隼人に好意の欠片もない笑顔で微笑んだ。
「さて、吉野君、で良かったかしら?」
「はい」
テレビでみた被告人の確認のようだ、若しくは祖父が良く見ていた時代劇のお白州か、とは現実逃避した隼人は連想したものの。
実際目の前には反転させた桃香の椅子に就く花梨が居て、残りの三方にそれぞれ仁王立ちする他の三人が。そしてその周りに他の女子、さらにその外周にはこちらの動向をそれぞれの興味の度合いの視線で観察している男子という具合でお手本のような孤立無援だった。
「桃香に何の用事だったの?」
「それは……」
組んだ指の上に顎を乗せた問いに正直に答える。
「少し、話をしたくて」
「わかるー、桃香可愛いもんね」
「大人しそうに見えて高校生活ガツガツいくタイプなのね」
「可愛い顔してやるじゃない」
ただ、意図が正確には伝わらない。どう聞いても軟派な動機にしか表せない。
本人たち以外から見れば隼人と桃香は初対面としか思えないのだから当然と言えば当然だが。
それは隼人もわかっているので「話をして昨日あの後大丈夫だったかを確認したかった」という本当のところを正確には口にしていない。
ここで墓穴を更に深くしない程度の判断力はまだあった。
「はいそこうるさい。 ……桃香に興味があること自体は吉野君自身のことだから否定できないけど私たちとしてはいただけないし、無駄なことだとも思うわ?」
「無駄?」
そこはそう繋がらないのではないのか、との疑問をオウム返しに口にすれば今度は右から声が降ってくる。
「はいはーい、吉野君って出身中どこ?」
花梨に比べれば若干は話し易そうな声色に答えたところ、茶色の髪をお団子にした彼女はクエスチョンマークを浮かべる。
「聞いたことないんだけど」
「結構遠い別の県なのでそれはそうかな」
「ほほう、家庭の事情?」
「そんな感じで」
戻ってきた、とは言わない方が賢い気がした。
「じゃあ知らなくて当たり前か、白中の姫のこと」
「ひめ?」
聞きなれない単語に今日一番豆鉄砲を食らったかのような声が出る。
確かに子供のころ童話のお姫様を聞く度に桃香のようにかわいいのだろうな、と幼心に思ってはいたが。
「そうなのよ、私は中学校で初めて一緒になったんだけど、ほら桃香って綾瀬だから最初は窓際でしょ? そこに物憂げに座ってるんだもん、ほぼ一目惚れよ」
「私は小学四年で最初にクラスメイトだったけど、まあ中学校に上がる前あたりから一気に磨きがかかった感はあるわね」
と、花梨が引き取る。
「まあそう呼ばれてるのはそれだけじゃないんだけど……そういうわけだから男子から声を掛けられる頻度もそれなりにあったのよ」
今の貴方のようにね? と花梨の眼光が突き刺さる。
「特に中学校に上がってすぐ辺りはすごかった」
「それで桃香、その度に何って答えてたと思う?」
「何って……」
不安で血の気が引くような感覚が、昨日六年ぶりに再会した桃香の評価は自分のひいき目だけではなかったと理解した不思議な安堵の後にやってくる。
「『大切な人を待っているからその人以外とはお付き合いしません』って」
どっと色めいた声を上げる、恐らくは桃香と別の中学校だった女子たちの声を聴きながら。
その瞬間、隼人の額は桃香が昨日させていた音と同じものを座っていた席の机とさせていた。
安堵が一割、残りは覚えた胸の痛み以上のものを自分に与えたいのと、何よりこんな顔は人に見せられたものではなくて。
「おーい、吉野君? 生きてる?」
「……一応」
三分以上は動かない隼人の頭上から流石に心配したような声も掛けられる。
「一時間にも満たない失恋じゃキツイよね」
「いーや、これはアレですよ、伝説のヤンキー玉砕改心事件と同じ奴よ」
脳内がこれ以上なく混乱している状態でも流石に気になる単語の組み合わせではあった。
「何でしょうか、それは?」
「いやぁ、桃香に突撃かけた不良君が五分後あまりのピュアさに感動の涙を流しながら『俺、綾瀬の恋応援する……』って帰ってきた中一の夏の事件」
