196.一緒にいたけど、ただいま
「帰って、来たね」
「だな」
空港からのバスはクラスごとではなく自宅の地域ごとで分けられていて、各自の最寄で降ろしてもらうことになっていた。
そういうルールなので否応なしに桃香と二人商店街の入り口付近で下車することになり、未だバスの中にいる花梨に手を振ってから桃香がそんな風に白い息で話し掛ける。
「とりあえず」
「うん」
「気温が全然違うな」
「だよねー」
普段なら「ああ白くなっているな」くらいの感覚だけれど南国帰りの今、しばし二人してそんな様を見ていた。
「まあ、何はともあれ」
「うん」
「帰るか」
「そうしよっか」
頷き合って並んでもう少しだけの帰路に着く、桃香の手からそっと強制的にカートを奪うのも忘れずに。
「やっぱり」
「ん?」
「帰っても一緒にいられるのは最高だね」
「……ん」
帰宅後、諸々を済ませて少しだけ久しぶりにも感じられる恒例の時間。
窓と薄桃色のカーテンを引いてにっこり笑って出迎えてくれる桃香の屈託のない物言いに頷く。
「じゃあ、事前の宣言通り」
「ん?」
「四日分、充電するね」
ソフトに飛び付いて来る桃香に、考える前に背中に手が回る。
「やっぱり二重請求だ」
「えへへ」
胸元に頬擦りされる心地良さを味わいながらも。
そんな軽口に続いて、ほんの一分にも満たない間だけど昨日もこの体勢にはなっただろう? 何て考えが浮かぶ。
どう考えたところで自爆にしかならないから口には出さないけれど。
「楽しかったね、修学旅行」
「まあな」
「はやくん分が不足しちゃうのは困りものだけど」
「……わりと一緒に居た気もするけど」
そんな言葉を口にすると、桃香が動きを止めてからじっと至近距離で見上げてくる。
「はやくんは、足りてた?」
「……」
「足りてた?」
咄嗟に答えないと見るや、今度は口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべて二回目も聞いて来る。
「……」
「えへへ」
言葉を探して魚のように口をぱくぱくさせてから……もうちょっと強めに引き寄せることで答え代わりにする。
そうすると漏らしてきた桃香の吐息に、わかってるよ? と言われた気がした。
「楽しかったは楽しかったけどな」
「うん」
「何かいろいろ慌ただしかったというか……有り過ぎたというか」
「そだね」
「中学生の時の修学旅行なんて普通に観光地回っただけだった、のになぁ」
今にして思えば本当に薄かった、とか嘆息していると。
「いっしょに、行ったからかな?」
「まあ、そうなんだけどな」
よく臆面もなく言うもんだな、なんて思ったところで……実際、二人きりなのだから何に遠慮するのだろうかという考えに至る。
「ね?」
「ん……」
そんな心持ちが伝わったのか瞼を閉じて待つ姿勢になられてしまい、素直に身を屈めることになった。
「楽しかったけど」
「ああ」
「今度は二人で、がいいな?」
一旦手を放して隣り合って座るけれど、まだ充電中ですと言わんばかりに間髪入れず桃香がもたれかかってくる。
「まあ、それは多少思ったけど」
「うんうん」
「例えば、どれだ?」
「どれって?」
隼人の肩に接している頬を軸にして器用に首を傾けて見せる桃香に、候補を並べてみる。
「海とか水族館とか、買い物とか」
「全部いいけど……海はしばらく行けてないね」
「確かにな」
つい昨日南国の綺麗な澄んだ海と白い砂浜を見てきたけれど、勿論そうでないのはわかっている。
頷いてから、記憶を遡れば小さな桃香の半べそ顔が浮かんで来る。
「桃香が西瓜割れなかったアレ以来か」
「もー」
砂浜でこれは絶対やらないととスイカ割りに挑戦するも、桃香の家から持ち込まれた西瓜はとてもとても立派過ぎて、小学生に上がったばかりの少女の腕力では表面に痕を付けるのが精一杯で起こったハプニング。
「そんな事ばっかり覚えてるんだから」
「いや、だって、印象深いし……ああ、でも他のこともちゃんと覚えてる」
「そう?」
「二人で、砂のお城を作ったりなんかもし……」
「……」
そこまで言ってから、桃香のふくれっ面にその大作の最後を思い出す。
突然の大波に脆くも崩壊した後の桃香の呆然とした顔……他にも海鳥に帽子を狙われたりととにかくその日は付いていなかった桃香。
「いや、でもさ」
「?」
「桃香もしっかり覚えてるじゃないか」
「それは、ちゃんと覚えてるよ?」
自信満々な様子でコロッと機嫌を直して微笑む。
「はやくんがいじわるな鳥さんを追っ払ってくれたこととかも、ね?」
「ん……」
「あと、あれはお城じゃなくて素敵な教会、だよ?」
勿論、覚えていたけれど敢えて言い換えていた。
他にも二人で力を合わせて最終的には西瓜を叩き割ったことも……桃香は入刀とか言ってはしゃいでいたことも。
「ちょっと色々大変だったかも、だけど」
言いながら桃香が手を握って来る。
「はやくんがいてくれると、素敵な思い出になるよね」
「……全く」
「?」
本当、素直に口に出すよな……と思ったけれど。
自分は逆に中で色々考え過ぎているんだ、と自戒したことを踏まえて口を動かす。
「桃香の泣きそうな顔は嫌だし、笑ってほしいから」
「わ」
「その、それこそ一緒に海行った時よりずっと前……から」
そこまで言葉にしながら、最初は少し驚いた桃香がみるみる笑顔になって行くのを見て……やっぱり進歩していない性根に口を紡ぐ。
「……続きは?」
「……わかってるだろ」
「でも、はやくんの口から教えてほしいの」
もう満面で満開の笑みになった桃香が逸らした視線にも構わず顔を近付けてくる。
もう駄目でどうしようもない、と悟って……わざと乱暴なくらいに桃香の頭を撫でる。
「……桃香は」
「うん」
「ずっと前から俺にとって特別な女の子だから」
「えへへ……」
くすぐったくなる笑い声に「ありがとう」と「うれしい」が混ざっていた気がした瞬間、首に手を回すように抱き付かれる。
「わたしも、ずっとずっと前から、だいすき」
頬にそっと桃香の唇が触れてくる感触を味わいながら。
「も」って何だよ……と一瞬だけ思ってから、それ以外の何物でもないと自らを省みた。
「こうしちゃっても、いい?」
「いいけど、痛くはないか?」
「ぜんぜん」
心地が悪いことなど決してないので、しばし抱き付いたまま頬擦りする桃香にされるがままになった後、そのままずるずると崩れて隼人の膝に頭を載せて見上げてくる問いかけにもそう返す。
「それで、ちょっと話を戻すけど」
「うん」
「次の次の、日曜日」
「もう三月になっちゃうね」
「ああ」
世間的には桃の節句……二人にとってはお互いの誕生日。
「海、見に行かないか?」
「お誘い?」
「それは……そうだよ」
へにゃりと表情を崩して桃香が手を差し出してくる。
「うん、いっしょに行こうね」
「ああ」
「……前から、決めてたの?」
「なんとなくだけど……あっちで海を見たらこうなる気がしてた」




