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それで付き合ってないとか信じない  作者: F
三学期/結局二人は変わらない?
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175.ほんの少しだけ酸い

 放課後、になった瞬間に。

 予め片付け状態にしてあった荷物を掴んで席を立つ。

「あ、吉野君」

 琴美の声に呼び止められ、一瞬躊躇するが、一時間ばかり前の出来事にそのまま行こうと思うものの。

「桃香にお大事にって伝えておいて」

「ね!」

 追いかけてきた美春と絵里奈の言葉に一度振り向けば、皆がそういう表情をしていて。

「わかった、ありがとう」

 それに頷いてから、また明日、と足早に教室を出た。




「あら隼人くん、おかえりなさい」

「ただいま戻りました」

 歩くペースがゆったりな桃香が居ないことを差し引いても過去最速のペースで帰宅して自宅で自分の荷物を片付けるや否や。

 隣の青果店で店番をしていた桃香の母に迎えられていた。

「帰ってくるの、早いのね」

「……やりたいことがあるので」

「あらあら」

 言いつつ、幸い最後の一つが残っていた林檎の籠を手に取る。

「別に、気にしなくてもいいのに」

「いえ、そういう訳にも……」

 運よく丁度の額が小銭入れに入っていた硬貨を支払い様のトレイに置いたところで。

「おめでとうございます!」

「!?」

 突然、拍手と口からのファンファーレが店内に流れる。

「最後の一つをお買い上げのお客様には、無料で台所を貸し出します」

「あ……」

「その方が早いでしょう?」

 笑顔で包丁と下ろし金の収納場所を告げられて、そのまま奥への許可も頂く形となった。




「桃香」

 プレートにどれも見覚えも使った覚えもある皿、フォークとスプーンを載せて、軽く部屋のドアをノックする。

「はやくん?」

「ああ」

「どうぞ、入って」

「ん」

 少し注意しながらドアを開けてからテーブルに置きながら、ベッドの上で半身を起こしていた桃香に尋ねる。

「起こしたか?」

「ううん、そろそろ帰ってきてくれる頃かなって思って」

「ん」

 多分、そうだろうと思っていた答えに頷いてから。

「ただいま」

「えへ……おかえりなさい」

 満面の笑顔、と言っていい表情で言われて心底嬉しさを覚えつつも、抑えた声で聞く。

「調子は、どうだ?」

「午前中けっこう寝てたから、楽になったよ」

「ん、よかった」

 朝より明らかに快方に向かっている声色からも表情とも併せて空元気ではなさそうなことも確認して。

「明日からは、またいっしょ」

「……今夜、熱が上がらなかったらな」

「はーい」

「いい返事だな」

「でしょ?」

 得意げな表情にこちらも少し笑ってから、テーブルの上を示す。

「じゃあ、ご褒美に……林檎、食べるか?」

「うん」




「えへ……ありがと」

 ベッドから立ち上がる桃香に手を貸した後、テーブルの前に座らせてから肩にストールを羽織らせる。

「なんだか、お姫様みたい」

「……軽めの病み上がり、だろ」

 はにかんで見上げてくる桃香から一旦目を逸らした後。

「お腹の調子は、大丈夫なんだよな?」

「だよ」

 そんなことを確認しながら、テーブルの向かいに座る。

「じょうずなウサちゃんだね」

「それはどうも」

 下で買った林檎の籠から一番大きな玉を六等分して、四羽のウサギを作った後。

「あと、これ、懐かしいね」

「昔は風邪を引いたらこれだったろ」

「うん」

 小さめの器には、すりおろした林檎。

「そういえば」

「うん」

「確か幼稚園のとき……桃香が運んでくれようとして」

「……それは、思い出さなくていいよ」

 わたしが持っていく、と息巻いた桃香が隼人の家の畳の縁で足を滑らせて大惨事になりかけた記憶。

 幸い、隼人の顔面すれすれで隼人の母が見事にキャッチして事無きを得たが。

「はやくん、はやくん」

「ん」

 林檎色に頬を膨らませた桃香がそれを戻した後、口を開けて待っている。

「……やっぱり、するのか?」

「だって、昔もそうだったでしょ?」

「俺ら、もう高校生だと思うんだが」

 この歳になっても似たようなことを何回かしたのは棚に上げて、そう言ってみるが。

 桃香はそんなことはどこ吹く風。

「それに、わたし、風邪ひいてるんだよ?」

「さっきまで治った風な顔しておいて」

 一応、抗議はするものの。

 そうされてしまっては隼人に拒否の選択肢は無いのはわかっていて。

「じっとしてろよ」

「うん」

 自分の口への適量の半分くらいをスプーンに乗せてゆっくり向かいの口に差し入れて、くちびるが閉じられるのを待ってそっと引く。

「えへへ……おいしい」

「それは、よかった」

 表情を崩す桃香に、気になってしまい念の為尋ねる。

「昼とかもちゃんと食べたか?」

「おうどん、おいしかったよ?」

「ん、こういう時のうどんは美味いよな」

 わかるわかる、と同意しながらもちょっと食べたくなってきた、と思いつつ。

 まだあるぞ、とすりおろしりんごを入れた器とスプーンを桃香の前に置く、も。

「はやくん」

「……」

 甘えた声を出した桃香は、雛鳥よろしく再度口を開けて待っているのみで膝の上に置いた手は動かそうとする気配すらない。

 そういえば昔、隼人の家の倉庫の軒下に出来た燕の観察日記も付けたっけ……と雛が巣立った後の桃香のべそ顔も込みで思い出す。

「自分のペースの方が食べやすいだろ?」

「それはそうかもだけど、そうじゃないの」

「……あのな」

「もう一回、してほしいな?」

 若干酸味のある声を隼人が出すけれど、桃香の声が上書きする。

 それこそ、林檎のように。

「念のため、聞くけれど」

「うん」

「それ、絶対に一回で済ますつもりじゃないだろ」

「……もう一回だけ、とは言ってないもん」

「……おい」

 まあ、そんな屁理屈を言えるんだから幸い割と元気だな、と安堵しつつ。

「わかったわかった」

「やった」

「病気のときだから、仕方ない……」

 そんな理由付けを誰に言う必要も無いのにして、再びスプーンを手に取る。

「はやくんが風邪とかの時は」

「ん」

「お返し、するからね」

 そうにっこりと笑った桃香が、二口目の林檎を空にした後、こうも言う。

「もちろん、はやくんが風邪じゃなくてもしてほしかったら、いつでも、ね?」

「……俺は桃香ほど甘え癖ついてない」

「……ほんとに?」

「……」

「ほんと、に?」

 ここ半月の自分の所業を振り返れば、そうとも言い切れず。

「うるさい」

「わ」

 蜜のような表情の桃香を黙らせるために、量を少し増した三口目を、そっと押し込んだ。




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