「……そんなこともあったんだ」
未だに顔は上げられない。
取り敢えず自分を囲む環境が「帰ってきて(桃香と)新生活」というだけのものではなさそうだということは理解し始めていた。
「そんなワケで、もうこんな健気で可愛くって大切にされて欲しい娘って、姫って呼ぶしかないじゃん? ってあたしが発案した」
「そんな道の駅の野菜についてる写真みたいに……」
「おや、吉野君わりと面白い人?」
どちらかというと余計なことを口にして気を紛らわせたいだけだった。
「まあ、そんなワケだから、吉野君。桃香のことは馬に蹴り飛ばされる前に諦めてね?」
「桃香の場合、ホントに馬が出てくる可能性あるし」
「むしろ、私たちと応援する方向でもオッケー。本人からは非公認だけど白中の姫を守る会は随時会員募集中よ」
何ていうものを作っているんだ、と思わなくなかったが隼人は口出しできない方の当事者なので藪は突かない。
「じゃあ、解散しよ、花梨」
被告人執行猶予付き有罪、閉廷。なんて言葉が聞こえそうな空気となり。
「……」
「花梨?」
が。
「今の話思い出して、ちょっと気になったのよ」
「何が?」
裁判長は新たに思うことがある模様だった。口元に手をやり、何かを考えこんでいる。
「……」
「……」
気の抜けるような会話を多少して、ようやく顔を上げながら隼人は新たな冷や汗を自覚する。
花梨が桃香と四年生で初めて同クラスと言っており、そうであれば桃香と別クラスだったことが無い隼人と直接接点はまず無かった筈。
花梨が転校生であれば良かったが、でも隼人には僅かながら覚えがあり……今日会話しただけでも花梨は鋭そうな印象を受けていた。
「桃香、相手が時代遅れのヤンキーだろうときちんと話を聞いて対応していたじゃない?」
「ああ、そういえばそうかも」
「何も聞かずになんて無かったよね」
ああ、そちらか……と僅かな安堵。
隼人と桃香が昔一緒にいた、という事実はどう考えても誰も味方のいないこの教室で明るみになって良いタイミングとは思えない。
「それがあんなに真っ赤になって逃げだして……吉野君、桃香にとってちょっと違う相手なのかしら?」
「!」
思わず反応した肩に、花梨が眼を細くする。
無情にも話はそこまで逸れていない模様だった。
「吉野君、フルネーム教えてくれない?」
「ええと、その……」
「えーっと、吉野隼人君、だね」
一瞬抵抗したものの、配られていたクラス名簿記載のプリント相手には無駄。
「隼人君……はや、と?」
小さく口にしながら一度瞬いた花梨の目には確信があった。
「吉野君、貴方昔桃香と一緒に居なかった?」
「「「!!」」」
クラスの空気が膨れ上がる、というのを初めて体感した。
「え、何? じゃあ吉野君ってまさか」
「桃香の王子さまって……」
「まじかー……マジなのか?!」
「オメー、綾瀬の何なんだよ!」
「何それ、ドラマみたい」
クラスメイトの口々の声と、流石の騒動に両隣のクラスから何だ何だとのやじ馬も加わった嵐は暫く荒れて。
「吉野君」
「はい」
ようやく凪いだところで花梨が隼人に声を掛ける。クラスメイトプラスアルファの視線と興味が集中した。
「吉野君の望ましくないタイミングで気付いてしまってごめんなさい」
「いや、その、隠していたわけではないから」
滝のような汗はまだ収まっていなかったけれど、頭を下げた花梨の誠実さを感じて責めようという選択肢も、避けようという気持ちにもなれなかった。
「少なくとも、昔よく一緒に居たのは本当……です」
思わず畏まった回答に小さく黄色い歓声が何か所からか上がる。
「じゃあ、ええと……この先は聞いて良いの?」
「そこは……」
「……今はノーコメントでお願いします」
その言葉に男じゃねーな、という野次が聞こえ、実際その通りだとも隼人は思ったのだが。
実際騒動の山場の最中から、桃香に二度も避けられている現実がそれ以上に痛む棘になって喉から心からに引っ掛かっていた。
隼人にとってそちらの方が、余程大事だった。