33.七月六日の届け物
「桃香と吉野君だ」
「おはよ」
「おはよう」
校門を通過した辺りで桃香の後ろから手が生えてきたと思いきや絵里奈がソフトに桃香に追突していた。
「んー、桃香は今日もいい桃の香り」
「絵里奈ちゃんもちょこっとチョコレート」
「ベルギーの血がなせる業かな」
暗めのブロンドをしているのでそういうことではないかと前々から思っていたが、最近知ったことにはクォーター、らしい。
「なんだかご機嫌だね」
「そりゃあ、やーっとテストから解放されたもの」
「気持ちはわかるよ」
「でっしょー?」
そのままぐいぐいと玄関まで押されていく桃香に並走しながら下駄箱の前まで来れば。
「お、隼人に綾瀬さんたちも」
「おう」
友也が手を上げ、勝利も頷く。若干朝の渋滞という趣だった。
密度はそうでもないのだが如何せん。
「ヤ行トリオ大変そう」
「一緒にすんな」
「あはは」
どうしても縦に三マスが並んでいる関係上靴の出し入れも窮屈なものになる。
「あれ?」
「ん?」
「お?」
そんな隼人たち三人の足元に淡い藤色の長方形が軽い音共に落下した。
「封筒?」
下駄箱が一番下の関係で屈んだ状態に近かった隼人が拾うと絵里奈が横から覗きながら口にする。
「いわゆるラブレター?」
その声に正体が理解でき、本当にあるんだ、と思いながらそれを隣の友也に差し出す。
「隼人、何で僕に?」
「いや、友也君女子に人気ありそうだし」
「決めつけは良くないね」
なるほどそうか、と思い今度は逆の勝利に。
「どーしてそうなんだよ」
「悪め男子も人気あるかと」
「誰がワルだ」
「実はいい人だとおもうけど」
「……ケンカ売ってるのか」
「待って勝利、これは隼人が混乱してる」
「誰が勝利だ……よく見ろ、宛名を」
そこにある文字は良く見慣れ、かつ書き慣れた四文字だったが筆跡が違うこともあり全く現実感のないものに見えた。
「ぼ……俺?」
「お前だ、お前」
一人称が昔に戻りかけた隼人に勝利が指を突き付ける。
「なんで?」
「何でって……そりゃあ、お前」
特大の溜息を吐きながら。
「お前さんのことが気になって何かしら用事がある女子がいるってことじゃないのか?」
「女子」
「……この封筒と筆跡で男子は嫌すぎるだろ」
「とりあえず、教室に行こうか……皆の邪魔になってる」
友也に肩を押されたのと他の迷惑になるという言葉に少しだけ我に返って廊下を教室に向かおうとした隼人だが、その状況でも忘れてはならないものに気付いて振り返る。
「教室行かないとね」
「あ、ああ……」
大体普段通りの表情と声色の桃香が付いてこようとしているのを確認して安堵しかけたものの。
「桃香、まだ片足外履き」
「え?」
珍しく少し慌てるような絵里奈の声に引き返す姿と、それをまだ呆けたような表情で見ている隼人の姿に、友也は肩を竦め勝利は深く溜息を吐くのだった。
「おっはよー……ぉ?」
ちょっとした集団状態で教室に到着した隼人たちを認めて美春が手を上げたが、その隼人たちの微妙な空気に片手を上げたまま固まる。
「何か、あった?」
「何でもないよ」
ほぼいつも通りの表情で桃香は自分の席に向かう、が。
「ちょっと、大丈夫?」
「だ、だいじょぶ……」
思い切り太ももの辺りを付近の席にぶつけて弱弱しく首を振っていた。
三者三様に「あちゃ~」と言う顔をした絵里奈たちが、次いで隼人を「どうするんだ?」と言いたげに見る。
「……とりあえず内容を確認してくる」
「まあ、そうしないことには始まらないよね」
理科室あたりなら誰もいないかもという絵里奈のアドバイスに頷いて、足早に教室のある棟とは離れた建屋に向かった。
「それで、どうだったの?」
昼休み終了の予鈴も鳴ろうかというタイミングで、花梨が桃香に近い自分の席近くに隼人を引っ張って来て尋ねた。
表面上はいつも通りなものの、回答を誤る、ペンケースをひっくり返す等々明らかに挙動のおかしい桃香の様子に加え、朝の下駄箱付近に居たのは隼人たちだけではなかったため、隼人が貰った手紙の件はもうクラス中で囁かれていた。
