194.ご機嫌
「あら、綾瀬さんどうしたの?」
「え? 何が?」
「すっごく、その、ええと……」
「えへへ……」
班別の自由行動時間の終了間際。
それぞれの行程を終えてクラスメイト達が戻って来る度、矢鱈とご機嫌な桃香に気付いた女子が桃香に話し掛け、そして。
「……!」
嬉しそうに事態を話した桃香に、聞いた女子は驚きと、あと人によっては赤くなったりなんだりしながらな表情で隼人の方を見る、というのを何度か繰り返していた。
細かく数えてはないが、多分もうこれでクラスの女子ほぼ全員に……。
「あっれ? 桃香、何かいいことあった?」
「えへ……実は、ね」
いや、それどころかクラスの垣根を越えて。
「ほうほうほう……わぉ!」
たった今、うっひゃーっといった顔をした真矢の方にまで話は伝わってしまっていた。
「……止めないのかな?」
「何というか、無駄な気がして……」
友也に楽しそうに聞かれたが、隼人は対照的に頭を抱えながらどんどん小さくなるしかできない。
「ああなった桃香は止まらない気がするし、桃香を止めても滝澤さんたちが居るし、止めたところでもう遅いし……」
「後悔してるのかい?」
「そんなことは断じてない、けど」
もう一秒たりとも桃香の姿を彼奴らの視界に入れたくなかったしああしたことに間違いはあったとは思っていない。
……最後に思わず抱き締めたのだけは余計だったと昨日の大水槽より深く反省しているけれど。
「凄いよな、スーパー惚気モードの綾瀬」
「何というか、眩しいよねぇ」
「惚気て……」
勝利の余りにもあんまりな表現に思わず顔を上げると……丁度耳に桃香の声が飛び込んでくる。
「はやくんはいっつも優しい声で話してくれて、時々照れたり意地悪だったりするんだけど……今日はすっごく格好いい声で」
「……やっぱ止めてくる」
手遅れかもしれないけれど、確かに勝利の言う通りの状態と化している桃香は放置できないと腰を上げる。手遅れかもしれないけれど。
最近改めて確信したのだけれど不意に何かされればそれなりに弱いものの、自分から言葉にする分には随分と口が緩い桃香に釘を刺すべく、班ごとに集合している関係上、六畳間な隼人の部屋の端から端程度の距離を一気に近付く。
「桃香」
「あ、はやくん!」
ぱっと夕方に差し掛かっている今は勿論、真昼でも押し勝つくらいの光量で顔を輝かせる様を見て。
……二人きりならどんなに良かったか、とか考えてしまう。
美春と絵里奈の声で聞こえた「いよっ! 王子様」なんて掛け声も含めて。
「別に、その……変な奴らに絡まれたような悪いことなんかわざわざ思い出さなくて良いだろ?」
最大限そこに触れないような言い方で軌道修正を試みる、も。
「うん、そんなのはもう忘れたよ?」
「なら、よかっ……」
「その後のことは、もう絶対に忘れないけどね」
被せ気味に、断言されてしまう。
そして、そんな様を生暖かくクラスの女子に見守られている中。
「何? また隼人が綾瀬に何かしたのか?」
「いやぁ、したにはしたんだけど」
「あれは、男の俺たちから見ても格好良かったからね」
「!?」
今度は隼人が桃香のところに行ったのを引き金に男子サイドで火の手が上がる。
「いいから、もう仕舞っといてくれ」
「はーい」
大分手遅れだろうけど、その返事に一応は安堵して踵を返した隼人の背中に、桃香の声が着弾する。
「大事に大事に、しまっておくね」
「ま、旅の恥は搔き捨て、って言うしな」
「そう、だね」
宿に到着し食事を済ませた後、大浴場に浸かりながら蓮に肩を叩かれる。
果たしてあれは恥だったのかというとやや微妙だけれど、その後とんでもなく恥ずかしかったのは事実、だった。
