171.女の子たちの夜、は明けて
「はやくん、ごめんね」
「……」
「わたし、ねむくて」
「見れば、わかる」
日曜日の午後。
花梨たちを見送った後、昼食を終えて隼人の部屋に来た桃香が五分後には会話への反応が鈍くなりはじめ、普段の髪のみならず頭ごとゆらゆらとし始めるのを眺めながら苦笑いをする。
理由はしっかり把握しているので予想通りだ、と思いつつも特に自転車で来ていた面々が無事帰れただろうかとも心配したりもする。
「何時まで起きてたんだ?」
「……寝落ちしちゃったからよく覚えてないけど、二時は過ぎてた」
「桃香にしたら頑張ったんじゃないか?」
からかいの色を加えて笑えば桃香が軽く頬を膨らませた……ところでセーターの袖で口元を隠しながら欠伸が漏れる。
「ごめんね」
「いや、眠いのは仕方ないだろ」
あと、花梨たちと仲が良いのも充分に分かっているので。
「うん……あ」
無理に押し込めようとしたせいなのか桃香からもう一度漏れて。
そしてそれを至近で見ていた隼人にも伝染する。
「くぁ……」
「えへへ……はやくんも?」
「こっちは、釣られただけだよ」
実際の所は、七割心配事な考え事のお陰で普段より眠りが浅かったことに起因する。
「それより、楽しかったか?」
そんなことは欠片も出さないその問いかけに、瞬きを一つ置いてから桃香が頷く。
「うん」
「……」
「はやくん?」
「いや、ほんのちょっと間があったな、と思って」
「もちろんいっぱい楽しかったんだけど、他にも女の子だけだからいろいろと……ね?」
顔を赤くしながら人差し指を口の前に持ってくる桃香に、頷く。
「まあ、そこは最低限分かっているつもりだ」
「えへへ……うん、ありがと」
「それで」
「?」
「しんどいなら昼寝でもしてくるか?」
「あ、それもすてきだね」
じゃあそうしようかな、と若干ふらつきながら立ち上がる桃香を見ながら。
この状態で、古い日本家屋のため急な我が家の階段は絶対に行かせられないと軽く肩を伸ばしながら隼人も立ち上がったところで。
「えいっ」
「!?」
上半身はゆらゆらさせながらも衝突コースは真っすぐに桃香に突っ込まれる。
「どうした」
全く力の入っていない桃香の身体を一旦支えてから、さすがに抱き上げて連れて行けは無理があるぞ? と物理的にも他の要因的にも、と肩に手を置いて引き離しつつ顔を見ると。
「いっしょ」
「は?」
「いっしょにお昼寝、しようよ」
普段の三割程度しかない開眼率の緩んだ表情で誘いをかけられる。
「……あのなぁ」
いつもよりあどけなさ増量の顔にそもそもうまくできない抵抗が出遅れて。
そしてそこに。
「ねむいけど」
「ん」
「いっしょにも、いたいし」
殺し文句、以外の何物でもない追い打ちが入った。
「まったく……」
仕方ない奴、と呟きながら……その奴は八割自分だろうと呆れながら。
何度かお互いしあったように座って膝から太ももにかけてを枕として提供しようとする、も。
「はやくんはやくん」
「ん?」
「こっちが、いいな」
桃香の両手に腕を捕まえられる。
「え?」
「枕をしてくれるなら、こっちがいいな」
思わずそのまま素直にそうしたなら取る体制と、その時桃香がどこに来るかを考えてしまい率直な感想が口から漏れる。
「……近いだろ」
「それがいいの」
「……」
「それがいいの」
返す言葉に困る隼人ににこやかに桃香が二度言う。
「それに」
「ん?」
「ちゃんと彼女になったでしょ?」
確かに今までの関係で膝を提供していたのだったら今腕を差し出すことの方が自然か? とか一瞬納得したが最後。
「ありがと」
小さく首が縦に動いたのを見逃さず、桃香がにこりと笑っていた。
「……大変な、体勢だな」
「そうかもね」