桃香は頑なに普段通りの態度を崩そうとしていなかったのだが、朝の出来事が引っ掛かっているのは明らか過ぎた。
隼人は時間を置いたことと、桃香の様で逆に冷静になってはいたのだが……どう話したものか、と迷っていると。
「?」
花梨が机の上に乗せていたノートを隼人に向って開いた。
そこには「とりあえずどういう内容だったか←に聞こえるように説明して」と太字のペンで大書されており、戸惑いながら花梨を見ると整った顔が「いいから話しなさい」と言っている。
「単に」
髪に手をやりながら口を開けばクラス中の耳がそこに寄った気配がする。
勿論、窓の外を見て何気ない風を装っている桃香も明らかに反応していた。
「少し話をしたいと呼び出されただけだよ」
そう言うと背中全面に「で、どうするんだ?」という圧が掛かった。
一部男子の声で浮気だのなんだのという呟きがあったが、美春と琴美が一睨みで黙らせていた。
「……」
無言で花梨がノートを捲ると「いいから安心できるようなこと言って」と指示が書いてあり、横からは絵里奈が「お弁当ほとんど残してたよ」と注意書きを添えてくる。
「手紙をくれたことに対して失礼はしないけれど……」
正直、このクラスの状態で口にしたくはないが、桃香には代えられなかった。
「それ以上では決して無いよ」
主に女子の声で好意的な小波が広がって、桃香の後姿もほんの少し和らいだように感じられた。
午後の授業中、桃香のやらかしの頻度自体は、下がった。
「桃香ちゃんに何かしたの?」
夕食後、母からの不意打ちに衝撃が走る。
実際拭き終わった食器を片付けに開こうとしていた棚との距離を見誤って戸板を向う脛に当ててしまっていた。
「……突然何だよ」
基本的に気遣いの人なので思春期真っ盛りの息子との距離感も非常に上手く取ってくれていると隼人も思ってはいるのだが、お隣のことが絡むとそうではない時があった。
「何かあったの?」ではなく「何かしたの?」で聞かれる辺りにそれが現れていた。
「帰って来てから様子がおかしくて」
「……うん」
放課後いつもより長めに手を繋いで帰っては来たが、やはりどこか沈みがちには思っていた。
「食後のデザートも大好物出したのに食べなかったって、聞いたのよ」
「……母さん?」
薄々感じてはいたが暫く祖父母に預けていた実子より隣家の娘との距離を誤ってはいないだろうか。
「別に、俺は、してない」
そう淡々と答えた。
答えてからそれを切掛けにして完全に冷静な自分の一部分が結論した。
「……してない」
もっと正確に寄せた言い方にするなら、出来ていない。
「桃香」
「うん?」
「そっち、行くから」
夜。
桃香がカーテンを開けるなりそう宣言して、窓枠に飛び移った。
「どうしたの? はやくん」
「どうしたもこうしたも……」
もどかしさに自分の頭をくしゃくしゃと掻き回してから、口に出しやすい事柄から言った。
「……あんまり食べてないんだって」
「あ、お母さんがまた変なこと言った」
「変とは違うだろ」
「……ダイエット中だもん」
「桃香は必要ないだろ」
沈黙が流れた後、桃香が小さな声で言ってくる。
「だいじょうぶだよ?」
絶対にそうじゃないだろう、と言いかけるが次の桃香の言葉で黙らざるを得なかった。
「ごめんね」
「……何で桃香が謝るんだ」
「わたし、ちゃんとはやくんのこと待ってられるとこみせないと、と思ったんだけど……」
膝を抱いた桃香が袖に口元を埋めた。
「今日の帰りとか、はやくんいつもより優しくしてくれたし……その時はだいじょぶって思えたんだけど」
「……うん」
「やっぱり、ちょっとこわい」
「何が?」
「……あの手紙出した子が物凄く綺麗で性格もいい女の子だったら、どうしよう、って」
どうするもこうするも無いのだが……とは思うものの。
やっぱり自分は出来ていないんだな、と痛くなる胸は一晩かけて自省するとして、桃香にそっと手を伸ばした。
「ごめん」
「……」
昔とは比率の違う手で桃香の頭を軽く撫でる。
「やっぱり、悪いのは俺だから」
何かを言おうとした桃香を、今度は隼人が言葉を継いで黙らせた。
「明日はさっさと帰って……短冊、飾りに行こう」




