27.夏の予感
「ねえ、吉野君」
「何でしょう」
「先週末辺りから特に桃香がご機嫌なんだけど」
今日は早々に帰宅していった勝利の席を拝借した花梨から、心当たりは? と聞かれる。
美春たちと何かで盛り上がっている桃香を眺めながら、心にもないことを言う。
「天気が良いから……?」
「むしろ相合傘出来なくて寂しがっているわ……この前は堂々と出ていくにも程があったけど」
誤魔化すにしても雑、と駄目だしされる。
「まあ、あのくらいの方が他人の余地はないと分かりやすくていいとは思うのだけどね」
少し声を潜めて放課後の喧騒に沈めながら言われる。
「伊織さん」
「何?」
隼人も声を小さくし気になっていたことを問う。
「やっぱり桃香は……他の人から見ても可愛いんだよな」
「……私は今、左手を抑えた自分を褒めたいわ」
心底呆れ果てた、という顔で見られる。
「何を言い出すのかと思えば、今更それなの……」
「いや、だから、桃香のことで気をつけろという意味かと……」
「……三分の一ほどは伝わったようで嬉しいわ」
花梨がカチューシャと額の間の当たりを抑えて溜息を吐いた。
残りは何なのだろうか、と口を開きかけたところで開けっ放しの教室の戸をそれでもノックして他のクラスの女子がお下げを揺らして顔を出した。
「花梨……と丁度吉野君だ」
「あら、真矢」
「何か密談でもしてた?」
「どちらかというと心配事ね」
桃香たちと同じ中学校だった彼女とも最近面識は出来ているので、妙な方向に話が飛ぶ前に問いかける。
「戸浦さん、何かあった?」
「呼んで来てって頼まれたの、桃香と吉野君を」
「それは勿論、二人のためなら梅雨空も晴らして見せるけれど……でも、佐藤さんと小畑さん、君たちこそ私の太陽であってほしい」
「そ、そんな……」
「恐縮してしまいます」
「恐れることなんてない……ほら、もっと素直に輝いて」
何かの撮影か、それとも舞台か……そんな光景が校門前で繰り広げられている。
「悠姉さんは」
「相変わらずだね」
「……そこが素敵」
にこにこと笑っている桃香の隣からうっとりとした小さなつぶやきが聞こえてきた。
「戸浦さん?」
「相変わらず悠お姉ちゃんのこと大好きだね」
「……そんな好きだなんて烏滸がましい、私は遠くから見つめている雑草でいいの」
「雑草だなんて勿体ないことを……野に咲く名も知らぬ花こそ可憐だったりするじゃないか」
何時の間にやら隼人たちの近くに来ていた悠がそっと真矢の手を握って囁きかけていた。
「~っ?!」
「前から戸浦さんがよく桃香や隼人を連れてきてくれるけれど……君が私の幸運の使者なのかな?」
「そ、そんなぁ」
「ちゃんとこちらを向いて?」
「む、無理ですから」
「悠姉、そのあたりにしないと……」
「残念」
彩に促されて手を離した悠がそれでも最後に片目を瞑る。
「じゃあね、私の大切な伝書鳩さん」
そうした後、隼人たちに向き直ると態度を崩れさせて飲み物を飲む仕草をしてみせた。
「じゃあ、少しお茶しようか」
「それで、何か用事でもあったの?」
「おやおや、用がないとお茶に誘ったらいけないのかな? ……これでも月一で我慢しているんだけど」
大げさに肩をすくめられる。
「そ・れ・と・も、桃香と二人の時間を邪魔されて怒ってるのかな?」
「別に、そんなことは……」
ない、と言いかけてほんの一瞬引っかかった。今度は引っかかったことに戸惑ってつっかえる。
「ええと、つまり……」
「これが姉離れか……」
「寂しくも喜ばしいものです」
机に突っ伏しながら笑い転げている悠に、全員分の飲み物を配りながら澄ました顔で彩が相槌を打つ。
「それに、先月に比べて隼人と桃香の距離が縮んでいて、本当に何より」
「……!」
つい、自然に隣に座っていた桃香より反対に少し動いてしまう、けれどソファーの手摺りに邪魔されてしまい。
「えへへ」
