198.砂に書いた
「わぁ……」
基本、手を繋いでいる時は隣か気持ち後ろにいてくれる桃香に逆に引っ張られる。
「海、だね」
「ああ」
目だけでなく香りや潮騒の音でもわかっていたし、何より目的地にしていたから自明だけれども、陽光を返す水面よりキラキラした声に頷く。
「海だな」
「ね」
何を当たり前なことを、とか浮かぶ一方で、笑顔の前には些細なことかとその表情をじっと見る。
「どしたの?」
「いや、その……」
「うん」
「来てよかったな、って思った」
「だね」
ゆっくり時間をかけながらも小さめの水族館を周った後、昼食をとってから再度電車に乗って。
辿り着いたというには大袈裟だけれどそれなりに遠い目的地に到着した。
「えへへ」
「危なくないか?」
「大丈夫だよ」
スリッパをはいていればパタパタと音がしそうな、さっき並んで眺めてきたペンギンを思い出させる速足で波打ち際まで行った桃香がスカートを器用に避けさせつつ少し屈んだ後、また駆け戻って来て。
「えい」
「!」
潮の香りに濡れた人差し指と中指を隼人の頬にそっと押し付けて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ほんとは、バシャバシャしたいけどね」
「この格好と季節だと大惨事だな」
「だから、こう」
言った後、バッグからピンクと白のチェックのハンドタオルを出して少し濡れた頬を拭ってくれる。
「ごめんね、冷たかったよね」
「いや、全然」
むしろ、暖かくてくすぐったいタオル生地と手付きが好ましいくらい。
正直に言うならもう少ししてほしいくらいのそれが去っていた後、また隣に収まって。
「あとは、どうしよっか?」
「そうだな……実は、海に行くことばっかりでここ来た後どうこうはあんまり考えてなかった」
「そうなの?」
とりあえず今のところそういうことにしておく通知に、可笑しそうに笑った後、両手で手を引っ張られる。
「じゃあ、お散歩とかどう?」
「いいかもな」
「うん、決定」
勿論流れから海に沿って、になるため方向は二択。
「桃香」
「?」
「できれば、こっち」
指で希望を示せば軽く小首を傾げる仕草。
「そうなの?」
「展望台があるから」
「じゃあ、こっちだね」
改めて疎らよりは少し人通りのある海岸線を二人で並んで。
「そういえば、だけど」
「ああ」
「この前の夏は山とか湖だったら、海来なかったよね」
「そうだな」
車道を行く車の音の合間合間にそんなことを話しながら。
「今度の夏は、どうしよっか?」
「ん……」
声を弾ませる桃香とは対照的に、とある考えに黙る。
「あ、もちろんお姉ちゃんの所へは恒例行事だから行くけれど、その他にだよ」
「それは、わかってる」
「海、いや?」
「そういうわけじゃ勿論ないけど」
「んー……」
歯切れの悪さに少し何かを考えてから、行違う歩行者も居なくなったタイミングで桃香が耳打ちをする。
「そこまでスタイルいいわけじゃないけど……水着、楽しみにしてくれないの?」
「!?」
考えていたこと自体は図星で、軽く咽る。
「断じてそういう訳じゃないし、むしろ見たくもあるんだけれど」
「うん」
「……他人には見せたくないが同じくらいあるというか何というか」
何というかも何もそのものだったけれど、ほんの微かに暈そうとしようとする努力だけはして白状する。
「そう、なんだ」
「ああ、そうだよ」
そっぽを向いてそれ以降を打ち切ろうとするけれど、許しては貰えない。
「そういえば」
「何だよ……?」
「夏に、怒られちゃったね……肩出しのワンピース着たら」
くすくす声に、一応は反抗を試みる。
少しどころでなく心を動かされた幼馴染の綺麗な肌と曲線をどうしても思い出しながら。
「別に怒っちゃいなかったよ」
「そう?」
「その、もう少し控えめにして欲しかったというか……」
「えへへ……そうなんだ」
「間違っても桃香にそういうのが似合わないとかいうのじゃないぞ」
「うん、ありがとう」
そっかそっか、と三回ほど頷いてから、桃香が提案してくる。
「じゃあ、今度の夏用のお買い物は一緒に行って選んでもらわないと、かな?」
「!?」
「だって、そうでしょ?」
確かにそうなるのか? とか若干脳内が混乱する。