「もしくは、人の噂も七十五日……かい?」
「そんだけありゃ絶対にコイツ、何か新たにやるだろ」
「……」
誠人が別案を提示するもすかさず親指で差してくる勝利に指摘される……そして、それは嬉しいかな悲しいかなそこまで的外れではない気がする。
「でも、それだけ経つと、僕ら二年生だね」
「お」
「ん、まあ、そうなるか」
タオルを頭に乗せた友也の発言に、顔を見合わせる。
「ま、清々するぜ」
「こっちこそな」
指先で迷惑にならない程度にお湯を掛け合う勝利と蓮に苦笑いしながらも、誠人が面白そうに言う。
「まあ、どういうクラス分けになるかは置いておいて」
「うん?」
「例え別のクラスになったとしても、吉野とその彼女さんの話題は意識しなくても耳目に入ってきそうだね」
「……」
さっきの今なので全く否定できない。
「自制するようにするし……させようとも思ってます」
「いや? 目に入らない所なら別にやってくれても構わないぜ?」
「むしろ噂が聞こえてくる方が元気そうで安心するまであるな」
「何というか、滝澤さんたちが面白おかしく見守っている気持ちが少しわかるようになってきた気さえするよ……」
蓮、勝利、誠人が風呂の湯加減よりだいぶ温く肩までつかりながらそんなことを言う。
「ええと……来年度も、お手柔らかにお願いします?」
「なんか違う気もするけど……」
「まあ、大体そういうことで良いんじゃね?」
「一応、これからもよろしくな」
何とも気の抜けた顔で笑い合ってから、そろそろ入浴時間も終了だと一斉に湯船から立ち上がった。
「で、まあ、別に止めろと言ったわけじゃなかったけれど」
「息を吐くようにやってらっしゃいますなぁ……」
それから小一時間後。
就寝前のタイミングで呆れたと言いたげな視線が突き刺さる。
「いや、あの、これは……伊織さんたちの仕業、というか」
「でも、結局綾瀬絡み、何だろ?」
「隼人があの顔をするときはそれ以外在り得ないからね」
「……」
まあそうなんですが、という呟きは口の中に押しとどめる。
経緯としてはそろそろタイミングかと桃香に眠る前のメッセージを送って甘めの応えが返ってきた、までは想定の範囲内だったし何食わぬ顔で受け取っていれば良かったのだけれど。
その直後、花梨たちから連名で「幸せ者ね?」とその隼人からのを受け取った少し眠そうな桃香が顔を輝かせた後蕩けた表情でゆっくりと返信を打っている様子を収めた動画が送り込まれその愛らしい様子に隼人が表情に出してしまった、という次第だった。
「……犬とかの癒し系動画でも見ればそういうことにもなる、よね?」
たまに、よりもう少し高い頻度で桃香がかぐやを散歩に連れて行くと、その出かけた先の状況だったり一人と一匹の自撮りなんかが送られてきたときの気分と同じではないけど近しい……とそう言い訳してみるが。
「いや、綾瀬さんが割と癒し系で若干犬系なの以外、それは通じないでしょ?」
「何ならさっきの隼人も動画に撮ったろか? ん?」
「綾瀬さんに贈ったら大変喜ばれそうだねぇ」
「……それだけは勘弁してください、本気で」
撮られるのは基本苦手だし、それをそう扱われるかと思うと確かに桃香が喜んではくれるだろうけれど結構本気の拒絶が口から出る。
「まあ、ホントに二年生になった後も退屈しなさそうだぜ」
「全くだ」
「というか、その前に修学旅行はもう一日残ってるんだよね? 恐ろしいことに」
「こちとらもう腹一杯なんだけどな」
「……恐縮です」
何というかもうそうとしか言えず……布団を被る。
本音で言えばもう一度さっきの桃香の動画を見たかったけれど、そこを自重できる程度にはまだ冷静だった。