座布団を二つ折りにして寝転がった隼人が伸ばした腕に頭を預けながら眠気なのか心地良さなのか目を細めて桃香が笑い声で囁く。
「どきどきだね」
「……昼寝するのにそれはどうなんだ?」
「でも、落ち着いたら」
痛かったら言ってね? と付け足しながら桃香の頭が移動して、頬が隼人の胸にまずは軽く接触する。
「とっても、安心できて心地いいんだよ」
「……ん」
「最近、たくさんしてもらっちゃってるしね」
「そうだな」
恥ずかしげもなく言うなよ、と思うものの事実はどうしたって事実で。
あと、したいしたくないで言えば圧倒的に前者。
「えへへ」
「どうした?」
そんなことを考えている隙に頬擦りをされて。
「いつものぎゅう、と違う感じもして、これも好き」
「まあ、悪くは無いな」
自分でもぶっきらぼうだと思いつつも、桃香の素直さとバランスを取っているんだと誰に言うわけでもないのに言い訳する。
「ただ、桃香」
「うん」
「それ、息が苦しかったりは、しないか?」
「うーん……」
動きを止めた桃香が少し考えた後。
「寝ちゃうほど長くこうしてもらったことないから、もしかしたらそうかも」
いつもなら苦しいくらいが好きだけど、とか言いながらも身動ぎして……一旦頭を浮かせながら寝返りをする。
先にだけ少し波がある長い髪をよくも巻き込まずに、と感心した直後桃とミルクの混ざったような甘い香りにくすぐられて、無意識に堪能してしまう。
「わ……」
「どうした?」
「背中がぜんぶ、はやくんだね」
「まあ、そうだな」
桃香の香りに意識を持っていかれたのを悟られないように内心慌てて追認する。
「ね」
「ん?」
「こっち、も」
桃香が手を伸ばして、所在無く寝仏のように腰あたりに置いていた枕になっていない方の腕を引っ張られる。
「こっちも、枕にしちゃっていい?」
「……もうしてるだろ」
「えへへ」
桃香の腹の前で桃香の両腕に軽く抑えられる。
「だきまくら」
「……」
無邪気にそう言っている本人がむしろその状態なんだぞ、と指摘するべきかそうではないか……。
「しあわせ」
「ん……」
ただ、桃香に囁くように内心のほとんどを占めている気持ちを言語化されてしまったら。
「そうだな」
「わ」
もう少し桃香を抱き寄せるしか、出来ることは残らなかった。
僅かの間だけ、少なくとも隼人の時間感覚ではそのくらいだけはじめての抱き寄せ方による抱き心地を確かめる。
昔は少し小さいくらいだった身体に随分と差がついて、そして今こうして収まっている。
そしてそれをすることを自分だけが許されている。
「なぁ……」
このままではまずい気がする。
そんな気持ちから出した声は普段より掠れ気味で、自分で驚きながらも呼びかける。
「本当に」
このまま眠ってしまう気なのか? そう聞こうとしたものの。
それより先に小さな寝息が返事として帰って来る。
「……」
桃香に捕まえられている方の手や、背中が当たっている胸辺りから伝わってくる規則正しさも本当に寝入っていることを表していた。
以前にそう伝えたことは自覚しているが、それにしたって信じられすぎている……そんな気持ちが深い溜息になる。
その分の空気を吸い込む段になって、改めて桃香の香りが胸の中に入って来て一杯になる。
「……このくらいはいいだろ」
そう独り言ちてから瞼を閉じて首を僅かに曲げて鼻先をミルクティー色の髪に触れさせて抱き枕にしてしまっているから仕方ないではないだけを吸い込む。
軽く握っていた手を安全を確認しながら開いて柔らかさと温もりに更に触れさせる。
もう感覚の全てが桃香になる……そうしているうちに呼吸のリズムさえゆっくりとした桃香のそれに引き寄せられて。
ああ、これは……と思った瞬間には隼人の意識も落ちていた。