「あ、いや、その……」
「うん」
「大体の許容ラインを相談してから、とかでお願いしたい」
「要相談、だね」
終始ご機嫌な桃香に色んな意味で引っ張られながら。
でも今度の夏も二人で過ごすことは一片の疑いも無かった。
「展望台が近いのかな?」
「うん?」
「ちょっと周りにカップルさんが増えてきた気がして」
「かもしれない」
またしばらく二人で何ということもない会話をしながら進んで行けば桃香がそんなことを言いだした。
特に駐車スペースの案内表示があるあたりからいかにもそんな感じの男女のペアが通りに向かって出てきている。
まあ、もっとも。
「わたしたちも、そうだけどね」
「ん……」
「ちょっとまだ、大人には足りてないかもだけど」
胸を張った後、へにゃりと笑う桃香に思わず口が滑る。
「確かに、桃香は顔つきとかがちょっと年が下に見えるとこはあるかもな」
「むー……ちょこっと気にしてるのに」
「その分、凄く可愛いんだけど」
「わ!」
大きく瞬いた桃香が、頬を緩めながら聞いて来る。
「どしたの? はやくん」
「どうしたもこうしたもないだろ」
「でも、ちょっと珍しいよ?」
少なくとも外では、と言っている笑みが真っ直ぐ見上げてくる。
「そんなことはないけど……事実は事実だし、強いて言えば」
「?」
「誕生日だからだろ」
勿論、プレゼントは別に準備しているけどその一環だ、くらいに口にすれば。
「そこはいつものはやくんだね」
「……」
「でも、そう思ってもらえてうれしいな」
にっこりと笑われて、結局主導権は握られたままな気がする。
そして、実際。
「そうだ、はやくん」
「ん?」
「もう一回、砂浜の方に下りてみようよ」
丁度歩道からそれ用の数段の階段があるところでそんな提案がされた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと、思い付いたことがあって」
再び波打ち際まで近付いてスカートの裾を器用に纏めながら……髪の扱いと言い、正直感心してしまうくらいだったりする。
「わたしたち、もう……お付き合いしちゃってるから」
「?」
「いいよね?」
軽く右手の袖を上げてから、桃香の指先が今度は海面ではなくて砂浜に触れて。
「えへへ」
三角形を描いたかと思えばその頂点から真っ直ぐに棒を下ろしてきて……所謂傘の形になる。
「……また、いきなりだな」
「落書きが書いてあるの見ちゃって」
「ん、まあ……そういうスポットではあるしな」
「でも、壁とかはさすがにだめだと思うけど、ここならいいよね」
「それは、確かに」
傘と平仮名で自分の名前を書いた桃香の隣にしゃがみながら。
「逆に言えば、消えるってことだけど」
「消えちゃうのはここの分くらいだよ」
「ん……」
「でしょ?」
だったら恥ずかしがり屋さんでも書きやすいよね、とばかりに促されて指を砂の中に僅かに差し込む。
「書くのは初めてだけど……」
「?」
「何度か黒板のは……消したな」
「そういえばあった、ね」
小学生時代の、主に桃香が隼人にずっとベッタリだったことに対することへの幼いからかい。
「桃香にちょっかい出したがる奴は多かったしな」
「わたしは、はやくんだけ、だったけどね」
些細なことだよね、とばかりににっこり笑ってから、肩先に額をぶつけてくる。
勿論姿勢が揺らぐほどでは無くて、程なく隼人も自分の名前を書き終える。
「これで、いいか?」
「バッチリだね」
タイミングを合わせて立ち上がって、足元に目を遣りながら。
「えへへ」
「どうした?」
「また、はやくんのこと大好きポイントが増えちゃったな、って」
「……」
果たしてそれは今までどれだけ積まれていて……そしてどのくらい増えていくのか、とまじまじと桃香を見てしまう。
「そうしろって言った人は、だーれだ?」
「……俺だけど」
頬を突いて来る桃香の指に、隼人の中で何かが押されて衝動が繋がる。
「わ!」
少なくとも表情がわかるくらいの至近が無人なのを確かめてから、少し強めに抱き締めて。
「確かに、それはずっとそうしたいからな」
「わ、わ?」
「もう少し、稼がせてもらう」
腕を解くや否や、少々強引に桃香の腕を引いて再度歩き始める。