逆にティーカップごと桃香が隼人側に移動してきて、結果最初より距離が詰まる。
「桃香はどこまでも桃香で安心するな」
「そう、かな?」
「ええ、そのままでいて欲しいものです」
完全に末の妹状態だな……と思いながら珈琲を口にしてチョコレートの包装を一つ解く。
「ああ、そうそう、忘れないうちに……一応用事というか確認はあったんだった」
「「?」」
「夏、四日ほど時間を合わせて出かけないか?」
「もしかして、あの湖の見える別荘?」
その単語には隼人にも覚えがある、というかここで過ごしていた幼少期の恒例行事だった。
ボートに乗ったり西瓜を食べたりしている桃香の笑顔が蘇って……それから泣いている顔も記憶の引き出しの中にいた。
「そうそう、四人で」
「わぁ!」
両手を胸の前で合わせて、楽しげな表情で桃香が隼人に言う。
「楽しみだね、はやくん」
あっという間に行く前提になっていた、が隼人は一旦返事を保留する。
「悠姉さんは受験生なのにいいの?」
「気を使って貰えるのは嬉しい、が、十年早い」
人差し指を軽く振って心配は却下される。
「そもそも付属の大学に上がるつもりみたいなので、余程の素行不良でもしない限り心配ないですしね」
「余程をやって先生方が青くなるのも見てみたい気もするなぁ」
ニヤリと笑って、他に問題でも? とカップを傾けながら顔で聞かれる。
ついでに掻き上げた緑色のリボンを付けた髪も悔しいくらいに様になっていた。
「あー……その、何というか」
「ん」
「俺も男なんだけど……そういうのは、拙くない?」
忘れてた、という顔をした悠が次にカップを置いて本日数度目の爆笑を始める。
「きちんと真面目に育ってくれたようで嬉しいぞ、弟よ」
そして勢い余って隼人の肩を何度も叩き始める。
「痛い、痛いから」
「自分でそういう心配を出来て偉いです……でも、ちゃんと保護者がいらっしゃるので大丈夫」
「保護者?」
「うちの母様たちが女子水入らずの少し長く旅行に行くから、寂しがってる父様が仕事の書類とリモート機材持ってついて来ることになっている。こっちも親戚同士の旅行みたいものさ……ま、ちょっと五月蠅いセミくらいに思ってくれればいい」
年頃の娘の父親への扱いはそれでいいのかな、と思わなくも無かったが安心して連れて行ってもらえそうだった。
「どしたの?」
「……いや」
「いっしょに行くよね?」
「ああ」
にこにこしている桃香と行きたくない、とは全く思ってないから。
「さて、無事決まったところで……隼人に確認」
「え? 何かあった?」
「いつの間に『俺』とか言い出したんだ?」
軽く、額を突かれる。
「別に……」
目を逸らしたものの。
「ついこの前から、だよね」
「ほう……」
黙ってさり気無くを装ってはいたけれど気づかれていた、と思うと気恥ずかしさににこやかな声色の桃香の方は見れなくて、結局まだマシとばかりに悠の興味深く楽しそうな表情と向かい合うことになった。
「その方が高校生だし良いかと思っただけ」
「なるほどなるほど」
悠が自分と桃香を見比べているのはわかるが、残念ながら隼人には桃香の表情がわからない……見ようとすることが、出来なかった。
「桃香は、今までとどちらの隼人が好み?」
「……!」
加わった彩の質問に、思わず次の言葉が出なくなり……視線の反対に居る桃香を意識してしまう。
「えっと……ね」
ベルトの上あたりの、シャツの裾を摘ままれる。
「少し大人な男の人になっても、優しいままだから……どっちも」
「……別に、桃香のことを大事にしなかったことはないつもりだけど」
「うん、だから、どっちでもいい、の」
「どっちでも……ね」
「うん」
暫くは桃香の顔を見れそうになかった。
けれど悠がからかいもせず、いつになく微笑ましそうな笑い方を隼人と桃香にしていたので……これについてはこのまま変えてしまうことで良いのか、と思うことにした。
変えるために変えることを、模索している最中だった。